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エピローグ 変わりゆくもの

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 今日はウルベルトとの婚約式の日だ。書類にサインをして装飾品を交換するだけの簡素な儀式なはずなのに、何故か家族も使用人も盛り上がってやたらと私を飾り立てている。


「……ここまでする必要はあるのかしら」

「あるわ。そのまま外出に誘われるかもしれないでしょう?」

「そうですよ、お嬢様!」


 秋らしく落ち着いたキャメル色のワンピースだが、レースや刺繍で華やかに仕立て上げられているので地味には見えない。私の赤茶の髪にもよく馴染んで、母の見立てに間違いはないようだ。
 ユタも張り切って髪を結い、化粧を施してくれた。……段々と彼女の化粧や髪結いの技術が向上している気がする。不思議なことに以前よりも自分が綺麗に見えた。

 約束の正午になる前にウルベルトもディオット家を訪れた。煌びやかな笑顔で、煌びやかな兄を連れて。……麗しい兄弟が並んでいる姿にめまいがしそうだ。


「こ……っ……国王陛下にご挨拶を、申し上げます。ディオット家へようこそおいでくださいました、フィリップ=ディオットは陛下のご来訪を、歓迎いたします」

「ああ、気にしないで楽にしてくれ。今日は王ではなく、兄として来ているから。サインを見届けたらすぐに帰るよ」


 公爵であるウルベルトの来訪にはすっかり慣れていた両親でも、さすがに引きつった笑顔を浮かべていた。気にするなと言われて気にしないでいられるような相手ではない。
 確かに婚約式の立ち合いは、基本的には両家の家族、親族である。ウルベルトの婚約に兄のヴァルトが立ち会うのは何もおかしなことではないが――まさか国王が直々に伯爵家を訪れるとは思わないではないか。
 突然の国王の訪れにがちがちに緊張した使用人はまともに動けず、使用人に交じっている精霊がヴァルトの席を整えているくらいだ。……彼女らにはいつもより多めの報酬を用意した方がよさそうである。


『メルアン、変わりないか?』

「ええ、ウルベルト様は……少しやせられましたか? お忙しいのに、婚約式まで急ぐ必要はなかったのですよ」


 森の王の子供を誘拐したのが王族であったことで、事後処理に追われていたウルベルトは少しやせたようだ。あまりにも生き生きとした表情だったので、近くで見るまで気づかなかった。
 それほど忙しいなら無理をせず休んでほしいし、婚約も急いで準備しなくてよかったのにと思っていたら、幸せいっぱいと表現したくなるような微笑みを向けられる。


『いや、私が辛抱ならなかっただけだ。少しでも早くお前と結婚したいからな』


 貴族の結婚には通常、一年の婚約期間を置く。それは逆に言えば婚約が伸びれば結婚も伸びるということである。だから急いだ、ということらしい。
 なんだかもう、それなら仕方ないかという気がして何も言えなかった。……私はとても彼に好かれているらしい。

 両家が揃って丸テーブルに着く。婚約式で丸いテーブルを使うのは、結ばれる二人の円満や両家の立場に上下がないことを表すというが、国王がその席についている時点で上下がないとは言えない気がした。
 お互いの婚約に同意する書類に私とウルベルトがそれぞれサインをし、立会人となった我が父フィリップと、ウルベルトの兄としてヴァルトのサインも並ぶ。……何とも豪華な婚約成立書が出来上がった。もしこの婚約を違えたら首が飛びそうである。


「ウルベルト様、こちらが私からの婚約の品です。お受け取りください」


 紋章入りの装飾品を交換すれば晴れて婚約者となる。私は指輪の台座に紋章を刻んだものを贈った。透き通った赤色の宝石の下に、台座の紋章が透けて見えるものだ。
 彼はすぐにその指輪を左手の親指に通した。彼の瞳に似た宝石を選んだつもりだったのに、その紅色は宝石よりも明るく喜色にあふれて輝いているような気がする。


