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【新妻編】
184 振の想い
しおりを挟む「っ……振……」
――うっわぁ……振ちゃん、色っぽぃぃ……めっちゃ好い匂いがするぅうううっ!!
顔を上げた振の姿に家光は息を呑む。
昼に会った振はいつも通り優しい中世的な美人だったのが、今はどうだ――。
振……、彼は少し衿を着崩しており、その隙間から覗く白く滑らかな肌と、鎖骨が妖艶に見える。
顔を上げた際、動いた長い髪から甘い香りが解き放たれ、家光の鼻を擽った。
彼は長い睫毛をゆっくりと瞬かせ、家光を真っ直ぐ見上げて薄っすらと唇で弧を描く。
一瞬、男だと忘れてしまいそうになるが、女とも違うその美貌――。
よくあるファンタジーな異世界の美しいエルフかなんかと見間違うのでは……?
……家光は振の姿に見惚れてしまった。
そして自らの頬が熱くなるのを感じ、途端、緊張からなのか心臓が早鐘を打ち始めてしまう。
(ど、ど、どうしよう……私、これからこんな綺麗な人に抱かれるんだ……!?)
腋やら、額やらから汗が噴き出しているのがわかり、家光はそれ以上会話を続けられずに黙り込んだ。
……そんな家光を見つめていた振が先に口を開く。
「……今宵、大役を仰せつかった振に御座います。家光さま、まずは軽くお食事でも致しましょう」
「へ……? あ、うん……」
振の発言に春日局が「はぁ」と小さく溜息を吐いていたが、こうして家光は彼の気遣いにより食事を摂ることになったのだった――。
◇
家光と振は、今宵過ごす閨までやって来ると、奥の部屋に隣同士設けられた膳の前にそれぞれ腰を下ろした。
「……急なことで驚かれたとお聞きしました」
「え? あ、あはは……急って……本当は急じゃないんだよね? 忘れてたのは私なんだし……。ただ振ちゃん、昼餉の時に何も言ってなかったから……びっくりしたっていうか……」
――何で振ちゃんは黙ってたのかな……。
前もって言ってくれれば……と家光が考えている間に、振が酒をお酌してくれる。
普段夕餉はたまにしか食べない。
いつもは八つ時に菓子や軽食を食べ、湯浴みを済ませて書物などを読んだりして眠るのが日常――。
そんな八つ時の菓子や軽食が現代で言うところの所謂“おやつ”というわけだ。
今日もおやつはしっかりと食べたが、既に消化は終えて腹が空いている。
夕餉には酒が出る――久しぶりではなかろうか。
……膳には普段の質素な食事に加え、酒の肴が一品二品用意されていた。
「申し訳御座いませんでした。私から申し上げて午後のご公務に支障が出てはと思い、お知らせを控えさせていただきました」
家光の楽し気な食事風景を見ていたかった振は、今夜のことを言い出すことができなかったのだ。
……初夜の出来事を振は知っている。
家光が暗い記憶に苛まれているのであれば、前もって知らせるよりも直前に知らせた方が良いと判断した。
……今宵、振は自らが家光を先導せねばならない。
祖父である古那からも、春日局からもそう言い付けられている。
彼女がいつまでも純真無垢のままではいられないことも理解しているし、家光と出掛けたあの日に、自身が側室候補だと聞いて喜んだ。
更に、初めての栄誉に預かれるとは……思いも寄らない僥倖――。
ただ、問題が一つある。
家光に恐怖を抱かせず、尚且つ最後まで至らねばならない。
そんな大役を得たというのに、振は……。
……まだ生娘ならぬ、生息子なのだ――。
正室ですら至れなかった契りに本来なら重圧が凄いのだが、振は落ち着き払った様子で家光に申し訳なさそうにはにかむ。
「あっ、そ、そうだったのね……。うん……そぉ……だよね……」
――振ちゃんてば、落ち着いてるなぁ……、こんだけ綺麗な人だもの、きっと経験者だよね……って、あぅ。
振の様子に家光は彼の眼から逃れ、つい首元に視線が移ってしまった。
細身だが均整の取れた振の大胸筋が僅かに見えて、家光の頬が熱くなる。
(当たり前だけど、振ちゃんも男の人なんだな……)
……家光が気まずさに猪口を傾け、いつもより薄めの酒が空っぽの胃に届くと“かっ”と熱くなる。
酔ってしまえば少しは緊張も解れるだろうか……。
……家光は注がれた酒を一気に飲み干した。
「家光さま」
「う、ん?」
「……今宵はどうぞ私にお任せ下さい」
「ぁ……、ぅん……」
家光の緊張が解るのだろう、振が穏やかな瞳で見つめてくる。
だが、家光の顔は強張り返事は小さかった。
まだ酔えるほど飲んでいない。
もっと飲んで酔っ払ってしまえば、訳が分からない内に終わるのでは……?
……などと家光は“おかわり”とばかりに猪口を振の前に突き出した。
「……私では役不足でしたでしょうか……」
――家光さま、やはり緊張されているご様子……。
振の目蓋が伏せられる。
徳利を持つ振の手が、空になった家光の猪口に近付くが、彼は注ごうとしてその手を止めた。
多少ほろ酔い気分で緊張が解れればいいとは思っているが、酔っている間に済ませてしまう……ということはしたくない。
今宵の為に事前に読み込めと言われた書物の一文に、“酔わせてその気にさせる”などという不埒なことが書かれていたものの、それは自らの美学に反する。
……そうしたならば朝を迎えた時、家光が傷付くのは容易に予想がつく。
それに、できれば意識のしっかりした家光から自らを求めて欲しい――。
本来なら御鈴廊下を出て、すぐに閨に向かい、今頃同じ褥で横になっていたことだろう。
がちがちに固まった家光に無造作に触れて、嫌がる彼女をこの手に抱く。
……それが世継ぎのためだけならそれでいい。
だが、振の気持ちはそれだけではなかった。
春日局には信頼されているのか、今夜御伽坊主はいないからある程度好きにして構わないと言われている。
御伽坊主がいれば翌日御年寄達に報告がいく。昨夜はどういう状態だったかなんて全て報告されては堪ったものではない。
正室なら拒否できるものだが、側室との間に御伽坊主を立てないというのは特別な計らいである。
だから振はそれならと、今宵の進行を自らに一任してくれるよう春日局に申し出ていた。
春日局も家光にはいい加減業を煮やしているのか、一瞬迷いを見せたが承諾してくれたのだ。
こうしてたまにしか食べない夕餉を準備させたのはその一環。
こと閨事において家光から動くことがないから、これは仕方のないことである。
『夕餉など食べて、眠気に負けお休みになられたらどうする』
……夕餉の件は前もって知らせておいたものの、そう眉を顰める春日局には先程御鈴廊下でも溜息を吐かれた。
さっさと進めて欲しいとのことなのだろう。
なれど、振は家光をどうにか口説き落としたい。
自らを求めて欲しい――。
側室という立場上、決して口にはしないが、家光の口から自らを求めてくれることを振は願っていた。
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