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1章:鳥かごの中の令嬢ソフィア・クレーベル
烙印
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顔を歪めて舌打ちするテオの手首を、冷ややかな顔をしたルカが更にひねり上げる。
解放されたソフィアをかばい一歩前に出た弟は、自分より高位の貴族相手にも全くひるまない。
毅然と前を向いていた。
「他家の女性を物扱いした挙げ句、力尽くで支配しようとするなど、それこそ帝国男児にあるまじき振る舞いかと存じます。一方的に主張を押しつける方に姉をお任せすることは出来ません。即刻、お帰り下さい」
「……貴様に指図される謂れはない。手を離せ」
「すぐ、お帰り頂けるのであれば、お離し致します」
力任せに振りほどこうとするテオだが、細身ながら豪腕なルカに捕らえられた手首は簡単に抜けない。
むしろ、もがけばもがくほど強く握りこまれ、忌々しげに舌打ちをする。
ソフィアの一歳下の弟は、女性顔負けな可憐で儚げな容姿をしているため、しばしば周囲からは軟弱者だと思われがちだが……。
その実、腕っぷしが非常に強かった。
ルカは自分より遙かに上背のある男を片手で制すると、はっきりした口調で再度「お帰り下さい」と告げた。
テオは憎しみのこもった瞳でルカを睨み付ける。
しばらくの沈黙ののち。
小さな声で「日を改める」と 唸り、腹立ち紛れの足音を響かせて応接間を出て行った。
その場に居た使用人全員に見送りを命じて部屋の外に出すと、ルカは大きくため息をつき、横目で気遣わしげな視線を向けてくる。
「手、大丈夫か」
「うん。少し驚いたけど大丈夫。ありがとう、ルカ」
「別に、ソフィアのためじゃないし。俺があいつにムカついたからやっただけ」
素直じゃない弟のぶっきらぼうな言葉の裏に隠された優しさに、ソフィアは手首をさすりながら微笑んだ。
しかし、いつも通り上手く笑みを形作れなくて、うつむく。
見下ろした自分の手首は赤く染まっていた。
――まるで所有物として、烙印を押されたみたい。
思わず顔を歪める。
「おい、泣くなよソフィア」
気丈な姉が泣いてしまったと思ったのだろう。
ルカは普段のツンケンした態度はどこへやら、戸惑った様子でおろおろしている。
「大丈夫だよ、ルカ。私、泣いているわけじゃないの」
「え?そうなのか。じゃあ何でそんな顔してるんだよ」
「苦しいの」
「何だって?」
「私、すごく苦しいの」
ソフィアは赤くなった手首を見つめながら、ずっとため込んでいた想いを一気に吐き出した。
「女性に生まれたからって、どうして殿方に『物』扱いされなきゃいけないの?どうして他国の文化や芸術や語学を学ぶことを無駄だと言われるの?どうして結婚しなきゃ後ろ指をさされるの?どうして……『世間の誰か』の言いなりにならなきゃいけないの?」
自分が、エリィのような価値観を持った普通の帝国令嬢だったら良かったのに。
そうすれば、こんな不毛な悔しさを抱くこともなく、自分自身も、家族も、みんな幸せになれたのに。
――でも私は、どう頑張っても普通にはなれなかった。
恋愛や刺繍やダンスより、他国の文化や語学を研究する方が好き。
あんな傲慢な殿方と結婚するより、後ろ指をさされても独身の方が良い。
でも、そんなワガママが通用しないことは、もう子供じゃないんだから分かっていた。
みんな、少しずつ何かを諦め、自分自身の心に折り合いをつけて生きている。
帝国は人の出入りが極端に制限された檻――。
貴族といえども、差し迫った理由も無く外に出ることは叶わない。
どこにも行けない。逃げ場はない。
諦めてテオと結婚すべきだ。
貴族女性の憧れであるブレスト侯爵家次期当主に見初められるなんて、最高の玉の輿じゃないか。
自由を諦めろ。
好きなものを諦めろ。
自分らしさを諦めろ。
テオと結婚するのが貴族女性の宿命だと、諦めろ。
