初恋と花蜜マゼンダ

麻田

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第54話

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 その日から、僕は作戦を立てた。
 彼に嫌われて、愛想をつかされるために。

 昨日、彼と久しぶりに顔を合わせた。その時、玄関口で執事に手渡したという、その日の花束は、大振りで立派な真っ白のダリアが輝くものだった。凛と咲くダリアを撫でると、弾力があって生命力の強さが伝わってくる。だから、僕も頑張ろうと、気持ちを分けてもらう。

 珍しくリビングで過ごしていると、昨日と同じ、三時過ぎに来客を知らせるチャイムが鳴った。どくん、と大きく心臓が跳ねてから、指先がひんやりとしてくる。昨日から何度もイメージはした。だから、大丈夫。

「今日、聖は…」

 玄関で執事と話す彼の声が、ひっそりと聞こえて、震える膝を叱咤して立ち上がる。そして、僕から顔を出した。急な僕の登場に、彼は瞠目したあと、満面の笑みを浮かべて頬を染めた。

「聖…っ!」

 空気を察して、執事が後ろに下がった。その手もとには、今日も大きな花束があった。
 それをちらりと見て、深く深呼吸してから、彼に聞こえるように大きく溜め息をついた。かすかに震えていることには気づかれないように、言葉を続ける。

「毎日毎日、迷惑です」

 イメージした通りに出来た。
 声も、恐れていたほど、情けないものではない。大丈夫、出来る。

「あんなに立派な花…無碍にして可哀そうだと思いませんか?」

 ひどい人…
 そう続けて、睨みつけるように彼を見上げると、眉間に皺を寄せて、顔色を悪くしていた。狙い通りの事なのに、彼が傷ついている事実に、自分がもっと苦しくなる。思わず息がつまってしまい、鼻の奥がつん、と鋭く痛んだ。彼は、僕と目が合うと、頼りなく眉を下げて、微笑んだ。

「そう、だよな…毎日、花屋で聖に似合うものを選ぶのが楽しくて、聖がそう思うだなんて、考えもしてなかった…」

 すまない。
 そう言って、彼は深々と頭を下げた。あの、生徒会長として、絶対の帝王として君臨していた彼が、傷ついた顔をして、僕に頭を下げている。鼓動が強くて、眩暈がしているように感じられた。涙が滲むような気がしたが、すぐに眉をきつく寄せて、気持ちを強く持つ。

(嫌われるように…)

「僕が、いつ、花をくれなんて頼みましたか…?」

(この気持ちが、伝わらないように…)

「あなたは、僕のことなんか、何もわかっていない、ん、ですよ…」

(僕のことなんか、嫌いになって)

 言葉が途中でつまりながらも、僕は彼に嫌われるように、一生懸命に努めた。
 嫌なやつ。
 彼は、こうやって、まっすぐに思いを伝えてくれているのに。
 僕が喜ぶだろうと、花屋で一人、たくさんの花々に囲まれながら、悩んでいる彼を想像して、嬉しくて悲しくて、つらくて、愛おしくて、涙がこぼれてしまいそうだった。

「そう、だな…」

 整えていた髪型を、覆うように大きな手をあてると、ぐしゃりと彼は握りつぶした。手の甲でぐりぐりと額をこするように押さえたあと、彼はそのまま前髪をかき上げて撫でつけた。強い瞳が、僕を射抜く。びくりと身体が大きく跳ねてしまう。

(嫌われ、ちゃう…)

 そう望んでいるはずなのに、どうしてこんなにも、身を割かれるような痛みがあるのだろうか。
 本当に、わがままで自分勝手で、醜い僕。
 苦しくて、彼を見ていると泣いてしまいそうで、急いで後ろを向く。

(もう、二度と来ないで)

 伝えようと、口を開くなのに、音もなくぱくぱくと開閉されるだけになってしまい、もだついていると、先に彼が声を発した。

「明日からは、違うものにしよう」

 思いもよらぬ提案に驚いて振り返ると、彼は苦し気に微笑んでいた。それでも声色は明るく努めようとしているのが、伝わってきてしまう。

「聖が喜ぶものにする」

 何かリクエストは?

