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9章:それぞれの思惑・影の陰謀
迷惑な訪問者
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ドンドンドンドン――!
ブリジットは、なおも激しく扉を叩き続けている。
ソフィアはとっさに、目の前の温もりから体を離した。
『わたくしです! ブリジット・ハイデですわ! 不審者じゃありませんのよ!!』
突然の訪問者の声に、アーサーは頭痛を堪えるように眉根を寄せた。そして口元に人差し指を当て、『しーっ。声を出さないで』とジェスチャーする。
ブリジットを無視して、返事をしないつもりのようだ。
『あら、いらっしゃらないのかしら?でも、話し声が聞こえていたような気がするわ。それに、扉の隙間から明かりが漏れている……。絶対にいらっしゃるはず。アーサー様!!』
ここは鍵のかかった部屋。入ることは出来ない。
きっと、諦めてすぐ帰るだろう――とソフィアとアーサーは思っていたのだが……。
ブリジットは思わぬ暴挙に出た。
『はっ!もしかして中で倒れているかもしれないわ! 大変!!……こんなこともあろうかと、わたくし警備室から鍵を借りてきましたの! 中の様子が心配なので、開けますねーっ!不法侵入じゃありませんわよ!お声は、かけましたからね。――では、失礼致します~!』
ガチャリと鍵を開ける音がして、重たい扉が勢いよく開かれた。
ソフィアはアーサーと密着している自分の状況に慌てて、出来る限り彼から遠ざかった。
急いで立ち上がったせいで、前方につんのめる形でバランスを崩し、目の前の本棚に激突。
ドン――!という大きな音と共に、したたかに打ち付けた額に痛みが走る。
「ソフィア!大丈夫かい?」と駆け寄ってくるアーサーに、ソフィアは「大丈夫です」と答えながら、近付かないでと言うように手で制した。
「あら?今すごい音がしたけれど……。あらあら、アーサー様の使用人さん、どうしたの? 嫌だわ、床に座り込んじゃって、いったい何をしていたのかしら?やっぱり庶民は、することが汚らしいわ」
ブリジットは、嫌悪に満ちた目でソフィアを見つめている。
痛みをこらえながら「お騒がせして、すみ――」と、謝罪の言葉を言いかけた時、アーサーがブリジットとの間に割って入り、ソフィアを庇うように前へ出た。
彼は敵意を露わにした目で彼女を睨むと、有無を言わさぬ強い口調で言い放つ。
「ハイデ伯爵令嬢。他家の執務室に許可なく勝手に入るとは、いかなる理由があっても許されることではありません。お引き取りを」
「まぁ……わたくしはお見舞いに来ただけなのに。そんな言い方……ひどいですわ。確かに、不躾な行いだと自覚しております。ですが、お返事がなかったので心配で……。昨日、事件に巻き込まれたばかりでしょう?また刺客に襲われているのではないかと、嫌な予感がしまして……」
「ご心配ありがとうございます。ですが、それなら尚のこと、勝手に入らず警備を呼ぶなど別の方法を取るべきだ。その鍵は一体、誰から借りたのですか?」
アーサーの鋭い指摘に、ブリジットは一瞬口ごもって「これは……夜警の方に」と答えた。
「夜警、ですか。それは誰です? 所属と名前、もしくは見た目は? オルランド家の了承もなく鍵を他人に渡すなど、あってはならないことだ。警備の意味がない。勤務態度の見直しを命じる必要があります。お答えを、ハイデ令嬢」
「えっと……聞き忘れてしまいましたわ。確か……マーク? いや、マリオン? あぁ、思い出せません。顔も、暗かったので……。背は、高かったような、低かったような? わたくし、アーサー様以外の男性は全部同じ顔に見えてしまうので、覚えていませんの。だって、貴方以上に素敵な方なんて――」
しどろもどろで冗長な彼女の話を、アーサーは「もう結構です」とぴしゃりと遮り拒絶した。
「この件については、ハイデ伯爵家へ正式に抗議させて頂きます。迎賓館と他の貴族家にも、警備観点から注意喚起をしなければ」
