逆転!? 大奥喪女びっち

みく

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【京都・昇叙編】

086 入水

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 ――あれは家光がまだ、竹千代と呼ばれていた頃のこと。

 年の頃は十か、十一。
 その日、竹千代(家光)は春日局の云い付けで自室で写経をしていたのだった。
 どうしてそうなったのかといえば――。





 その頃の竹千代は、学の隙を見ては父親である江と、どうにかして交流を図りたくてあの手この手を使って江の部屋へと通っていたのだが、毎度冷たくあしらわれていたのだった。
 何故通っていたのかといえば、竹千代の周りにはあまり好みのタイプが居なかったのである。
 そもそもまだ子供なので、普段大人の男性との接点はあまりない。
 小姓である正勝もまだ小さく、他の者も大体同世代。皆可愛い少年ではあるものの、竹千代は子供に興味はなかった。
 身近で常に会える大人の男性といえば春日局と医師の岡本氏。それから、実の父親である江の三人くらいである(世話人除く)。
 中でも父親である江はとりわけ美しい男。
 見ているだけでも目の保養なのだ。

 出来れば一緒にお話をしたい。
 目の前でその美しい顔を眺めたい。
 嫌われてるみたいだけど、自分も「お父様」と呼んで、江に「竹千代」と優しく名前を呼んでもらいたい。

 竹千代はそう願って毎日通っていたのだった。

 つい先日、美味しい菓子を仙台藩主・伊達政宗公より贈られたため(送ってくれた)、それを持って江の元へと遊びに行ったのだが、いつものように冷遇され、ついでに妹の国松(国千代)にも馬鹿にされるという侮辱を受けてしまい、竹千代は心底頭に来たのだった。

「欝だ……、死のう……(冗談だけど!)」

 足に重い石を括り付け、庭の池へと落ちる振りをすれば、もしかしたら父は私とお茶をしてくれるかもしれない。
 脅しのような真似はしたくないが、媚びても駄目、怒りをぶつけても駄目、軽く悪戯しても無視される。

 ならば、やってやろうじゃないの。
 お父様がヤンデレなのはわかっているのよ!
 私も一緒よ一緒!

 どや!

 などと阿呆な考えで、江と国千代の目の前で池に飛び込もうとしたのだった。

(……振りだけ、ね。止めるなら今の内ですよ、お父様。さぁ、私を止めてちょうだい。私もあなたの娘だよ? そっくりでしょ?)

 池まで重りを引き摺って歩いて行くのだが、江と国千代は竹千代の方には目もくれず、会話を楽しんでいた。

「……重……(ほらほら、お父様)」

 ちらちらと、何度か江に振り返りながら竹千代は歩みを進めていく。

「……止めてくれないの……?(やっぱり、私の知ってる歴史の通りなのかな……せっかく、縁あって親子になったのに淋しいじゃんか……)」

 竹千代は一向に声を掛けられないので、段々と足取りが重くなり、それでも江を振り返る。

(……お父様、テライケメン……)

 竹千代は国千代に微笑み掛ける江に見惚れる。
 長い艶のある黒髪が時折風に吹かれて髪を掻き上げる仕草なんて、鼻血ものだ。
 きっといい匂いがするのだろう。

(国千代の奴、目の前でお父様の匂いを嗅げるとか羨ましス)

 実の父親とはいえ、彼は竹千代・・的には目の保養なのである。
 足元に注意も向けずに竹千代は牛歩ながら歩みを進めていたのだった。
 まぁ、そんなわけであるからして。

「っ、あっ!? 嘘っ!?」

 余所見しながら既に池の畔まで辿り着いていた竹千代の草履が、あるはずの地面を捉えられず、身体は前倒しに傾いていく。
 そして。

 ぼっちゃん!!
 とぷんっ。

 池の水が跳ねる音がした。
 竹千代は誤って池に落ちてしまったのだ。

「ごぶ……ぶばっ……がぼぼ……!!(やばい! 距離見誤った! 死ぬっ! 助けてお父様っ!!)」

 池の中で竹千代は手を伸ばす。

 が。

 足に括り付けた重しが池の底へと誘っていく。
 運の悪い事に落ちた場所は丁度深さのある場所だったのだ。
 春日局に『この辺りは深いから落ちないようにお気を付け下さい。近々埋め立てを致しますので』と言われていた場所である。

(……ぅう……。冗談でも死のうとしたら駄目なんだな……)

 竹千代は着物で身動きが取り辛い中、足に括り付けた紐を解こうとするのだが、引き摺って歩いても外れないように、きつく結んでいたのが仇となったのか簡単には外れなかった。

「ごぼっ……がっ……!(あ、これマジやばいわ。チートとか関係ない、溺れてるわ)」

 竹千代は足の重りを外すのを諦め、息を止めて辺りを見回し掴まれそうな窪みを探す。
 力ずくで這い上がってやろうというのだ。
 ところが、そんな窪みなどあるはずもなく……。

(……なーい! くそっ! いくら深いったって、人工池。150センチくらいっしょ!? 私160センチ以上あるし足着くんじゃ? …………ん?)