「…………諦めきれない……。でも諦めなきゃ……だから、ずっとずっと……胸が苦しいんだよ……」
ソフィアは感情を絞り出すように呟くと、両手で顔を覆った。
その日の夜、テオの訪問の件を両親に話したあと、ソフィアは自室にこもった。
それからずっと、食事もほとんど喉を通らず、頭の中で色んなことを考えてしまい夜も寝付けない。
お腹は空いているのに何を食べても味気なく、あんなに好きだった本も美術品も色あせて見える。
だんだん自分が、ただ呼吸をするだけの人形になっていくみたいだ。
両親やルカが心配そうな顔で声をかけてきたが、頭がぼんやりして何も考えられず……。
とりあえず「大丈夫だよ」と答えて笑っておいた。
多くを語らず、決して表に出ず、微笑んで殿方の一歩後ろに立つのが帝国女性の美徳。
今の自分にはぴったりじゃないか。
――よかった。ようやく私は普通になれたんだ。
テオは飽きることなくソフィアの元を訪れた。
両親やルカは「嫌なら断り続ければ良い。会わなくても良い」と言ってくれたが、ソフィアはもうテオに抵抗する気力もなかった。
相変わらず一方的によく分からない情熱を押しつけてくる彼の話を聞きながら頷き、ただ微笑む。
そうすれば、テオの機嫌は一層良くなり、平穏な日々が続いた。
――あぁ、私は一生、こうして過ごしていくのね……。
女学院を卒業した後は、フィニッシングスクールで淑女としての仕上げを済ませ、すぐさまテオに嫁ぐ。
そしてその後は……。
薄ぼんやりとした意識の中で、ソフィアは将来について考えようとして……やめた。
――明かりが全然見えない。私、今まで一体どうやって生きてきたのかしら? もう何も分からない。明日も明後日も暗いまま。じゃあもう何もかも……どうでもいい。
淡々と日常生活を送っていたある夜、ソフィアは父に呼ばれて書斎に行った。
室内には母とルカもおり、真剣な表情で座っている。
何か深刻な話し合いなのかと首をかしげていると、父が意を決した真剣な面持ちで話を切り出した。
「ソフィア。国を出る覚悟はあるか」
父の予想外の提案にソフィアは驚いた。
次話『諦めない』
解放されたソフィアをかばい一歩前に出た弟は、自分より高位の貴族相手にも全くひるまない。
毅然と前を向いていた。
「他家の女性を物扱いした挙げ句、力尽くで支配しようとするなど、それこそ帝国男児にあるまじき振る舞いかと存じます。一方的に主張を押しつける方に姉をお任せすることは出来ません。即刻、お帰り下さい」
「……貴様に指図される謂れはない。手を離せ」
「すぐ、お帰り頂けるのであれば、お離し致します」
力任せに振りほどこうとするテオだが、細身ながら豪腕なルカに捕らえられた手首は簡単に抜けない。
むしろ、もがけばもがくほど強く握りこまれ、忌々しげに舌打ちをする。
ソフィアの一歳下の弟は、女性顔負けな可憐で儚げな容姿をしているため、しばしば周囲からは軟弱者だと思われがちだが……。
その実、腕っぷしが非常に強かった。
ルカは自分より遙かに上背のある男を片手で制すると、はっきりした口調で再度「お帰り下さい」と告げた。
テオは憎しみのこもった瞳でルカを睨み付ける。
しばらくの沈黙ののち。
小さな声で「日を改める」と 唸り、腹立ち紛れの足音を響かせて応接間を出て行った。
その場に居た使用人全員に見送りを命じて部屋の外に出すと、ルカは大きくため息をつき、横目で気遣わしげな視線を向けてくる。
「手、大丈夫か」
「うん。少し驚いたけど大丈夫。ありがとう、ルカ」
「別に、ソフィアのためじゃないし。俺があいつにムカついたからやっただけ」
素直じゃない弟のぶっきらぼうな言葉の裏に隠された優しさに、ソフィアは手首をさすりながら微笑んだ。
しかし、いつも通り上手く笑みを形作れなくて、うつむく。
見下ろした自分の手首は赤く染まっていた。
――まるで所有物として、烙印を押されたみたい。
思わず顔を歪める。
「おい、泣くなよソフィア」
