上 下
37 / 109
5章:月に叢雲(むらくも)、花に風

修羅の道を往く【side:テオ】

しおりを挟む
 テオ・ブラストは自室の書斎で部下からの報告を聞いていた。

「中立派と穏健派の一団は、秘密裏に帝都を出発してリベルタ王国へ向かったようです」

 テオは、ただでさえ鋭い瞳を更に細め「そうか」と呟いた。

「奴らもなかなか姑息な手を使う。使節団のメンバーに選ばれなかったにも関わらず、帝国議会での決定を無視して他国へ渡るなど言語道断。俺が帰国したら相応の処罰を検討せねばな」

 足を組み替えるといかめしい口調で眼前の部下に命じる。

「使節団に選ばれた貴族らに即時通達せよ。我々もすぐに出立する。遅れた者は容赦なく置いていく。強行軍になることを覚悟せよ――と伝えろ」

 「かしこまりました。失礼いたします」と一礼して部下が立ち去る。
 
 暗い室内に残されたテオは、椅子の背もたれにゆったり体を預け、両手を組んでみぞおちの上に置き目を閉じた。


「ソフィア・クレーベル。俺の女よ。ようやくお前に会いに行ける」


 空に浮かぶ三日月より明るい金の目を開き、遠くにいる彼女を捕まえるように右手を持ち上げる。


「俺の腕の中に戻ってこい。ソフィア」


 間もなく戦争になる。これは避けられない運命だ。

 いくら中立派や穏健派が和平の道を模索しようとも、ここは強硬派貴族が多数を占める国。

 宮殿の奥に引きこもり、まるでまつりごとに興味のないお飾りの皇帝には戦争を止められない。

 両国の武力衝突が起きれば、セヴィル人であるソフィアはリベルタ王国での居場所を失うだろう。

「お前も俺も、決して自由にはなれない。生まれる時代や両親を選べないように、己の人生もまた選べないのだ。与えられた役割、子々孫々と受け継がれる伝統、慣習。忌まわしい呪縛。全て諦めて生きるしかない」

