【完結】夏色の玻璃

那月 結音

文字の大きさ
上 下
14 / 23

八月十五日(1)

しおりを挟む
「おっ、来た来た」
「ほんまや。おーい、瀬戸! こっちこっち!」
 懐かしい声がするほうを見遣れば、そこには懐かしい顔が二つ並んでいた。おのずと緩む口角を自覚しながら、彼——瀬戸せとかけるは、手招きされた窓際の席へと足を運ぶ。
「久しぶり。二人とも全然変わらへんな」
 四人掛けのテーブルに対座している二人のうち、一人の隣に腰を下ろす。その際、横から『お前もな!』と笑みを飛ばされると同時に、背中をばしんと叩かれた。当然痛みは広がったが、まったくといっていいほど悪い気はしない。むしろ胸のすく思いだ。
 八月十五日。盂蘭盆うらぼんも終わりに近づいたこの日、瀬戸は京都にいた。
 昨日、およそ四ヶ月ぶりに故郷の土を踏んだ。たった四ヶ月しか経っていないというのに、もう何年も故郷から離れていたような、そんな錯覚を覚えた。
 今回の帰省の主な目的は、自動車免許を取得すること。それから、こうして〝幹事〟同士、顔を合わせることだ。
「東京行って垢抜けて帰ってくるんか思たら、なーんも変わってへんとか……つまらんヤツやな」
 今しがた、瀬戸の背中を叩いた滝本がこう言えば、
「いやいや。こいつ、中学ン時にはすでに外見仕上がってたからな。嫌味なヤツやで」
 滝本の向かい側に座を占める清水がこう返した。
 二人は、瀬戸の中学時代の同級生。滝本はこの春から大阪の大学に進学し、清水は地元の市役所に就職している。
「……どういう意味やねん」
 唐突な弄りに、瀬戸は目を据わらせた。実に愉しそうな旧友二人に、毒など飛ばしてみる。
 が、言葉の端から漏れた溜息には、まぎれもなく、彼らに対する情が混じっていた。こんなくだらないやり取りでさえも、なんだか無性に心地好い。
 ここは、三人が通っていた中学校近くにある大衆食堂。四十年以上も続く、地元にとってなくてはならない憩いの場所だ。
 木造で平屋。およそ三十坪ほどの広さに、カウンターを含めた座席数は四十。お世辞にも洒落ているとは言えない容相だが、一言では形容しがたい独特のあたたかみがある。
 水やお茶、おしぼりはセルフサービスとなっており、瀬戸の分のそれらは清水が用意してくれた。時節柄、お茶は冷えたほうじ茶だった。
 現在時刻は午後一時半。外気に晒され火照った体に、凛とした冷たさが染み渡る。
 そこへ、頃合いを見計らったかのように、恰幅のいい中年女性がやってきた。両の手にはトレーが一つずつ。その上には、できあがったばかりの焼肉定食が乗っている。
「おまちどおさま!」
 快活な声で彼らをもてなす彼女は、この店の奥さんだ。テーブルに置かれた皿からは、湯気とともに香ばしい香りが立ちのぼっている。
「翔くん、久しぶりやね! 元気にしてた?」
「うん、おかげさんで。おばちゃんも、元気そうでよかったわ」
「あははっ、元気すぎて困ってんねん!」
「ええやん。元気が一番やで」
「いやいや! あたしやのうて、うちの旦那が困ってんねん!」
 見事な発声ですぱっと言い切ると、彼女はさらに明朗な笑顔を咲かせた。横目で厨房を覗けば、彼女の夫であり大将でもある中年男性が、眉を顰めて苦笑している。
 中学の頃、よく部活仲間と利用したこの店。夕飯までの繋ぎとして、しょっちゅうお手製のポテトコロッケを購入しては、小腹を満たしたりしたものである。
 滝本は野球部、清水はバスケ部だったため、サッカー部だった瀬戸と所属は異なれど、皆一様に、これを頬張りながら帰宅していた。
「また三人の顔が見られておばちゃん嬉しいわ! もう一膳すぐに持ってくるから、ちょっと待っててや!」
 そう言って厨房へ入っていくやいなや、奥さんはすぐさま一人前を用意して戻ってきた。しかも、何やら〝おまけ〟付きだ。
「えっ、俺ら定食以外頼んでへんけど……」
 ここへ最初に到着し、焼肉定食を三人前注文したのは清水だ。その清水が少々困惑気味に目をしばたかせた理由。それは、注文した記憶のないものが届けられたからであった。
「あははっ、これはおっちゃんからや! 若いからこれくらい軽く食べられるやろ!」
 白い小皿に、はみ出んばかりに鎮座したポテトコロッケ。中学生だった当時、まさに彼らが食べていた、あのコロッケだ。
 厨房にいる大将に向かい、三人は一斉に頭を下げた。『いただきます』と手を合わせ、箸を取る。とくに示し合わせたわけではないが、彼らが真っ先に箸を伸ばしたのは、コロッケだった。あの頃と何一つ変わらない味に、胸が詰まる。
 そんな彼らを優しく見届けた後、『ゆっくりしてってね!』と言い残すと、奥さんはその場をあとにした。
 冷房の音と、天井に吊るされたテレビの音が混ざり合う。ピーク時は過ぎているため、店内の客はまばらだった。時期が時期ということもあり、普段多いサラリーマンなども見受けられない。
