逆転!? 大奥喪女びっち

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【上洛の旅・邂逅編】

066 真夜中の衝動

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 さて、家光が古那と面会している間、旅の疲れからか下がっていいと言われた正勝は、隣の部屋へと足を運んで押し入れを開けると、布団を敷き始めた。

「……あのお坊様、どこかでお会いしたような……」

 軽く会釈だけして、一時目が合っただけの相手だが、どこかで会ったような気がして正勝は記憶を辿る。

「……うん、わからない。また今度お会いした時にでも訊ねてみるか……」

 ぶつぶつと独り言を言いながら布団を下ろし終えると、静かに身体を横たえる。

「……はぁ。家光様との旅は楽しい……」

 今日は家光と随分長い間一緒に過ごせたなと、楽しかった時間を思い出しながら正勝は目を閉じる。
 心身共にずっと働き通しの正勝の心労は計り知れないが、久しぶりに心安く休めたのだった。

 その後、四半刻もすると春日局たたき起こされ、また仕事に駆り出されるのだが。





 ――その夜、丑の刻(午前一時~三時)。
 皆が寝静まり(一部寝静まってないが)、しんとした部屋にて扇を手にした春日局と古那がこそこそと話し込んでいた。

「……で、この方なのですが」

 古那は暗い部屋の中、行燈の傍で身上書と達筆で書かれた紙を広げ、春日局に相談していた。

「ほう、尾張の……これはいい」

 春日局の眼が光る。

 身上書には尾張藩家老、成瀬氏の息子“まさ”について書かれていた。
 江戸に戻った際に大奥を取り仕切る為、必要な人材を集めているようだ。

「見目も麗しく、性格も穏やか。身体も丈夫で、中々の好青年とのことです」
「そうか……ならば私の部屋子として入って頂こう。もし家光様の目に留まればお世継ぎも期待できる」

 春日局が扇をぱちん、ぱちんと開いたり閉じたりしながら思案顔で頷く。
 頭の中では何やら画策しているようで……。

「家光様には酷でしょうか?」
「何、あれも大きな流れの一部、受け入れるしかあるまい?」

 古那が憐れむように小さく“ふぅ”と溜息をつくと、春日局が冷淡に言い放つ。
 その冷たい言葉とは裏腹に、春日局の目は憂いを帯びていた。

 二人の密議はそれから半刻程で終わる。





 そして、一部寝静まって居なかった者――。
 それは家光……ではなく、今回は秀忠だった。

『言っとくけど、私は良い子で寝てましたよ!』

 お疲れの家光は用意された部屋でぐっすりお休み中、そして正勝も隣の部屋でしっかり身体を休めている。
 今晩は風鳥も月花も出番はなさそうで、旅を始めてからやっと初めて穏やかな夜を迎えられそうだ。
 そう、まだまだ旅は続く、先は長い。
 休める時に休んでおかないと身体が持たないのである。

 すっかり放っておいてしまったが、今回は秀忠が動き出してしまったのだった。

「んふふ……江が居らぬとは、鬼の居ぬ間のなんとやら」

 暗闇の中で、秀忠はにこにこと上機嫌に、焼き物で出来た酒瓶を片手に暗い廊下を行く。

「もう直ぐだ……」

 各部屋の襖の前を通る度にきょろきょろと辺りを見回し、誰にもばれていないか確認する。

「うししっ」

 よし、いい感じ! とばかりに秀忠は各部屋の前を通り過ぎて行く。

 ここは本陣であって、城ではないから抜け出すことなどお茶の子さいさい。
 秀忠付きの護衛には岡本医師特製の眠り薬を盛ってある。


(江の居ない今、私を縛り付けるものは何もないのだ!)


 秀忠が何をしようとしているかと云えば、そう。


「もう直ぐ行くから待っておれよ……茶屋の君」


 浮気である。


 江が大好きなのに、浮気してしまう。
 これはもう、病気と言ってもいい。

 というか、本当に病気なのである。


「はぁ……身体が疼く。……ここから、出て、隣の旅籠だな」

 徳川フェロモン体質の弊害。
 不定期ではあるが、時に猛烈な性衝動にかられるのである。
 そんな時は誰彼構わず襲ってしまうこともあるが、大抵傍に江が居るのでどうにか出来ていた。
 だが、江が江戸に帰ってしまったからかタガが外れてしまっている状態なのだ。

 玄関からではばれそうなので、奥にある土間に下り、誰のものか判らない草鞋を履いて裏口からこっそりと外に出る。

「はぁ……早く……欲しい……」

 秀忠の瞳が妖しく輝く。
 爛々とした眼で、あくせくと地面を蹴って本陣の門へと急ぐ。
 そこを出て隣の旅籠で、昼に寄った茶屋で見つけた良い男が待っているのである(連れて来たらしい)。

