初恋と花蜜マゼンダ

麻田

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第41話

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 ようやく熱が平熱になるようになってきた頃、柊は僕に出かけようと声をかけた。言われるがままに、用意された服に袖を通す。夏にも関わらず、長袖を渡されるが質のよいリネン地で暑さは全く気にならなかった。第一ボタンまでしっかりとシャツを襟首まで留められ、ハットを深くかぶるようにされ、その通りにしていると柊は満足そうに僕の頬を撫でて、キスをした。
 そして手を引かれるがままに、来た時よりも人数を半分以下にした執事たちが僕と目をあわせないようにしながら頭を下げて見送られる。その行為に、僕は、手元にある熱い体温の持ち主しか頼るべき相手がいないのだとまざまざと見せつけられるようで、目の裏ががんがんと痛み、足元が覚束なくなってしまった。
 車で山道を降りて、しばらく走るとある大きな建物に降ろされる。そこは、病院だった。柊を見上げると、頬を染めて僕を見下ろして、微笑んだ。

「ただのブライダルチェックだよ」

 そんな心配そうな顔しないで、と柊は優しく頬を緩めて僕に温かく声をかけた。そんなこと一つも聞いていなかった。僕は反論しようかと口を開けたが、それをつぐんで俯いた。僕には、何もできないのだ。柊の言う通りにするしか、方法がないのだ。
 柊に手を引かれるままに付いていく。正面ではなく、裏口に大柄のスーツの男性が立っていて、柊に恭しく頭を下げた。

「社長、お待ちしておりました」

 ブロンドヘアをぴっちりと後ろに撫でつけた男性は、僕を一瞥してから無表情のまま頭を下げた。釣られるように、僕もその人にお辞儀をした。その後、柊が僕の名前を呼んで、紹介をする。

「ひーちゃん、この人は僕の秘書。僕がいないときは、彼を頼ってね」

 まあ僕がいないことなんて、そうそうないと思うけど。と言いながら、機嫌良く、ふふ、と柊は軽く笑った。その秘書だという男性は、僕には興味がないと言った風に、すぐに柊に向き直った、ドアの中へと案内した。その人に促されるまま、ひんやりとした廊下を柊の隣について歩いていく。
 もしこの検査で何か異常があれば、柊は僕を諦めてくれるのだろうか。
 一抹の希望を抱いた時、それが希望だと思っている自分に気づいてしまった。僕は、柊から解放されることを望んでいるのだ。ずっと心の中に秘めていた気持ちが心の中で溢れた。指先に力が入ってしまったのか、柊が振り返り、僕の顔を覗きこんだ。どきり、と心臓が跳ねて、思っていたことが伝わってしまうのではないかと冷たい汗がこめかみに滲む。しかし、柊は、すぐに僕と目が合うと、頬を染めて優しく微笑む。

「大丈夫だよ、健康診断みたいなものだから」

 心配しないで、と耳朶をくすぐるように長い指先で撫でる柊からは、愛情のようなものを感じられる。しかし、それを素直に受け取れるほど、この数週間で柊の闇に触れすぎていた。






 血液や尿検査からCTまで様々な検査を受けた。柊とは病院着に着替えてからすぐに分かれて動いたが、秘書の人がずっと僕についてきていたので、結局僕が肩を降ろせる時間はなかった。秘書は何も話さずに、ただ近くで監視しているだけだった。執事は明らかに柊の指示を受けているのを感じたが、秘書からは一切僕への関心を感じなかった。本当に、柊以外興味がないのだろうと思うと、気が楽だった。何も心配することもない。何をするにもためらったり考えたりしなくて良いのだ。僕の一挙一動でその人の運命を変えてしまうかもしれない怖さがないことが嬉しかった。
 検査を終えると、先に終えていた柊が待合室におり、僕を見つけるとすぐさま嬉しそうに笑って駆け寄ってきて抱きしめた。まるで、何年も離れていたかのような熱い抱擁の強さに倒れてしまいそうだった。柊に腰を抱かれながら、共に診察室へと入室した。検査は、柊の力によって即日教えてもらえることとなっていたらしい。
 部屋には、眼鏡の男の医師がおり、僕たちに笑顔で挨拶をすると、すぐに向き合って本日の結果を伝え始める。最初に柊の検査結果を伝えられる。全く問題のない健康そのもののアルファの身体だと言われた。柊は、よかった、と僕の腰を抱き寄せ、手を握り、頬を染めて笑っていた。

「奥様は…ベータ診断を受けたとのことですが…」

 医師は声を低くして、僕をまっすぐに見つめた。その視線に、何かあったのかもしれない、と姿勢を正す。僕の変化に気づいたのか柊は、握っていた手に力を加えた。

「今、奥様の身体はオメガになろうとしています」

 思いもしなかった医師の言葉に、目を見開く。言葉を失っていると、医師は冷静な声色で続けた。

「もともと、一次検査ではオメガだと診断され、二次でベータと診断されるケースは多くはありませんが、実際に報告が複数あります。思春期の不安定な時期での検査の正確性を疑う声も学会では多くあります」

 バース性の診断とは、アルファとオメガのみ出される特別なホルモンを検査で確認された場合に診断が降りる。アルファの反応が強く出ればアルファだと診断され、オメガの反応が出ればオメガだと診断される。僕の場合は、二次検査で、オメガの反応が薄かったために、ベータという診断が降りたのではないかと医師が予測する。今回の検査では、オメガの反応が濃く出ていたということらしい。
 思春期の身体が複雑に変化する中で、それは、ままあることで、全く異常なことではないのだと医師はうなずきながら僕に話した。

「最近、身体に変化はありませんでしたか?」
「微熱がずっとありました」

 ね、と柊が僕に問いかける。うん、と小さくうなずくと、医師は、それもホルモンバランスの影響です、とはっきり答えた。

「アルファの体液を多く摂取すると、オメガへの促進作用があると言われています」

 体液、と言われて、柊がやけに唾液を飲ませてきたことや、寝ている間に行われていた性的な事柄を思い出す。しかし、微熱が出始めたのは、もっと前で…。

「このまま、放っておけば八割の確率でオメガになるでしょう。お薬を使えば、確実にオメガへのバース変更が可能ですが…」

 いらない。
 僕ははっきりそう思った。
 もう、僕が一生を捧げたいアルファは、いない。
 僕がずっと一緒にいたかったアルファに、僕は捨てられてしまったから。

『聖』

 頬を染めて、眦を下げて甘く僕の名前を囁いてくれる。
 大好きな彼は、もう、いないのだから。



「やります」

 医師の言葉を遮って、はっきりと答えた。それは、柊だった。

「薬をお願いします」

 ぎゅう、と腰を強く抱き寄せられて、大きな身体はより熱くなった気がした。僕は混乱する頭で、柊を見上げる。強く手を握りしめられて、ぎし、と骨が軋んだ気がした。柊は、頬を赤くさせ、息を荒げて答えた。そして、うつろな瞳の僕に気づくと、柊は口角を上げて囁いた。

「僕たち、ようやく番になれるね」

 僕は、闇の中に突き落とされた。一筋の光さえも奪われて。


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