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【新妻編】
128 御鈴廊下
しおりを挟む「白橿……久しぶりだね。元気だった?」
家光は白橿の手を取り微笑む。
「はい、お陰様で……。家光様のお話は表でも時々伺っておりました。春日局様の元で健やかにされていると……」
白橿も家光の手をそっと握り返すと、優しい目付きで口角を上げた。
「ふふっ、昔はよく熱を出してたよね。私が熱を出す度、白橿真っ青になってたもんね」
「……こうして、家光様のお顔を見られ……また、初夜の御伽坊主という大役を頂き、白橿……これ程嬉しいことは御座いません」
家光が懐かしい記憶を話すと白橿の頬から一筋の涙が伝う。
……感動しているらしい。
「あはは……。そう……?」
――乳母といえば母親も同然なんだけど……、母に初めての性交を監視されるってどうなんだろうか……。
家光は何とも言えない気分になってしまった。
「家光様、そろそろ……」
家光と白橿の会話を聞いていた正勝が失礼と思いつつ、断りを入れて来る。
「あっ、そうだね! 正勝、今夜はよろしくね!」
「……お任せ下さい。準備は整っております故……」
家光が正勝に明るく告げると、正勝は含み笑みを浮かべ静かに一度だけ深く頷いた。
「…………、うん」
――絶対バックレてやるんだから……!!
そうして家光は月花に見送られ自室を後にした。
◇
「そういえば福は居ないのね……」
「春日局様ならこの先に」
自室を出て廊下を進み、家光が呟くと正勝が教えてくれる。と、大きな錠の掛かった襖が見えて来た。
襖の左右傍らには裃姿の武士(男)が一人ずつ立っている。
「この先って……、あ。ここって……!」
――まさか、有名な御鈴廊下!?
家光は昔、大奥から中奥に行く際に春日局に連れられ、ここを通ったことがある。
あの時、“……いつかここを通って大奥に通うのか……”と思ったものだったが、こうして実際に体験する日が来たとは……。
「家光様をお連れしました」
「暫しお待ち下さいませ」
家光が御鈴廊下をまじまじと眺めている間に、正勝が武士達に告げる。
すると、武士達は大きな鍵を錠の鍵穴に挿し、解錠した。
“がちゃん”
辺りが静かだからなのだろうか、大きめの解錠音を立て錠が開くと、取り除かれた。
「家光様、参りましょう。灯りが先を行きますので、後に続いて下さい」
「うん」
――いよいよか……。
部屋を出る時に月花には「ご武運を!」と送り出されている。
武士二人が襖を開くと、提灯を持つ女性の後に家光は続いた。
御鈴廊下を歩いて行くと、廊下の中程に春日局が端座し家光の姿を見るなり身体を伏せる。
「あ、ふ……」
「……家光様、今宵は初夜に御座います。どうぞ、くれぐれも抵抗などなさらず、孝様に御身を委ねられますよう……伏してお願い申し上げます」
家光が春日局に声を掛けようとすると、春日局は伏せたまま云い切った。
「っ……!? ちょっと福。例の話はどうなったワケ!?」
突然の発言に驚き、家光は春日局に歩み寄り小声で訊ねる。
――逃げていいって話じゃなかったっけ!?
すると、春日局はゆっくりと頭を上げた。
「……例の話で御座いますか……はて? 何の事で御座いましょう?」
「っ、何っ!?」
凛として姿勢を正し、涼しい顔で春日局が恍けると、家光は目を見開く。
「……私は本日より、将軍様御局に任命されました。それにより、お江与の方様の下で大奥の公務を取り仕切るよう命ぜられております。家光様への夜伽も滞りなく終えられるよう、孝様には指導しておりますので、ご安心を」
「っ!!??(そんな話だったっけ!?)」
春日局が表情を変えることなく宣うので、家光は眉間に皺を寄せた。
「……っ、そ、そう……。福はそれでいいのね……?」
――福が味方になってくれないんじゃ、逃げても私が責められるだけじゃん……。
婚儀の前に云っていたことは何だったの?
新しい役職に就いたのはわかったけど、今更自分の立場が惜しくなったわけ?
春日局はいつも自分の味方だと思っていたが違ったのか……、と家光は落胆してしまう。
言うことがころころ変わる、春日局は毎度動きが読めない男である。
「ッチ」
――腹を括らなきゃダメか……。
家光はつい舌打ちをしてしまった。
が。
ふと、春日局の隣に見慣れない男が伏せていることに気付く。
「どうぞ、ご安心を。……ささ、孝様がお待ちですよ」
春日局は“ご安心を”と二回も告げて、家光に先へ行くよう促す。
「……フン。わかったわよ……!」
家光は春日局から離れ、家光を待っていた灯り持ちの元へと戻る。
と、
「あぁ、家光様!」
不意に春日局が立ち上がり、家光に駆け寄った。
「ん? 何よぅ……?」
「御髪が少々……、失礼致します。これでは孝様にがっかりされますよ…………――……――……」
春日局は家光の髪に触れ、崩れている部分を直す。
その際にこそこそと小声で家光に呟き、離れた。
「……っ……、ありがとっ……、じゃあ……頑張って来るわ……」
髪を直してもらった家光は、その場で見送る春日局に軽く手を振り背を向ける。
“私の隣に居た男は鷹司家の間者です。……貴女のすることは総て正しいのです……。”
「……ふふっ♪(やっぱり味方なんじゃない!)」
こっそりと告げられた春日局の言葉に、家光は ほっとして御鈴廊下を進んで行った。
家光が機嫌良く御鈴廊下を行く背を、春日局は優し気な瞳で見送る。
「春日局殿……」
「……何でしょう?」
音もなく先程 春日局の隣に座っていた男が立ち上がり、傍に寄って来ると春日局はツンと冷たい瞳で男を見た。
「春日局殿は家光様可愛さ故、孝様を毛嫌いされているかと思っていたのですが、杞憂でしたね。よくぞ家光様を宥められましたな」
上洛の際の一件を知っているのだろう、男は家光が孝を嫌がっている事がわかっていた様子で、うんうんと首を縦に何度も下ろす。
「……私の個人的な感情は関係御座いません。夜伽は夫婦の務めに御座います。孝様程の若い御方ならば、家光様を満足させられると思ったまで……」
春日局は、孝を毛嫌いしているという部分は特に否定せず、“夫婦の務めだからしょうがない。若造が家光様を満足させられるとでも思っているのか? そもそも今夜はお預けだ。”と皮肉を込めて、目を細めて生暖かい視線を男に送ってやった。
「ええ、ええ。孝様ならご期待に沿えましょう。今宵、家光様が孝様と事を成され。御子が出来ましたなら、益々徳川は安泰ですなぁ……いやぁ~、鷹司家としても喜ばしい限りですよ」
男は春日局の意図など読めていないのだろう、早くも世継ぎの話を始める。
「…………フッ。失礼致します」
――何を夢見ているのかは知らないが、そんな御子など生まれようはずもない。
春日局は鼻で笑って、御鈴廊下を歩き出した。
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