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9章:それぞれの思惑・影の陰謀

友の想いを背負い歩く【side:アーサー】

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 テオの訃報を知ってから一週間、アーサー達は昏迷こんめいを極める帝国からの文書回答に追われていた。

 ソフィアは悲しみを抱えながら、それでも前を向いて、自分が今すべきことに全力で打ち込んでいる。


――本当に、芯の強い女性だ。
 

 今日の仕事を終えたソフィアが、「それでは、お先に失礼いたします」と告げてきた。

 表情も声音も必死に明るく取り繕っているが、隠しきれない悲しみと疲れがにじんでいた。

「あぁ、ソフィア、今日もお疲れさま。大丈夫かい?寮まで送るよ」

「アーサー様は、まだお仕事残っていますよね?私は大丈夫です」とソフィアは、ほほ笑みながら答え、一礼して執務室を出て行く。

 扉が閉められ、足音が遠ざかるのを確認してから、アーサーは椅子の背もたれに寄りかかって、ため息をついた。

 
 和平合意により、リベルタ国民が安心したのも束の間……。
 
 テオ・ブラストの訃報と、会談内容の白紙撤回を求める帝国強硬派の要求が、新聞で報じられた。

 政府と議会はテオ・ブラストの死を公表するのは、帝国との関係が落ち着いた後にする予定だったのだが……何者かが、新聞社に匿名で情報をリークしたらしい。

 アーサー達がテオの訃報を知った翌日には、王都中に号外がばらまかれ、広く王都市民の知るところとなった。

 安心していた市民は、再び不安と恐怖のどん底に突き落とされ、帝国への悪感情は以前より強烈なものになっている。

 
 身内を疑いたくないが、政府や議会に裏切り者がいるのは明らかだった。

 

 アーサーは机の引き出しから『友情の証』としてテオから貰った例の絵を取り出し、苦笑をこぼす。


「まったく、何が友情の証だ。僕だけ適当に描きやがって」


 絵の中で晴れやかに笑う友の顔を見つめ、しんと静まり帰った部屋の中で一人呟く。

 
 静かな声に、確かな意思と覚悟を込めて。


「テオ・ブラスト。僕の友。今この瞬間、お前に誓いを立てるよ。大切な人を守る――お前の夢の続きは、僕が必ず引き継いで叶える。僕がお前を、願いの先の未来へ連れて行ってやる。だから……」

 
 表情を緩めて、悲しげに、そしてとびきり優しく微笑んだ。


「お前はそこで、安心して笑っていろ」
 
 
 紙の中にいる友は、何も言わない。

  
 だが、今にも奴の偉そうな声が、聞こえて来そうな気がしていた。


 『ふん。せいぜい期待しているぞ、オルランド』――と。
 


 友の証を大切に机の引き出しに収め、外套を羽織り、帽子と護身用のステッキを持って執務室を後する。

 部屋の明かりが消され、室内に暗闇が広がった。


 アーサーは執務室棟を出ると護衛を伴ってオルランド家専属の馬車に乗り込み、自宅に向けて出発した。


 王都では、依然としてセヴィル人による犯罪が頻発しているため、厳戒態勢が敷かれている。

 車窓から見える市街地は、夕方にも関わらず、真夜中のような静けさに包まれていた。


――まるでゴーストタウンだな。


 歩道や飲食店には人の気配がなく、歩いているのは明かりを持って巡回する夜警騎士だけ。
 
 立ちこめる不気味な霧が、王都に蔓延まんえんする人々の恐怖や不安、帝国への憎悪を具現化しているようだ。
 
 数日前、王都で実に痛ましい事件が起きた。
 
 中心部から少し離れた、とある貴族の別邸が何者かによって放火されたのだ。

 激しい火災により建物は全焼。

 幸いにも死傷者はいなかったが、隣接する王都植物園にまで火の手が回り、付近は一時騒然となったらしい。

 凶行に及んだ犯人は、特権階級である貴族に恨みを持つリベルタ人労働者だった。
 
 しかし、王都市民の憎悪はリベルタ人ではなくセヴィル人に向けられた。


 それは何故か?
 
 理由は、事件直後、『王都通信社』という新聞社の記者が『犯人はセヴィル人である』という憶測記事を、あたかも真実であるかのごとく書いたからだ。

 
 『現在捜査中。犯人はまだ分かっていない』と正直に書くより、『犯人はセヴィル人!?帝国からの不法越境者、またしても凶悪犯罪行為か』などという強烈な見出しの方が、新聞はよく売れる。


 情報は時として凶器になる。人々を恐怖のどん底に突き落とし、狂わせる劇薬だ。


――この情勢不安定な時に余計なことをしてくれたな。最近の王都通信社の誤報やゴシップ記事は目に余る、一度探ってみるか……。


 今の王都では、庶民も貴族も関係なく、全員が怯えながら日々の生活を送っている。


 彼らの心の中に溜まった恐怖と鬱憤は次第に、セヴィル人への憎悪に変わっていった。


――今の王都の状況は異常だ。


 まるで、誰かがセヴィル人を操ってわざと騒動を起こし、市民の恐怖を駆り立てることで、戦争に持ち込もうとしているようだ。

 そんな事をしたがるのは、帝国と正面衝突することで得をする者。
 

「……戦争貴族たち。その中心、ネイド一族あたりか」


 先の戦争で爵位と領土を得た彼らなら、次こそはより多くの手柄を上げ、階級社会でのし上がりたいと考えてもおかしくはない。

 戦争により既存のリベルタ貴族たちが命を落とし、席が空けば尚のこと好都合だ。


 「愚かな」――アーサーは目を鋭く細め、虚空を睨み付けた。
 
 目に見えない敵をどう特定し、追い詰めてやるか算段を立てる。


 テオが自らの命をかけて作ってくれた平和への道を、何者かが、自身の欲望を満たすために壊そうとしている。

 
 それが『何者』かは、まだはっきりと分かっていないが……。
 
 奴らの欲深さと傲慢さに、苛立ちを通り越して憤りを覚える。到底、許せるものではなかった。


 「はぁ、冷静になれ。感情的になったら負けだ」と、アーサーは額に手を当ててふぅっと深く息を吐き出した。

 
 ふいに、何か嫌な予感がして背後を振り返ると、見覚えのある馬車が自分たちの後ろに、ぴったりと付いて走行していた。

 黒塗りの立派な二頭立て箱形馬車だ。
  
 記憶をたどると、昨日も同じような馬車が後続にいた気がする。

 昨夜は何度か角を曲がるうちにくことが出来たが……。


 今日は2台3台……4台と同系統の馬車が後ろに続いている。
 
 振り切ることは不可能だろう。 

 
 ためしにアーサーは御者に命じ、いくつか角を曲がらせたり小道に入らせたりしたが、黒塗りの馬車は一定の距離を保って背後に陣取っている。

――やはり、僕を狙っているな。護衛を増やしておいて正解だった。

 よく観察すれば、貴族が乗るような高性能な馬車なのに、運転が非常に荒い。
 
 まるで、土地勘のない素人が御しているかのような不安定な走行だ。

――このまま屋敷に帰ったら、ミスティや父さんに被害が及ぶかも知れない。かといって、街中では市民を巻き込む可能性がある。どうしたものか。


 数秒の思案の後、アーサーは御者に命じて、王都の湾岸区にある倉庫街へ馬車を走らせた。

 夜闇を切り裂く風のごとく、アーサーが乗る馬車と、その前後を守るオルランド家の護衛車、そして不気味な黒塗り馬車数台が街中を駆け抜ける。

 
 不穏な影が、すぐそこまで迫っていた。


 See you tomorrow

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