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【喪女歴ウン十年編】
001 千代ちゃんのおなーりー
しおりを挟む喪女とはモテない女性のことを言う2ちゃんねる用語だが、ここにも一人、モテない女性が存在する。
太ってはおらずどちらかといえば痩せ気味な部類。
まだ三十代半ばだというのに脂症なのか、吹き出物も多く、毛穴が目立つ肌に、眉墨で書かないとわからない程薄っすらとしたお情け程度の眉、瞳は大きいのに一重でその視線は睨んでも居ないのにぎらぎらと鋭い眼光。
鼻は低く、鼻先が団子のように丸くなって、鼻の穴が正面から丸見えだ。鼻糞でもあればすぐ見つかりそう。
唇は幸薄そうに薄っぺらく、頬は痩けて、血色が悪いのかやや浅黒い。出っ張った頬骨が痛い。
最近目尻の皺やほうれい線も目立ってきた。
髪の毛も細く貧弱、それでいて、薄い。
しかも、ここのところ脱毛が激しい。
首から下、起伏のない寸胴な身体のラインからは何の色気も感じ取れない。
美しい容姿とはかけ離れた壊滅的不細工なこの女性。
彼女の名前は竹 千代、零細企業に事務員として勤めてもう十数年。
気がつけば三十はとうに越えていた。
同僚が結婚し寿退社していく中、千代は浮いた話の一つもなく、朝起きて自分の弁当を作り、仕事へ行く仕度をし、同じ時刻に電車に乗って会社へ行き、仕事をして定時で上がる。
その後の予定は特になく、いつも寄る行きつけのコンビニで缶チューハイを買って不気味な微笑みを周囲に撒き散らしながら家へと帰る。
「ぷはーっ!」
今日もこの一杯のために頑張った。そう思いながら普段と変わらない一日の終わり、自宅にて缶チューハイ片手に夕方のニュース番組を見ながらつまみに買った柿の種をぽりぽりとかじる。
千代の部屋は自分の歳と同じ築三十六年の二階建てアパートの二階にある。
六部屋ある内の右から二番目。間取りはごくごく普通の1Kで家賃は都内だが、五万と破格。
入居してもう十数年据え置き価格である。
事故物件との噂もあったが、千代は気にしていないらしく、ずっと住み続けている。
そんな千代の部屋の中は特に汚れているわけでも、洒落たインテリアがあるわけでもなく、アイボリーの無地のカーテンに、アイボリー一色無地で纏めたベッド、隣にはノートパソコンを置いたリサイクルショップで手に入れた引き出し付きの白い机とセットで買った白の椅子、向かいには白のテレビボードにテレビ、その間に近くのホームセンターで訳有りで買った端に引っかき傷の付いた白いローテーブルが、唯一お気に入りのふかふか毛長のクリーム色のシャギーラグの上に鎮座していた。
その下は元は畳だがフローリングマットを敷いてあるので洋室風となっている。キッチンに続く扉が入居時のままのすりガラスの障子で枠が経年劣化し、所々草臥れているものの、こまめに掃除をしているのか、埃一つ無かった。
キッチンの説明は今は省くが、千代はわりと几帳面な人物なのだろう。
そんな千代がベッドを背凭れにして手に持っていた缶チューハイをテーブルに置くと、背伸びを一つ。
「ジョニーもう帰ってこないのかな……」
千代には飼っている三毛猫が居た。ジョニーという名前を付け、先週の日曜に捨てられている所を拾ったばかりだった。独り者のよしみでジョニーを家に連れてきて、身体を洗い、ご飯を食べさせ、一晩寝て起きて、千代がゴミを出しに行く隙を見て出て行ってしまったのだった。
「……怒ってないから帰ってくればいいのに」
そう告げた千代の頬には猫の引っかき傷がまだ薄く残っていた。
それはジョニーが出て行く前の一瞬の出来事だったのだが、千代はゴミ出しの前にジョニーを安心させるために抱き上げ覗き込み言葉を掛けようとしたら驚いて咄嗟に引っ掻いてしまったというもの。
ジョニー(本名:吉良、二歳)は後に野良となり、昔、野良仲間に恐ろしい顔をした化け物に捕まっていたと、自分はそこから帰還した数少ない勇者で、一撃を食らわしてやったのだと語るようになる。
千代から逃げたのは命の危険を肌で感じ取ったからだそうで、今日もどこかで逞しく生きていることだろう。
「明日会社行けば休みだね~、頑張っぞ~!」
もう二度と帰って来ないであろうジョニーのために買った猫の餌の缶詰をキッチンから持ってくると躊躇い無くそれを開けて、千代は食べ始めた。
「猫ごはん、ウマー!!」
意外といけるじゃん。と、千代は猫缶に舌鼓を打つ。
いつもと同じその日はそうして深けていった。
◇
――次の日は金曜日、千代はいつも通りの時間に出ていつも通りの電車に乗る。
なぜこの時間なのかは理由があった。
別の時間に乗ると、初見の人が多いのだ。
千代を初めて見た人は皆振り向いて二度見した後、こそこそと何やら話をしだす。
そしてその後笑うのだ。
千代は自分を見る好奇な目に気付かないふりをして涼しい顔で車両の端になるべく立つようにしている。
