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五十二話

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「サイラス様――」

 何か言おうと決めて口を開いたわけではない。ただ何か言わないといけないような気がして名前を呼ぶと、サイラスが不思議そうにシェリルを見つめた。
 そしてその先を続けるよりも早く――ノックの音が部屋に飛びこんできた。

 シェリルは一度開きかけた口を閉じると、改めて扉に向けて「どうぞ」と声をかける。現れたのは、アンダーソン家に仕える侍女だ。

「ご当主様とアシュフィールド公爵がお呼びです」

 恭しく言う侍女にシェリルは一瞬だけサイラスに視線を送ってから、頷いて返した。


 そうして、侍女に連れられながらサイラスと共に執務室まで戻ると、中には対面するようにソファに座る父とアシュフィールド公がいた。
 父はうなだれ、アシュフィールド公はそれを見据えている。どういったやり取りが交わされたのかは定かではないが、父にはあまり喜ばしい話ではなかったようだ。

「戻ったか」

 入ってきたシェリルとサイラスを見て、アシュフィールド公が言う。父はこちらにちらりと視線を送っただけで、何も言わなかった。

「――話は以上だ。そのうえでどうするかは、自身で決めるように」

 アシュフィールド公の言葉にも、父は何も答えない。いったい、どんな話をしていたのか。
 シェリルが疑問に思っていると、サイラスが前に進み出て父の近くに立った。

「詳しいことは知らんが、走るといい」

 そしてその口から出てきた言葉に、シェリルだけでなく父までもが顔を上げてぽかんとした顔になった。

「陰鬱としている時には走るのが一番だ。体を動かし鍛えれば、鬱屈とした精神もどうにかなるだろう」

 そういえば、とシェリルは思い出す。
 頑丈な肉体には頑丈な精神が宿ると、以前サイラスは言っていた。健全の間違いで、しかも宿るといいなという意味だということを、話してはいない。
 まさかまだ勘違いしているのではないかとシェリルの口元に苦笑が浮かぶ。

「……それもいいだろう。私は少しシェリル嬢と話があるから、アンダーソン侯はサイラスと走ってくるがいい」

 訂正せず促すアシュフィールド公に、シェリルはまたもサイラスの勘違いを正す機会を失う。アシュフィールド公まで勘違いしている、ということはないだろう。
 サイラスと父がいてはできない話をするつもりなのだと悟り、シェリルは口を閉ざすことにした。
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