逆転!? 大奥喪女びっち

みく

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【新妻編】

144 初めての影武者は……?

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『……あの……、今日こそお背中をお流ししたいのですが……』


 ぎっ、と。


 湯殿の戸が軋む音が聞こえる。


「っ、入って来ないで! 自分で出来るからっ!!」


 家光は大声で怒鳴り、近くにあった桶に湯を入れ戸に向けて勢いよくぶっかけた。


 ばしゃんっ!


 戸が湯で濡れて大きな染みを作ると、家光の剣幕に男の声が怯む。


『っ、そう……ですか……。では私はこちらで控えて……』

「っ、そこからも出て行って!! 入って来たら怒るからね!!」

『っ、家光様……、そんな……』

「二度は言わないって言ったでしょ!!」

『っ、も、申し訳御座いません……。それでは失礼致します……』


 かたっ。と戸から手が離れ、僅かに床を踏む音が聞こえ遠ざかる。
 姿は見えなかったが、声が今日の湯殿番の男であった。


 この二週間、家光は湯殿番を締め出し独りでバスタイムを満喫している。
 本来なら春日局が黙っていない事柄ではあるが、初夜での一件で何だかんだと家光に甘い春日局は黙認している様子。
 いつになるかはわからないが、その内湯殿番に身体を洗わせるのを再開させるつもりだろう。

 風呂に独りで入るなど、幼い頃からあってはならないことだった。
 何かあっては……と、誰かが必ず付き添い身体を洗ってもらう。
 毎日午前中にも医師の診察があるのだが、湯浴みの時間は一日の終わりの健康観察の意味合いもあった。

 家光もそれはわかっているが、封印が解かれてしまった今、羞恥心が勝ってとてもではないが誰かに風呂に入れてもらうなど冗談ではない。
 春日局が黙認してくれている間は独りで入ろうと決めているのだ。


「……この、お風呂も誰かに入れてもらうっていうのさえなければバスタイムも嫌いじゃないんだけどな~……」


 ――私、よく平気で正勝とお風呂に入ってたな……!!


 正勝の身体……良かった……って私は一体何を……。
 正勝はお兄ちゃんでしょうが……!!

 旅の間、福にも入れてもらったっけ……。
 福もいい身体してたな……って、私は義理とはいえ父親に何を……!!


 ふと正勝と春日局の身体を思い出し、家光は顔を両手で覆って首を左右に振った。
 普段着物に覆われ見えない引き締まった身体を思い出すと鼓動が逸る。


 ――今思い出さなくても……!!


「……お風呂くらい、ゆっくり入りたい……(何も考えるな……!!)」


 家光はその気になれば恐らく誰とでもやれる。
 江戸城にはイケメンが山程いて選び放題。

 そんな誰もが羨む身分の自分だが好みの顔な筈のイケメン、孝であっても出来なかった。
 顔の好みと実際の好きとは異なるのだということを身を以て知った。

 孝の謹慎はいつまで? 側室はいつから?


 ――初めては好きな人と……か。


 家光のその願いは叶うのだろうか。
 世継ぎが出来るのは早い方がいい、春日局がいつまでも待ってくれるとは思えない。
 彼は家光に甘いが、時に厳しい人でもある。


「……城下でいい人に逢えたらいいなぁ……」


 ――望み薄よね……。


 ぶくぶくぶく。


 家光は湯船に口元まで浸かると息を吐き出す。
 湯は気泡を立てていた。

 明後日の振との物見遊山でいい出会いを期待しつつ、家光は薊と椿のどちらに影武者を頼むか考え、その日の夜は更けて行った。









 そして、あっという間に明後日。
 振と城下に出掛ける日である。


「ふわぁぁ~……いいお天気~!!」


 本日は晴天也。
 家光は大きな欠伸と共に思い切り背伸びをした。

 そんな彼女は小袖に身を包み、頭には頭巾、財布の入った巾着袋を手にして影武者代わりが来るのを今か今かと、普段過ごしている御座之間ござのまを出た廊下で空を見上げ待っていた。

 一昨日と昨日、色々と考えた末に将軍職に就いて初めてのお忍びには急ぎの仕事もないため、椿に代わりを頼むことにした。
 椿は薊とは違い不安が付き纏う。早めに慣れてもらう意味も込めそうしたのである。


(椿ちゃんとは仲良くなれそうだし……、いいよね……?)


 家光が廊下に腰を下ろししばらく待っていると、どたどたどた……廊下を誰かが大きな音を立てて駆けて来る。


「……あっ、家光さま~! 遅れてすみませ~ん……!!」

「ちょっ!?(家光さまって呼んじゃダメぇ~~!!)」


 家光本物が声に振り向くと、椿……いや、今は家光の姿の偽者が笑顔でやって来ていた。
 家光偽物の後ろには正勝が付き添っており、額を抱え「はぁ」と嘆息している。


「はぁ、はぁ、家光さま、遅くなりまして申し訳御座いません……! お化粧に手間取ってしまい……」


 椿は家光の元に辿り着くなり深々と頭を下げた。


「っ、椿ちゃん! ちょ、ちょっと中に入ろうか……!」

「あっ、はいっ!」


 家光は慌てて椿の手首を取ると御座之間へと彼女を連れ込んだ。
 正勝も急いで中へ……襖を閉じる。


「あのね、椿ちゃん……」


 ――今、家光の貴女が廊下で私を“家光さま~”なんて呼んじゃダメでしょ……。


 御座之間に入ると家光は椿に説明しようとしたのだが。


「はいっ! 何でしょう? あっ、そうだ。本日は御指名いただき有難う御座いますっ! 精一杯務めさせていただきますので宜しくお願い致しますっ!」


 椿は嬉しそうに弾けるような笑顔を見せた。


「あ、うん……(何だこの子、可愛いな……!!)」


 ――あれ? 私と同じ顔なのに なんか可愛いくない……!?!?


 明るい椿の笑顔に家光はつい見惚れてしまい、伝えようとしていたことを告げられなかった。


「っ……(家光様の笑顔は久しぶりだ……! なんとお可愛らしい……)」


 ――いやっ、彼女は家光様ではなく影武者だ……!!


 付き添い人の正勝の頬がほんのり紅く色付いたが、“はっ”と我に返る。
 椿は化粧の所為もあるが、見目だけは家光に瓜二つなのだ。


「本日はつば……私がここに居りますので、どうぞごゆるりとお過ごしになさって下さいませ」

「……こほんっ! ……私が傍で助力します故、ご安心下さい」


 椿が背筋を伸ばし、にっこり。
 穏やかに目を細めると、正勝も一つ咳払いをして頷いた。


「ありがとう。じゃあ、今日は宜しくね。夕方には戻るね」


 ――ちょっと心配だけど……正勝が付いてくれてるなら大丈夫かな。


 家光は「ふふっ」と二人に笑みを向けて襖を開く。


「「いってらっしゃいませ」」


 椿と正勝に見送られ、家光は振との待ち合わせ場所へと向かった。
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