逆転!? 大奥喪女びっち

みく

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【上洛の旅・旅情編】

044 道中足止めばかりなり

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 ――それから半刻。

 道中の川で正勝は自分の着物を洗っていた。その光景を家光は少し離れた位置に腰掛けて見ている。

 その近くには駕籠に干された自分の着物が時折吹く風に棚引いていた(飛沫が飛んで吐瀉物きらきらが付着)。
 駕籠の持ち手達は家光のきらきらを処理した後、日の当たる場所で匂いを失くすため戸を全開に開け放った。
 太陽が乾燥、除菌し終えるまで各々休憩となった。
 その隙に駕籠持ち達は家光を口説こう(否、お話をしたい)と思っていたが、春日局より禁止令を出されており、そして、風鳥も傍に残ったため、暇を持て余し釣りをしている。

 魚が釣れたら今晩のおかずにでもするのだろうか……。

「……ごめん」
「……いえ……家光様が楽になられたのなら……ですが、良かったのですか? 春日局様の駕籠に乗せていただくということも出来ましたのに」

 きらきらが盛大にぶちまけられた後すぐに家光の駕籠が止まり、何事かと春日局が様子を見に来たものの、家光と正勝の惨状に一瞥くれてやると、何を言うでもなく、無慈悲にその場に家光達を置いて行ったのだった。

 何はともあれ、護衛の風鳥は残してくれたから諸々の手配はしてくれているようだ。

「……いやー、福があからさまに嫌そうな顔してたからさ……」
「そんなことはないと思いますが……何か予定を変更できない用事があるのかもしれませんね」

「変更できない予定?」

「……あ、あの……そうじっと見つめられると……」
「あっ、ごめん、いい身体してるなって思って」

 上半身裸で、中の長襦袢の裾をたくし上げた正勝の姿は家光的には美味しい光景なのである。

「……いい身体って……家光様……ど、どういう……意味で……」

 家光が川原の岩に三角座りをしながらこちらを見つめる中、正勝は家光に聞こえないように呟くと恥じらいからか、家光から背を向けると、背後に感じる愛しい人の視線に照れつつも満更でもない様子で着物を洗っていた。

 ……家光はただの暇つぶし的に見ていただけなのだが。

「……んー……長閑だなぁ~。いー天気!」

 束の間正勝の半裸を堪能したあと、家光は座ったまま両腕を宙に向かって突き出すと、空を仰ぎ見ながら背伸びをした。
 穏やかな青空に白い綿飴が数個、漂っている。直射日光に当たっている所為か、暑いが、時折川の上を滑る風が心地良く、家光の長い髪を梳いていく。

「あぁ~、夏真っ盛りだ~ね~……」

 妙なメロディのアカペラで適当に口ずさむ。
 じわりと、額に汗の粒が多少は浮くものの、元居た世の夏とは違いこの時代はそこまで気温は高くないようだった。

「家光様、春日局様から暫く歩いて気分が晴れましたら駕籠に乗るようにと」

 ふいに歌を歌う家光の頭上から影が差すと、声も同時に降って来た。

「え?」

 その影に家光が振り返り見上げると、風鳥が優しげな眼差しで家光を見下ろしていた。

「持ち越しもありますから、疲れない程度……」
「あ、風鳥。正勝には聞こえないと思うから大きな声じゃないならいつもの口調でいいよ」

 風鳥が言い終える前に家光はそう伝えると、穏やかに微笑む。
 随分と気分が良くなったようだった。

「そうか? んじゃ、そうさせてもらう。体調はどうだ?」

 風鳥は腰を落とし、肩膝をついて家光と目線を合わせると、そう訊ねる。

「うん、吐いたらちょっと楽になった」
「もう少しで駕籠の乾燥も終わるから、駕籠で休んだらどうかと思ってな」

「ありがと。でもここ風が気持ちいいから」

 家光が機嫌良く応えるものの、風鳥はいまひとつ信用していないのか、家光の頬を両手で包んで、視線を真っ直ぐに合わせながらもう一度訊ねる。

「……本当に平気か?」
「っ……う、うん、平気、よ? っていうか近いよ、風鳥」

(キス思い出しちゃうじゃん!!)

 家光の頬が見る見る赤く染まっていく。

「ん? ああ、そうだな。このまま、また“きす”とやらでもするか?」

 自分をしっかり意識する家光の反応に可愛いなぁと思いつつ、風鳥はついからかう様に満面の笑みを浮かべた。

「んなっ!?」

 家光は目を見開いて、僅かに正勝の様子を窺いつつ、風鳥に視線を戻す。

「……いや、駄目だわ」

 風鳥が首をふるふると横に動かすと、家光の頬から手を離した。

「え?」
「んー、なんか可哀想だから?」

 ちらりと一瞬だけ、黙々と洗濯する正勝に視線を送る。正勝は二人の様子に気付かず健気に洗濯を続けていたのだった。

「え?」

 ぽふっと、家光の頭を軽く撫でると、風鳥は家光の背後に立ち、背を向ける。

「それに、俺はお前から誘ってくれるまで、待つって決めたしな?」

 家光には聞こえないように、風鳥はそう付け加えたのだった。

「ぅん……?」

 家光の頭上に疑問符が幾つも並ぶものの、何故風鳥が自分の背後に立ったのかを考える。
 だが自分が風鳥の作った日陰に居ることに気付くことはなかった。

「……気が済んだら駕籠で横になってろ、せっかく良くなったのに暑さでやられちまうぞ」

 家光の背後頭上から降る声に、家光はにやりとほくそ笑む。

「熱中症対策ならばっちりだから大丈夫だよ! 麦湯に、梅干しでしょ~、あと水飴も持って来てるし」
「ねっちゅうしょう? なんだそりゃ?」

 聞いたことのない病らしき言葉に風鳥は首を傾げる。

「経口補水液も作ろうと思ってたんだけど、砂糖が丁度品切れだったんだよね。こないだお菓子作りに使っちゃったからかな? まぁ、この時代熱中症なんて殆どの人が罹ってないんじゃない? 夏なのに涼しいもの」

