黄昏時に染まる、立夏の中で

麻田

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第10話

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「ぼく、ずっと依織といっしょにいる!」

 満面の笑みで僕の手を握りしめる手の大きさは、さほど変わらなかった。
 気づいたら、背は見上げるように高くなった。手も一回り以上大きく、骨ばった男の人のものになっていた。
 初等部の高学年になった頃から、女の子やオメガの男の子に呼び出されることが増えた。でも、その度に、依織の隣にいたいから、とすべて断っていた。
 それが、申し訳なさと同時に、多幸感と優越感と、言い知れぬ温かな感情が僕をいっぱいにした。

 僕の好き嫌いをよくわかってくれて、話も聞いてくれて、元気がない時は誰よりも最初に気づいてくれた。言葉にしていないのに、僕のほしいものがわかる。たくさん笑顔にしてくれる。

 他に比較する相手がいないからよくわからないけれど、友達、という言葉で片付けるには、彰は僕の心の中の割合が大きかった。家族、よりも、もっと大切で大きな存在に思えた。
 それが、僕にとって、とっても大切な、唯一無二の彰という存在だった。





 気づけば、僕はいつもの植物園の前に立っていた。肩で息をするが、酸素が足りなくて苦しい。

(こんな状態で、透に会えない…)

 きっと、優しい透は、僕のことを心配してくれる。まっすぐで、誠実で、なんでも許してしまうお人よしで優しくて、不器用で。だけど、すべてを包みこんでくれる透の温かさが僕には必要だった。
 だからこそ、いつも甘えてばかりいて、透に何も返せない自分がもどかしい。
 それなのに。

(会いたい…)

 この胸を締める感情が何かがわかるほど、僕は人間関係や人生経験が少ない。
 なんで苦しいのだろう。

 友達よりも大切な彰に、恋人がいたと面前で言われたこと?
 だけど、それは、以前の昇降口でのことがあって、わかっていたことじゃないか。

 そう思うとちくり、と心臓が痛む。
 なぜかわからない。シャツの胸元をくしゃりと握りしめるしかできない。

 彰には、二人、恋人がいるってこと?
 でも、彰がそんな不誠実な人だとは思えない。

 目の前で、キスしていたのに?

 可愛らしいオメガの少年は、大きな瞳いっぱいに彰を映してうっとりと幸せそうにキスをしていた。
 もじゃもじゃの少年も、明らかな変装だった。あの眼鏡の下には宝石のような瞳が隠れていた。その少年が恋人らしく、絡みつきながらキスをしていた。

 友達、である、彰の違う相手のキスシーンを見て、彰が意外とふしだらだからショックなのだろうか。
 それとも、隠し事をされていたから、ショックなのだろうか。

(きっと、そうだ)

 僕は勝手に、彰のことなら何でも知っている気になっていたんだ。

(彰は、僕のものなんかじゃないのに)

 彰は、彰なのだ。
 僕と同じ、高校三年生の男子高校生なのだ。
 恋人の一人や二人、いたっておかしくない。
 僕と違って、彰は、アルファで、家柄も学力も、運動だってできる。おまけに、人当たりがよくて、優しくて、人を笑わせるトーク力もある。だから、歴史ある由緒正しく桐峰学園の生徒会に所属している。見た目だって、良い。僕は昔から一緒にいるから、あまり意識したことがないけれど、彰と一緒にいると、必ずすれ違う人たちが振り向いて彰を見ている。そのくらい、顔立ちだって良い。笑顔だって、愛嬌がある。
 たまに、一緒に社交界へ行けば、多くの人に取り囲まれている。大人たちから、同い年くらいの男女、様々な人たちの中心に彰が立っていることがある。

(今まで、彰は僕に合わせてくれていたんだ)

 だから、好きな人とも一緒にいられなかった。

 ふ、とさっき見た、転校生の言葉を思い出す。
 桃色のふるりと濡れた唇は、消えろ、と音にはしなかったものの、僕に言っていた。

(僕は、邪魔者、なんだ)

「わ! 依織先輩、いたんですね!」

 目の前のドアが勝手に開いたと思い、肩が跳ねる。目の前には、透がいて、ドアノブを引きながら、僕の登場に瞠目し、すぐに目元を垂らして、頬を染めた。
 僕がいたことを、心から嬉しそうに微笑まれると、冷めきった身体に体温が、じわ、と戻ってくるのがわかる。

