236 / 249
【城下逃亡編】
235 満の告白①
しおりを挟む「はい。お相手がそうであろうと、自らも別の相手を求めるわけにはいきません。私はその御方だけを見ていなければならないのです。見たくなくとも……」
“見たくなくとも……。”
ぽろっと零れたその言葉に満の本音が見えた気がした。
それはつまり政略結婚で、気持ちは相手にないということ。
なれど、輿入れする覚悟は決まっている――。
……政略結婚なんてこの世界ではよくある話だ。
実際家光自身もそうなのだから、簡単に破談に出来ないことくらいわかっている。
将軍ですら破談に出来ず、受け入れるしかなかった本人の意思など二の次の政略結婚。
臣下の縁談を潰すことは容易いが、遺恨を残すことになり得る。
それでもと家光は息を呑んでから恐る恐る訊ねた。
「……み、みちるさんはその方が嫌いなんですか……?」
「……嫌いかどうかなど……私の口からは言えません……。私の感情など告げたところで、禍事にしかなりませんから……。ただ、正室の他に側室が何人もいるというのは……正直なところ解せない。私はたった一人と愛し愛され添い遂げたかった……」
「……っ、そ、そうですよね……」
“嫌いなら私がなんとかしてみますけど……?”――なんて思ってはみたがどうだろう。
満の表情は眉間に皺を寄せており、不愉快そうだ。
家光に向けてではないものの、猫板に置いた空の湯呑を相手に見立てているのか、ゴミを見るような目で見下ろしている。
この様子だと、彼は側室制度そのものを嫌悪していそうだ。
とすれば満に話していない本当の身分を告げることは出来ないし、どうにかしてやることも出来ない。
どうにかしたとして、側室になって欲しいなどと言えば、嫌悪の目を向けられるのは目に見えている。
満に嫌われたくない……。
目の前の冷たい瞳を自らに向けて欲しくはない。
……家光は相槌だけ打ち、乾いた声で微苦笑だけしておいた。
「あっ、あの……こ、輿入れって、どこの家なんですか……?」
そういえば、満が側室になるという事実が衝撃的過ぎて、誰の側室になるのか未だ訊いていなかった。
武家であれば、もしかしたらどうにか出来るやも――。
そう思って訊ねてみたが、満の首が左右に振れる。
「……千代さんは知らない方がいい。それが互いのためです。側室は囲われの身ですし、輿入れ後は千代さんとお会いすることもないはず。私達の出逢いは二人だけの秘密にしておきたい。私の大事な想い出として……駄目でしょうか?」
「っ……そ、そうですか……。二人だけの秘密……」
――二人だけのひ・み・つ……♡
“二人だけの秘密”。
なんて甘美な響きなのだろう。
ぴしゃりと断られたものの、満の口元には人差し指が一本添えられ、艶のある笑みを浮かべる。
急にそんな甘い顔を見せられては、家光の正常だった思考は直ぐに霧散してしまうではないか。
誤魔化された感が否めないが、満が輿入れ先を言いたくないことは理解出来た。
ならばこれ以上は追及すまい。
「千代さんは私の見目を気に入ってくれたのですか?」
「え……? あっ、すみません……はい、すごく好きです。ドタイプなんです。で、でもみちるさんの声も、優しいところも大好きで、今は見た目だけじゃなくてあなたの全部が好き……」
あなたは私のど真ん中――。
満に問われた家光は素直に答える。
確かに始めは見た目から入ったが、今は声も優しさもその人となりも、満の全てが大好きだ。
優しくて芯のある人なのだと、彼を知れば知るほど惹かれていくから不思議でならない。
「……どたいぷ? ふふっ。ありがとうございます。千代さんに気に入っていただけて幸甚です。私のこの見た目故に、幼い頃から色々な方々から好意を寄せられることが多かったのですが、つい先日御相手さまに御目通りした際、大変お気に召したそうで……此度の話が決まりました。私にも利があるので御請けした次第なんですが、千代さんともっと早くに再会出来ていたら請けなかった……そこだけが悔やまれますね」
「みちるさん……」
――くそうっ、御目通りした女ぁぁああっっ……! どこのどいつだ私のみちるさんを掻っ攫った奴はっ……!!
満から幼少期にモテていた話をされ そりゃそうだろうと解したものの、聞いていく内、やはり政略結婚なのだと確信した家光は悔しく思う。
……しかもなんだ。先に再会していたら請けなかったなんて、そんなこと言われたら破談にしてやりたくなるじゃないか。
しかし破談にしたところで嫌悪されるまでがセットなのが辛い――。
「側室だなんて……、しかも既にお相手が複数いるというのに、なぜまだ男を欲するのか……多情との噂も聞きますし、私などたまの慰みに使われるだけでしょうね」
再び眉間に皺を寄せ、満は不快感を露わにしたかと思うと、ふっと眉を下げて薄っすらと口角を上げる。
……相手は多情と噂の女性らしい。
当主が女であっても男好きはいる故に、何人もの側室を設ける家も多いのは事実。
とはいえ何万石という大きな家であればある程、跡継ぎも多く必要なため致し方ない部分もある――が、噂が本当ならそんな女に満を輿入れさせるのは……。
「みちるさん……それって辞退することは出来ないんですか?」
「……はい。もう決まったことですから」
「っ……、私ならみちるさんを大事にするのに……っ!」
やはり満をこのまま失いたくない……。
家光は破談を願ったが、即刻却下されてしまった。
はっきりと告げる満の顔には悲しみも怒りもなく、清々しい。
……歯噛みしたのは家光だけだ。
最高権力を手にした将軍だというのに、好きになった男一人、救い出すことが出来ないとはなんと情けないことか。
目の奥が痛み、涙が滲む。唇を噛みしめ満を見つめた。
「……。千代さん……。千代さんもこれからご正室やご側室を迎えられるのですよね?」
「……迎えたくて迎えるわけじゃないです。家のために受け入れざるを得ないだけで……、私だって、好きな人だけと添い遂げられたらって思います」
満の質問にずるい答え方をしているのは自分でもわかっている。
満は正直に事情を話してくれたというのに、家光、自分は既に正室も側室もいるその事実を話せていない。
……嘘を吐きたくなくて、その話題に触れないように注意し、気持ちだけは伝えておいた。
0
お気に入りに追加
86
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
【R18】鬼上司は今日も私に甘くない
白波瀬 綾音
恋愛
見た目も中身も怖くて、仕事にストイックなハイスペ上司、高濱暁人(35)の右腕として働く私、鈴木梨沙(28)。接待で終電を逃した日から秘密の関係が始まる───。
逆ハーレムのチームで刺激的な日々を過ごすオフィスラブストーリー
法人営業部メンバー
鈴木梨沙:28歳
高濱暁人:35歳、法人営業部部長
相良くん:25歳、唯一の年下くん
久野さん:29歳、一個上の優しい先輩
藍沢さん:31歳、チーフ
武田さん:36歳、課長
加藤さん:30歳、法人営業部事務
ミックスド★バス~家のお風呂なら誰にも迷惑をかけずにイチャイチャ?~
taki
恋愛
【R18】恋人同士となった入浴剤開発者の温子と営業部の水川。
お互いの部屋のお風呂で、人目も気にせず……♥
えっちめシーンの話には♥マークを付けています。
ミックスド★バスの第5弾です。
転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる