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第59話
しおりを挟むすぐさま勢いのまま飛び出して、理央に覆いかぶさる。
自分なんかどうなってもいい。
とにかく、理央が、理央だけは、助かってくれ!
理央がいないと、俺は…俺は…っ
それと同時に、準備室のドアが開く。
「風紀だ!そこを動くな!」
宇津田のよく通る声が、棚のガラス戸をがたがたと言わせるほど辺りに響く。バタバタと人数が部屋に入り込んでくる音がして、後ろで悲鳴が聞こえる。
「離せっ!離せよ!俺を、誰だと思ってる!」
本薙が顔を真っ赤にして目をつりあげ、いつもの天使の面影がない形相で複数人に取り押さえられて暴れていた。薬品はちゃんと、宇津田が蓋を閉めて回収していた。
そろ、と頭に何かがあたり、顔を上げる。細い呼吸で、真っ青の理央が俺を見て、力なく笑っていた。
「りん、せんぱ…」
「り、りお!理央っ」
首に腕を回し、きつく抱きしめる。いつも熱い身体は、氷のように冷たかった。呼吸もだんだん弱っていく。それでも、俺の背中に弱々しく腕を回して、頭を撫でてくる。
「せんぱ…、よく聞いて…」
「理央、しゃべるな、すぐ、助けるからっ」
ばらばらと溢れる涙は、乱れた理央の制服を濡らした。視線を上げると、澱んだ瞳は俺を見つめて、ゆるゆると微笑んだ。そして、震える指先で俺の頬を撫でる。急いでその手を握って、顔に押し付ける。
「本薙は、自分のアルファに、GPSをつけてました…、番号、メモ、して」
う、と目を固くつむりながら、細い声で言う理央の通りに、急いで身の回りをさぐって、ペンとメモ帳を取り出す。そして、理央が、九桁の数字をつぶやいた。
「これ、が、本多の、番号です…アプリで、探せば、見つかります…」
「理央ッ!」
理央の手がずる、と床に落ちた。すぐさま、その手を握りしめる。
「俺の、予想、ちょっと外れ、ちゃいましたね…」
「いいから、もう、しゃべ、ない、で」
ふふ、と笑ったあと、真っ青な唇で理央は続ける。
「やく、そ…、忘れ、ないで、くださ…」
「ばか、こんな時にっ、」
「へ、へへ…大事な、こと、ですから…」
もう瞼も開かない理央の顔を包みながら、呼びかける。
「なんだってするから、なんだってやるから、だから、ちゃんと俺のもとに帰ってこい」
傍にいるって約束しただろ?
そう言い捨てると、理央は少し笑って、意識を失った。
その後、すぐに保健室へ連れていかれ、救急搬送される。その冷たくてかさついた手をずっと握りしめて、祈る。病院に着くと、すぐさまICUに連れていかれてしまって、俺は外で待つ。
しばらく、はらはらとする胸を握りしめて座り込んでいたが、こんなところで祈っているよりも、理央が身体を張って手に入れた情報を渡す方が先だと、総一郎に連絡をする。
『凛太郎、大丈夫か?』
電話に出た総一郎は開口一番、俺の安否を確かめてくれる。おそらく、大体は宇津田たちから報告が言っているだろう。礼と、今、理央に付き添って搬入された病院名をつげる。そこそこに、本題を伝える。
「理央からの伝言です。本薙は自分のアルファたちにGPSをつけています。本多の番号は…」
メモを見ながら、間違いなく総一郎に九桁の数字を伝える。理央が、命がけで手に入れたそれを。
「これを追えば、おそらく一条の場所も得られるはずです」
『…ありがとう、凛太郎』
「いえ、礼はあいつに…」
また、じわ、と涙があふれてきて、急いで深呼吸をする。
「先輩…すみません、俺…」
『俺は、これからここに向かう。だから、凛太郎は理央の様子を見てやってくれ』
俺の言葉を遮って、総一郎がはっきりと言った。そうお願いしようと思っていたことを、まんまと言い当てられて、目を見張る。
『現場に行きたいところ悪いな~』
俺の最後の大仕事だからよ、と明るく言う、気の利く優しい先輩に身体の奥底から熱くなる。
「ありがとうございます…っ」
『それじゃ、頼んだぞ』
はい、と涙を拭いてうなずいて、電話を切った。それと同時に、ICUから看護師が出てきて、俺を呼んだ。
あれから、三日が経つ。
佳純は無事に七海と再会を果たせたらしい。
あの日、理央からの情報を基に発信を辿ると山奥にある別荘に行きついた。そこから、自力で逃げ出してきた七海を佳純が発見した。意識を失い、明らかに性的に搾取され続けていた形跡のある七海は佳純が現在保護している。七海は佳純に任せて、総一郎をはじめとする風紀委員たちは、屋敷に踏み入れた。しかし、そこはすでに誰もいなかったそうだ。さっきまで人間が複数名いた形跡はあったそうだが、一歩間に合わなかったそうだ。その屋敷から違法の発情促進剤が発見され、警察に提出されたそうだ。
