この世界を彩るものは

茶碗虫

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第4話 新入生歓迎会は淡々と進む

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 506号室を擁する廊下、すなわち5階の廊下は、シーンと静まり返っていた。効率面から考えても、よく活動する部活の部室は下の階にあったほうが楽だろうし、下の階のほうが活気があるというのも必然的である。要は、上の階に行くにつれて、だんだんと静かになっていく。
 若かろうが、さすがに5階分の階段は体に応える。この館そのものが割と古めなのか、階段がまあまあ急勾配だったことも相まって、僕は息切れ寸前までへこたれていた。前を歩く女子二人は対して疲れてなさそうで、僕だけゼエゼエしているのも格好がつかないから、なんとか息を整えて二人を追う。

 廊下は太いとは言えないが、人がすれ違えるだけの広さはあった。しかし、だれともすれ違うことなく、わりかし奥のほうに位置する506号室にたどりついた。
 少しかすれた「506号室」というパネルの下に、「哲学サークル」という真新しいパネル。やはり、そこまで歴史があるというわけではなさそうだ。

 僕はボーっと寺島てらじまが扉を開けるのを待っていたが、なかなか開かない。ちらりと目をやると、なんだか緊張しているようすでこっちを見てくる。ええ、意外と人見知りなの?「友だちの数だけ強くなれるよ」理論は破綻?
 当然青葉あおばはドアノブに手をかける雰囲気すらない。ここはおとなしく、僕が開けるしかないらしい。
 まあ、減るもんじゃないしいいかと思い、ドアをノックする。2回だと「入ってまーす→即バッドエンド」になってしまうので、噛み締めるように3回ノックする。危なかった。危うく、僕の生活がモノクロのまま終わるところだった。未来の僕は、今の僕に国民栄誉賞を贈るための署名をおこなうべきだ。

「どうぞー」という声がうっすら聞こえたので、僕はドアノブをひねった。少し開けただけで、心地いい温度の空気が肌を撫でて、くすぐったくなる。そして、初めて入る部屋あるあるその1「ちょっと開けた状態で顔をのぞかせ、内部の情報を速やかに把握する」を召喚。FPSだったらヘッショ待ったなしだが、奇跡的に無事に潜入に成功する。おそるおそるといった様子で、青葉と寺島もついてきた。

 まず目に入ったのは、意外と立派なサイズをしたこげ茶色の長方形の机。そしてそれを囲むように置かれた5つの黒い座布団。1つは奥の短い辺に置かれ、残りの4つは2つずつ横の長い辺に置かれている。
 そして、奥の座布団の近くに立つ、1人の男の人の姿と、奥の本棚で何か作業をしている女の人の後ろ姿。男の人は、僕と目が合うと、ニヤリと笑って、派手な音を立てて拍手をした。

「ようこそ、哲学サークル新入生歓迎会へ!ささ、3人とも、座って座って」

 言うや否や彼もその場に腰を下ろすものだから、僕らも座らないわけにはいかない。初めて入る部屋あるあるその2「普段では考えられないほどゆっくりと腰を下ろす」を発動しつつ、初めて入る部屋あるあるその3「とりあえずキョロキョロ」をも立て続けに発動。トウループもびっくりの流れるようなコンボ技である。
 そんなことをしている時に、咳払いが聞こえてきたので、3人とも向き直る。

「はじめまして、俺は秋刀魚 大輔さんまだいすけ!一応、このサークルをとりまとめています。よろしくね!」

 なんと模範的な自己紹介だろうか。端的で、かつ声音からもその元気さがうかがえる。とりあえず会釈をして、「よろしくお願いします」とつぶやく。
 秋刀魚さんは、僕たちのリアクションに頷き、後ろに向かって語りかける。

「メバル、あいさつしてくれ」

 メバル呼ばれた女の人は、ゆっくりと立ち上がりゆっくりと振り向いて、でもそのおしとやかな態度からは想像もつかないほど幼い声で、話し始めた。

「はい!どうも、目張 琴音めばることねです。2年生で、大輔先輩と同じ法学部です。みんなは国際関係学部って聞いたけど……まあいいや、とりあえずよろしくね~」

 なにか、寺島とは違うベクトルの陽キャを感じる。言葉にはできないが、そんな感じがした。目線は外さずに、頭をクイっと下げて会釈をする。

「さて、じゃあ君から言ってもらおうかな。滝川たきがわくん……だよね」

 別に何も悪いことはしていないのに、なぜか背筋が凍るような感覚を覚えて、少し反応が遅れてしまう。慌てて立ち上がって、青葉、寺島、秋刀魚さんを見下ろすような格好になる。そして、目張さんと目線がそこまで変わらないことにも気づく。

