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3章.花園の茶会

9.令嬢の嗜み(たしなみ)②

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「いらっしゃいませ、沙耶お嬢様。ご来店心待ちにしておりました」
このお店の責任者らしい中年の女性が笑顔で羽川さんにうやうやしく一礼した。
「こんにちは北岡さん、今日は探し物なの。好きに見てていいかしら」
「ええ、もちろんです。何かご用があればお声をかけてください。そちらの瀧川女子高の方はお友達で?」
僕のことに触れられて、一瞬体が硬くなる。
「そうなの、ユキっていうのよ」
僕は慌てて会釈をした。
「そうでございますの、それではお友達の方もごゆっくりご覧くださいませ」
北岡さんと呼ばれた女性は再び一礼するとカウンターの奥のほうに戻って行った。
「ふふ、あまり緊張してると余計に疑われちゃうわよ」
「だってさ、こんなお店自体初めてだし、こんな格好だし、緊張もしちゃうよ」
「こ、と、ば。女の子を忘れちゃったの?」
「あ、ごめんなさい……沙耶ちゃんは慣れてるみたいだけど、よくここで買い物しているの?」
「そうよ、このお店のものは肌触りがいいから好きなの。それじゃ私は探したい物があるから見てくるわ。ユキも気に入ったものがあったら試着でもしてみたら?」
「そ、そんなことできない、わ」
イタズラぽく笑う羽川さんに、僕は精一杯の抗議をした。

羽川さんから離れ、ちょっとだけ店内を見てみたけど、正直自分が身に着けるという視点で見るのは難しかった。
そもそも、このお店の商品の多くは覆う面積がとても少なかったり、透けてる部分が多かったりと、どちらかと言えば大人の女性が身に着けるようなものが多く、高校生には向いていないように思えた。
ひとりでいるとお店のスタッフに話しかけられそうな気がして、僕は羽川さんの近くに戻ることにした。

あれ、羽川さん--?

羽川さんがいたはずのところへ戻ると、羽川さんが北岡さんに案内されてお店の奥まったところにある扉に入っていくのが見えた。
北岡さんは一礼して扉を閉めるとこちらへ歩いてきた。
「あら、ユキさん。何か気に入ったものは見つかりました?」
「い、いえ。あの、沙耶ちゃんは……」
「沙耶さまはあちらの『特別なお客様』用のフィッティングルームにいらっしゃいますよ」
「そうですか……ではあの前で待ってる事にします」
僕は羽川さんが入った扉の横の壁にもたれてため息をついた。

ここはあまりに場違いすぎる。
羽川さんの買い物、早くおわらないかな……。

そんなことを考えている時だった。
扉の向こうから羽川さんの声がした。
「ユキ、そこにいるの?」
「う、うん、いるよ」
「よかった、中に入って」

え……?

「早く、 何ボーッとしてるの!」
「えと……いいの?」
「当たり前じゃない、早くしなさい」
僕が恐る恐る扉を開けて中へ入ると、そこは高級感のある内装の部屋で、2人が座れそうなくらいのソファーとハンガーラックがあり、壁の一方は大きな姿見になっていた。

「どうかしら? これ」

羽川さんは足の付け根くらいまでの丈の、赤く薄いレースに刺繍が施されたヒラヒラしたワンピースのようなものを纏っていた。その下に身に着けているのは、同じ色のとても面積の狭い下着だけだった。
羽川さんの白い肌が下着を通してもわかるほどに透けている。
それは、膨らんだ胸の先端の色がわかるくらいに……。
僕はあわてて目を逸らした。
「い、いいと思うけど、その……」
「なに? まさか、硬くなってないわよね?」
羽川さんの目に、不興の色が浮かぶ。
「な、なってないよっ、ほら」
僕はスカートを託し上げて潔白を訴えた。
さいわい、今は怖さの方が先に立って僕の股間はすぼんだままだった。
「ならいいわ。それじゃちゃんと見なさい」
「う、うん……えと、それなんていう下着?」
「ベビードールよ」
「ちょっと赤い色がキツイかと思ったけど……でも、よく見ると沙耶ちゃんの雰囲気に合ってると思う。とっても綺麗」
「ほんとにそう思う?」
「うん」
少し間をおいて羽川さんが微笑んだ。
「そう、ならこれに決めるわ。うん、それじゃ次を探しにいかなきゃ」
言うなり、羽川さんはベビードールを脱いで、元の制服に着替え始めた。
さすがに見ているわけにもいかず、僕は天井を見続けた。
いつ視線を戻そうか迷っていると、羽川さんの声がした。
「なにしてるの? もう着替え終わったわ。じゃあユキ、私はまだ見たいものがあるから行ってくるわね」
「うん、いってらっしゃい……」
「それとコレ」
羽川さんが僕に白っぽいレース状のものを手渡す。
「……これは?」
「私が着ていたものとお揃いのものよ。ユキは白がいいと思うの。私が戻ってくるまでにユキも試着しておいて」
「え、これを……?」
「ちゃんと着ておくのよ」
羽川さんは言い残して出て行ってしまった。

