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【新妻編】
196 手作り茶葉
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「ん……まあ……京都から取り寄せたものだしな」
「そうでしたか、宇治のお茶で……、さすがは御台様でいらっしゃいますね」
「……べ、別に俺が望んだわけじゃねえよ? そいつが勝手に頼んでるだけで……!」
振の話題転換は一応の成功と見ていいだろう、孝は何故か慌てた様子で側に控える上臈御年寄の男に目配せをする。
孝から視線を送られた上臈御年寄の男に振が注視すると、男は含み笑みを浮かべ語り出した。
「お茶と言えば宇治ですから当然です。側室とは違い御台様でしたらいくらでも取り寄せることが出来るのですよ。まあ、ご正室は側室とは異なりますからね~ふっふっふっ」
「ぁ……はい。私はそういったことを頼んだことは御座いませんので……」
鼻高々で語る上臈御年寄の男に振は愛想笑いで応対する。
少々鼻に掛かったような男の声音は、京言葉を話さないまでも嫌味に聞こえるから不思議だ。
孝と共に奥入りした為、郷に入っては郷に従えと、京言葉を話さないよう配慮しているらしいが、意味のない気遣いと言えよう。
上臈御年寄の気を遣うべき所はそこではないのだが――。
孝も京言葉を使わないが、彼の場合は育てられた環境により使わなくなった……というのが正しい。
京言葉で家光と言い合いでもしてようものなら、誤解が誤解を生み、仲直りが出来ていなかったかもしれない。
「そういうこと言うんじゃねぇよ……」
孝はじろりと上臈御年寄を一睨みし、“ちっ”と舌打ちをした。
――贅沢三昧のお飾り正室だと思われるだろうが……。
共寝を許されないお飾りの正室――。
政略結婚だから仕方ないが、孝は家光を愛している。
妻を愛しているというのに妻からは愛されていないという現実……。
側室は主に共寝が仕事みたいなものだ。
……子を成せば簡単に己の身分を上げ確固たるものに出来る。
側室候補となる基準は知らないが、身分は様々だという。
低い身分の者もこの奥で権力を握る好機を得ることが出来るのだ。成りたい者は山程いるはず……。
男は愛してもいない女でも、抱くことはできる。
まして家光は申し分のないいい女で、その女を抱くだけで権力が得られるというのなら、権力欲の強い者なら断る理由がない。
……振も二つ返事で側室の話を受けたのだろう。
そこに愛はない……はずが、聞けば振は富でも名声でもなく、家光自身を慕っているらしい――。
正室というこの上ない身分で、贅沢を許されているからとて何になるのか――、ただ虚しいだけである。
孝は上臈御年寄が点てた茶を手に取り口に含むと、あまりの苦さに顔を歪ませた。
「……あの、家光さまは柿の葉茶を好んでおられるので、宜しければお持ち致しましょうか……?」
不意に振が家光の好みを話し始める。
振の情報は何度も家光の元へ通い、他愛のない話の中から得たものだ。
……この国にはまだ煎茶といった茶が存在していなかった。
茶と言えば抹茶である。
茶室に入り茶を点て――と、気軽に茶を飲むには少々仰々しい。
コーヒーや紅茶が飲めたら良かったのだが、そんなものは当然この国にまだ存在していなかった。
……だが、食後に茶くらい飲みたいではないか――。
そこで家光がまず考えたのは、大豆を炒って作った大豆茶である。
当時はまだ両親と仲の悪い時期であり、家光が自分の裁量で大豆を仕入れることは出来なかった。
その為、彼女はこっそり御膳所から大豆をくすねて自ら作り飲んでいたのだ。
ところが大豆は安価ながらも豆腐や味噌や納豆にと使用され、御膳所で大豆茶用の大豆が余ることは少ない。
家光は毎日お茶を飲みたいのに、大豆は余っていない――しかも妹の国松に大豆をくすねていることがばれ、江から叱られる羽目に……。
……そういうことが続き、毎日の大豆茶は早々に諦めた。
けれども家光は大豆茶を諦めはしたが、茶自体は諦めていなかったのだ。
ある日、城を抜け出した家光が城下を散歩中、青々と茂る柿の木の葉にお茶の葉を連想し、思い出したのだ。
(柿の葉茶ならたくさん作れるのでは……? しかも、余分の葉っぱなら譲ってもらえるじゃない?)
