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鴛鴦夫婦の怪
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天狗の彼との一件から少し時間が経過した。
相変わらず弟を探しながら仕事に励む日々だったけれど、バディやミケと出会えたことで毎夜一人で戦ってきた不安やら焦燥やらは大分軽くなり、半年間ずっと消えなかった隈が薄くなっていることに鏡を見てやっと気がつく。
思えば、憔悴しきった自分には慣れてしまっていた。
自分一人でなんとかしなければとずっと気を張っていたんだろう。
一緒に同じ方向を向いてくれる誰かがいるだけでこんなにも心強く、安心できる。
なにより彼らと共にいる空間があまりにも心地よくて……気がつけば、時間さえあればバディの探偵事務所に入り浸るようになっていた。
毎回いいタイミングでミケが現れるもんだから、ついほいほいと着いていってしまうんだよなあ。
「ええ。そうなんです。最近、旦那の帰りが遅くって……」
からん、ころん。
ドアに取り付けられている鈴の音が響く。
と同時に、思わず寄りかかりたくなるような柔らかい声が耳に飛び込んできた。
その声の主は紡いでいた言葉を飲み込み、空気も読まず事務所に飛び込んでしまった僕に視線を向ける。
茶色い体に黒い目、時折動く嘴、立派な翼。
事務所のふかふかのソファに腰掛け、薄っすらと涙を浮かべていたのは、喋る鳥だった。
「おや、茜、ミケ。いらっしゃい。すまないがちょっと待っていておくれ。来客中なんだ」
依頼人と思われる彼女の正面に座っていたバディが申し訳無さそうにそう言う。
「いや、こっちこそごめん。ちょっとその辺で時間潰してくるよ。ほらいこ、ミケ」
「あいあいー」
どうやら少しタイミングが悪かったみたいだ。
なにやら深刻そうな話をしていたし出直すことにしようと事務所を出ると目の前で二又の尾がふらりと漂う。
「あーあ、追い出されちまいましたねぇ」
「仕方ないでしょ。お客さんが来てるんだから」
ミケはどこか楽しそうに笑いながらそう言い、事務所の脇に座り込んだ僕の隣にちょこんと座った。
時間をつぶすとは言ったものの……この辺、なんにもないしなあ。
とりあえずミケと世間話でもするか。
「ねえミケ。前にさ、ミケは長生きしたから猫又になったって言ってたよね」
「ええ、そうです。元は普通の猫でしたえ」
「で、そのときにさ。猫又は何種類かいるって言ってなかった?」
するとミケはゆっくりと目を細める。
「ええ、言いましたえ。あっしら猫又については結構色々書物が残っているんですよ。日本で一番古いのは確か藤原定家が残した"明月記"という日記で、"猫股"が一晩で数人の人間を食い殺した、という記述ですえ」
「ですえ……って、他人事みたいだね」
「だってこれ、あっしじゃないですもん。この頃の猫又っつーのは山ン中に住む獣の一種として語られていたんですえ。しかもあっしみたいに可愛らしい猫の姿じゃなくって、ライオンとかヒョウとか、イノシシぐらいの大きさだったなんて書かれてるんですから」
……でかいなあ。
「ちなみに猫が年老いて猫又に化ける、なんて考えが浸透したのは江戸時代からなんです。あっしが生まれたのもその辺ですえ」
「江戸時代?!」
「ええ。まあざっと400年前くらいですかね。妖怪としてはまだまだひよっこって感じですえ」
「そ、そうなんだ……確かに天狗さんは1600年生きてるって言ってたもんね」
400年もの年月を、彼はどう感じ、どう過ごしてきたんだろう。
「そんなに生きてて、何があったか忘れそうにならない?」
「そうですねえ。端っから必要ないことは覚えないようにしてるんですが、まあ概ね覚えてます」
「すごいなあ。ねえ、一番はっきり覚えてる出来事とかってあるの?」
なんてことのない問いだった。
