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【城下逃亡編】
206 行く先は?
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◇
「ごめんね~月花。付き合ってもらっちゃって悪いね」
「いいえ~、最近うちと一緒に駄弁る時間もないくらい忙しかったですし、むしろ嬉しいっていうか~」
縁台に腰掛けた家光と月花の二人は互いに苦い抹茶を啜り、甘い串団子を食らう。
目の前では多くの人々が歩きやすく整備された道を土煙を立たせながら行き交っていた。
身分を隠し、町娘がよく着る小袖姿の家光と、男装をした着流しスタイルの月花は城下に下り、町の茶屋でティータイムを楽しんでいる真っ最中である。
……昨夜振から逃亡した家光は春日局に黙って翌日城を脱出――。
向こう一月分の仕事は片付けてある。
二週間は戻らないつもりで椿に影武者をするよう命じて、家光は月花と二人でここまでやって来た。
まだ将軍職に就く前ではあるが、仕事のある時でも城から脱出し、一週間帰らなかったこともあったから、仕事を片付けてある今なら二週間くらい許されるだろう。
……正勝に協力を仰ぎ、正勝は渋々承諾――現在に至る。
“どうしても初めては好きな人としたい”……心は老齢ながらも、夢見る乙女な家光の意思は固く、最終的に振とは踏ん切りがつかなかった。
このままでは懐妊どころか、生娘脱却ですら難しい。
これから幾人もの男に抱かれなければならないのだ。
最初の一回だけでも好きな人に捧げることができたなら、後は頑張れる。
振ともきっとできるだろう。
そしていつかは振のことも愛せるようになるはず……。
その境地に至った家光は振から逃げた。
好きな人などいないというのに。
だが家光は一週間前、この人になら抱かれても良いという人を一人、思い出していた。
その人物とは――。
「伊達さまがいらっしゃらないとは思いませんでしたね。しばらく江戸にご滞在されているとお聞きしていたのに」
「そうだね、おじさまが今朝仙台に向かったなんてね……」
月花が口にした“伊達さま”――。
そう、家光が唯一憧れ慕っている“伊達のおじさま”こと、伊達政宗である。
……家康の葬儀の折、何かあれば力になるからいつでも頼っていいと言ってくれた頼もしい政宗。
養父である春日局とは違い、少々危険な香りがする色気のある彼は、いつ見ても格好が良く、隙がない。
ただただ家光を優しく甘やかし勘違いさせ、時に揶揄うこともあるが、一線をきちんと引くことのできる大人の男である。
彼には正室がいるから本当は不味いのだが「家光様がどうしてもというなら、こんな爺で良ければ抱きますよ」なんて嘘か真か、妖しく微笑まれたことがあったのを家光は思い出したのだ。
告げられた当初は真に受けていなかったが、家光が頼めばもしかしたら叶えてくれるのではなかろうか――。
「おじさまならいけると思ったんだけどな……」
家光は苦い抹茶を口に含むと、その苦みが身に染みて、慌てて甘い団子に齧りつく。
城を出て真っ先に江戸にある仙台藩の上屋敷を訪ねたが、政宗の正室、愛姫に出迎えられた家光は何も言えずに立ち去っていた。
政宗も側室を持つ立場とはいえ、将軍である家光が彼の正室に面と向かって「旦那を一晩貸して下さい」とは言えない。
そんなことを言えば事が大きくなってしまうし、前世で不倫のアリバイに体よく使われ不愉快な思いをした家光は不義理が大嫌いである。
立場上、側室は致し方ないことではあるが、側室でもない、まして妻子持ちの政宗に手を出せば家光自らの倫理観が崩壊してしまうではないか。
……政宗は秋の長雨の影響により、仙台で災害が起きたために急遽仙台に戻ったとのことで、上屋敷を留守にしていた。
政宗にならば――と思った矢先でこれとは、そうしない方が良いということなのだろう。
切羽詰まっているとはいえ、政宗に多大な迷惑を掛けるし、家光に優しく接してくれる愛姫も悲しませてしまう。
政宗も愛姫も、いつも家光によくしてくれている。
御忍びで上屋敷に行けば快く泊めてくれるし、食事も共にしてくれて、晩には一緒に川の字で寝てくれたりもする。