前世で祖母が柿の葉を乾燥させ柿の葉茶を作っていた。
それを幼い千代は手伝ったことがある。
家光は前世で得た知識で柿の葉茶を作り出し、毎日愛飲しているのだ。
振には前世のことは伝えていないが、柿の葉茶のことは教え、自ら作ったものを譲っている――(※ちなみに祖母の家康にも献上し喜ばれていたりする)。
「え……、か、柿の葉茶……?」
「美肌に良いのだそうです。あんちえいじんぐ……とやらがどうとか仰っておられました。孝さまは飲んだことは御座いませんでしたか?」
「柿の葉茶を……? どう……だったかな……」
振の話に孝は首を傾ける。
これは正室の自分よりも家光のことを知っているという驕り、宣戦布告と取ればいいのか、それとも――。
振、彼の意図することが読めないため、孝は話の続きを待つことにした。
「朝餉にお出ししていると聞いているのですが、飲みたい方は仰って頂ければ分けるよとのことで御膳所でも人気のお茶なのです。今年は上洛などで無理で御座いましたが、家光さま自ら作られているのだそうで、昨年作られたものがまだ御座います」
「家光の手作り……! わ、分けてくれるのか!?」
――家光の作ったものが手に入るというのか……!
まさか家光の手作り茶葉が御膳所で親しまれているとは――。
……そんなことは初耳である。
何せ御末達とは立ち話――、茶を飲み飲みなど親しく話すまではまだ関係が構築できていない。
側室の振からそんな話が聞けるとは思いも寄らなかった。
だが、なぜそんな話を正室に……?
やはり驕りからか、男として相手にされない正室を内心嘲笑っている……?
……孝は疑問に思う。
だが振は――。
「はい、家光さまにお頼みすれば分けて下さると思います。実は私も少々頂戴ておりまして。とても飲みやすいお茶で御座いますよ」
……振は穏やかに目を細めて家光に頼んでみてはと勧めていた。
「柿の葉でお茶など……! 将軍ともあろう者が茶を自ら作るですって……!? しかも下々の者に下賜まで……!」
「……振……、お前……いい奴だな」
上臈御年寄が一人憤慨しているが、孝は無視して振に真顔で告げる。
「……御台さまは家光さまの伴侶であらせられます。どうぞご夫婦円満であられて下さい。それが徳川にとっても、公家にとっても、家光さまにとっても良き事となりましょう」
……夫婦円満でいて欲しい……振はそう言い切った。
政略結婚の愛の無い夫婦――。いや、正室の孝が家光を慕っていることは振も既に知っている。
一方的な孝の片想い……家光は未だ誰にも心を開いていない。
それは側室である振、自らにも……。
----------------------------------------------------------------------
※柿の葉茶の下りは実際の歴史にはございません、悪しからず。
今更ですがフィクションです。
「そうでしたか、宇治のお茶で……、さすがは御台様でいらっしゃいますね」
「……べ、別に俺が望んだわけじゃねえよ? そいつが勝手に頼んでるだけで……!」
振の話題転換は一応の成功と見ていいだろう、孝は何故か慌てた様子で側に控える上臈御年寄の男に目配せをする。
孝から視線を送られた上臈御年寄の男に振が注視すると、男は含み笑みを浮かべ語り出した。
「お茶と言えば宇治ですから当然です。側室とは違い御台様でしたらいくらでも取り寄せることが出来るのですよ。まあ、ご正室は側室とは異なりますからね~ふっふっふっ」
「ぁ……はい。私はそういったことを頼んだことは御座いませんので……」
鼻高々で語る上臈御年寄の男に振は愛想笑いで応対する。
少々鼻に掛かったような男の声音は、京言葉を話さないまでも嫌味に聞こえるから不思議だ。
孝と共に奥入りした為、郷に入っては郷に従えと、京言葉を話さないよう配慮しているらしいが、意味のない気遣いと言えよう。
上臈御年寄の気を遣うべき所はそこではないのだが――。
孝も京言葉を使わないが、彼の場合は育てられた環境により使わなくなった……というのが正しい。
京言葉で家光と言い合いでもしてようものなら、誤解が誤解を生み、仲直りが出来ていなかったかもしれない。
「そういうこと言うんじゃねぇよ……」
孝はじろりと上臈御年寄を一睨みし、“ちっ”と舌打ちをした。
――贅沢三昧のお飾り正室だと思われるだろうが……。
共寝を許されないお飾りの正室――。
政略結婚だから仕方ないが、孝は家光を愛している。
妻を愛しているというのに妻からは愛されていないという現実……。
側室は主に共寝が仕事みたいなものだ。
……子を成せば簡単に己の身分を上げ確固たるものに出来る。
側室候補となる基準は知らないが、身分は様々だという。
低い身分の者もこの奥で権力を握る好機を得ることが出来るのだ。成りたい者は山程いるはず……。
男は愛してもいない女でも、抱くことはできる。