……これを着るの?
でも、着てなかったらきっと凄く怒られるだろうな。

僕は重い手つきで、制服のボタンに手をかけた。

###

「ユキさん、よかったら採寸いたしましょうか?」

それは、僕が制服の上を脱いでブラジャーを外しかけていた時だった。
ノックの後、間をおかずフィッティングルームの扉から北岡さんが顔をのぞかせた。
「え、えと、あの……大丈夫、です!」
僕はとっさに背中を向けた。
今はブラジャーを外して背中が丸見えの状態だけど、胸は見られてないはずだ。
「あっ、ごめんなさい。お着替え中と思わなくて……」
北岡さんの言葉が止まった。
「あの、何か……?」
恐る恐る顔を向けると、そこには目を見開いた北岡さんの顔があった。

「……あなた、女の子じゃないわね」

その言葉に、鼓動が一瞬止まったような気がした。
続けて、一気に全身に鳥肌が立つ。
「え、あの、そんなわけ……」
「私は、仕事柄たくさんのお客様の体を見てきてるの。とても華奢だから制服の時はわからなかったけど、あなたは女の子じゃないわ」

終わったと思った。
このまま人を呼ばれたらもう隠しようもない。
僕は最悪の結末を覚悟した。

しかし、北岡さんはそれ以上何も言わなかった。
静かに扉が閉まる音がして、足音が背後に近寄ってくる。
耳元でささやくような声がした。
「そう、あなたはなのね」
驚いて振り返ると、北岡さんは妖しい微笑を浮かべていた。
「怖がらなくていいのよ、誰にも言いはしないわ。まあ、なんて可愛らしい顔してるのかしら。本当に女の子にしか見えないわ」
「あ、あの……」
「ここで何をしていたのかしら?」
「えと、沙耶ちゃんにこれの試着をしておくようにって」
羽川さんに渡された下着をみせると、北岡さんは満面の笑みを浮かべた。
「それは素敵ね。私、あなたみたいな子は大好きなの。手伝わさせていただくわ」
「え、それは……その」
もう僕には拒否できる選択肢はなかった。
北岡さんは流れるような手つきで僕の体から全てを取り去ってしまった。
僕の縮こまってしまった股間を一瞥して片岡さんは小さく息を漏らしたが、特にそれ以上のことはされずに下着とベビードールを身に着けさせてくれた。
「ほら、可愛いわ。ご覧になって」
姿見には、悩ましげな下着を身に着けた少女の姿があった。
「うふふ、素敵よ。つい悪戯したくなっちゃうくらい」
背後から北岡さんの指が僕のお腹のあたりに触れてきた。
「ん! ……あの、何を」
その指が、少しずつ胸とへその方へと移動していく。
「ピチピチしてきれいな肌。感度はどうなのかしら」
ドクン、と大きく鼓動が鳴ったその時だった。

「ちょっと、私に無断でユキに触れないでくれる?」
背後から羽川さんの声がした。
「あら、、もう戻られたの?」
北岡さんがスッと僕から離れる。
「ええ、いいものがあったから決めたわ。ユキ、私は支払いを済ませるから着替えて外で待っていて」
「う、うん、待ってるね、沙耶ちゃん」
この時ばかりは、羽川さんがとても頼もしく救いの女神に思えた。

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急いで制服を身に着けてお店を出ると、僕は近くのベンチに腰を下ろした。

はぁ、一時はどうなるかと思ったけど、なんとか無事に帰れそうだ。

そう思いながら安堵のため息をついた時だった。
「ねえ、君、瀧川女子の子?」
声のした方を見ると、同じくらいの年と思われる高校生の男子2人が立っていた。

え……もしかして、僕、ナンパされてる?

目の前の2人は、軽そうな薄ら笑いを浮かべながら、僕の胸や太腿の辺りを盗み見ているのがすぐにわかった。正直、僕が本当の女の子だとしても惹かれる要素が1つもないタイプだった。
「えと、友達を待ってるところなので……」
それでも相手に激高されても困るから、なるべく穏やかに答える。
「え? 友達も可愛い子? それならカラオケとかいかない?」

可愛いけど、君達の手に負えるような人じゃないよ。

僕が微かな疲労感と苛立ちを感じ始めたころ、背後の車道で車の止まる気配がした。
、何か問題でも?」
車から降りた水本さんが僕の前に立つ。
頭一つ背が高く、倍くらいの体の厚みがある水本さんを見て、2人の男子は慌ててその場から立ち去っていく。
「あの……水本さん、ありがとうございました」
「いえ……」

そこに、お店から出てきた羽川さんが合流した。
「ん? どうかしたの」
羽川さんは小走りに駆けていく2人の姿を見て、全てを察したように笑った。

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「女の子って、面倒で大変なんだね……」
「ふふ、それは可愛い子の特権でもあり宿命よ」
うっかり素が出てしまった僕を、その時だけは羽川さんは流してくれた。
「そういう目に合ったのは、ユキが可愛いからよ」
「それは、喜んでいいこと……なの」
「どうかしらね」

水本さんの運転する車は、屋敷へ向かって走っていた。
羽川さんの膝の上には、きれいにラッピングされた袋と上質なペーパーバッグが載っていた。

誰かへのプレゼント?

僕の疑問をよそに、車は静かに進んでいった。
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