特に深意も他意もなく、彼のことがもっと知りたいと思った故のただの問いだったが、ミケは僕の問いに一瞬だけぴしりと固まり、ふいと目を逸らす。
彼の持つ水晶のような瞳には青い空が写り込んでいた。
「さあ。……なんでしたっけねぇ」
遠くを見るようにぼうっとしている彼の様子に思わず口を噤む。
予想していなかった拒絶に少し寂しさを覚えながらも、僕はミケに倣って空を見上げながら話題を変えた。
「ところで、今事務所の中にいる人……っていうか、鳥さん? なにがあったんだろうね。旦那さんがどうとか言ってたけど」
「浮気調査でしょうねえ、大方」
跳ねるような声色に、思わず視線を戻す。
そこにはいつも通り悪戯っぽく笑うミケの顔があった。
その様子に小さく安堵の息を零しつつ首を傾げる。
「あれは鴛鴦です。鴛鴦夫婦って言葉、聞いたことありやせんか?」
「ああ、あるよ。仲のいい夫婦を指す言葉だよね」
「そうです。鴛鴦の番が常に連れ立っていることから来ている言葉なんですえ。まあ実際の鴛鴦は毎年冬ごとに番を変えるらしいですがねえ」
……夢がない話を聞いてしまった。
「しかも繁殖期以外は連れ立って行動しているわけでもないんだとか」
追い打ちをかけてくるミケを思わず睨みつける。
「そんな目で見ないでくださいよ、お兄さん。そもそも"鴛鴦夫婦"って言葉だって、動物の生態を見た人間が勝手に美談に昇華させてるだけなんですから。勝手に盛り上がって期待して、想像と違ったら幻滅……なんて手前勝手が過ぎると思いませんかい?」
「うぐ……ミケにしては正論を……」
「ミケにしてはって酷いですねえ、お兄さん」
からからと楽しそうに笑う彼を横目で見ると、ぱっちりと彼と目が合った。
「ねえ、お兄さん。ありゃきっと時間がかかりますよ。折角二人きりになったんですから、お茶にでも行きましょうか」
いつか彼が身の上話をしてくれることはあるんだろうか。
何も知らずに居る自分に少しがっかりしながら、どこか寂しそうな横顔で歩き出したミケをそっと追いかけた。
相変わらず弟を探しながら仕事に励む日々だったけれど、バディやミケと出会えたことで毎夜一人で戦ってきた不安やら焦燥やらは大分軽くなり、半年間ずっと消えなかった隈が薄くなっていることに鏡を見てやっと気がつく。
思えば、憔悴しきった自分には慣れてしまっていた。
自分一人でなんとかしなければとずっと気を張っていたんだろう。
一緒に同じ方向を向いてくれる誰かがいるだけでこんなにも心強く、安心できる。
なにより彼らと共にいる空間があまりにも心地よくて……気がつけば、時間さえあればバディの探偵事務所に入り浸るようになっていた。
毎回いいタイミングでミケが現れるもんだから、ついほいほいと着いていってしまうんだよなあ。
「ええ。そうなんです。最近、旦那の帰りが遅くって……」
からん、ころん。
ドアに取り付けられている鈴の音が響く。
と同時に、思わず寄りかかりたくなるような柔らかい声が耳に飛び込んできた。
その声の主は紡いでいた言葉を飲み込み、空気も読まず事務所に飛び込んでしまった僕に視線を向ける。
茶色い体に黒い目、時折動く嘴、立派な翼。
事務所のふかふかのソファに腰掛け、薄っすらと涙を浮かべていたのは、喋る鳥だった。
「おや、茜、ミケ。いらっしゃい。すまないがちょっと待っていておくれ。来客中なんだ」
依頼人と思われる彼女の正面に座っていたバディが申し訳無さそうにそう言う。
「いや、こっちこそごめん。ちょっとその辺で時間潰してくるよ。ほらいこ、ミケ」
「あいあいー」
どうやら少しタイミングが悪かったみたいだ。
なにやら深刻そうな話をしていたし出直すことにしようと事務所を出ると目の前で二又の尾がふらりと漂う。
「あーあ、追い出されちまいましたねぇ」
「仕方ないでしょ。お客さんが来てるんだから」
ミケはどこか楽しそうに笑いながらそう言い、事務所の脇に座り込んだ僕の隣にちょこんと座った。