政宗の色気が半端ないため、家光は毎回胸が高鳴ってしまうがそれは憧れからくるもの――。
さっきも愛姫には、政宗が不在の謝罪を受けた後でこう言われた。
『御忍びですか? 私も是非お供したいのですが、生憎これから来客が御座いまして……家光様から御下命頂ければすぐにでも取り消し致しますが……』
……微笑みと共に伝えられた言葉は優しく温かい。
愛姫とは以前にも何度か一緒に出掛けたことがある。
女同士、呉服屋や瀬戸物屋巡りを楽しんだり、上屋敷でのんびりしたりと政宗が不在でもつい訪ねてしまうくらいだ。
今日も家光の命令があれば――と自らの予定よりも家光を優先してくれようとする心遣いが嬉しい。
実の母の秀忠には一度たりともそんな気遣いをしてもらったことがないから余計に身に沁みる。
そんな彼女に“旦那を一晩――”などと言おうと思っていたなど阿呆の極みだ。
しかも家光が望めばあの夫婦……承諾し兼ねない。
それ程に家光を大事にしてくれている。
血は繋がっていなくとも親子の情を感じさせてくれる温かい夫婦――。
家光は政宗も愛姫も大好きで、あの二人にいつまでも愛されていたい。
……改めて愚行に走らず良かったと安堵した。
「居なくてよかったのかも」
自らの発言力を鑑みて、思い留まった家光は自分を褒めてやりたくなった。
例え追い詰められていたとしても、権力を持っていたとしても、人としてしてはいけないことはあるのだ。
「家光さま……」
男装の月花が穏やかな表情でそっと手を伸ばし、家光の頭を撫でてくれる。
「……さて、と。おじさまが居ないんじゃしょうがないね」
団子を食べ終えた家光は縁台から立ち上がり、背伸びをした。
政宗が留守でよかったとはいえ、惜しい気持ちが全くないわけではないし、久しぶりに憧れのイケオジの顔を見るくらいはしたかったのが正直なところ。
目的だった政宗が居ないのならば、別の案を模索しなければならない。
「次はどこに行かれますか? せっかくの御忍びですし、このまま物見遊山でもします? それとも吉原に行ってちゃちゃっとやっちゃいます?」
「よしわらって……」
――遊郭じゃん!
いや、江戸にそういうお店があるっていうのは知っているけどもっ、と月花の話を聞いた家光の頬は瞬時に真っ赤に染まった。
「ごめんね~月花。付き合ってもらっちゃって悪いね」
「いいえ~、最近うちと一緒に駄弁る時間もないくらい忙しかったですし、むしろ嬉しいっていうか~」
縁台に腰掛けた家光と月花の二人は互いに苦い抹茶を啜り、甘い串団子を食らう。
目の前では多くの人々が歩きやすく整備された道を土煙を立たせながら行き交っていた。
身分を隠し、町娘がよく着る小袖姿の家光と、男装をした着流しスタイルの月花は城下に下り、町の茶屋でティータイムを楽しんでいる真っ最中である。
……昨夜振から逃亡した家光は春日局に黙って翌日城を脱出――。
向こう一月分の仕事は片付けてある。
二週間は戻らないつもりで椿に影武者をするよう命じて、家光は月花と二人でここまでやって来た。
まだ将軍職に就く前ではあるが、仕事のある時でも城から脱出し、一週間帰らなかったこともあったから、仕事を片付けてある今なら二週間くらい許されるだろう。
……正勝に協力を仰ぎ、正勝は渋々承諾――現在に至る。
“どうしても初めては好きな人としたい”……心は老齢ながらも、夢見る乙女な家光の意思は固く、最終的に振とは踏ん切りがつかなかった。
このままでは懐妊どころか、生娘脱却ですら難しい。
これから幾人もの男に抱かれなければならないのだ。
最初の一回だけでも好きな人に捧げることができたなら、後は頑張れる。
振ともきっとできるだろう。
そしていつかは振のことも愛せるようになるはず……。
その境地に至った家光は振から逃げた。
好きな人などいないというのに。
だが家光は一週間前、この人になら抱かれても良いという人を一人、思い出していた。
その人物とは――。
「伊達さまがいらっしゃらないとは思いませんでしたね。しばらく江戸にご滞在されているとお聞きしていたのに」
「そうだね、おじさまが今朝仙台に向かったなんてね……」
月花が口にした“伊達さま”――。
そう、家光が唯一憧れ慕っている“伊達のおじさま”こと、伊達政宗である。
