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【新妻編】
154 薊推し
しおりを挟む(あれ……? 誰か居る……?)
中に人の気配がしたが、ここは中奥。
城外でも、表(※)でもないため、特に警戒もせずに家光は中へと足を踏み入れる。
「全く、貴女という方は。騒々しいですね……」
部屋の中から呆れ声が聞こえると、その声の主が誰であるか家光には直ぐ解った。
「福……! 人の部屋で何してんの!?」
家光が声の主に気付いて問い掛ける。
文机の前では春日局が冊子をぱらぱらと捲って眺めているではないか。
「家光様、お独りでお戻りですか? 正勝と一緒はお嫌でしょうから兎も角、風鳥にでも先導させませんと……不用心にも程があります。灯りが漏れていたのがお判りでしょう? 部屋に誰が潜んでいるかわかりませんよ?」
――先日、常に命を狙われているのだと教えたばかりだというのに……。風鳥も何故申し出ない……?
春日局の片眉が上がった。
傍に寄って来る家光に説教しながらも、春日局は不愉快そうに眉を顰め天井を“きっ”と睨み付ける。
……天井裏で部屋を覗いていた風鳥が苦笑いを浮かべていたことは言うまでもない。
「風鳥が常に傍にいるなら一緒でしょ。監視されてるって思いたくないの。それに、国松派とか反体制派の人達は昼間しか出入り出来ないし、中奥で謀反を起こすような度胸のある人物って居るの?」
「貴女という人は……ああいえばこう言う……、……はぁ」
家光の返しに春日局が口をへの字にし小さく溜息を吐く。
と、家光は満面の笑みを浮かべていた。
命が狙われているとは教えてはもらったが、その方法は大体が食事に毒を……というやり方であり、毒見が行われるため最近では減っている。
そして直接襲われたことはほぼない。
“……将軍の住まう中奥に危険が及ぶような人員配置なんて福がするわけないよね?”
彼女の笑顔には春日局に対する全幅の信頼が寄せられていた。
「……へへっ。いつも私を守って下さってありがとうございます、お義父さま」
「…………はぁ、調子の良いことを……」
文机の傍にやって来た家光に、春日局は溜息を吐きつつも彼女の頭をぽんぽんと撫でたのだった。
「……で、福はここで何してたの?」
さて、本題……とばかりに家光は訊ねる。
すると春日局は手元の冊子に手を置き口を開いた。
文机の上には春日局が持つ冊子と似たような冊子が二冊置かれている。
「ああ……、椿の字を確認していたのです。こちらは以前家光様が書いたもので、こちらが本日椿が書いたものです」
春日局は机上の冊子の一冊を手に取り、適当にぱらぱらと捲って広げ家光に見せ、また、手元の冊子も同じように捲って見比べられるように広げると、家光にそれを手渡した。
「……おお……、これ、椿ちゃんが書いたのか。あはは……、まあ……及第点かな……」
――今日これを書いていたということかな……?
春日局から渡された冊子の字と、文机にある自分の字を見比べると…………、まあ、似ていなくもなくもない……?
……前世よりは上達した現在の自分の字。
なんとなく、椿の文字は転生前の自分の書いた字に似ているようなが気がする。
椿はつくづく憎めない娘だな……と、密かに家光は好感を持ち、目を細めるのだが、そんな家光とは裏腹に春日局の表情は つんと冷たく無表情のそれだった。
春日局のこういう顔の時は、不満がある時である。
「…………もう少し精進させた方が良いでしょうね。家光様、こちらが薊の書いた字です」
春日局は文机に残った閉じられた一冊を手に取り、先程と同じように無作為に捲って広げてみせる。
そこには今の自分と同じ筆跡で書かれた文字が並んでいた。
「…………? あれ、これ私の字……?」
――コピーしたみたいにそっくり……。
あまりに自分とそっくりな文字に家光は驚いてしまう。
冊子の中で同じ一文を見つけ見比べてみると、まるで なぞり書きしたかのように文字の大きさまで同じに見えた。
「いえ、これは薊の書いたもの。薊は家光様の筆跡を経った一日で習得しました。……彼女は中々優秀のようです」
「へえ……薊って凄いんだね……」
春日局の話に感心し、家光は薊の書いた字を一文字一文字 自分の文字と見比べる。
見れば見る程そっくりだ。
「……彼女は勤勉で頭の回転も速い。影だけで使うには勿体無いかと……。近々家光様の補佐もやらせようと思っております」
「え……仕事って……政ってこと……?」
「はい、家光様のお許しが頂けるのであれば、本人も家光様に忠義を尽くしたいとのことでしたので。彼女がいれば家光様はいつでも安心してご懐妊出来ますよ」
……春日局が薄っすらと口の端を上げてみせていた。
京都から江戸城に戻り、半月以上経ってはいるが、まだ家光は政に殆ど携われていなかった。
いや、携わってはいるのだが……。
秀忠が、「家光が世継ぎを一人産むまでは、政は儂に任せよ。安心して励め」と表向き新婚の娘を思いやる有難い言葉をくれたのだが……、正室の孝との子は必要ないわけで……。
それは、秀忠が政務を奪われたくないが為の上手い口上なのである。
秀忠は家康の生きていた頃に出来なかったことを、今になって実現させようと躍起になっていた。
とはいえ、いずれは家光に仕事を引き継がさねばならない。家光に何もさせないわけにも行かず、決裁書の確認や、毎回ではないが会議の参加はさせている。
そんな ほんの一部だけの仕事なのだが、秀忠がやりたくない分を回すため、それらを処理せねばならない。
これが中々大変だった。
しかも回される仕事の全ては秀忠独断で決めたものであり、家光の意見は一切反映されていないものばかりだ。
家光は持ち込まれた書類に目を通し、承認をするだけなのだが、ただ承認すればいいというものでもない。精査せねば割を食うのは民達である。
それはさながら上司が自分のやりたい仕事だけをやり、したくないことは部下に丸投げ……の図であった。
後で問題が起きたら家光の所為にされるのは明白。一つ一つ丁寧に対処していくほかない。
正盛と重澄が手伝ってくれてはいるが、量が多く、捌くのも一苦労。正直補佐が増えるのは有難かった。
将軍と同じ文字が書けるのであれば、家光は目を通すだけでよくなり、承認の書類は薊に頼めるではないか。
出来上がったそれにも一応目を通さねばならないが、毎回自らが書くより時間に余裕が出来るはずだ。
全国から毎日のように上がる嘆願書等々、承認待ちの処理が捗ることだろう。
そして、今家光の優先度が一番高い仕事は後継ぎを設けることである。
子作りを推奨するのに、正室の子は要らないとは……、何とも矛盾している。
側室も今はおらず、家光はまだ生娘のまま。
……子など出来ようもない。
秀忠は言葉では家光を気遣う振りをしておきながら、裏で彼女をこき使っていたのだ。
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※表(おもて):政務に関する仕事を行う役所
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