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【新妻編】
118 紅を差す
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「……ふぁあああ……、っと」
大きな欠伸を噛み砕き、家光は白無垢へと着付けを施されていく。
本来ならばこんな悠長に欠伸をしている場ではない。緊張や高揚感に満ち溢れていてもいい晴れの日だ。
そう、今日は婚礼の儀が執り行われる大安吉日。
婚礼の儀といえば、生涯の伴侶との大事な祝事である。
なれど、相手は家光にとっては好きでもない……というより、忌み嫌う人物。
幼い自分に呪いを掛けた因縁の君、孝なのだ。
歳も歳だから、政略結婚は自分の立場上仕方ないとは思っていたものの、まさか相手が唯一心の底から苦手とする男だとは思いもしなかった。
「…………はぁ」
家光の口から小さく溜息が漏れる。
やはり気乗りはしなかった。
いつもなら春日局か正勝が着付けを行うはずなのに、今日に限っては朝から全て女性の手で手入れされ、飾り立てられていた。
朝から美しく磨き上げられた肌の上に、肌襦袢、裾よけ、長襦袢、半襟……と、順に花嫁衣装が身に付けられていく。
その毎に逃げられない現実が迫って来るようで家光はちょっぴり涙目になってしまいそうになった。
これがマリッジブルーってやつか……。
恐らく違うが、家光は珍しく姿見の自分を見ていた。
普段は着ない着物だからか、何だかいつもより可愛く見えるような気がしてぽつり。
「…………あれ? 私、可愛くない?(結構イケてるんじゃ……?)」
「とてもお美しいですよ」
家光の呟きが着付けをする女性に聞こえたのか、優し気な瞳で褒めてくれたのだが、
「馬子にも衣装ってやつかなぁ……」
この着付けしてくれる人めっちゃ綺麗だし、お世辞なんだろうな。
どうせ何着たって“ブオンナ”って言われるんだー……。
“ブオンナ”の呪いに掛かり、すっかり捻くれて成長した家光には褒め言葉など届かなかった。
着付けを行っている女性は弱り目である。
その内に、掛下を身に着け、懐剣・筥迫(※小さな小物入れ、現代でいう化粧ポーチみたいなもの)・末広・丸ぐけ・抱え帯といった花嫁五点セットを掛下帯等に着けていく。
あとは打掛(白無垢)を羽織り、綿帽子を被れば婚礼衣装は出来上がりだ(式は当然和式である)。
「…………せめて好きな人と、……っ」
姿見に映る泣きそうな顔の自分に、家光は喉を詰まらせる。
――婚礼の儀が終わったら初夜が待っている。
初夜か。
初めては好きな人と……、は、我儘なのかなぁ……。
「はは……」
やっぱりマリッジブルーかな、と家光は自嘲した。
「家光様、最後に紅を差しましょう」
「紅……。……あ、そうだ、そこの引き出しに……」
家光は以前元服前に伊達政宗から贈られた紅を思い出し、それを使ってくれと女性に頼む。
すると、女性は言われた通りに引き出しから小さな花柄の陶器の入れ物を取り出すと、家光の元へと戻って来た。
「洗練されていてとても素敵な紅入れですね。どなたかの贈り物ですか?」
「あ、わかる? ふふっ、そうなんだっ。それを身に付けたらちょっとは気分も晴れるかなーって」
ははん、どうだ孝っ。
別の男からプレゼントされた口紅を塗って結婚してやるっ!