……家康の葬儀の折、何かあれば力になるからいつでも頼っていいと言ってくれた頼もしい政宗。
養父である春日局とは違い、少々危険な香りがする色気のある彼は、いつ見ても格好が良く、隙がない。
ただただ家光を優しく甘やかし勘違いさせ、時に揶揄うこともあるが、一線をきちんと引くことのできる大人の男である。
彼には正室がいるから本当は不味いのだが「家光様がどうしてもというなら、こんな爺で良ければ抱きますよ」なんて嘘か真か、妖しく微笑まれたことがあったのを家光は思い出したのだ。
告げられた当初は真に受けていなかったが、家光が頼めばもしかしたら叶えてくれるのではなかろうか――。
「おじさまならいけると思ったんだけどな……」
家光は苦い抹茶を口に含むと、その苦みが身に染みて、慌てて甘い団子に齧りつく。
城を出て真っ先に江戸にある仙台藩の上屋敷を訪ねたが、政宗の正室、愛姫に出迎えられた家光は何も言えずに立ち去っていた。
政宗も側室を持つ立場とはいえ、将軍である家光が彼の正室に面と向かって「旦那を一晩貸して下さい」とは言えない。
そんなことを言えば事が大きくなってしまうし、前世で不倫のアリバイに体よく使われ不愉快な思いをした家光は不義理が大嫌いである。
立場上、側室は致し方ないことではあるが、側室でもない、まして妻子持ちの政宗に手を出せば家光自らの倫理観が崩壊してしまうではないか。
……政宗は秋の長雨の影響により、仙台で災害が起きたために急遽仙台に戻ったとのことで、上屋敷を留守にしていた。
政宗にならば――と思った矢先でこれとは、そうしない方が良いということなのだろう。
切羽詰まっているとはいえ、政宗に多大な迷惑を掛けるし、家光に優しく接してくれる愛姫も悲しませてしまう。
政宗も愛姫も、いつも家光によくしてくれている。
御忍びで上屋敷に行けば快く泊めてくれるし、食事も共にしてくれて、晩には一緒に川の字で寝てくれたりもする。
政宗の色気が半端ないため、家光は毎回胸が高鳴ってしまうがそれは憧れからくるもの――。
さっきも愛姫には、政宗が不在の謝罪を受けた後でこう言われた。
『御忍びですか? 私も是非お供したいのですが、生憎これから来客が御座いまして……家光様から御下命頂ければすぐにでも取り消し致しますが……』
……微笑みと共に伝えられた言葉は優しく温かい。
愛姫とは以前にも何度か一緒に出掛けたことがある。
女同士、呉服屋や瀬戸物屋巡りを楽しんだり、上屋敷でのんびりしたりと政宗が不在でもつい訪ねてしまうくらいだ。
今日も家光の命令があれば――と自らの予定よりも家光を優先してくれようとする心遣いが嬉しい。
実の母の秀忠には一度たりともそんな気遣いをしてもらったことがないから余計に身に沁みる。
そんな彼女に“旦那を一晩――”などと言おうと思っていたなど阿呆の極みだ。
しかも家光が望めばあの夫婦……承諾し兼ねない。
それ程に家光を大事にしてくれている。
血は繋がっていなくとも親子の情を感じさせてくれる温かい夫婦――。
家光は政宗も愛姫も大好きで、あの二人にいつまでも愛されていたい。
……改めて愚行に走らず良かったと安堵した。
「居なくてよかったのかも」
自らの発言力を鑑みて、思い留まった家光は自分を褒めてやりたくなった。
例え追い詰められていたとしても、権力を持っていたとしても、人としてしてはいけないことはあるのだ。
「家光さま……」
男装の月花が穏やかな表情でそっと手を伸ばし、家光の頭を撫でてくれる。
「……さて、と。おじさまが居ないんじゃしょうがないね」
団子を食べ終えた家光は縁台から立ち上がり、背伸びをした。
政宗が留守でよかったとはいえ、惜しい気持ちが全くないわけではないし、久しぶりに憧れのイケオジの顔を見るくらいはしたかったのが正直なところ。
目的だった政宗が居ないのならば、別の案を模索しなければならない。
「次はどこに行かれますか? せっかくの御忍びですし、このまま物見遊山でもします? それとも吉原に行ってちゃちゃっとやっちゃいます?」
「よしわらって……」
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