初恋と花蜜マゼンダ

麻田

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第19話

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 さらさらと髪が揺れる。春風に吹かれているような心地よさに、ゆったりとまばたきをしながら、瞼を開ける。温かい何かに包まれて、春の草原で眠っているのかと勘違いしていた頭は、だんだんと状況を理解する。
 目の前には、見慣れた本棚の数々。視線を落すと、膝が並んでいる。僕のではない膝に沿って、視線をあげると、眼鏡をした赤毛の男が瞼を閉じて、大切そうに僕を抱き寄せて、髪の毛を撫でているのがわかった。

「柊…?」

 ずれた眼鏡から、長い睫毛を伏せているのが見える。ぼんやりと名前をつぶやくと、きらりと宝石のような瞳が見えた。

「先輩」

 目が合うと、頬を上気させて、とろける笑みを惜しみもなく向けてくる。そして、身をかがめた柊は、僕の瞼に、ちゅ、と柔く温かい唇でキスをした。その音の生々しさで、意識がはっきりとしてくる。厚い胸板を押して、急いで身体を起して距離をとる。

「先輩?」

 唇を押さえて、立ち上がると、腰に甘だるい余韻のようなものを感じて、足元がふらついた。それが、現実であることをより強く感じさせる。
 柊に、なんてことをしてしまったんだ…
 僕の淫らではしたない欲望を、柊に見せてしまった。処理させてしまった。
 目の前には、こんな僕を心配そうに、見上げる従順な後輩がいる。あんなことをさせてしまったのに、僕なんかを心配してくれている。それが、僕の罪悪感をより強め、羞恥心や自己嫌悪感を引き立てる。血の気がざっと引いていき、足元がおぼつくような気がする。

「柊…」

 柊は、立ち上がると僕よりも二十センチ以上大きい。手を伸ばして、抱きしめようとゆっくり近づいてくる。美しい瞳の柊を、僕が汚してしまう。そんな気がして、後退るが柊はゆっくりとその巨体で近づいてくる。あの、体温の心地よさを身体は覚えていて、期待に熱を持ちだしたのを感じて、自分の浅ましさを強く嫌悪した。

「ご、ごめん…ッ!」

 背後で僕の名前を呼ぶ柊の声が響いたが、構わず走り出した。ドアを力いっぱい開けて乾いた音が廊下に鳴る。急いで昇降口へと走る。
 とにかく、一人になりたかった。とにかく、柊から遠ざかりたかった。
 恥ずかしい。浅ましい。はしたない。情けない。
 色々な感情が、僕を責め立てた。
 すべては、あの恋情を捨てきれない、僕の意地汚さがもたらしたものだ。
 やっぱり、僕なんかは、人と関わってはいけなかったんだ。
 しあわせになっちゃ、いけなかったんだ。
 僕は自分を責めるのに精いっぱいで、他の足音には気づけなった。まっすぐ昇降口に向かって走っていたとき、廊下の角から出てきた人に気づけなかった。どん、と強い衝撃が身体を襲う。勢いよく走っていたのは僕なのに、軽く吹き飛ばされてしまう。壁にぶつかったかと疑うほどの強さだった。腰を打ちつけて、痛みをこらえて顔をあげると、目を見開く。
 そこには、同じように、驚いた顔をしている咲弥がいた。しかしその表情は一瞬で、すぐに視線は興味なさそうにそらされた。ぞ、と背筋が凍るような、胸をひと突きされたような痛みが全身に伝わる前に立ち上がって俯きがちで言葉を発する。

「ご、ごめんなさい…」

 何も返答がないのはわかっていたから、急いで彼の前を通り過ぎようとした。
 その瞬間、強い力に二の腕が痛む。急に訪れた痛みに、目をぎゅっとつむって、おそるおそる振り返ると顔に皺を寄せて、彼が僕を睨みつけていた。

「おい…」

 ひゅ、と息が鳴ると、がたがたと指先が震え出す。怖い。

「お前、この匂い…」

 匂い、と言われて、まったく意味がわからなかった。わからないから、首を横に振る。すると、瞠目した彼は、僕の頭を掴んで後ろを向かせた。そして、襟を引っ張られ、息が苦しくて呻く。

「それに、これ…」

 何がなんだかわからなくて、怖くて、呼吸が出来ない。後ろから強い舌打ちが、静かな学校に響いて、肩をすぼめる。怖い。

「来い」
「っ…!」

 ものすごい力で引っ張られて、もたつく足をなんとか動かす。何度か転びそうになった僕を振り返りもせず、骨が軋むほどの強さで腕を引っ張られる。痛くて、怖くて、何も言えなかった。何もできなかった。
 彼に迷惑をかけないように、近づかなかったのに。
 彼が僕を見ると、イライラしたり呆れたような顔をしたりしていたから、顔もあわせないようにしていたのに。
 なぜ、今こんなにも彼が怒り、僕の腕を引っ張っているのかわからなかった。
 僕のこと、嫌いなんじゃないの。
 会いたくもないんじゃないの。

 聞きたいことはたくさんあるのに、一つも僕の喉からは出ない。むしろ、恐怖で今にも泣きだしてしまいそうだった。
 あんなに会いたかったのに。
 あんなに、僕だけを見てほしかったのに。
 ひどい別れ方をしても、それでも、恋焦がれたのに。
 こんなにも恐怖を感じる日が来るなんて、思いもしなかった。