「はい、えっと、国際関係学部1年の滝川 そらです。ここに来た理由は、あの、今のところ大学生活がいまいち実感がわいてなくて、バイトと授業だけ頑張っている状態で。なので、えっと、あ、でも、かといって飲みサー的なのも嫌で。で、ここにたどりついたって感じです。なので、簡単に言うと、思い出を作りに来ました。よろしくお願いします」

 パラパラと拍手が巻き起こる。言い終わって、力が抜けたかのように座って、緊張が冷めてからなんだか恥ずかしくなってくる。思い出を作りに来たって、ちょっとクサすぎん?と。
 こういうのはたいてい、聞き手は気にしていないけど、言った本人だけやたら気にするヤツである。わかっているのに、謎の自己反省会は止まらない。
 そして、なにも言われてないのに立ち上がった寺島が、スピーチを始める。

「はじめまして、国際関係学部から来た寺島 清花きよかです。地元は所沢ところざわで、そのへんでバイトをしています。実は、私たち3人は同じ高校から来ました。さっき空くんが言ったように、思い出を作りに。よろしくお願いします」

 なんだこいつ、僕のさっきの発言を引用しやがって。よりにもよって、発言者が後悔している部分をピンポイントで切り抜きやがった。おかげで早くも思い出が構築されてしまいそうになる。もちろん、思い出したくないほうの思い出。俗に言う黒歴史である。
 そして立ち上がるラストバッター。

「えっと、青葉 めぐみです、国際関係学部の。その、克服するために来ました、この、人見知りを。その、なんとか頑張りたいです、哲学はあまり触れずに来ましたけど。えっと、よろしくお願いします」

 なんか頻繁にひょっこりしてきた倒置法くんのことが気になっちゃうが、僕の想像よりかはうまく自己紹介をしていた。他人のこと言えないほどテンパっていたが、まああんなのは人類に本能的に備わったテンパりだ。つまり、許容範囲。

 青葉への拍手がやんでから、寺島が遠慮がちに手を挙げる。気づいた目張さんが、優しく首をかしげる。

「どうしたの、寺島さん」
「いや……3人って聞いてたので。ああいや、やめちゃったとか、今日は予定があわなかったとかだったらアレなんですけど」

 たしかに、忘れかけていたが、そういえばそうだ。すると、秋刀魚さんが答える。

「おお、そうだったね。確かにもう一人いるんだけど、4年生でさ。就活始めちゃってるから、名前だけお借りしてるんだ、うん。だから、実質2人しかいないサークルだね」

 盛って3人かよ、と突っ込みたくなるが、しっかり自制する。それが秋刀魚さんの逆鱗だったら、即バットエンド案件である。危ない、今日だけで2つのバッドエンド回収ルートを回避している。

「で、そうだな……一応このサークルの説明をしとこうか」

 そこから、秋刀魚さんの説明が始まる。主に話し手のうまさのおかげで、入学式のときのようなグッタリ感は生まれなかった。
 まとめると、「週に一回集まるかどうか」「この部屋もこの部屋にあるものも自由に使ってよし」「もちろん部屋のロッカーも使ってよし」「一応今までは毎週水曜日に集まることにしていた」「それも自由参加」……。まさに、僕が描いていた理想の「適度に緩いサークル像」だった。

「何か質問はある?」

 と、説明中もずっと立っていた目張さんが言う。しまった、「僕の隣の座布団、空いてますよ(意味浅)」とでも言っておけばよかった。
 3人とも質問はないみたいで、だれも手は挙げなかった。

「よし、解散!」

 秋刀魚さんは、手をパーンとたたいた。そして、すぐに目張さんは、自己紹介前までやっていた本棚での作業に戻る。
 なんだか、長居するのも申し訳ない気がして、僕は比較的すぐに立ち上がった。いや、この部屋の雰囲気にまだ慣れていなくて、ただ座っているのがムズムズしたという、それだけの理由かもしれない。

「行くか?」

 僕は2人に話しかける。2人はほぼ同時に「どこへ?」と問いたげな目を向けてきたが、ほぼ同時に何かに納得して、そそくさと立ち上がった。
 僕はドアノブに手をかけて、振り返る。
 秋刀魚さんと目があった。

「ありがとうございました、また来ます」

 特に返事を求めているわけではなかったが、なんとなくドアノブは回さずに、待っていた。
 僕に続くように2人も「ありがとうございました」と言う。

「こちらこそありがとう」

 返事をしたのは、目張さんだった。背中を向けていたから確証は持てないが(保険)、おそらく秋刀魚さんは無言でうなずいていたんだと思う。確証はないものの(保険)、そう思った。確証はないけど(保険)。

 僕はドアノブを回し、一歩踏み出した。
 4月下旬の廊下は、もう日も落ちていたからか、そこそこ寒かった。
 いや、違う。
 部室が、笑っちゃうくらいに暖かかったんだ。
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