「会えて嬉しいです、けど、もう五時間目はじまっちゃいますよ?」

 高いところにある瞳を首を持ち上げて見上げる。大きな瞳には僕しか映っていない。

「透は…僕に会えて、嬉しい、の…?」

 心の中に浮かんだ言葉をそのまま口にしてしまった。言った後に後悔しても、言葉というものは取り返しがつかない。
 なんでもない、と言おうとしたが、彼は、さらに笑みを深めた。

「もちろん」
「…嘘」

 ぽろ、と言葉が零れた。彼は、表情を硬くした。それから、静かに僕の言葉を待ってくれていた。

「だって、僕は、面白い話もできないし、透の欲しいものだってわからない…、一緒にいたって、何にもいいことないじゃないか…」

(だめ、やめて)

 頭の中で警鐘が鳴っている。しかし、僕は心の靄を目の前の彼にぶつけてしまう。

「先輩…どうし、」
「いつも何かしてもらうばっかりで、いっつも誰かのお荷物になってる…、そんな僕の何がいいって言うの?」

 ここを卒業したら、僕は僕自身のものでなくなる。
 そんな僕に、何の価値があるのだろうか。
 常々思っていたことが、彰という存在の喪失によって、大きく刺激されて、感情が溢れ爆発してしまった。

「僕が好きになれない僕なんか、誰も好きにならないっ!!」

 キン、と辺りに僕の嫌な甲高い叫び声が唸る。は、は、と短い呼吸でなんとか身体に酸素を送る。頭が脈打つ度に痛む。固く握りしめた手のひらも痛い。何よりも、そんなことを透にぶつけて、八つ当たりしている愚かで可哀そうな自分が心を痛めさせた。
 笹が葉を風に揺らし、かさかさと音を立てる。それから、ぱつ、と葉を弾く雫の音がした。それらの音にようやく心の波が少し落ち着いてきて、透に謝ろうと冷静に頭が働く。
 顔を上げた瞬間、僕は温かな何か包まれる。

「好きです」

 耳元で、熱い吐息が送り込まれる。背筋が震えて、強く抱きしめられる。ワイシャツ越しに、がっしりとした身体に、強く強く。

「僕は、依織先輩と一緒にいると楽しいです。先輩の話、あったかくて、おもしろいです」
「とお、る…」

 そんな気を遣わせたいわけじゃない。
 自分が感情的で面倒なことを言っているのはわかっている。
 長く、たくましい腕の中で距離をとろうと身じろぐが、さらに腕の力は強まってしまう。

「依織先輩と出会ってから、僕の毎日は明るくなりました。はじめて、この学校で本当に笑いました。全部、全部全部、依織先輩が僕にくれたものです」

 風が吹くと、頬が冷える。ようやく僕は、大粒の涙を零していることに気づいた。
 す、と透が肺を膨らませたのが、身体越しに伝わってくる。ど、ど、と力強く、早い鼓動が、透の本当の言葉だと教えてくれる。

「依織先輩の隣は、穏やかで温かくて、愛おしくて…」

 大好きです。

 大切に、一言一言を選んで、はっきりと透はそう話した。

 大好きだと言ってもらえた。
 大きな手のひらが僕の肩を抱き、腕が強く僕を拘束する。
 耳元から、熱く湿った吐息が、時節震えて聞こえる。
 見た目よりも厚みのある身体ががっしりと僕を支える。
 大きな身体をかがませて、僕を抱き寄せて、僕は爪先立ちにさえなっている。
 僕よりも熱い体温が、冷えた心に温度を分けてくれている。
 優しい彼の心が、僕を救おうと必死で呼びかけてくれている。
 ずっと、いい匂いだと思っていた、おひさまの温かく優しい香りが彼からする。
 奥には、果実の甘い香りが、僕のオメガを呼び起こそうとしてるようだった。

(透、アルファだったんだ…)

 全く、場違いなことを頭では考えている。
 そうできるほど、僕の心は落ち着いていた。
 広い背中に手を回すと、一瞬、びくり、と目の前の身体は震わせたが、肩に擦り寄ると思い直したように、また強く抱き直される。

「とお、る…ありが、とう…」

 僕の細腕ではたかが知れている。けれど、それでも、僕は目の前の彼を逃したくなくて必死に抱き寄せる。
 彼もそれに気づいてくれたようで、さらに僕を大きな身体に隠すようにかき抱き、頬を擦り寄せた。






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