気丈な姉が泣いてしまったと思ったのだろう。
ルカは普段のツンケンした態度はどこへやら、戸惑った様子でおろおろしている。
「大丈夫だよ、ルカ。私、泣いているわけじゃないの」
「え?そうなのか。じゃあ何でそんな顔してるんだよ」
「苦しいの」
「何だって?」
「私、すごく苦しいの」
ソフィアは赤くなった手首を見つめながら、ずっとため込んでいた想いを一気に吐き出した。
「女性に生まれたからって、どうして殿方に『物』扱いされなきゃいけないの?どうして他国の文化や芸術や語学を学ぶことを無駄だと言われるの?どうして結婚しなきゃ後ろ指をさされるの?どうして……『世間の誰か』の言いなりにならなきゃいけないの?」
自分が、エリィのような価値観を持った普通の帝国令嬢だったら良かったのに。
そうすれば、こんな不毛な悔しさを抱くこともなく、自分自身も、家族も、みんな幸せになれたのに。
――でも私は、どう頑張っても普通にはなれなかった。
恋愛や刺繍やダンスより、他国の文化や語学を研究する方が好き。
あんな傲慢な殿方と結婚するより、後ろ指をさされても独身の方が良い。
でも、そんなワガママが通用しないことは、もう子供じゃないんだから分かっていた。
みんな、少しずつ何かを諦め、自分自身の心に折り合いをつけて生きている。
帝国は人の出入りが極端に制限された檻――。
貴族といえども、差し迫った理由も無く外に出ることは叶わない。
どこにも行けない。逃げ場はない。
諦めてテオと結婚すべきだ。
貴族女性の憧れであるブレスト侯爵家次期当主に見初められるなんて、最高の玉の輿じゃないか。
自由を諦めろ。
好きなものを諦めろ。
自分らしさを諦めろ。
テオと結婚するのが貴族女性の宿命だと、諦めろ。
「…………諦めきれない……。でも諦めなきゃ……だから、ずっとずっと……胸が苦しいんだよ……」
ソフィアは感情を絞り出すように呟くと、両手で顔を覆った。
その日の夜、テオの訪問の件を両親に話したあと、ソフィアは自室にこもった。
それからずっと、食事もほとんど喉を通らず、頭の中で色んなことを考えてしまい夜も寝付けない。
お腹は空いているのに何を食べても味気なく、あんなに好きだった本も美術品も色あせて見える。
だんだん自分が、ただ呼吸をするだけの人形になっていくみたいだ。
両親やルカが心配そうな顔で声をかけてきたが、頭がぼんやりして何も考えられず……。
とりあえず「大丈夫だよ」と答えて笑っておいた。
多くを語らず、決して表に出ず、微笑んで殿方の一歩後ろに立つのが帝国女性の美徳。
今の自分にはぴったりじゃないか。
――よかった。ようやく私は普通になれたんだ。
テオは飽きることなくソフィアの元を訪れた。
両親やルカは「嫌なら断り続ければ良い。会わなくても良い」と言ってくれたが、ソフィアはもうテオに抵抗する気力もなかった。
相変わらず一方的によく分からない情熱を押しつけてくる彼の話を聞きながら頷き、ただ微笑む。
そうすれば、テオの機嫌は一層良くなり、平穏な日々が続いた。
――あぁ、私は一生、こうして過ごしていくのね……。
女学院を卒業した後は、フィニッシングスクールで淑女としての仕上げを済ませ、すぐさまテオに嫁ぐ。
そしてその後は……。
薄ぼんやりとした意識の中で、ソフィアは将来について考えようとして……やめた。
――明かりが全然見えない。私、今まで一体どうやって生きてきたのかしら? もう何も分からない。明日も明後日も暗いまま。じゃあもう何もかも……どうでもいい。
淡々と日常生活を送っていたある夜、ソフィアは父に呼ばれて書斎に行った。
室内には母とルカもおり、真剣な表情で座っている。
何か深刻な話し合いなのかと首をかしげていると、父が意を決した真剣な面持ちで話を切り出した。
「ソフィア。国を出る覚悟はあるか」
父の予想外の提案にソフィアは驚いた。
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