これをつければ政宗がすぐ傍に居る気がする。
これで少しは溜飲も下がるというもの……おじさま有難う、と、家光の落ち込んだ気分が僅かに上がった気がした。
女性は紅入れの蓋を開け、紅筆で紅を取り家光の唇にのせる。
「まあ……、何て鮮やかな色でしょう……(きらきらと輝いて……)」
家光の唇に赤く輝く紅に女性が“ほぅ”と頬に手を添え溜息を吐く。
その紅は家光の為にあったのかという程に、彼女の魅力を最大限に引き出していた。
いつもどこか無垢な少女を思わせる家光だのに、この紅を差しただけで妖艶な色香を纏わせた大人の女に変わっているではないか。
祝言などで方々へ出向き着付けや化粧をしている身なれど、このように輝き艶のある紅は珍しい。どこで手に入れたのかはわからないが、恐らく希少品なのだろうと、女性は贈り主が少し気になってしまった。
家光の相手がどうというよりは、その紅は何処で手に入るのか、そっちが気になって仕方ない。
「とてもよくお似合いですわ、家光様」
「……うわぁ……」
何だか自分じゃないみたい。
家光は鏡に映った大人びた自分にナルシストではないが、見惚れてしまう。
「……あの、家光様。大変、恐縮なのですが……」
姿見の自分に見惚れる家光に、女性がおずおずと声を掛けた。
「ん……?」
「こちらの紅は……どなたに……?」
「え……、あ。それは……」
家光が教えようと口を開くと……、
「…………、これは、また…………」
「ん……? この声……、福?」
春日局の声が聞こえた気がして振り返る。
返り見たそこには家光の背後、開いた襖の前で目を丸くし固まったままの春日局がぼぅっと立ち尽くしていた。
「…………っ、…………」
「ちょっと! 何で黙っちゃうのよ!?」
紅を差し終え準備が整った家光は、春日局の元までやって来て彼を見上げる。
「ちょっと、福、聞いてんの? 何固まってるのよ」
「…………っ、……いえ、これほど……までとは…………」
春日局は口元を手で覆い隠し、信じられないものでも見たように一層目を大きく見開いた。
「はぁ? 似合わないって? 馬子にも衣装でしょ? わかってるってっ」
「何でそうなるんですか!」
家光が不機嫌そうに両手を宙に向けて“ふ~、やれやれ”と頬を膨らますので、春日局はすぐさま否定だけしておいた。
「えー……、じゃあ似合ってるぅ?(なんてね~!)」
へへっ、と家光は手を合わせ少し斜めに傾けると、あざとく上目遣いで春日局に訊ねてみる。
すると、
「…………ええ、似合っていますよ。家光様。あなたはこの世の誰よりお美しい」
春日局は、なんと!
瞳を穏やかに細め、はにかんだのだった。
だが、その瞳は少しだけ牡を覗かせるように冷ややかさも孕んでいて……、
「っ!!? な、何!?」
女を見るような春日局の瞳に、家光の背筋がぴんっと伸びる。
ちょっぴりドキッとしてしまった。
ところが、次に春日局は。
「……あの世は家康様が一番ですがね」
「はいはい、ご馳走様。知ってたわ」
春日局は“ふっ”といつものように冷笑するので、家光は軽く二、三度頷いたのだった。
大きな欠伸を噛み砕き、家光は白無垢へと着付けを施されていく。
本来ならばこんな悠長に欠伸をしている場ではない。緊張や高揚感に満ち溢れていてもいい晴れの日だ。
そう、今日は婚礼の儀が執り行われる大安吉日。
婚礼の儀といえば、生涯の伴侶との大事な祝事である。
なれど、相手は家光にとっては好きでもない……というより、忌み嫌う人物。
幼い自分に呪いを掛けた因縁の君、孝なのだ。
歳も歳だから、政略結婚は自分の立場上仕方ないとは思っていたものの、まさか相手が唯一心の底から苦手とする男だとは思いもしなかった。
「…………はぁ」
家光の口から小さく溜息が漏れる。
やはり気乗りはしなかった。
いつもなら春日局か正勝が着付けを行うはずなのに、今日に限っては朝から全て女性の手で手入れされ、飾り立てられていた。
朝から美しく磨き上げられた肌の上に、肌襦袢、裾よけ、長襦袢、半襟……と、順に花嫁衣装が身に付けられていく。
その毎に逃げられない現実が迫って来るようで家光はちょっぴり涙目になってしまいそうになった。
これがマリッジブルーってやつか……。
恐らく違うが、家光は珍しく姿見の自分を見ていた。
普段は着ない着物だからか、何だかいつもより可愛く見えるような気がしてぽつり。
「…………あれ? 私、可愛くない?(結構イケてるんじゃ……?)」
「とてもお美しいですよ」
家光の呟きが着付けをする女性に聞こえたのか、優し気な瞳で褒めてくれたのだが、
「馬子にも衣装ってやつかなぁ……」
この着付けしてくれる人めっちゃ綺麗だし、お世辞なんだろうな。
どうせ何着たって“ブオンナ”って言われるんだー……。
“ブオンナ”の呪いに掛かり、すっかり捻くれて成長した家光には褒め言葉など届かなかった。
着付けを行っている女性は弱り目である。
その内に、掛下を身に着け、懐剣・筥迫(※小さな小物入れ、現代でいう化粧ポーチみたいなもの)・末広・丸ぐけ・抱え帯といった花嫁五点セットを掛下帯等に着けていく。
あとは打掛(白無垢)を羽織り、綿帽子を被れば婚礼衣装は出来上がりだ(式は当然和式である)。
「…………せめて好きな人と、……っ」
姿見に映る泣きそうな顔の自分に、家光は喉を詰まらせる。
――婚礼の儀が終わったら初夜が待っている。
初夜か。
初めては好きな人と……、は、我儘なのかなぁ……。
「はは……」
やっぱりマリッジブルーかな、と家光は自嘲した。
「家光様、最後に紅を差しましょう」
「紅……。……あ、そうだ、そこの引き出しに……」
家光は以前元服前に伊達政宗から贈られた紅を思い出し、それを使ってくれと女性に頼む。
すると、女性は言われた通りに引き出しから小さな花柄の陶器の入れ物を取り出すと、家光の元へと戻って来た。
「洗練されていてとても素敵な紅入れですね。どなたかの贈り物ですか?」
「あ、わかる? ふふっ、そうなんだっ。それを身に付けたらちょっとは気分も晴れるかなーって」
ははん、どうだ孝っ。
別の男からプレゼントされた口紅を塗って結婚してやるっ!
