3 / 9
第2話 幼馴染でありながら彼女とは初めて話す
しおりを挟む
網戸から涼しい風が入ってくる。実家にいたときには気づきもしないような微かな風だった。まだこそばゆく感じるけど、いつか慣れる日が来るのかもしれない。そう思うと、少しだけ期待が膨らむ。
涼夏大学のある池袋、そこから一駅離れた目白。僕が4月から住み始めたばかりのアパートは、さらにその目白からチャリで5分ほどかかる場所にある。決して広いとは言えない空間だが、暮らす分にはなんとかなる。
木曜日はハードだ。なぜなら、3コマの授業があるからだ。2つの必修、1つの選択必修。どれも落とすわけにはいかない単位である。とったものすべて、なるべく落としたくはないけれど。
とにかく、木曜日の3コマは、優先度が高いコマが並んでいるという解釈で差し支えない。
気づけば出発時間になっていたので、戸締りを確認し、家を出た。
♦
木曜日の1限は情報処理的なヤツ。パソコンがずらっと並ぶ大きな部屋での講義である。といってもほとんどの人は、使い勝手その他もろもろを考慮して、持参したマイノートパソコンを使うわけだから、三十三間堂の仏たちのように並ぶパソコンは、雰囲気作りの道具と化している。
席順は、基本的には学籍番号に基づく指定席。一回目の時は自分の席を探して右往左往する姿をさらしたわけだが、さすがに僕は二回目もそんなポンコツをする男じゃない。以前の席と同じ場所へ移動し、速やかに着席する。
席に着いたはいいが、なにか後ろから視線を感じる。振り返ってみると、知っている人と目があった。
同じ高校ではあるものの、あまりしゃべったことがない人。黒髪のボブに、赤縁の丸眼鏡。基本的に静かで、遠慮がちな性格をしている彼女の名は、青葉 恵。
目があったとはいえ、先ほど言ったように、僕たちはあまり話さない間柄だから、何も言うことが浮かばない。とはいえ、一応はお互いに知っている人だし、同じサークルに入りそうな人だし、見て見ぬふりをするというのも憚られる。
僕は何回かへたくそな瞬きをしてから話しかけた。
「おう……学籍番号、近かったのか」
言ってから、しまった、と思った。彼女の意図で学籍番号が近いわけではないし、仮にイエスにしろノーにしろ返答があったところで、これを発展させることができる自信はなかったからだ。
「みたいね、前回から」
青葉は、自分のスマホに目を落としながら言った。ふむ、なるほど、それは話しかけるなという意味かな、とも思ったが、妙なプライドが邪魔をして、話しかけずにはいられなかった。
「寺島から聞いたけど、哲学サークル、本当に入るのか?」
スマホを操作する青葉の手が止まった。触れてはいけない場所に触れてしまったのだろうか。僕は返事を求めない感じを装って、前を向きなおろうとしたが、その途中に彼女の声が聞こえたので、中途半端なところで止まるような格好になってしまった。
「清花にこれ以上介護してもらうわけにはいかないの」
清花――つまり寺島のことだ。確かに僕の印象では、あのコミュニケーションお化けこと寺島なら、青葉とも差し支えなく接することができるのだろう。言われてみれば高校のころから、青葉が言葉を発している時には、いつも寺島が近くにいた気がする。
しかし寺島は良くも悪くもコミュニケーション力が高すぎる。青葉や僕以外にも、大学で出会った人たちと、交友関係を広げていくに違いない。青葉的に、その気遣いから抜け出さなければならない、というプレッシャーを感じているのかもしれない。
それを考えるほど、ある疑問も浮かぶ。なぜ寺島は、悪く言えば一人の友だちに過ぎない青葉に、ここまで優しくできるのか。自分まで同じサークルに入る、と言い出すくらい。
二人の間には、僕の知らない何かがあるのかもしれないが、なんだか聞くのはやめたほうがいい気がした。いくぶんかしゃべれる寺島ならまだしも、さっき初めて会話した青葉から聞き出すのは、少し酷だ。
と、考えていたら、考えているだけで、返事はしていないことに気が付いた。せっかくしゃべってくれたのなら、返事をするのが筋である。だが、どんなに引き出しを探っても、気の利いた言葉は出てこない。
「……そっか」
結局、探すのも面倒くさくなって、そう言うのが限界だった。僕は、もうこの時間に青葉としゃべることはないと感じて、思わず前を向いた。
ちょうど、ノートパソコンのようなものを小脇に抱えたおじさんの先生が入ってきたところだった。