 体内の酸素がもう殆ど残っていない状態で、竹千代は底に足を着ける。

「ごばっ! がががっ!!(私、今身長幾つだったっけ!?)」

(駄目だっ、転生してるんだった! 今私150センチも無いっ!)

 竹千代は慌てて浮上しようと池の底を蹴るが、紐の長さ分しか浮かばない。
 紐の長さは約十センチ程度。
 僅かに浮いたとしても、水面には届かなかった。


(……また池で死にたくないよー!!)


 竹千代は手を伸ばして懸命に水を掻く。


(っち! 水が肺に……!)


 水が肺に入った……、……はいアウト。
 などと考えている暇はない。


「……っ……(ぁ、もう……駄目……)」


 竹千代は水面を見上げて、歪む青空を見ていた。
 揺蕩たゆたう浮き雲が滲んで見える。
 本日は朝から青空で、時折小さな雲がどこからか流れてきては消えていく、爽やかで心地良い風の吹く過ごしやすい日だった。
 そんな穏やかな日だったのだ。
 そんな日であるにも関わらず自業自得とはいえ、さっきから大量の水を飲んで、息が出来ない苦しみに竹千代の目蓋が静かに閉じていく。


 お父様、助けてくれないの……?


 このまま誰にも気付かれずに、ここで死んでいくの……?
 せっかく、転生したっていうのに……。
 私、将軍になるんじゃないの……?


 今度はどこに転生するいくのかな……。


 などと思いながら目蓋が完全に閉じる瞬間、誰かの大きな手が竹千代の手首を掴んだのだった。


『竹千代様っ!』


 それは聞き慣れた声で。
 直ぐ様その手は力強く竹千代を池から引き上げる。

「……なんということをっ!」
「ぅ……、ふ、…………(福…………)」

 竹千代は助けられ命を繋いだものの、意識を失ってしまう。
 竹千代が最後に見たのは、眉を吊り上げながらも涙を零す春日局の姿だった。





 その後、春日局に助けられた竹千代は自室に連れて行かれ、治療を受けたのだった。

「どうしてあのようなことを……! 私が忘れ物をしなければどうなっていたことか!(お江与の方様と話したいとおっしゃるから私は控えさせていただいたというのに!)」
「っ、落ちるとは思ってなかったよ……?」

 眉を吊り上げ、大きな声で褥に横たわる竹千代に春日局は怒鳴る。

「嘘を吐かないで下さい! あんな……、あんな重しまで……!!」

 ぼろぼろと、春日局の瞳から涙が溢れ出す。

「な、泣かないでよ……福……」

 春日局の涙に竹千代は動揺して、身体を起こす。
 着物は浴衣に着替えたものの、頭はずぶ濡れのまま傍らに座る春日局の手に触れた。

「何故あのようなことを……?」

 春日局は竹千代を真っ直ぐに見つめる。

「ご、ごめんね……」

(嘘が真になっちゃった……なんて言えない……)

 竹千代は気まずくて春日局から視線を逸らしたのだった。

「…………、あのね、お父様はやっぱり私なんて眼中にないみたい」
「……竹千代様?」
「…………国千代だけ居ればいいんだよ……。さっきそれがわかっちゃってさ……。何か、もう……私なんて居なくてもいいのかなー……って」

 そこまで言って。

 ばしんっ!

 竹千代の耳に渇いた破裂音のような響きが弾けて溶ける。

「っ……(痛い……)」

 竹千代の頬に痛みが走り、手で触れる。
 春日局が彼女の頬を叩いたのだった。

「だからとて! あなたが死ぬ必要はないでしょうが!」

 そう告げて、春日局は竹千代の小さな身体を抱きしめる。

「っ……そう、だけどっ(お父様タイプなんだもん……。あ、何か自覚したら涙腺が……)」

(私、何もしてないのに……やっぱりお父様に嫌われてるんだ……。やっぱり私の知ってる歴史の通りなんだね……)

 竹千代は自分の知っている歴史とは違う世界だから、親子関係を変えられたらいいのにと思っていたが、それが出来ないことを漸く悟るのだった。
 じんわりと竹千代の瞳にも涙が滲む。

「私が居りますっ」
「福……?」
「私が、私が父親となりましょう! 一生あなた様のお傍に居りますから! 自害などなさるな!」

 眉間に皺を寄せ、顔を顰めて春日局は竹千代を抱きしめる腕に力を込めたのだった。

「っ……福……、ご、ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!!」

 竹千代は春日局の肩に手を伸ばして縋る。

(私……、なんて自分勝手なことしてたの……!? 福が、いるじゃん……! ここにもイケメンがいるじゃんか! しかも、私を想ってくれてる……。私の馬鹿ぁーー!!)

 竹千代は感極まってわんわん泣いた。

「竹千代様っ!(お可哀そうな竹千代様! 私が一生お傍でお仕えしますからね!)」

 春日局も泣いた。
 主君であるまだ小さな血の繋がらない我が子の不憫を嘆いて、彼女を一生護ろうと誓うのだった。

 竹千代の涙は春日局が想っているものとは、少し違ったかもしれないが、春日局の腕の中は心地良く、安心できた。
 二人は暫く抱き合って互いに涙を流した――。
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