「どうしてそんなに怒っているのです? わたくしはただ、あなた様を愛しているからこそ、いろいろ心配して……。そんなに冷たいお声で叱責するなんて……酷い……酷すぎるわ……」
ブリジットは口元を手で覆うと、悲しげに目を伏せた。
懐からハンカチを取り出し、乾いた目元を拭うと、肩を小刻みに震わせて「ひどい……酷いわ」と繰り返す。
しかし、次の瞬間には、すいっと疑うように目を細め、ぞっとするほど冷たく低い声音で囁いた。
「アーサー様がわたくしを、そんな風に疑うのなら、こちらも勘ぐってしまいますわ。こんな真夜中に使用人と何をしていたんです? まさか、国も身分も違う穢らわしい庶民と禁じられた恋を……なんて、ありえませんわよね?」
瞳を残忍に輝かせ、早口でまくしたてるブリジットに、アーサーは至極冷静に答える。
「あなたには関係のないことだ、ブリジット・ハイデ伯爵令嬢」
一層強い口調でアーサーは、言葉を続けた。
「今まで何度も申し上げている通り、私とオルランド家は、今後もあなたとハイデ伯爵家に一切関わる気はない。あなたが貴族以外を穢らわしいと思う価値観は自由だが、私の部下を、彼女を侮辱するのは許せない。ソフィアに謝罪し――即刻、お引き取り願う」
「はっ、謝罪なんて致しませんわ。アーサー・オルランド様、これはわたしからの忠告です。身の程をわきまえない女との恋に燃えるのは結構ですが……その穢らわしい炎は、いずれあなた自身を燃やし尽くしますわよ?」
口を歪めて目を細め、勝ち誇ったように笑う社交界の『深紅の薔薇姫』。
絶世の美貌を持つ彼女がいびつな顔をする様は、相手に恐怖心を与える程、迫力があった。
だが、アーサーは全く動じず、何も言わない。
忠告という名の嫌味を全て無視して、無言のまま凍てつくような目で『去れ』と睨み付ける。
返事もなく、相手にもされない状況に、さすがのブリジットも居心地の悪さを感じたのだろう。
悔しそうに唇を噛むと「……っ! 失礼いたしました!!」と感情を露わにして、くるりとこちらに背を向けた。
いつもの優雅さの欠片もない荒々しさで立ち去ろうとする彼女を、アーサーが「お待ちを」と呼び止める。
ブリジットはすぐさま振り返ると、満面の笑顔で「何でしょう?」と声を弾ませた。
声にも顔にも、『引き留めてもらえて嬉しい!』という感情がありありと浮かんでいる。
「ハイデ伯爵令嬢。その手に持っている執務室の鍵を置いて行って下さい」
「はい?」
「鍵を、そこに、置いて下さい」
最初は、ぽかん……としていたブリジットは、一瞬にして顔を真っ赤に染め上げると、激高した様子で片手に握っていた鍵を机に叩き付けた。
金属がぶつかる大きな音が響く。
「ほらっ!置きましたわ!!これで文句ないでしょう!?」
彼女はやり場のない怒りをぶつけるように、音を立てて乱暴にドアノブを掴むと、バン――!と騒々しく扉を閉めて出て行った。
廊下に響き渡る苛立ちまぎれの荒い靴音がどんどん遠ざかり、やがて小さくなってゆく。
アーサーは鍵を手に取りため息をつくと、「警備の見直しをしなければいけないな」と低い声で呟いた。
そして、急いでソフィアの元に駆け寄り、床に座り込んだままだった自分の肩を抱き寄せ、ゆっくりと立ち上がらせてくれる。
「大丈夫かい? いや、大丈夫な訳がないな……僕のせいで、すまない。ハイデ伯爵令嬢は我の強い女性だと思っていたが、まさかあんな行動に出るとは……」
「私でしたら、大丈夫です。ですがブリジット様の仰ることも、ごもっともです。夜遅くに私と二人で居るのは、やはりアーサー様のご迷惑になってしまいます」
今日はこれで失礼致します――と言おうとしたが、アーサーが真剣な面持ちでこちらを見つめているのに気が付いて、ソフィアは少し首をかしげた。
「どうかなさいましたか?」
うつむきがちだった彼が、目線を上げた。
真摯な眼差しに射貫かれる。
透き通った瞳でまっすぐ見つめられ、ソフィアは思わず息を詰めた。
「ソフィア、僕は君を――」
彼の言葉も、仕草も、表情も、声音も――全てがただひたすらに、自分を求めて熱くひたむきに注がれる。