 諦めるしかないのだ――とテオは自分に言い聞かせるようにもう一度呟いた。


 その時、自室に近付いてくる足音に気が付いて、とっさに口をつぐむ。

 
 屋敷の中でも軍靴をはき、足を引きずる歪な靴音を響かせる人間は、このブラスト侯爵邸に一人しかいない。

 
 ドアが強めにノックされる。

 
「はい」――と返事をすると、すぐさま男が部屋に入ってきた。


 黒い軍服を身にまとい、胸元にはあまたの勲章。
 階級肩章には星がきらめき、左腕には高位の貴族軍人の証である深紅の腕章をつけている。

 テオより更に険しい金の瞳が月明かりに照らされ、鋭い剣のきっ先の如くギラリと光った。
 
 歳を感じさせない鍛え抜かれた大きな体に、そこに居るだけで相手に恐怖心を植え付ける圧倒的な威圧感。
 
 傷だらけの顔には人間らしい感情は一切無く、帝国貴族として絶えず強さを追い求める残忍なまでの冷酷さと厳しさがにじみ出ていた。
 

 アレフ・ブラスト侯爵――テオの父がここに足を踏み入れた瞬間から、自室はもはや憩いの場では無く、戦場へと一気に姿を変えた。


 彼の不興を買えば、たとえ息子であっても容赦なく切り捨てられる。これは比喩ではない、文字通り絶命を意味する。

 父の腰に下げられた剣の柄を一瞥いちべつし、テオは緊張で湿る手の平を握りしめ言葉を発した。

「このような夜更けにどのような御用向きでしょうか、父上」

 緊張も恐怖も、こちらの全て見透かすような冷たい目でテオを見つめ、父はおもむろに口を開いた。

「中立派と穏健派にはかられたと聞いたが、事実か」

 腹の奥に響く重低音が空気を震わせる。部屋に、死地のごとく緊迫した空気が漂った。

「申し訳ございません。ですが、これから我らも出発致します。奴らの行動など些事さじなこと。父上のご心配には及びません」

 鋭い眼光を緩めることなく、父は忌々しげに自分の動かない左足を見下ろすと、「無念だ――」と唸った。

「足がこれでなければ、私が大使として直々にリベルタ王国へ行けたものを」 

 もともと父は幼少期から足腰が悪かったが、長年無理をしたため、今では引きずりながら歩くようになってしまった。
 
 馬車での長旅など不可能な体だ。

 強さを追い求める彼にとって、自らの体すら満足に動かせないというのは何よりの屈辱なのだろう。

 もともと頑固な性格だったが、年々老い、衰えるのに比例して偏屈さは増していくばかりだ。
 

 父は顔を大きく歪めて舌打ちをすると、苛立ち紛れに拳で太ももを強く叩いた。
 
 金色の鋭い瞳には、全てを破壊しようとする残忍な本性が見え隠れしている。
 
「テオ。私が貴様に告げることはただ一つ。――己が使命を果たせ。私の名代であり、強硬派最大派閥ブラスト侯爵家の人間として。そして、此度こたびの使節団の最高責任者として。必ずや目的を達せよ。コンフィーネ地方の山岳地帯。あれを我が国の領地として取り戻すのだ」

「はっ。必ずや」

「あの山岳地帯だけはなく、リベルタ王国はもともと我が国の属国――いわば所有物だ。今こそ全てを奪い返し、再び強い大帝国を築くときである」

「……」

 『強かった時代のセヴィルを取り戻し、一大帝国を築く』――その理想を自分は父の口から何度聞いたことか。


 セヴィル帝国がリベルタ王国やラメール王国を植民地化して栄華を極めたのは、もう遙か昔の話。

 今では幾多の戦争により疲弊し、この痩せ細った過酷な北の土地に追いやられている。


 ブラスト侯爵家をはじめ、強硬派閥の貴族たちはセヴィル帝国が世界の覇権はけんを握った際に絶大な権力を手にした一族。

 そのため、自分達の栄光の象徴である大帝国の再興は、父達にとって何よりの悲願だった。
 

――正直、そこまで過去の栄光に執着する気持ちが俺には分からんな……。


 テオが顔にも声にも出さずこっそりため息をつく間にも、父は朗々と語り続けていた。 

「山岳地帯を我が国に譲渡しないのであれば……リベルタ王国など滅ぼしてしまえばいい。あそこは自衛のための騎士団があるのみ。徴兵もなく民は戦いを知らない、無能もいいところだ。我が国が負けるはずがない。いいか、テオ。奴らに弱腰な態度を取るなよ?一歩も引くな。完膚なきまで蹂躙じゅうりんし、支配しろ」

 「分かったな?」と鋭い眼光でにらみ付けられ、テオは本能的に震え出す体を必死に押さえて「承知いたしました」と応えた。
 

 帝国の強硬派は目的を達成するためには戦争も辞さない。むしろ……。


――父上の本当の目的は金山じゃない。戦争だ。力で制圧……殺し合いの果ての完全勝利が欲しくてたまらないのだろうな。まさに、獣だ。理性なんてあったものじゃない。

 父達の過激な思想とやり方は、やはりテオには理解できない。

――これから大寒波が来る。暖炉の火をともす薪も油も不足し、国の貯蔵庫には貴族たちが腹を満たすための備蓄しかない。こんな状況で戦争になれば、民は飢え、凍え……多くの未来が失われる。


 テオは挑むように真っ向から父親を見すえ、意を決して問うた。


「父上たち強硬派が戦争も辞さない強行姿勢を貫くお気持ちは分かります。しかし、今の状況で戦争に突入すれば民の暮らしはどうなりましょうか。父上はそれについて、どのようなお考えなのかお聞かせ願えますか」

「――愚問だな」


 ブラスト侯爵はテオの決死の抗議を冷酷な言葉で一蹴した。取りつく島がないとはまさにこのこと。


「我々はあまたの人間を束ねる侯爵貴族。私やお前には、国を守り繁栄させ、永続させる義務と責任がある。国民は我々の所有物であるが、我々は国民の保護者ではない。戦争や飢餓で死ぬのなら、それまでの命だったということ。我らが真に憂うのは民の明日ではなく、国の未来である」

「民あっての国であり、我ら貴族ではないのですか。高貴な身分には義務と責任が伴う。弱き者を切り捨てることは――」

「テオ。貴様はまだそのような甘いことを言っているのか? リベルタを攻め落とせば副産物としてどれいなどいくらでも手に入る。お前は使いものにならない物を捨てるのにいちいち感傷的になるか? ならないだろう。民など所詮その程度のもの」