「……で、どんくらい連絡つけられた?」
 食べることにようやく落ち着いてきたとき。
 滝本が、この日集まった目的を遂行するべく、本題を口にした。
 再来年の一月。成人式当日に、彼らはここ地元での同窓会を予定している。中学時代の同窓会ゆえ、卒業以来一度も会っていない者も少なくはなく、目下連絡を取り合うのに奮闘中だ。
「地元に残ってるやつらには、だいたい声かけられたと思う。けど、何人かは、やっぱ連絡先がわかれへんのや」
 滝本の問いに対し、三人の中で唯一地元に残っている清水がこう答えた。
 高校時代ならまだしも、スマホ所持率が高くはない中学時代の友人とのコンタクトは、やはり容易ではないらしい。
「想定はしてたけど……やっぱ全員に連絡とるんは難しいな。俺のほうも、高校が同じやったやつ中心に広げてはいってるけど、まだまだやねん。……瀬戸は?」
 清水からの回答を受け、次に滝本が回答を求めたのは瀬戸だった。
「……俺もお前と似たようなもんや。高校一緒やったやつには連絡ついたけど、他は全然……」
 ほうじ茶を一口含み、さらに一呼吸置いた後、瀬戸は状況を説明した。テーブルの上に置いたスマホのスリープ状態を、とりたててわけもなく解除する。
 ……嘘を吐いているという認識はあった。のことが話題にのぼるだろうことも、もちろん予想していた。
「……たしか、今の時期やったな。旅館の火災事故」
 そしてついに、滝本の口から、それは語られた。
 必然的にのぼった話題。必然的に暗然とした空気。彼らだけではなく、地域の住民にとっても、あの事故はかなり衝撃的だった。
 言葉を、失するほどに。
「十六日や。……あの日は、親父が現場で消火活動してたからな。よう覚えてる」
 悲痛な面持ちであの日を振り返った清水。そんな彼に、瀬戸と滝本が静かに視線を送る。
 五年前の八月十六日。消防士である清水の父親は、事故現場に出動していた。何時間にも及んだ必死の消火活動も空しく、旅館はほぼ全焼。二人の尊い命が犠牲となった。
 帰宅した際に浮かべていた父親の険しい表情を、清水は今でも忘れられずにいる。
「……元気に、してるんかな」
 視線を下へとずらした滝本がぽつりと呟いた。あの事故が原因で、ともに卒業することができなかった彼女に想いを馳せる。
 けっして目立つタイプではなかったが、周囲に配慮のできる優しい子だった。頭も良く、とりわけ英語の成績は群を抜いていた。男女ともに、温厚な彼女を慕っていた同級生は少なくないだろう。
「できることなら、あいつにも出席してほしいけど……下手したら、無理強いすることになりかねんからな。もしかしたら、今住んでるとこの成人式に出るかもやし」
「せやな。……それに、連絡先がわかれへん以上、どうすることもできんもんな。残念やけど」
 東京に住む、父方の伯父の養女になったということは知っている。逆に、このほかの情報は何一つ知らない。彼女の父親は婿養子だったらしいので、名字も変わっているかもしれないが、詳細はまったくもって不明だ。
 元気にしていればいい。元気にさえしていれば、それでいい。——滝本と清水の会話においては、この結論に帰結した。
「……」
 二人が彼女のことについて話しているあいだ、瀬戸はいっさい口を挟まなかった。二人の会話に耳を傾けてはいたものの、一人思案に沈んでいたようだ。
 五日前、向こうで偶然彼女に出会ったことを、瀬戸はあえて話さなかった。同窓会の案内をしたことも、自分の連絡先を渡したことも。
 もしかすると彼女は、もう二度と、故郷ここには戻ってきたくないと思っているかもしれない。その可能性があるかぎり、彼女と再会したことは、自分の胸の内にだけ留めておこうと考えた。
 他人の自分でさえ、あの火災事故には、言葉を失うほどの恐怖を覚えたのだ。大切な存在を一度に二人も亡くした彼女の恐怖は、自分の理解の範疇など超えている。
 彼女を過去に縛りつけたくはないし、故郷へ戻らなければならないという情動に駆り立てたくもない。もう、苦しんでほしくない。
 もし、自分が彼女に声をかけたことが、彼女を苦しませているのだとしたら、申し訳なく思うばかりだけれど。
 だが、たった一つ。彼女と再会したあのとき、瀬戸が〝救い〟だと感じたことがある。それは、彼女が〝一人ではなかった〟ということ。
 との関係がどの程度のものか知る由もないが、それでも、彼女が一人ではなかったというその事実に、なぜだかひどく安心したのである。
 とにかく待つしかない。自分には、待つことしかできない。
 彼女の出す、その答えを。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