いつもの位置に立つと、唯一趣味と呼べる好きな日本史の書籍を開き、目的の駅まで向かう。
そして、
(いやー、モテるって辛いな~)
などと思うようにしていた。
若かった頃はもっと酷かった。
特に十代の頃は面と向かって不細工と罵られ、いじめにもあったこともある。
二十代になってからは遠巻きに笑われたり、哀れまれたり。
街を歩いていた時にブスと言われたこともあった。
泣いたこともある。整形すればいいのにと友達に言われたこともある。
だが、親からは可愛い可愛いと言われて育ったためか、整形までは至らずここまで来てしまった。最近気付いたのだが、ブスは三日で慣れるという言葉があったのだ。
千代が同じ時間の同じ電車に乗っていると、他の乗客達は千代を見ても段々と無反応になっていった。これが慣れというものだ。毎日顔を合わせていれば、気にならない。
まぁ、そもそもその好奇の目も半分は自意識過剰によるものなのだろうが。
「ふー、お昼か……」
「竹さん、一緒に食べよう」
「あ、うん」
通勤時間の説明をしている間に既に会社で午前の仕事を終えた千代は、会社の同僚(女)から声を掛けられお弁当を取りだす。
千代の席の傍に椅子を持って来て、同僚(女、既婚)が腰掛けた。
「竹さんは料理上手だねー、いいお嫁さんになるよ~」
千代の作った玉子焼きを頬張りながら、自分よりも七歳年下の既婚同僚が微笑む。
その言葉を今まで何度となく聞いたことか。
もう私三十六ですよ、出会いがありませんよ。
三十五歳以上の独身女が結婚出来る確立をご存知ですか?
十%もないんですよ。
自然な出会いなんて皆無なわけですよ。
とはいえ、出会いなどあったところで結婚できるかもわからないじゃない?
誰かのために料理をすることが出来たらそりゃ幸せ感じることもあるかもしれないけどさ、“いいお嫁さんになるよ”は、三十六歳アラフォーババアに言われても虚しいだけだよな……。
(まぁ、こうして“誰か”に食べてもらえて、褒めてもらえたならそれはそれで、いいか)
そう思いながらも千代は笑顔を返した。
「浅井さん、昨日の領収書ってどこにあるかな?」
千代と同僚(女、既婚、浅井)の元に営業部のこの会社一イケメンの黒田が声を掛けてくる。
「あー、ちょっと待って下さいね、今出します」
浅井は食べていた箸を置いて、自分の席へと戻って黒田に頼まれた領収書を探しに向かった。
「竹さん、お昼邪魔してごめんね、浅井さんすぐ返すから。あ、これあげる、食後にどうぞ」
「えっ、……っぁあ、ど、どぉ……」
背が高く、品のいいグレーのシングルスーツはボタンを外してラフに、薄桃色のワイシャツにボルドー系アーガイル柄ネクタイの先を無造作に丸めてワイシャツの胸ポケットに入れている。
香水をつけているのか、僅かに爽やかな香りが鼻を擽る。
髪はショートストレートで、前髪は長そうだが勤務中だからか、固めて後ろに流している。
切れ長の眉に瞳も大きく、二重で、優しい眼差し。
鼻の形も高くてすっきりとしている。
唇はすこしぽってりとしていて大きい口だが、笑顔が似合う。
そして何より、声がいい。
低めのボイスについ聞き惚れてしまいそうになる。
その彼が食後にどうぞと、ガムを二枚、千代の机に置いた。
千代は吃ってお礼を言うことも出来ず、頭だけ何度か下げる。
イケメン黒田は千代の様子など気にしないまますぐに浅井の元へと向かった。
浅井の元で黒田は何やら楽しそうに話をしている。
領収書の紙など渡している素振りはまるでない。
(ほぅ~、今日もイケメンよのぅ。見てるだけで幸せな気分になるわぁ)
千代は机に置かれたガムを手に取って、胸元に握り締めると顔を綻ばせる。 ちなみにこの行動は周りの人間にはただただ不気味で老いた魔女が何かを企んでいるときのような暗い笑みに見えた。
「竹さんごめんね~、黒田くん昨日の領収書間違ってたみたいで」
「あ、ううん、大丈夫。これ、黒田くんから食後にどうぞだって」
千代が戻って来た浅井に黒田から貰ったガムを渡すと、浅井は眉を顰める。
「……このガム黒田くん嫌いなやつでしょ」
「え? そうなの? 浅井さん何で知ってるの?」
「っえ、あ、いや、た、たまたま」
浅井ははぐらかすように千代に笑いかけて、残りのお弁当を食べ始めた。
「げ、玉子焼き食べられてる! 竹さんの美味しくて好きなのに!!」
浅井のお弁当箱に千代から貰った食べかけの玉子焼きが消えていたらしい。
「あ、もう一個あげようか?」
「ありがとー、竹さんのおかず減っちゃってごめんねー」
千代は自分の分の玉子焼きを浅井に分けてあげた。心根は優しい女性のようである。
だが、千代の心の中は、
(黒田くんが食べたってこと? 私のっ? きゃっ♪)
そう浮かれていたのだった。浅井の食べかけを食べたと、気付きもせずに……。
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