『私からはこれだ。……つけてやろう、後ろを向け』

「……では、お願いします」


 ウルベルトはペンダントに紋章を刻んだようだ。金で作られた紋章は非常に細かく彫られており、梔子の部分は彼の髪色にも似たダイヤモンドで彩られている。
 背を向けてさっそくつけてもらうと金の細工が胸元で揺れているのが視界の端に映るようになった。なんだかそれが、とても美しくて愛おしく感じるから不思議だ。


「婚約成立だね。いやぁめでたいな。ではディオット嬢……いや、メルアン嬢。弟をよろしくね。ディオット伯爵と夫人も、どうぞ息子として可愛がってやってほしい。それじゃあ、騒ぎになる前に帰るよ」


 本当に婚約を見届けるだけ見届けて、ヴァルトは颯爽と帰っていった。……まるで嵐のようだった。騒ぎになる前に、という口ぶりから勝手に抜け出してきたのではないかという不安も湧いたが、気にしても仕方がないので忘れることにした。
 もし騒ぎが起きていても、精霊が関係しないので私たちが駆り出されることはなく、心配させた相手に小言を聞かされるのはヴァルト自身である。


『メルアン、これから時間があればでかけないか?』

「ええ、構いません。一日空いております」

『ではミルセナの花園に行こう』

「……花園ですね。分かりました」


 果たしてそれは、婚約者同士のデートなのか、精霊の様子を見に行くためなのか。……まあどちらでも構わない。両親、いやカリーナからとても熱い視線を感じるので、むしろ早く出かけてこの囃し立てるような目から逃れたい。


「ユタ、でかけるわ。日傘を持ってきて」

「はい、お嬢様。こちらに用意してございます。お出かけの支度も整っておりますので、いつでも出られますよ」


 ニコニコと笑うユタが差し出したのはウルベルトから送られた、春の花の刺繍の日傘である。……この侍女はこんなに有能だっただろうか。成長が著しくて驚くばかりだ。
 季節にはもう合わないものだが、その花が見えるのは自分だけなので構わないかと思い受け取った。初めてのデートに使うものとしては悪くないだろう。


『お手をどうぞ、婚約者殿』

「……いつも通りでいいですよ、ウルベルト様」

『ははは。少しばかり舞い上がっているからな』


 言葉通り嬉しそうなウルベルトにエスコートをされながら馬車に乗り、私たちは久しぶりにミルセナの花園へと訪れた。季節は秋へと移り変わり、花園の様子もがらりと変わっている。植物の精霊の様子を見るためにも、まず平民区域へと向かった。


「まあ……随分と変わりましたね」

『ああ。子供連れも増えたな』


 平民向けの花園には子供が遊べるよう広場や遊具が造られている。また、見るだけでも楽しい動物などのトピアリーも増え、家族や子供向けの催しなども開催されるようになったようだ。
 あの植物の精霊の姿は見えないが、どこかで子供の笑顔を眺めているのかもしれない。これならまた誰かを攫おうとはしないだろう。


『ところで……その傘、似合っている』

「ありがとうございます。……素敵だとは思っていたのですが、その……関係に合わない品だと思っていましたから、使わぬまま季節を逃してしまいまして」


 この傘を贈られた時、私はまだウルベルトのことが苦手であったし、彼もまた私のことを愛してはいなかっただろう。傘の内側に刻まれた愛の花はとてもじゃないが受け取り切れないものだった。
 それから私たちの関係は随分変わったと思う。以前はウルベルトと歩く姿を見られては不味いと顔を隠していたが、婚約をしたのだからもう誰に見られてもひそひそと陰口を叩かれることはないし、むしろ並んで歩くことを当然だと感じているくらいだ。


『では別の物も贈ろう。秋に合うものも、冬に合うものも。いつでも使えるようにな』

「ウルベルト様はたくさん贈り物をしてくださいますが……大変ではありませんか?」

『いいや、まったく。……誰かにプレゼントを贈ることがこんなに楽しいとは思わなかったくらいだ』

「……そんなに楽しいのですか?」

『ああ。これを作らせた時はお前への好意の形も別ではあったが……それでも、こうしてお前が使っている姿を見ると嬉しくなる』


 優しい声が上から降ってくる。傘で顔が見えないな、と思っていたらそっと傘を取り上げられた。ウルベルトが差す日傘の中で、愛おしそうに私を見下ろす紅の瞳と、傘の中に咲く一本の赤いラーレが眩しく感じる。