まして家光は申し分のないいい女で、その女を抱くだけで権力が得られるというのなら、権力欲の強い者なら断る理由がない。
……振も二つ返事で側室の話を受けたのだろう。
そこに愛はない……はずが、聞けば振は富でも名声でもなく、家光自身を慕っているらしい――。
正室というこの上ない身分で、贅沢を許されているからとて何になるのか――、ただ虚しいだけである。
孝は上臈御年寄が点てた茶を手に取り口に含むと、あまりの苦さに顔を歪ませた。
「……あの、家光さまは柿の葉茶を好んでおられるので、宜しければお持ち致しましょうか……?」
不意に振が家光の好みを話し始める。
振の情報は何度も家光の元へ通い、他愛のない話の中から得たものだ。
……この国にはまだ煎茶といった茶が存在していなかった。
茶と言えば抹茶である。
茶室に入り茶を点て――と、気軽に茶を飲むには少々仰々しい。
コーヒーや紅茶が飲めたら良かったのだが、そんなものは当然この国にまだ存在していなかった。
……だが、食後に茶くらい飲みたいではないか――。
そこで家光がまず考えたのは、大豆を炒って作った大豆茶である。
当時はまだ両親と仲の悪い時期であり、家光が自分の裁量で大豆を仕入れることは出来なかった。
その為、彼女はこっそり御膳所から大豆をくすねて自ら作り飲んでいたのだ。
ところが大豆は安価ながらも豆腐や味噌や納豆にと使用され、御膳所で大豆茶用の大豆が余ることは少ない。
家光は毎日お茶を飲みたいのに、大豆は余っていない――しかも妹の国松に大豆をくすねていることがばれ、江から叱られる羽目に……。
……そういうことが続き、毎日の大豆茶は早々に諦めた。
けれども家光は大豆茶を諦めはしたが、茶自体は諦めていなかったのだ。
ある日、城を抜け出した家光が城下を散歩中、青々と茂る柿の木の葉にお茶の葉を連想し、思い出したのだ。
(柿の葉茶ならたくさん作れるのでは……? しかも、余分の葉っぱなら譲ってもらえるじゃない?)
前世で祖母が柿の葉を乾燥させ柿の葉茶を作っていた。
それを幼い千代は手伝ったことがある。
家光は前世で得た知識で柿の葉茶を作り出し、毎日愛飲しているのだ。
振には前世のことは伝えていないが、柿の葉茶のことは教え、自ら作ったものを譲っている――(※ちなみに祖母の家康にも献上し喜ばれていたりする)。
「え……、か、柿の葉茶……?」
「美肌に良いのだそうです。あんちえいじんぐ……とやらがどうとか仰っておられました。孝さまは飲んだことは御座いませんでしたか?」
「柿の葉茶を……? どう……だったかな……」
振の話に孝は首を傾ける。
これは正室の自分よりも家光のことを知っているという驕り、宣戦布告と取ればいいのか、それとも――。
振、彼の意図することが読めないため、孝は話の続きを待つことにした。
「朝餉にお出ししていると聞いているのですが、飲みたい方は仰って頂ければ分けるよとのことで御膳所でも人気のお茶なのです。今年は上洛などで無理で御座いましたが、家光さま自ら作られているのだそうで、昨年作られたものがまだ御座います」
「家光の手作り……! わ、分けてくれるのか!?」
――家光の作ったものが手に入るというのか……!
まさか家光の手作り茶葉が御膳所で親しまれているとは――。
……そんなことは初耳である。
何せ御末達とは立ち話――、茶を飲み飲みなど親しく話すまではまだ関係が構築できていない。
側室の振からそんな話が聞けるとは思いも寄らなかった。
だが、なぜそんな話を正室に……?
やはり驕りからか、男として相手にされない正室を内心嘲笑っている……?
……孝は疑問に思う。
だが振は――。
「はい、家光さまにお頼みすれば分けて下さると思います。実は私も少々頂戴ておりまして。とても飲みやすいお茶で御座いますよ」
……振は穏やかに目を細めて家光に頼んでみてはと勧めていた。
「柿の葉でお茶など……! 将軍ともあろう者が茶を自ら作るですって……!? しかも下々の者に下賜まで……!」
「……振……、お前……いい奴だな」
上臈御年寄が一人憤慨しているが、孝は無視して振に真顔で告げる。
「……御台さまは家光さまの伴侶であらせられます。どうぞご夫婦円満であられて下さい。それが徳川にとっても、公家にとっても、家光さまにとっても良き事となりましょう」
……夫婦円満でいて欲しい……振はそう言い切った。
政略結婚の愛の無い夫婦――。いや、正室の孝が家光を慕っていることは振も既に知っている。
一方的な孝の片想い……家光は未だ誰にも心を開いていない。
それは側室である振、自らにも……。
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※柿の葉茶の下りは実際の歴史にはございません、悪しからず。
今更ですがフィクションです。
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