「愛してる」
聞き届けた瞬間、呼吸が、時間が、とまった。
ブリジットは、なおも激しく扉を叩き続けている。
ソフィアはとっさに、目の前の温もりから体を離した。
『わたくしです! ブリジット・ハイデですわ! 不審者じゃありませんのよ!!』
突然の訪問者の声に、アーサーは頭痛を堪えるように眉根を寄せた。そして口元に人差し指を当て、『しーっ。声を出さないで』とジェスチャーする。
ブリジットを無視して、返事をしないつもりのようだ。
『あら、いらっしゃらないのかしら?でも、話し声が聞こえていたような気がするわ。それに、扉の隙間から明かりが漏れている……。絶対にいらっしゃるはず。アーサー様!!』
ここは鍵のかかった部屋。入ることは出来ない。
きっと、諦めてすぐ帰るだろう――とソフィアとアーサーは思っていたのだが……。
ブリジットは思わぬ暴挙に出た。
『はっ!もしかして中で倒れているかもしれないわ! 大変!!……こんなこともあろうかと、わたくし警備室から鍵を借りてきましたの! 中の様子が心配なので、開けますねーっ!不法侵入じゃありませんわよ!お声は、かけましたからね。――では、失礼致します~!』
ガチャリと鍵を開ける音がして、重たい扉が勢いよく開かれた。
ソフィアはアーサーと密着している自分の状況に慌てて、出来る限り彼から遠ざかった。
急いで立ち上がったせいで、前方につんのめる形でバランスを崩し、目の前の本棚に激突。
ドン――!という大きな音と共に、したたかに打ち付けた額に痛みが走る。
「ソフィア!大丈夫かい?」と駆け寄ってくるアーサーに、ソフィアは「大丈夫です」と答えながら、近付かないでと言うように手で制した。
「あら?今すごい音がしたけれど……。あらあら、アーサー様の使用人さん、どうしたの? 嫌だわ、床に座り込んじゃって、いったい何をしていたのかしら?やっぱり庶民は、することが汚らしいわ」
ブリジットは、嫌悪に満ちた目でソフィアを見つめている。
痛みをこらえながら「お騒がせして、すみ――」と、謝罪の言葉を言いかけた時、アーサーがブリジットとの間に割って入り、ソフィアを庇うように前へ出た。
彼は敵意を露わにした目で彼女を睨むと、有無を言わさぬ強い口調で言い放つ。
「ハイデ伯爵令嬢。他家の執務室に許可なく勝手に入るとは、いかなる理由があっても許されることではありません。お引き取りを」
「まぁ……わたくしはお見舞いに来ただけなのに。そんな言い方……ひどいですわ。確かに、不躾な行いだと自覚しております。ですが、お返事がなかったので心配で……。昨日、事件に巻き込まれたばかりでしょう?また刺客に襲われているのではないかと、嫌な予感がしまして……」
「ご心配ありがとうございます。ですが、それなら尚のこと、勝手に入らず警備を呼ぶなど別の方法を取るべきだ。その鍵は一体、誰から借りたのですか?」
アーサーの鋭い指摘に、ブリジットは一瞬口ごもって「これは……夜警の方に」と答えた。
「夜警、ですか。それは誰です? 所属と名前、もしくは見た目は? オルランド家の了承もなく鍵を他人に渡すなど、あってはならないことだ。警備の意味がない。勤務態度の見直しを命じる必要があります。お答えを、ハイデ令嬢」
「えっと……聞き忘れてしまいましたわ。確か……マーク? いや、マリオン? あぁ、思い出せません。顔も、暗かったので……。背は、高かったような、低かったような? わたくし、アーサー様以外の男性は全部同じ顔に見えてしまうので、覚えていませんの。だって、貴方以上に素敵な方なんて――」
しどろもどろで冗長な彼女の話を、アーサーは「もう結構です」とぴしゃりと遮り拒絶した。
「この件については、ハイデ伯爵家へ正式に抗議させて頂きます。迎賓館と他の貴族家にも、警備観点から注意喚起をしなければ」
「どうしてそんなに怒っているのです? わたくしはただ、あなた様を愛しているからこそ、いろいろ心配して……。そんなに冷たいお声で叱責するなんて……酷い……酷すぎるわ……」