『私はお前に出会えて幸せだ。この気持ちは言葉を尽くしても伝わる気がしないから、この先一生をかけて伝えていく。……だからお前はずっと私の隣にいて、私に愛されていろ』


 魂に直接触れるような、じんわりと響く声で紡がれる愛の言葉。声だけでたしかに伝わる熱があるのに、彼はこれでも伝えきれていないというのだろうか。ならばそれは、どれほど大きな愛情なのだろう。
 その愛情は少しずつ私に移っていく気がする。あまりにも大きな愛情は溢れて、私の心の器も満たしていくような。


「私は……ッ!?」


 自分の中に湧き上がった言葉をウルベルトに伝えようとした瞬間、隣から突然黒い影が差し込んで驚き、言葉を飲み込んだ。驚いてそちらを見ると、真っ黒でつぶらで愛らしい瞳と目が合う。


『メルアン! 会いたかったよ!』

「……ゼリス?」

『……何故ここに居る』


 飛び込んできた影の正体は見覚えのある黒鹿だった。聖域ルクシアの森に住まう彼が、何故こんなところにいるのだろうか。私の手に鼻先を当てて甘えてくるので反射的に撫でてしまったが、状況がよく呑み込めない。


『文字を教えてくれるって言ったのに全然来てくれないから、来ちゃった』

「ええと、すみません。まだ都合がつかなくて……文字を教わりに来たんですね」

『うん。早く文字を覚えたいし、僕こっちに住むよ! やっと父さまも説得できたから!』

「……こっちに住む?」


 何かとんでもないことを言い出した黒鹿は、無邪気な顔で笑っている。詳しく聞いてみると森の王を説得して聖域を出て、王都に住まおうとしているらしい。いわゆる留学、というものだろうか。


『……おい、まさか王都に住むつもりか』

『僕が住めるように、人間の王を説得してよ、メルアン!』


 相変わらずウルベルトを無視しているゼリスは甘えるような顔で私を見つめている。苦笑しながら滞在の許可を求めていることをウルベルトにゼリスの言葉を伝えると、彼は眉間にしわを寄せた。


『……メルアン。私は今、口に出かかっている悪態を呑み込むのに必死だ』

『友達として仲良くしているだけなのに嫉妬するなんて、心狭いなぁ』

『おい。今、憎らしいことを口にしなかったか? そういう顔をしている』


 この一人と一体の仲も相変わらずだ。しかしあらゆる物事が変わっていくのだから、いつかは彼らが親友になる日だってくるかもしれない。

 とりあえず、ゼリスの要望を叶えるために王への謁見を求めることになった。ウルベルトに伝えようとした言葉は口にする機会を失って、花園のデートは仕事へと切り替わってしまったが、これが精霊の前に立つ私たちの役目でもある。
 きっとこうやって精霊による不測の事態に対応しながら、私たちは共に並び立ち続けるのだろう。それは婚約しても結婚しても変わらないような気がした。

 その後、ゼリスは精霊の親善大使として王城に迎え入れられ、城で暮らすようになった。彼が覚えた文字を精霊に伝えることにより、精霊が見える者なら誰でも精霊と意思の疎通ができる未来はそう遠くないうちに訪れそうだ。

 ちなみにゼリスの一件で活躍した笑い声の精霊についてだが、彼を忘れないためにアリテイル国に新たな物語が作られた。
 それは吟遊詩人や劇によって人々の間に広まっていく。姿は見えないが、笑い声で人々を勇気づけ、小さな報酬で人助けをしてくれる姿なき英雄の物語。だがもし彼を裏切るような真似をすれば、手酷い仕返しが待っている。この演目は平民の間で大きな流行となった。

 そんな英雄に紛し、大きな布などで姿を隠した子供たちは、大人の手伝いをすれば報酬としてお菓子を貰える。しかしもし報酬がなければ、その日ばかりはどんな仕返しをしても許される。実りの豊かな秋の日に、そんな変わった風習ができあがるのは、また別のお話である。

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