その別荘というのは、本多の実母の財産だった。本多秀一は、父親である本多家の当主が愛人に産ませた子供だった。その愛人というのが野心家な女であったため、わざと本家の長男と同じように数字の一を使った名前にしたらしい。年老いた本多家の当主は、執拗な愛人からの要望に困り果てた末に息子を養子に迎え入れた。しかし、そんな事情であるため、本多が本家に喜んで受け入れてもらえる訳もなく、全寮制の学園に厄介払いされてしまった。母親は、長年のストレスで本多が本家に受け入れられる前に亡くなった。本多の母も有名な資産家の娘らしく、それ相応の資産を受け継いでおり、この別荘は、母親が秀一に残した物件の一つだった。見つからなかったのは、本多が母親の苗字の名義で登録していたためだった。本多の過去を知ると、胸が痛まないわけではないが、やつらが周囲に与えたダメージを考えると、到底許せなかった。目の前にある、点滴のつながった手を握りしめる。
それから、本多、大崎の行方はわかっていない。さらに、風紀に拘束された本薙も気づいたら姿を晦ましていた。先ほど、三人分の退学届けが家族から提出されたというのは、総一郎からの電話で聞いた。
本薙の異常なアルファへの執着。そして、それに惑わされるアルファたち。何がどうして、そうなっているのだろうか。いくら考えてもわからない。
改めて、アルファとオメガという二つのバース性の結びつきの強さを感じる。佳純と七海の姿もそれを感じさせたし、海智と本薙にも。そして、今回の理央の姿からも。
三日経つというのに、目の前の男は目を覚まさない。
身体が丈夫ということが取り柄だろ、と高い鼻をつまんだ。ふが、と反応する理央に頬を緩める。顔色は、ちゃんと元に戻ってきた。
本薙の強いオメガフェロモンにあてられ、ラットを起しかけていた。それを、合計十本にも及ぶ抑制剤の乱用により、抑え込んでいたそうだ。そのため、理央の丈夫な身体を持ってしても、薬物中毒状態に陥り、昏睡状態が続いている。解毒は済んだ。あとは、本人の生きる力次第だと言う。
バースのフェロモンには、昨今の優秀な科学でもわからないことが多いらしい。特にオメガのフェロモンは特別で、様々な物質が混じりあい複雑なつくりをしている。それは、生命が子孫を残していけるように、それも優秀な種を残していけるように進化してきた結果なのだろうと言われている。そのためオメガのフェロモンには、アルファの遺伝子が強く惹かれるような物質が溶け込んでいる。アルファがオメガに惹かれるのは、我々人類に深く深く刻み込まれた、宿命なのだ。
オメガ依存症、という言葉を海智から告げられた時に調べたことだった。強いオメガのフェロモンにあてられると、身体がそれをずっと欲してしまう。そのフェロモンを与えられないと、生殖反応を示さなくなる。これは、プライドの高いアルファたちが医療にかからないため、非情にまれなケースとされており、知られていないことが多い。そもそも、アルファがベータと恋仲になることはありえないのだ。なぜなら、遺伝子がオメガと求め合うように作られているから。優秀なアルファであればあるほど、その強い遺伝子を残そうと、強くオメガのフェロモンに反応する。
きっと、生徒会室で彼らの行為を初めて見てしまった時に、海智の様子がおかしかったのも、強すぎる本薙のフェロモンに飲み込まれて、遺伝子を組み直されてしまったからだろう。あの時、あんなにショックを受けて、夢にまで見たのに、今は、こんな冷静に思い出して、分析できるまでになった自分に驚く。
それは、今目の前にいる弱ったアルファのおかげなのだろう。
手を握りながら、ベッドに突っ伏す。消毒液のような病院らしい匂いが鼻につく。顔を動かして、目線をあげる。すうすうと気持ちよさそうに眠る理央を見つめる。
早く起きろ。先輩を待たせるとは、無礼な後輩め。
ぎゅう、と手を握る。大きくて、温かい手だ。子供のように体温が高いこの身体に、早く抱きしめてもらいたかった。瞼が重くなり、そのまま、まどろみに身を任せる。
早く起きて、俺を抱きしめろ。バカ理央。
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