 父……いや、ブラスト侯爵はどこまでも非情な人だ。
 
 誰が亡くなろうと決して揺るがない。たとえ息子や妻が命を落としたとしても、彼の心は動かない。 

 過去への執念によって生かされている虚ろな亡者だ。

 ふと、彼は何かを思い出したように「あぁ……たしか、名はソフィア・クレーベルだったか」と呟いた。

 彼女の名前が父の口から出た瞬間、テオに嫌な予感と緊張が走った――。



 次話『ソフィア・クレーベルは戦争の道具』


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】18年間外の世界を知らなかった僕は魔法大国の王子様に連れ出され愛を知る

にゃーつ
BL
王族の初子が男であることは不吉とされる国ルーチェ。 妃は双子を妊娠したが、初子は男であるルイだった。殺人は最も重い罪とされるルーチェ教に基づき殺すこともできない。そこで、国民には双子の妹ニナ1人が生まれたこととしルイは城の端の部屋に閉じ込め育てられることとなった。 ルイが生まれて丸三年国では飢餓が続き、それがルイのせいであるとルイを責める両親と妹。 その後生まれてくる兄弟たちは男であっても両親に愛される。これ以上両親にも嫌われたくなくてわがまま1つ言わず、ほとんど言葉も発しないまま、外の世界も知らないまま成長していくルイ。 そんなある日、一羽の鳥が部屋の中に入り込んでくる。ルイは初めて出来たその友達にこれまで隠し通してきた胸の内を少しづつ話し始める。 ルイの身も心も限界が近づいた日、その鳥の正体が魔法大国の王子セドリックであることが判明する。さらにセドリックはルイを嫁にもらいたいと言ってきた。 初めて知る外の世界、何度も願った愛されてみたいという願い、自由な日々。 ルイにとって何もかもが新鮮で、しかし不安の大きい日々。 セドリックの大きい愛がルイを包み込む。 魔法大国王子×外の世界を知らない王子 性描写には※をつけております。 表紙は까리さんの画像メーカー使用させていただきました。

透明令嬢、自由を謳歌する。

ぽんぽこ狸
恋愛
 ラウラは仕事の書類に紛れていた婚約破棄の書面を見て、心底驚いてしまった。  だって、もうすぐ成人するこの時期に、ラウラとレオナルトとの婚約破棄の書面がこんな風にしれっと用意されているだなんて思わないではないか。  いくらラウラが、屋敷で透明人間扱いされているとしても、せめて流行の小説のように『お前とは婚約破棄だ!』ぐらは言って欲しかった。  しかし現実は残酷なもので、ラウラは彼らに抵抗するすべも仕返しするすべも持っていない、ただ落ち込んで涙をこぼすのが関の山だ。  けれども、イマジナリーフレンドのニコラは違うと言い切った。  彼女は実態が無くラウラの幻覚のはずなのに、力を与えてやると口にしてきらめく羽を羽ばたかせ、金の鱗粉を散らしながら屋敷の奥へとツイッと飛んでいったのだった。

ふざけんな!と最後まで読まずに投げ捨てた小説の世界に転生してしまった〜旦那様、あなたは私の夫ではありません

詩海猫
ファンタジー
こちらはリハビリ兼ねた思いつき短編の予定&完結まで書いてから投稿予定でしたがコ⚪︎ナで書ききれませんでした。 苦手なのですが出来るだけ端折って(?)早々に決着というか完結の予定です。 ヒロ回だけだと煮詰まってしまう事もあるので、気軽に突っ込みつつ楽しんでいただけたら嬉しいですm(_ _)m *・゜゚・*:.。..。.:*・*:.。. .。.:*・゜゚・* 顔をあげると、目の前にラピスラズリの髪の色と瞳をした白人男性がいた。 周囲を見まわせばここは教会のようで、大勢の人間がこちらに注目している。 見たくなかったけど自分の手にはブーケがあるし、着ているものはウエディングドレスっぽい。 脳内??が多過ぎて固まって動かない私に美形が語りかける。 「マリーローズ?」 そう呼ばれた途端、一気に脳内に情報が拡散した。 目の前の男は王女の護衛騎士、基本既婚者でまとめられている護衛騎士に、なぜ彼が入っていたかと言うと以前王女が誘拐された時、救出したのが彼だったから。 だが、外国の王族との縁談の話が上がった時に独身のしかも若い騎士がついているのはまずいと言う話になり、王命で婚約者となったのが伯爵家のマリーローズである___思い出した。 日本で私は社畜だった。 暗黒な日々の中、私の唯一の楽しみだったのは、ロマンス小説。 あらかた読み尽くしたところで、友達から勧められたのがこの『ロゼの幸福』。 「ふざけんな___!!!」 と最後まで読むことなく投げ出した、私が前世の人生最後に読んだ小説の中に、私は転生してしまった。