「……こんな静かな晩に、どこへお出かけですか? (あの・・家光様もお休みだというのに)」
「っ、春日!?」

 やっとのことで門に辿り着いたものの、そこには春日局が腕組みをして立っていた。

「私はこの旅の行程管理をしているのです。秀忠様が自由気ままに動かれると、非常に困るのですが」

 心底迷惑そうに春日局は秀忠を見下ろす。
 相手は現将軍だというのに、この態度である。
 そんな高姿勢な態度を取っても不敬罪で罪に問われないのは春日局くらいだろう。
 政に関してはあまり口を挟んでこない春日局だが、こと私生活については秀忠にも厳しいのだった。

「ぐっ、勝手気ままにしているつもりは……」
「お江与の方様が知ったらどうなさるのでしょうか……」

 春日局はいやらしく江の名を出して、大袈裟に“はぁ”と溜息をついてみせる。

 知られたら、後が怖い。
 知られるわけにはいかない。

 江は嫉妬深いのだ。

「しょ、しょうがないだろう!? これは病みたいなものでっ!」
「家光様にはそういった症状はございません」

 秀忠は訴えるが、春日局はぴしゃりと跳ねのける。

「あの子はまだ、貫通してないからな!」
「……それは、まぁ、そうですが……それにしたって、国松様はその前からではありませんでしたか?」

「知らん。国松は私に似たんだろ?」

 秀忠はどうにか春日局の前を通ろうとするが、春日局が通せんぼするように退いてくれないのでぶっきら棒に答えた。

「ふむ……。それはともかく、そこに居る男、御側室にされるわけじゃありませんよね?」

 春日局が後ろの門に目配せをすると、門の影に男が一人立っているのがわかった。

「え? ……あ! 茶屋の君!」

 春日局が動いてくれないので、秀忠は首だけ横から出して、茶屋の君とやらを確認する。
 竹の棒に吊るした提灯ちょうちんの小さな灯りが、茶屋の君を僅かに照らす。
 それは長い黒髪を後ろで一つに束ねて着流し姿の、中々に良い男だった。
 面差しが江に似ている気もする。

「秀忠様……すみません、見つかっちゃいました」
「いや、良いのだ! 迎えに来てくれたのだな! 嬉しいぞ!」

 茶屋の君の声に秀忠は笑顔で手を振るが、多分向こうからは暗くて見えていない。
 本陣内に設置してある灯りがいくつかあるが、春日局と秀忠は暗闇の中に居て、互いは目が慣れているので視認出来ていただけだった。

「茶屋の君は、今晩だけの相手だ。側室になどせん」
「そうですか、それを聞いて安心致しました」

(今更、御側室を迎えられてもどうにもならないとは思いますが、念のためですからね)

 春日局は家光の脅威にならないよう、訊ねたのだった。

「ならば、良いか?」

 秀忠は春日局を見上げて小首を傾げる。
 それは愛らしく、それでいて妖艶。
 その仕草、風貌が暗闇だからか、秀忠を曖昧にして家康を思い出させる。

「ふぅ……行かれるのですか?」

 春日局はこの顔に弱かった。
 つい、甘くなってしまう。

「引き留めるなら、お前が相手をしてくれれば良いのだ。儂は……構わんぞ? ん? 母上とも、そういう仲だったのだろう?」

 にやりと、意地悪く秀忠が嗤う。

 私を抱けば、親子共々貫通した男になるのだ。
 お前の欲しい権力とやらが手に入る時期も早くなるぞ?

 そんな風な挑戦的な瞳が春日局を見つめていた。

「っ……」

 春日局の顔が引き攣り、瞬刻怯む。

「どうだ? 儂……いや、私はそんなに魅力がないか?」

 秀忠は衿をぐっと掴んで緩めると、胸元を見せつけながら春日局に迫った。
 すると、春日局は目を閉じて、一つ大きく息を吸い込むと、鼻からふーっと静かに息を吐き出す。

「……その手には乗りません。私は、家康様のものですから」

 かぶりを横に数度振ったのだった。

「頑固だなー……まぁ、そういう所が気に入っているんだがな」

 秀忠はつまらなそうに、けれども次には白い歯を出してニカッっと笑う。

「……どうぞ、明日の朝、早く戻られますように。そちらの方にも頼みましたよ?」

 春日局が一歩下がって、秀忠に行くよう手で促すと、

『は、はいっ!』

 茶屋の君が慌てて返事をした。
 と同時に、秀忠が走り出す。

「わっ、秀忠様っ!」
「会いたかったぞ! 茶屋の!」

 秀忠は茶屋の君に勢いよく抱きついたのだった。

 名前を呼ばないのは互いの為。
 今後、不都合がお互いに生じない為の秀忠の配慮であった。

「……ふぅ」

 門から姿を消す二人を見送りながら春日局は溜息を吐いて、思う。

(私もまだまだ甘いな)

 どうしても徳川将軍家の女性には甘くなってしまう自分に、春日局は自嘲気味に笑うのだった。
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