ブリジットは口元を手で覆うと、悲しげに目を伏せた。
懐からハンカチを取り出し、乾いた目元を拭うと、肩を小刻みに震わせて「ひどい……酷いわ」と繰り返す。
しかし、次の瞬間には、すいっと疑うように目を細め、ぞっとするほど冷たく低い声音で囁いた。
「アーサー様がわたくしを、そんな風に疑うのなら、こちらも勘ぐってしまいますわ。こんな真夜中に使用人と何をしていたんです? まさか、国も身分も違う穢らわしい庶民と禁じられた恋を……なんて、ありえませんわよね?」
瞳を残忍に輝かせ、早口でまくしたてるブリジットに、アーサーは至極冷静に答える。
「あなたには関係のないことだ、ブリジット・ハイデ伯爵令嬢」
一層強い口調でアーサーは、言葉を続けた。
「今まで何度も申し上げている通り、私とオルランド家は、今後もあなたとハイデ伯爵家に一切関わる気はない。あなたが貴族以外を穢らわしいと思う価値観は自由だが、私の部下を、彼女を侮辱するのは許せない。ソフィアに謝罪し――即刻、お引き取り願う」
「はっ、謝罪なんて致しませんわ。アーサー・オルランド様、これはわたしからの忠告です。身の程をわきまえない女との恋に燃えるのは結構ですが……その穢らわしい炎は、いずれあなた自身を燃やし尽くしますわよ?」
口を歪めて目を細め、勝ち誇ったように笑う社交界の『深紅の薔薇姫』。
絶世の美貌を持つ彼女がいびつな顔をする様は、相手に恐怖心を与える程、迫力があった。
だが、アーサーは全く動じず、何も言わない。
忠告という名の嫌味を全て無視して、無言のまま凍てつくような目で『去れ』と睨み付ける。
返事もなく、相手にもされない状況に、さすがのブリジットも居心地の悪さを感じたのだろう。
悔しそうに唇を噛むと「……っ! 失礼いたしました!!」と感情を露わにして、くるりとこちらに背を向けた。
いつもの優雅さの欠片もない荒々しさで立ち去ろうとする彼女を、アーサーが「お待ちを」と呼び止める。
ブリジットはすぐさま振り返ると、満面の笑顔で「何でしょう?」と声を弾ませた。
声にも顔にも、『引き留めてもらえて嬉しい!』という感情がありありと浮かんでいる。
「ハイデ伯爵令嬢。その手に持っている執務室の鍵を置いて行って下さい」
「はい?」
「鍵を、そこに、置いて下さい」
最初は、ぽかん……としていたブリジットは、一瞬にして顔を真っ赤に染め上げると、激高した様子で片手に握っていた鍵を机に叩き付けた。
金属がぶつかる大きな音が響く。
「ほらっ!置きましたわ!!これで文句ないでしょう!?」
彼女はやり場のない怒りをぶつけるように、音を立てて乱暴にドアノブを掴むと、バン――!と騒々しく扉を閉めて出て行った。
廊下に響き渡る苛立ちまぎれの荒い靴音がどんどん遠ざかり、やがて小さくなってゆく。
アーサーは鍵を手に取りため息をつくと、「警備の見直しをしなければいけないな」と低い声で呟いた。
そして、急いでソフィアの元に駆け寄り、床に座り込んだままだった自分の肩を抱き寄せ、ゆっくりと立ち上がらせてくれる。
「大丈夫かい? いや、大丈夫な訳がないな……僕のせいで、すまない。ハイデ伯爵令嬢は我の強い女性だと思っていたが、まさかあんな行動に出るとは……」
「私でしたら、大丈夫です。ですがブリジット様の仰ることも、ごもっともです。夜遅くに私と二人で居るのは、やはりアーサー様のご迷惑になってしまいます」
今日はこれで失礼致します――と言おうとしたが、アーサーが真剣な面持ちでこちらを見つめているのに気が付いて、ソフィアは少し首をかしげた。
「どうかなさいましたか?」
うつむきがちだった彼が、目線を上げた。
真摯な眼差しに射貫かれる。
透き通った瞳でまっすぐ見つめられ、ソフィアは思わず息を詰めた。
「ソフィア、僕は君を――」
彼の言葉も、仕草も、表情も、声音も――全てがただひたすらに、自分を求めて熱くひたむきに注がれる。
「愛してる」
聞き届けた瞬間、呼吸が、時間が、とまった。
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