これをつければ政宗がすぐ傍に居る気がする。
これで少しは溜飲も下がるというもの……おじさま有難う、と、家光の落ち込んだ気分が僅かに上がった気がした。
女性は紅入れの蓋を開け、紅筆で紅を取り家光の唇にのせる。
「まあ……、何て鮮やかな色でしょう……(きらきらと輝いて……)」
家光の唇に赤く輝く紅に女性が“ほぅ”と頬に手を添え溜息を吐く。
その紅は家光の為にあったのかという程に、彼女の魅力を最大限に引き出していた。
いつもどこか無垢な少女を思わせる家光だのに、この紅を差しただけで妖艶な色香を纏わせた大人の女に変わっているではないか。
祝言などで方々へ出向き着付けや化粧をしている身なれど、このように輝き艶のある紅は珍しい。どこで手に入れたのかはわからないが、恐らく希少品なのだろうと、女性は贈り主が少し気になってしまった。
家光の相手がどうというよりは、その紅は何処で手に入るのか、そっちが気になって仕方ない。
「とてもよくお似合いですわ、家光様」
「……うわぁ……」
何だか自分じゃないみたい。
家光は鏡に映った大人びた自分にナルシストではないが、見惚れてしまう。
「……あの、家光様。大変、恐縮なのですが……」
姿見の自分に見惚れる家光に、女性がおずおずと声を掛けた。
「ん……?」
「こちらの紅は……どなたに……?」
「え……、あ。それは……」
家光が教えようと口を開くと……、
「…………、これは、また…………」
「ん……? この声……、福?」
春日局の声が聞こえた気がして振り返る。
返り見たそこには家光の背後、開いた襖の前で目を丸くし固まったままの春日局がぼぅっと立ち尽くしていた。
「…………っ、…………」
「ちょっと! 何で黙っちゃうのよ!?」
紅を差し終え準備が整った家光は、春日局の元までやって来て彼を見上げる。
「ちょっと、福、聞いてんの? 何固まってるのよ」
「…………っ、……いえ、これほど……までとは…………」
春日局は口元を手で覆い隠し、信じられないものでも見たように一層目を大きく見開いた。
「はぁ? 似合わないって? 馬子にも衣装でしょ? わかってるってっ」
「何でそうなるんですか!」
家光が不機嫌そうに両手を宙に向けて“ふ~、やれやれ”と頬を膨らますので、春日局はすぐさま否定だけしておいた。
「えー……、じゃあ似合ってるぅ?(なんてね~!)」
へへっ、と家光は手を合わせ少し斜めに傾けると、あざとく上目遣いで春日局に訊ねてみる。
すると、
「…………ええ、似合っていますよ。家光様。あなたはこの世の誰よりお美しい」
春日局は、なんと!
瞳を穏やかに細め、はにかんだのだった。
だが、その瞳は少しだけ牡を覗かせるように冷ややかさも孕んでいて……、
「っ!!? な、何!?」
女を見るような春日局の瞳に、家光の背筋がぴんっと伸びる。
ちょっぴりドキッとしてしまった。
ところが、次に春日局は。
「……あの世は家康様が一番ですがね」
「はいはい、ご馳走様。知ってたわ」
春日局は“ふっ”といつものように冷笑するので、家光は軽く二、三度頷いたのだった。
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