涼夏大学のある池袋、そこから一駅離れた目白。僕が4月から住み始めたばかりのアパートは、さらにその目白からチャリで5分ほどかかる場所にある。決して広いとは言えない空間だが、暮らす分にはなんとかなる。
木曜日はハードだ。なぜなら、3コマの授業があるからだ。2つの必修、1つの選択必修。どれも落とすわけにはいかない単位である。とったものすべて、なるべく落としたくはないけれど。
とにかく、木曜日の3コマは、優先度が高いコマが並んでいるという解釈で差し支えない。
気づけば出発時間になっていたので、戸締りを確認し、家を出た。
♦
木曜日の1限は情報処理的なヤツ。パソコンがずらっと並ぶ大きな部屋での講義である。といってもほとんどの人は、使い勝手その他もろもろを考慮して、持参したマイノートパソコンを使うわけだから、三十三間堂の仏たちのように並ぶパソコンは、雰囲気作りの道具と化している。
席順は、基本的には学籍番号に基づく指定席。一回目の時は自分の席を探して右往左往する姿をさらしたわけだが、さすがに僕は二回目もそんなポンコツをする男じゃない。以前の席と同じ場所へ移動し、速やかに着席する。
席に着いたはいいが、なにか後ろから視線を感じる。振り返ってみると、知っている人と目があった。
同じ高校ではあるものの、あまりしゃべったことがない人。黒髪のボブに、赤縁の丸眼鏡。基本的に静かで、遠慮がちな性格をしている彼女の名は、青葉 恵。
目があったとはいえ、先ほど言ったように、僕たちはあまり話さない間柄だから、何も言うことが浮かばない。とはいえ、一応はお互いに知っている人だし、同じサークルに入りそうな人だし、見て見ぬふりをするというのも憚られる。
僕は何回かへたくそな瞬きをしてから話しかけた。
「おう……学籍番号、近かったのか」
言ってから、しまった、と思った。彼女の意図で学籍番号が近いわけではないし、仮にイエスにしろノーにしろ返答があったところで、これを発展させることができる自信はなかったからだ。
「みたいね、前回から」
青葉は、自分のスマホに目を落としながら言った。ふむ、なるほど、それは話しかけるなという意味かな、とも思ったが、妙なプライドが邪魔をして、話しかけずにはいられなかった。
「寺島から聞いたけど、哲学サークル、本当に入るのか?」
スマホを操作する青葉の手が止まった。触れてはいけない場所に触れてしまったのだろうか。僕は返事を求めない感じを装って、前を向きなおろうとしたが、その途中に彼女の声が聞こえたので、中途半端なところで止まるような格好になってしまった。
「清花にこれ以上介護してもらうわけにはいかないの」
清花――つまり寺島のことだ。確かに僕の印象では、あのコミュニケーションお化けこと寺島なら、青葉とも差し支えなく接することができるのだろう。言われてみれば高校のころから、青葉が言葉を発している時には、いつも寺島が近くにいた気がする。
しかし寺島は良くも悪くもコミュニケーション力が高すぎる。青葉や僕以外にも、大学で出会った人たちと、交友関係を広げていくに違いない。青葉的に、その気遣いから抜け出さなければならない、というプレッシャーを感じているのかもしれない。
それを考えるほど、ある疑問も浮かぶ。なぜ寺島は、悪く言えば一人の友だちに過ぎない青葉に、ここまで優しくできるのか。自分まで同じサークルに入る、と言い出すくらい。
二人の間には、僕の知らない何かがあるのかもしれないが、なんだか聞くのはやめたほうがいい気がした。いくぶんかしゃべれる寺島ならまだしも、さっき初めて会話した青葉から聞き出すのは、少し酷だ。
と、考えていたら、考えているだけで、返事はしていないことに気が付いた。せっかくしゃべってくれたのなら、返事をするのが筋である。だが、どんなに引き出しを探っても、気の利いた言葉は出てこない。
「……そっか」
結局、探すのも面倒くさくなって、そう言うのが限界だった。僕は、もうこの時間に青葉としゃべることはないと感じて、思わず前を向いた。
ちょうど、ノートパソコンのようなものを小脇に抱えたおじさんの先生が入ってきたところだった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
JC💋フェラ
山葵あいす
恋愛
森野 稚菜(もりの わかな)は、中学2年生になる14歳の女の子だ。家では姉夫婦が一緒に暮らしており、稚菜に甘い義兄の真雄(まさお)は、いつも彼女におねだりされるままお小遣いを渡していたのだが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる