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9章:それぞれの思惑・影の陰謀

深紅の薔薇姫【side:ブリジット】

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 ブリジットはハンカチを噛みしめながら、二人の姿が見えなくなるまで憎しみの眼差しで見つめていた。

 そして、「なんなのよ!いったい!」と甲高い声で叫びながら、バッグを思いっ切り床に投げつけ、何度も何度も踏みつけた。

 ブリジット・ハイデの今までの人生に『負け』は一度もなかった。

 伯爵家のご令嬢として周囲からうやまわれ、あでやかな美貌からついた社交界での通り名は『深紅の薔薇姫』。

 家柄や身分、容姿、知性、有能さ。全てにおいて完璧。ブリジットは自分自身に誇りを持っていた。

 綺麗なドレスも装飾品も、男でさえ、望めば欲しいものは何でも手に入るのが当たり前。
 
 自分では入手困難なものも、娘に甘い父親が根回しして手を貸してくれる。

 手に入れるも捨てるも、自分の思うがまま!社交界もこの世界も自分を中心に回っている。

 ブリジット・ハイデこそが、リベルタ貴族界の至高の美であり、高嶺の花であり、正義なのだ。

 完璧な人生の中で、足りない物が一つだけあった。


 それは……結婚相手だ。


 周囲の令嬢がどんどん結婚や婚約を決め、社交界で仲睦まじく寄り添ってお披露目する姿を、ブリジットは今までずっと見下し、あざ笑いながら見つめていた。


――あの令嬢の旦那、爵位は高いけれど顔が残念ね。あと、デブ!あんな豚みたいな不細工を横にはべらせて、よく恥ずかしくないものだわ。笑っちゃう。


――あっちの令嬢の旦那は顔はそこそこ良いけれど、爵位は子爵でしょう?あんな低価値の男しか捕まえられなかったなんて憐れね。結婚相手は自分の最高のアクセサリー。それを妥協するなんて、あの令嬢は一生全てにおいて妥協する運命なんだわ。まぁ、かわいそう。でも、あんな平凡顔じゃあ、子爵程度がお似合いか。


 お披露目を終えた令嬢にブリジットが形ばかりの祝福を贈ると、彼女達は決まってこう言うのだ。


『結婚は、とても素敵なものですわ。私、旦那様に出会えて今とても幸せですの。ブリジット様はどんな方と結婚されるのかしら?お披露目会、楽しみにしていますわね』と。


 その言葉がブリジットには上から目線に聞こえ、心底腹立たしかった。

――はぁっ。わたくしより先に結婚したからって、調子乗ってんの?

 あなたみたいなブスで馬鹿で、そこら辺に掃いて捨てる程いる量産型の女が、わたくしを見下すなんて百年、いや千年早いのよ。
 
 ほんと平凡な女は良いわよね。不細工で低脳で無価値な男でも満足できるんですもの。安上がりだわ。

 結婚で浮かれて緩みきった令嬢たちの顔が、自分を馬鹿にしているように見えて憎らしい。
 
 仲良く寄り添っている男女の姿が、繋いだ手が、互いを慈しむ瞳が……吐き気がするほど気色悪い。 

 愛だの恋だのが、自分は大っ嫌いだった。
 
 この世は『役に立つ価値のある人間か』『ゴミ』かの二択。

 『貧しくても、愛する二人だから乗り越えられる~』……なんてねぇ、ただの馬鹿じゃない?

 永遠の愛なんて、夢見がちな愚かな人間を視界に入れると鳥肌が経つ。
 
 爪を立てて、ずたずたに引き裂いて、どろっどろの血まみれにしてやりたい。

 まぁ?高貴なる自分はそんな野蛮なことはしないけれど。

――わたくしはね、やっすいお前らとは違うのよ。

 高貴で美しく完璧な自分の結婚相手アクセサリーは、全てにおいて釣り合いがとれる、素晴らしい男でなければ。
 
 誰もがブリジットと夫が社交界で並ぶ姿を見てうっとりし、羨み、悔しがるような。 
 
 そして既婚者令嬢たちが、隣に立つデブで不細工で無価値な旦那と結婚してしまった自らの人生を嘆き、絶望するような相手。

 そんな素晴らしい結婚こそが、高貴な血と美貌を持つ自分には相応しいのだ。

――私は、賞賛と羨望せんぼうの眼差しを一心に受け、社交界で一番輝く女になる。そして、散々私を馬鹿にしてきた既婚者達に心の中で言ってやるのよ。


『ねぇあなた、そんな貧相な旦那を連れて良く恥ずかしくないわね。お前みたいなどこにでもいる女は、そのゴミ夫と添い遂げる惨めで可哀想な人生がお似合いなんだよ。ざまぁみろ!!!!!』とね。

 そのために、ブリジットは自分が『結婚してあげてもいいかしら』と思える男性を見つけなければいけなかった。

 社交界に貴族の男は溢れているが、爵位が高くても不細工だったり、気弱だったり、馬鹿だったり、ゴミクズのような人間ばかりだった。


――まぁ、完全無欠の私に釣り合う男なんて、この世に存在しないわよね。

 その点、アーサー・オルランドは及第点だった。
 
 古くからリベルタにある名門オルランド伯爵家の長男。 領地には貿易港を多く抱え、税収も安定している。
 
 頭も良く、父から継いだ貴族議員としての立場もある。

 そして何より、彼は顔がすこぶる良かった。

 社交界でブリジットの隣に立ってもかすまないどころか、自分の美しさを一層引き立たせてくれる。

 母親は死んでいるから姑問題の不安もない。
 
 唯一欠点なのは風変わりな妹がいることだけど……。

――まぁ、適当にいじめて追い出せばいいわよね。よし、アーサー・オルランドにしよう。

 ブリジットは身につけるアクセサリーを決めるような感覚で、自身の結婚相手に目星を付けた。
 
 アーサーが美しい自分を好きになるのは当たり前。

 まさか、食事会の途中で『もう二度と食事をすることはないでしょう』などと言って求愛を断り、事あるごとに拒否した上、自分に敵意を向けるなど思ってもみなかった。


――それもこれも、全てあの女のせいよ。

「ソフィア・クレーベル」

 北の狂った貧乏な国からやってきた、汚らしい女。
 
 調べたところ、彼女はセヴィル帝国の貴族令嬢だったらしいが、地位も身分も捨ててリベルタ王国に来たらしい。 

 そして、あくせく仕事をして狭い豚小屋みたいな寮で生活する――平民同然の暮らしをしている女だ。

 いくら帝国では地位があったとはいえ、リベルタ王国では庶民。

 地位も権力も、財産も、あんな何の役にも立たない下等な女を、どうしてアーサー様は側に置いているのかしら?

「おかしいわ」

 そもそも他国から来た女を、どうして迎賓館は採用したの?他にも適切なリベルタ人がいたはず。

「そう、おかしいのよ」

 何であんな女に、私の最高の結婚相手アクセサリーを奪われなきゃいけないの?

「あぁ、わたくし分かってしまったわ。ソフィア・クレーベル。あなた、迎賓館長やアーサー様に色目を使ったんでしょう?それで彼らにちやほやされて、いい気になっているのね。……聞けば、先日来ていた帝国使者の最高責任者にも気に入られていたそうじゃない。野蛮な国の女はやることも最低ね。穢らわしいったらないわ、まるで獣よ!」

 どうしてやろうかしら?――と暗闇で一人呟く。

 よりによって自分が目をつけた男をたぶらかすなんて、許されない大罪だ。
 
 あの女には、苦しんで苦しんで、苦悶と絶望の果てに舞台から退場してもらわなきゃ。

「わたくしがソフィア・クレーベルの醜い化けの皮を剥がして、あの女にたぶらかされた人間の目を覚めさせてあげなきゃ。異国から来た野蛮な毒婦は、わたくしが退治してあげる。そうすれば、みんながわたくしを褒め称えるでしょう。わたくしったら、なんて素晴らしい人間なのでしょう。これはまさに、正義の行いよ!」

 毒をまき散らすおぞましい魔女を火あぶりにして平和を取り戻す!

 これを正義と言わずして何と言うだろう。

 悪者ソフィアは、正義ブリジットの前に倒れる。勧善懲悪。これは、みんなが求めている物語。

 ねぇ、そうでしょう?
 
――身の程知らずな行いをした魔女ソフィア・クレーベル。あなたに、わたくしが正義の鉄槌を下すわ。

 地獄の業火に焼かれて自分の行いを悔い改め、そして居場所を失って惨めに死になさい。

 さて、どんな方法で魔女を処刑するかしら?

「あっ、良いことを思いついちゃった。ふふ、わたくしって、なんて賢いんでしょう!」

 ブリジットは踏みつけてグシャグシャになった鞄を拾い、ほこりを払った。

 そして、邪悪な心を美しい微笑みで覆い隠し、歩き始めた。

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