「けいこうほ……あんたは時々変なこと言い出すのな。面白い女」

 腕組みをしながら、風鳥は含み笑いを浮かべた。

「ふふっ、変わってるってよく言われる~。あ、正勝終わったみたい」

 洗い終えた着物を手に、正勝が二人の元へ歩いて来る。

「そうですか、では私も護衛の語り口に戻りますね。……」

 それだけ言うと、風鳥は口を閉じ、静かに佇んだ。

「あ、仕事モードに戻った」

 急に黙り込んでそれ以上何も言わなくなった風鳥に家光は告げるものの、

(もぅどって何……)

 風鳥は疑問を持ちつつ、職務へと戻るのだった(そのまま立ったままだけどね)。

「ああ風鳥、家光様に陰を作って下さっていたんですね。家光様、少し、暑くはありませんか? 川の水が冷たくて気持ちいいので足だけでも涼みませんか?」

 ちょっとこれだけ干してきますね、と正勝は駕籠へと戻って行った。

「あっ……そういうことか。風鳥ありがとう、気付かなくてごめん」

 正勝に言われて気付いて、家光が立ち上がろうとすると、風鳥は当たり前のように手を差し出し、引っ張りあげる。

「いえ、自分の仕事ですから……」
「暑くなかった?」

 家光は立ち上がると、首を傾げて風鳥を見上げた。

「あれくらいなら何でもない」

 風鳥は目元を優しく緩ませる。

「……おお、正勝が聞こえない場所だと自然に戻るのね」

 家光も風鳥の優しい眼差しに応えるように微笑む。

「ん」

 そうして、にやっと二人して笑い合ったのだった。

「……お待たせしました。この暑さなら本日中には乾くでしょう。家光様の御召し物ももうほぼ乾いておりました」

 正勝が二人の元へと戻ってくると、家光が再び岩の上に腰掛けていた。

「正勝」
「はい」

 正勝が家光の側に寄ると、家光は足をばたばたと動かし、口を開く。

「足浸けたい。水遊びしたい」

 流石に暑かったのか、家光は水遊びを要求するのだった。
 いや、もう子供じゃないんだからと突っ込みたい。

「では、足袋を脱ぎませんと」

 ところが正勝は家光を待たせた詫びのつもりか快諾し(そもそも誘ったの正勝なのだが)、その場に控えるように腰を下ろした。 

「うん、今脱……」
「失礼します」

「あっ、正勝!?」

 家光が自ら足袋に触れようとすると、正勝の手がそれを制止する。そして、今度は正勝が家光の足に触れて、一足一足丁寧に足袋を脱がすのだった。

「ここの砂利は少し粗いので、あちらの岩場までお連れしますね」

 正勝は家光の背と膝裏に腕を差し込むと、軽々と家光を抱き上げ、川の水に近い大きな岩へと家光を運んでゆく。

「べ、別に平気なのに……」

(お姫様抱っこ~♪ 正勝意外と力あるんだなぁ……男の子だもんね当たり前か)

 家光は若干正勝のことを軽く見ている節があるようだ。

「へぇ、やるね正勝殿。俺から巧く遠ざけたってわけか。独占欲が強い方だからなぁ~……けれど家光様には選んでもらえない、か……」

 その場に残った風鳥は、先程家光とキスしなかった理由をぽつりと零す。

(俺が此処に残ったのはただの護衛の任てだけじゃない。正勝殿の監視も兼ねてる。けど、今んとこ変なこともしないようだし、春日局様の杞憂だと思うんだが)

 正勝、危険人物みたいで、ちょっと可哀想である。





「……っと」

 川の傍に近付くと、不意に正勝の足元が滑ったのか、身体がぐらついた。

「わっ! だ、大丈夫!?」

 家光は正勝の首に腕を回して落ちないようにしっかりと掴まる。それを合図に正勝は足に力を入れ踏みとどまった。

「だ、大丈夫ですっ。家光様こそ大丈夫でございますか?」

 心配そうな、それでいて嬉しそうに浮ついた声で正勝が告げると、家光は正勝に掴まったまま答えた。

「平気、すぐ正勝に掴まったから」
「……はい、ちゃんと掴まってて下さいね」

 正勝の言葉にぎゅっと家光が腕に力を込めると、正勝も僅かに腕に力を込めて運び続けたのだった。

(さっき、洗濯しながら考え付いたこの作戦、成功だ。これなら、自然な形で家光様に触れることが出来る。そして、平衡を保てない振りをすれば、家光様は私にしがみつくしかない!)


 全て計算し尽くしていた男であった。


 流石は春日局の息子と言わざるを得ない。
 ところが風鳥にはお見通しだったようで、


「……家光は騙されやすいんだな……」


 家光の座っていた岩場に胡坐を掻きながら二人を見守っていた。


「……ま、平和で何よりだ」


 風鳥はそう呟くと腕を組んで目を閉じた。
 とりあえず正勝がぴったりくっついているので命の危険はないため、しばしの休息を取ることにしたようだった。
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