逆転!? 大奥喪女びっち

みく

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【新妻編】

193 顔が好き

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「振、お前は……そちら、手前へ」

「あ、はい」


 春日局の指示で振は言われた通り、孝達の向かい側に腰を下ろす。
 側室ならば付添人が居てもいいはずだが、振の傍に付添人は居ないようだ……。

 振……。

 孝は、春日局から“振”と呼ばれた男が、昨夜の家光の相手だということを上臈御年寄じょうろうおとしよりから聞いて知っている。
 ……直感で名を訊く前に、目の前の男がそうであると気付いていた。


「……あんたが振か……(どこかで会ったような……?)」


 振の姿にどこかで会った気がして、孝の瞳が彼を凝視する。

 はて、どこで会ったのだろうか。
 大奥は広いが、側室となるくらいだから、そこそこの役職に就いている者のはず。どこかですれ違っていても不思議ではない。

 ……とはいえ、今すぐに思い出せそうにない。


「おはようございます御台様。私は振と申し――」


 振が察したのか自ら名乗り始めたのだが……。


「振、もうすぐ家光様が参られる。私語は慎む様に。御台様も」

「はい、局さま」

「……はい」


 春日局に注意を受けてしまい、振と孝はそれぞれ目礼した。

 ……それから間もなく御鈴廊下の鈴がけたたましく鳴り始め、中奥側の扉が開かれる。


「……おはよう」


 家光がやって来るなりその場に居た全員が平伏し、面を上げるようにと彼女に声を掛けられてから顔を上げた。
 上体を起こした男達の顔は春日局以外、皆恵比須顔である。

 あの上臈御年寄でさえもうっとりしているのだから、孝は気分が悪い。
 毎日散々家光を悪し様に罵る癖に、彼女を前にしたら惚けた顔をするとは――。


(鼻の下伸ばしやがってむかつくなぁ……。)


 孝はちらと上臈御年寄の男を見やり、小さく舌打ちをした。


「おはようございます」


 春日局の一声で、その場に居た皆が口々に挨拶をする。


「……孝、なんか顔色悪くない?」

「……いえ、健勝に御座いますよ。……家光様は如何ですか?」

「あ、うーん……私もまあまあかな」

「そうですか……」


 挨拶を終えると、家光が孝の元へやって来て顔を覗き込んだ。
 孝の目の下には隈が――。

 いつもイケメンな顔が何だか疲れているような気がする……と、家光は気になったようだ。

 とにかく家光は孝の顔が好きである。
 こうして朝、家光が御鈴廊下に来ると、全体に挨拶を終えた後に孝の元へやって来て顔をじっと見てくるから、孝は自由にさせていた。

 仲直り後の会話も始めはぎこちなかったが、この顔のお陰でなんとかなったようなもの。


 ――あの時は確か……。















『……あんたって、本当イケメンだよね……この顔好きだわ。……はー……肌めっちゃ綺麗……、しばらく見ててもいい?』


 ……家光が興味津々で孝の顔を凝視している。

 仲直りはしたが、まだぎこちなさが残る朝の御勤め終了後の、ともに過ごす僅かな一時のことである。

 孝が御勤めを開始したその日から、御鈴廊下でも家光がじっと見てくるなとは思っていたが、特に何も言ってこない為、話し掛け辛いのだろうと放っておいた。
 春日局が席を外している間に“顔が好き”なんて、大きな愛らしい瞳に上目遣いでじっと見つめられ、孝はその瞳に一瞬で釘付けに……。

 明るい部屋の中、間近に見つめられ頬が熱くなるが、間近で見つめられるということは、こちらも間近で見つめることができるということである。

 孝から見下ろした家光は、光に当たると琥珀にも見える茶色い髪に、同様の瞳と、長い睫毛に愛らしい小さな鼻――。
 ぽってりとした柔らかそうな厚い桃色の唇に、白い頬はほんのりと赤みが差し、微笑みは天女のように神々しく、全てがきらきらと輝いているように見えた。


『顔が好き……? 俺が好きってことか……?』

『あ、ううん。顔だけなんだ……ごめん』

『顔だけ……そうか……』


 そんな孝の天女は、顔色一つ変えずに孝の顔が好きだと言うのだ。
 あくまでも顔だけだが……。

 はっきり告げられ落ち込んだものだが、顔だけでも好意的に見てもらえているならまだ好きになってもらえる可能性はある。
 その出来事以来、孝は毎日家光が好きな顔の手入れを欠かさないよう、早寝早起きを徹底していた。















 ……が、昨夜は無理だったのだ。


 家光が自らの手以外で女になるのがどうしても受け入れ難く、結局朝まで眠れずじまい。


 ……人の気も知らないで……などと孝が口にすることはない。
 どうせ言ったところで家光には伝わらないし、曲解されてまた口論に発展させるのは違う。

 家光の顔を見てみれば普段と何ら変わらないような気がするが、昨日は振と――、……そこまで考えて孝は家光を切なげに見上げた。

 自分の伴侶は側室を持つ女将軍。
 しかも、忌々しいことにこれから側室が増えるらしい。

 正室は己だというのに今は触れることが叶わず、形だけの夫婦として毎朝の勤めを果たすのみ。
 奥に留まると誓ったから家光に望まれるまで手を出せない。

 政略結婚という事実など関係なく、自らはもう――。
 恋い慕っているというのに。


「……孝? どうかした?」

「……あ、いえ……」

「そ?」


 家光が不思議そうに小首を傾げる様に、そんな仕草も可愛いと孝の頬はほんのりと赤らむ。


 ……やっぱりいつもと変わらない気がする……。

 孝から見た家光の様子が普段と変わらない気がする。
 昨夜家光が振と寝たとしても、正室である自分は妻のことが好きだ。


 目の奥が少し痛むが、孝は微苦笑して頭を振った。





 ……そうこうしている内に家光は踵を返し、今度は振の元へと向かう。
 孝がその背を苦し気に見ていたが、彼女が気付いている様子はない。


「……振、よく眠れた?」

「はい、お陰さまで……家光さまにおかれましては、本日も麗しく……」

「……えと……、もう聞いたよね?」


 振の元へ家光がやって来ると、振は家光しか見えていないかのように陶酔するような目で彼女に注目していた。

 振が頭を垂れようとすると、家光は手にしていた扇を口元に持って来て小さく声を発する。


「あ、はい……」


 三日後……再びの御渡りをするという、予約――。

 奥への御渡りは完全予約制となっている。事前に予約しておかねばならない決まりだ。

 家光が何を考え三日後にと決めたのか……振にはわからないが、振からすれば願ってもない新たな好機である。


「ふふっ。私、頑張るからね」


 恥ずかしいのだろうか。家光は一言告げると扇を開いて顔を隠してしまった。


「はい、家光さま……♡ お待ち申し上げております」

「うふふ、お手柔らかに……」


 喜びに満ちた笑顔で返事をする振に、顔を隠したまま耳を赤くする家光が振から離れる。


 ……孝はその様子を見ながら唇を噛みしめていた。
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