旦那様はチョロい方でした

白野佑奈
恋愛
転生先はすでに何年も前にハーレムエンドしたゲームの中。 そしてモブの私に紹介されたのは、ヒロインに惚れまくりの攻略者の一人。 ええ…嫌なんですけど。 嫌々一緒になった二人だけど、意外と旦那様は話せばわかる方…というか、いつの間にか溺愛って色々チョロすぎません? ※完結しましたので、他サイトにも掲載しております

僕と君を絆ぐもの3(完結編)

はやしかわともえ
BL
僕と君を絆ぐものシリーズ、完結編になります。ファンタジー要素強めです。 軽い性的表現あります。 ご注意ください。

ごめんなさい、全部聞こえてます! ~ 私を嫌う婚約者が『魔法の鏡』に恋愛相談をしていました

秦朱音@アルファポリス文庫より書籍発売中
恋愛
「鏡よ鏡、真実を教えてくれ。好いてもない相手と結婚させられたら、人は一体どうなってしまうのだろうか……」 『魔法の鏡』に向かって話しかけているのは、辺境伯ユラン・ジークリッド。 ユランが最愛の婚約者に逃げられて致し方なく私と婚約したのは重々承知だけど、私のことを「好いてもない相手」呼ばわりだなんて酷すぎる。 しかも貴方が恋愛相談しているその『魔法の鏡』。 裏で喋ってるの、私ですからーっ! *他サイトに投稿したものを改稿 *長編化するか迷ってますが、とりあえず短編でお楽しみください

伯爵夫人のお気に入り

つくも茄子
ファンタジー
プライド伯爵令嬢、ユースティティアは僅か二歳で大病を患い入院を余儀なくされた。悲しみにくれる伯爵夫人は、遠縁の少女を娘代わりに可愛がっていた。 数年後、全快した娘が屋敷に戻ってきた時。 喜ぶ伯爵夫人。 伯爵夫人を慕う少女。 静観する伯爵。 三者三様の想いが交差する。 歪な家族の形。 「この家族ごっこはいつまで続けるおつもりですか?お父様」 「お人形遊びはいい加減卒業なさってください、お母様」 「家族?いいえ、貴方は他所の子です」 ユースティティアは、そんな家族の形に呆れていた。 「可愛いあの子は、伯爵夫人のお気に入り」から「伯爵夫人のお気に入り」にタイトルを変更します。

死を回避したい悪役令嬢は、ヒロインを破滅へと導く

miniko
恋愛
お茶会の参加中に魔獣に襲われたオフィーリアは前世を思い出し、自分が乙女ゲームの2番手悪役令嬢に転生してしまった事を悟った。 ゲームの結末によっては、断罪されて火あぶりの刑に処されてしまうかもしれない立場のキャラクターだ。 断罪を回避したい彼女は、攻略対象者である公爵令息との縁談を丁重に断ったのだが、何故か婚約する代わりに彼と友人になるはめに。 ゲームのキャラとは距離を取りたいのに、メインの悪役令嬢にも妙に懐かれてしまう。 更に、ヒロインや王子はなにかと因縁をつけてきて……。 平和的に悪役の座を降りたかっただけなのに、どうやらそれは無理みたいだ。 しかし、オフィーリアが人助けと自分の断罪回避の為に行っていた地道な根回しは、徐々に実を結び始める。 それがヒロインにとってのハッピーエンドを阻む結果になったとしても、仕方の無い事だよね? だって本来、悪役って主役を邪魔するものでしょう? ※主人公以外の視点が入る事があります。主人公視点は一人称、他者視点は三人称で書いています。 ※連載開始早々、タイトル変更しました。(なかなかピンと来ないので、また変わるかも……) ※感想欄は、ネタバレ有り/無しの分類を一切おこなっておりません。ご了承下さい。

処理中です...