時間をつぶすとは言ったものの……この辺、なんにもないしなあ。
とりあえずミケと世間話でもするか。
「ねえミケ。前にさ、ミケは長生きしたから猫又になったって言ってたよね」
「ええ、そうです。元は普通の猫でしたえ」
「で、そのときにさ。猫又は何種類かいるって言ってなかった?」
するとミケはゆっくりと目を細める。
「ええ、言いましたえ。あっしら猫又については結構色々書物が残っているんですよ。日本で一番古いのは確か藤原定家が残した"明月記"という日記で、"猫股"が一晩で数人の人間を食い殺した、という記述ですえ」
「ですえ……って、他人事みたいだね」
「だってこれ、あっしじゃないですもん。この頃の猫又っつーのは山ン中に住む獣の一種として語られていたんですえ。しかもあっしみたいに可愛らしい猫の姿じゃなくって、ライオンとかヒョウとか、イノシシぐらいの大きさだったなんて書かれてるんですから」
……でかいなあ。
「ちなみに猫が年老いて猫又に化ける、なんて考えが浸透したのは江戸時代からなんです。あっしが生まれたのもその辺ですえ」
「江戸時代?!」
「ええ。まあざっと400年前くらいですかね。妖怪としてはまだまだひよっこって感じですえ」
「そ、そうなんだ……確かに天狗さんは1600年生きてるって言ってたもんね」
400年もの年月を、彼はどう感じ、どう過ごしてきたんだろう。
「そんなに生きてて、何があったか忘れそうにならない?」
「そうですねえ。端っから必要ないことは覚えないようにしてるんですが、まあ概ね覚えてます」
「すごいなあ。ねえ、一番はっきり覚えてる出来事とかってあるの?」
なんてことのない問いだった。
特に深意も他意もなく、彼のことがもっと知りたいと思った故のただの問いだったが、ミケは僕の問いに一瞬だけぴしりと固まり、ふいと目を逸らす。
彼の持つ水晶のような瞳には青い空が写り込んでいた。
「さあ。……なんでしたっけねぇ」
遠くを見るようにぼうっとしている彼の様子に思わず口を噤む。
予想していなかった拒絶に少し寂しさを覚えながらも、僕はミケに倣って空を見上げながら話題を変えた。
「ところで、今事務所の中にいる人……っていうか、鳥さん? なにがあったんだろうね。旦那さんがどうとか言ってたけど」
「浮気調査でしょうねえ、大方」
跳ねるような声色に、思わず視線を戻す。
そこにはいつも通り悪戯っぽく笑うミケの顔があった。
その様子に小さく安堵の息を零しつつ首を傾げる。
「あれは鴛鴦です。鴛鴦夫婦って言葉、聞いたことありやせんか?」
「ああ、あるよ。仲のいい夫婦を指す言葉だよね」
「そうです。鴛鴦の番が常に連れ立っていることから来ている言葉なんですえ。まあ実際の鴛鴦は毎年冬ごとに番を変えるらしいですがねえ」
……夢がない話を聞いてしまった。
「しかも繁殖期以外は連れ立って行動しているわけでもないんだとか」
追い打ちをかけてくるミケを思わず睨みつける。
「そんな目で見ないでくださいよ、お兄さん。そもそも"鴛鴦夫婦"って言葉だって、動物の生態を見た人間が勝手に美談に昇華させてるだけなんですから。勝手に盛り上がって期待して、想像と違ったら幻滅……なんて手前勝手が過ぎると思いませんかい?」
「うぐ……ミケにしては正論を……」
「ミケにしてはって酷いですねえ、お兄さん」
からからと楽しそうに笑う彼を横目で見ると、ぱっちりと彼と目が合った。
「ねえ、お兄さん。ありゃきっと時間がかかりますよ。折角二人きりになったんですから、お茶にでも行きましょうか」
いつか彼が身の上話をしてくれることはあるんだろうか。
何も知らずに居る自分に少しがっかりしながら、どこか寂しそうな横顔で歩き出したミケをそっと追いかけた。
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