冷徹御曹司と極上の一夜に溺れたら愛を孕みました

せいとも
恋愛
旧題:運命の一夜と愛の結晶〜裏切られた絶望がもたらす奇跡〜 神楽坂グループ傘下『田崎ホールディングス』の創業50周年パーティーが開催された。 舞台で挨拶するのは、専務の田崎悠太だ。 専務の秘書で彼女の月島さくらは、会場で挨拶を聞いていた。 そこで、今の瞬間まで彼氏だと思っていた悠太の口から、別の女性との婚約が発表された。 さくらは、訳が分からずショックを受け会場を後にする。 その様子を見ていたのが、神楽坂グループの御曹司で、社長の怜だった。 海外出張から一時帰国して、パーティーに出席していたのだ。 会場から出たさくらを追いかけ、忘れさせてやると一夜の関係をもつ。 一生をさくらと共にしようと考えていた怜と、怜とは一夜の関係だと割り切り前に進むさくらとの、長い長いすれ違いが始まる。 再会の日は……。

夫の不貞現場を目撃してしまいました

秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。 何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。 そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。 なろう様でも掲載しております。

夫婦戦争勃発5秒前! ~借金返済の代わりに女嫌いなオネエと政略結婚させられました!~

麻竹
恋愛
※タイトル変更しました。 夫「おブスは消えなさい。」 妻「ああそうですか、ならば戦争ですわね!!」 借金返済の肩代わりをする代わりに政略結婚の条件を出してきた侯爵家。いざ嫁いでみると夫になる人から「おブスは消えなさい!」と言われたので、夫婦戦争勃発させてみました。

優しい微笑をください~上司の誤解をとく方法

栗原さとみ
恋愛
仕事のできる上司に、誤解され嫌われている私。どうやら会長の愛人でコネ入社だと思われているらしい…。その上浮気っぽいと思われているようで。上司はイケメンだし、仕事ぶりは素敵過ぎて、片想いを拗らせていくばかり。甘々オフィスラブ、王道のほっこり系恋愛話。

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

【R-18】ヒトリノ海

右折坊太郎
恋愛
 成人済みの大学生、大原 海(おおはら かい)には二人の幼馴染みがいる。  何をするにも一緒だった三人だが、その二人が遂に付き合い始めた。  二人の幸せを願いつつも、これまで通り、三人いつも一緒の関係ではなくなるだろうと彼は寂しさを覚える。  そんな夏のある日、三人で海水浴に行くことになった。  しばらく三人で遊んだ後、海は二人が思い出を作れるよう気遣い離れると、当所なく浜辺をブラつく。  人気のない方へと向かった先には、一人の女性が立っていた。  海より少し年上に見える、大人な雰囲気を纏った人物が海原を見ながら、独り酒を飲んでいた。  表情は暗く、黄昏ている美しい彼女に、海は見惚れてしまう。  彼の視線に気付いた彼女は、妖艶な笑みを浮かべて、こう言った。 『どうかしたのかい、少年?』  これは、独りの大学生と、独りの成人女性が出会うひと夏の話――。 ―――  ※成人男性向けの美少女小説です。この物語に登場する人物は18歳以上です。  この作品は『海』をお題に書きました。

隠れ御曹司の愛に絡めとられて

海棠桔梗
恋愛
目が覚めたら、名前が何だったかさっぱり覚えていない男とベッドを共にしていた―― 彼氏に浮気されて更になぜか自分の方が振られて「もう男なんていらない!」って思ってた矢先、強引に参加させられた合コンで出会った、やたら綺麗な顔の男。 古い雑居ビルの一室に住んでるくせに、持ってる腕時計は超高級品。 仕事は飲食店勤務――って、もしかしてホスト!? チャラい男はお断り! けれども彼の作る料理はどれも絶品で…… 超大手商社 秘書課勤務 野村 亜矢(のむら あや) 29歳 特技:迷子   × 飲食店勤務(ホスト?) 名も知らぬ男 24歳 特技:家事? 「方向音痴・家事音痴の女」は「チャラいけれど家事は完璧な男」の愛に絡め取られて もう逃げられない――

処理中です...