 穏やかな声色で彼が、特別優しく聞いてくれた。

「っ…、聞かないと、わからないんですか?」

 鼻で笑い、冷たくあしらうように、視線を逸らす。冷たい汗が、つ、とこめかみを伝い、余計に身体が冷えて、指先がかたかたと震える。それがわからないように、腕組みをして、指先を隠す。
 それなのに、先ほどとは打って変わって、彼は嬉しそうにくすりと笑った。

「じゃあ、明日も来る」
「っ、いやっ!そういうわけじゃっ」

 じゃあ、と彼は手を挙げて、玄関を出ていった。
 もう来るなと言いたかったのに、明日も来てくれと強請るようだっただろうか。
 もっと言葉を選べばよかったという後悔と、明日も変わらず来てくれるという彼にじんわりと嬉しさがにじみ出てしまう。



 その日から、僕と彼との押し問答は始まった。
 嫌われるように、わがままを言って困らせるはずが、彼との会話が増えていっているのも事実だった。彼は、変わらずに、三時頃にやってきて、日ごとに違う贈り物を持ってきた。
 僕の好きな作家の新刊本、海外限定の原文の作品。焼き菓子、文房具。たまに、花束。毎日、送られる品物に、いつも僕は、喜んでしまった。読みたかった本、ずっと手にしたかったもの。初めて出会うのに、とてもわくわくさせるもの。昔から、彼は僕が喜ぶものを熟知していた。手にした瞬間、思わず嬉しくて表情に出てしまうらしく、彼と目が合うと、とろけるような笑みを浮かべていて、バカな僕は簡単にときめいてしまっていた。それを、心を鬼にして、嫌われるように悪態をついた。
 こんなつまらないもの。
 子ども騙し。
 僕をばかにしてるんですか?
 ひどい言葉に、自分が一番傷ついた。
 へっちゃらなふりをして毎日来るくせに、僕がそういうと、彼だって、悲しそうな顔をする。
 だから、もう苦しくて、やめてほしいのに、彼は絶対にやめなかった。
 絶対に、次の日も同じ時間にやってきた。
 深夜、父が帰宅して、母に、重役会議に彼が参加せずに揉めたという愚痴を話しているのをうっすらと聞いた。その父への母の話しぶりからして、その定例会議は、いつも僕に会いに来る時間が行われているらしかった。
 水を飲もうと出てきたのに、薄暗い階段で僕は一人蹲った。

 もう、やめていいのに。
 仕事にだって、自分の評価や信頼、評判にだって影響が出ているのに。
 どうして、やめないの。
 もう、やめていいのに。

 僕が、わがままで、自分のことしか考えてないから、彼に迷惑をかけている。
 なんで、嫌いになってくれないの。

 今まで人生の汚点なんか一つもない彼に、唯一の汚点が僕なのかもしれない。
 振ることはあっても、振られることなんてなかった彼が、その汚点を払拭するために、意固地になっているだけなのかもしれない。だから、こんなに頑固にしがみついてくるのか。
 いや、違う。だって、最初に、僕を振ったのは、彼なのだから。
 やっぱり、おもちゃが捕られて、逃げていったことが面白くないのか。だから、執着しているだけなのか。
 じゃあ、また僕は、自分の本当の気持ちを隠して、生ぬるい時間を彼のもとで過ごせばいいのだろうか。そうしたら、誰にも迷惑をかけることなく、彼が過ごせるのだろうか。
 でも、それじゃ、元通りなだけだ。
 やっぱり、ちゃんと伝えないといけないんだ。

(ちゃんと、はっきり、僕を嫌いになってもらわないといけないんだ…)

 結局、僕のわがままで、未だに彼に迷惑をかけてしまっている。
 どうして、距離を置きたいのに、こんなに僕は彼のことを気にしてしまうのだろう。迷惑かけたって、どうだっていいじゃないか。そのまま、僕のことをめんどくさいやつだって、わがままなやつだって、嫌いになればいいんだ。
 それなのに、彼のことが心配だったり、どこかでやっぱり嫌われたくないと思ってしまっている自分の、本当のわがままがいけないのだろう。
 答えは、簡単なのだ。
 彼に会うと、全身が喜んで、彼に微笑まれるととろけるように嬉しくて、彼を傷つけると心も身体もずたずたにされたように痛んでつらい。それでも、また会いに来てくれて、僕のことで頭をいっぱにして悩む時間があるのだと思うと、しあわせだと思ってしまう。

(こんな歪んでいて、自分勝手な僕が、彼に好かれるはずない。隣にいていいはずがない)

 そう思うと、涙があふれるのはどうしてなのだろう。
 どうしたら、僕は、彼を解放してあげられるのだろうか。
 もうやめたい。
 彼を好きでいるのをやめたい。嫌いになりたい。
 でも、彼が違う人を抱いていても、甘い言葉を囁いていても、僕を蔑むようににらんでも、それでも嫌いになれなかった。

(だめだ…ちゃんと、はっきり伝えないと…)

 底冷えする廊下から、暖房の効いた室内に入ると、身体が弛緩する。耳の奥で動機も聞こえる。まるで地響きのようにうるさい。未練がましい僕と、お別れしなといけない。彼を、手離さないといけない。それが、彼のしあわせにつながるのだから。



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