 どうして、さく。

 僕の知らない、骨ばって長い指と、大きな力強い手のひらと、高い位置にある形の良い後頭部を見つめながら、心の中で何度も問いかけた。






 引っ張られるがままに連れていかれたのは、生徒会の寮だった。会長の部屋は最上階にあるらしく、その部屋の鍵を開け乱暴に引き入れられると、暗闇の中に突き飛ばされた。訪れる痛みに目をつむったが、ぼふん、と柔らかい何かに身体が沈んだ。
 すぐに身体を起そうと辺りを探ると、大きなベッドにいるようだった。陰っていた月が、顔を出すと、はめ込まれた大きなガラス窓から月明かりが部屋に降り注がれる。予想通りキングサイズのベッドの真ん中に落とされた僕が、身体を起そうとすると、強い力で肩を掴まれて、ベッドに落とされて動けなくなる。

「いっ…」

 痛みに顔をゆがめながら、力の先を見ると、彼が僕の肩を掴んで覆いかぶさっていた。月明かりが、彼の高い鼻と睫毛に影をつくる。間近で久しぶりに見る彼は、あの時の面影を感じられないほど、大人っぽくて、かっこよくなっていた。こんな状況なのに、どきり、と勝手に身体がときめいたりしている。彼の瞳は、怒りで染まっていることに気づくて、血の気が引いていく。

「お前、誰のものか忘れたのか」

 低いバリトンが僕に命令のように冷たく言い放つ。
 何のことか全くわからなくて、胸の前で握りしめた両手が震えている。冷たい汗が、額ににじんでいく。そんな僕を、見下ろして、彼はつらそうに顔を歪めた。

「やっぱり、アルファなら誰でもいいんだな…」

 喉を詰めながら苦し気につぶやかれた言葉の意味はわからないけれど、彼が何か痛がっているような、苦しい様子なのが心の底から心配になってくる。

「さ、…」
「呼ぶなっ!」

 あの日以来に、名前を呼ぼうとしたら、彼が急に怒鳴った。びりびりと身体が威圧され、動けなくなる。そして、次に眼があった時には、彼は、冷たい色の無い瞳で、僕を見下ろしていた。

「わからせてやるよ、お前が誰のものなのか」

 先ほどの威圧のフェロモンで、びりびりと身体は神経毒にやられたように動けなくなっていた。だから、彼の動きに抵抗することができない。着ていたニットベストをたくし上げられて、手元の辺りを固定されてしまう。シャツは、乱暴に横に引き裂かれ、ボタンがはじけ飛んでいった。その音に、ようやく意識を取り戻して、彼を見やる。僕に跨った彼は、僕の身体を見ると目を見開いて固まっていた。そして、眉をきつく寄せ、鼻にも皺をつくり、苦し気に笑った。

「随分、可愛がられてんだな」
「なっ、うああっあ」

 身体を軽く起そうとすると、急に強い痛みに襲われてベッドの上で仰け反る。彼が、僕の赤く熟れた乳首をつねっていた。

「俺の時は、こんなんじゃなかった…」

 そうつぶやかれたものは、あまりにも苦し気で呻き声としか聞こえず、僕には言葉としては拾えなかった。
 今まで、夢の中の彼に、優しく育てられてきたそこを、急に力任せにつままれたと思ったら、今度は、ぴん、と勢いをつけて弾かれた。その痛みに涙がこぼれた。呼吸をするのに精いっぱいになっていると、するり、と足を何かが撫でて、下に目をやると、下着ごと、僕のスラックスが抜き落とされていた。

「ぃや…っ」

 恥ずかしくて、足を閉じようとすると、強い力で開かれる。何もかも見られている。そして、獰猛な彼の瞳に一瞬見つめられて、身体の奥に、忘れていた炎がじんわり灯るのを感じた。

「や…やっ…」

 助けてほしくて名前を呼ぼうとするが、また怒られてしまうかもしれない。唇を噛んで、声と涙を堪える。しかし、次の瞬間、つぷ、と何かが僕に侵入しようとしていて、目を見張って振り向いてしまう。
 彼の長い指が、僕の孔入口をいじっているようだった。そして、引き抜いた指を目の前で、見せられる。つと、と粘液が糸を引いていた。

「随分お楽しみだったんだな」
「な、どして…」

 そこが濡れることなどありえない。なぜなら、僕はベータだからだ。
 先ほどまでの後輩との戯れは、前をいじるもので、そんな場所触りもしていない。信じられないものを見つめていると、彼は大きく舌打ちをして、自嘲気味に笑った。

「これなら、すぐ入るよな」

 さっきまで他のヤツを挿れてたんだからな…

 悲し気につぶやいたその言葉に、否定をしたくて声をあげようとするが、彼の大きな手のひらに口元を覆われる。

「この淫乱が」

 目の前で、暗い瞳で冷酷に言い放たれる。真っ逆さまに、地獄に落ちていく気分だった。
 あの彼に、こんな風に言われる日が来るなんて思いもしなかった。瞬きをせずに、涙がぼろぼろと溢れる。そして、ひたり、と入口に灼熱の塊を感じた。それが何か感づいた僕は、首を横に振る。抑えられた口からは呻き声しかあげられない。

「お前を信じた、俺がバカだったんだ…」

 一瞬、あの時の彼の優しい顔が見えた。悲しく笑った気がした。優しく頭を撫でられて、僕は名前を呼びたかった。抱きしめて、慰めてあげたかった。



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