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1話 悪舌の公爵

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 結局、体調を崩すための努力は水泡に帰し、久々に社交の場に出るのだからと張り切ったカリーナから逃げられず、私は綺麗に飾り立てられて送り出された。
 赤みの強い茶の髪色に合わせてドレスは深い赤だ。私の瞳は金に近い色をしていてこれもまたドレスの色に映える。この色が似合うのは鏡を見て理解したが、しかし派手ではないだろうか。
 もっとこう、目立たない色にしてほしかった。壁と同化できそうな乳白色あたりが希望だったのに却下され、せめて大人しいデザインにしようとしたら小柄な体系に合うからと可愛い系のデザインに決まってしまったのである。……まあ、家族のお荷物にしかなっていない私に拒否権などないが。

(綺麗に着飾ったところで意味なんてないでしょうに)

 パーティーの会場は王城の大広間である。さすが国王の弟である公爵の婚約者探しの場だ。豪華なシャンデリアから華やかな光が降り注ぎ、会場中の人間が身に着ける宝飾品やグラスに反射して空間すべてが輝いているようだった。
 そんな中で私の存在は酷く浮いている。年頃の令嬢が集まれば自然と顔見知り同士が集まって会話が生まれるものだけれど、社交の場から離れていた私には友人どころか顔見知りすらいないのだ。


「ねぇ、あちら……もしかすると偽耳の方ではなくて?」

「まあ。そういえば……久しく見ていないので分からなかったわ。よく顔を出せたわね」

「声を潜めないと聞こえてしまいますわよ?」

「聞こえていたとして、あの方の言葉を誰が信じるの?」


 嘲りを込めた小さな笑い声に嫌気が差す。だから嫌だったのだ、早く主役である公爵にご登場いただいて、挨拶を終えたら帰りたいものである。
 しばらくすると会場に流れていた音楽がぴたりとやんだ。それを合図にお喋りをしていた令嬢たちも口を閉ざし、場が静まり返る。
 広間の前方、階段上の大扉が開き姿を現したのは二人の人物。一人はよく知っている、この国の若き国王陛下だ。彼は朗らかな笑顔で階上から挨拶の口上を述べた後、口調を和らげどこか冗談めかしたようにこう言った。


「私の可愛い弟は人と話すのが苦手でね。話し上手だろうと思う者に声を掛けさせてもらった。気軽な社交パーティーだ。是非、弟の話し相手になってやってほしい」


 話し上手という条件で集めるなら私が招待されているのはおかしい。しかしこれはただの建前だ。格式ばったものではなく、気軽な社交パーティーという体で公爵位のウルベルトと、年頃の令嬢を引き合わせて話をさせたい、というのが本音だろう。

(兄弟仲が良いのは本当なのね。……弟を心配しているんでしょう)

 仮面をつけて顔を隠す無口なウルベルト=ノクシオン公爵。社交下手でもその他の仕事はできるようで、彼の治める領地はとても栄えている。しかし「口無し」と二つ名を付けられ、他人に対して冷たい態度を取るので冷徹と噂されている弟が、血を分けた兄としては心配なのだろう。……私を心配する家族のように。


「私がいては緊張してしまうだろう? 挨拶はこの辺りにして、皆で楽しい時間を過ごしてくれ」


 そう言い残して国王が退室する。残された王弟のウルベルトは、ゆったりとした動作で階段を下りてきた。
 彼の青みを帯びた銀の髪は一つにまとめられ、シャンデリアの光を受けてキラキラと輝きながらその背中で揺れている。噂では仮面をつけて顔を隠していると聞いていたが、彼が隠しているのは鼻から下の部分だけで、それがより一層目元の印象を際立せていた。一歩ずつ階下へと近づくほどに、その顔立ちが非常に端正であることも分かるようになる。切れ長の目の中に浮かぶ紅の瞳は艶やかに輝き、強く人目を惹く。もし顔の半分を隠していなかったとしても、美麗な顔立ちには違いないだろう。
 

『ようこそ、諸君。料理も酒もたっぷり用意した、私と話すまでの間はゆっくりとそちらを楽しんでくれ』


 私は何よりも彼のその声に驚かされた。低く深みがあり、耳の奥に響くような声だ。魂に直接語り掛けてくるような、聞き惚れそうになるほど心地よい音。きっと誰もがこの声に胸を打たれているのだろう、令嬢たちの視線は彼にくぎ付けだった。


『それにしても誰も彼も餌を待つ雛鳥のように呆けて間抜けな顔だな。私の姿がそんなに意外か?』


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。理解ができた途端、その声に感じていた心地よさも消し飛んでいく。
 魂に染み入るほど美しい声で紡がれるその言葉は、あまりにも攻撃的に感じた。私がことさらに陰口や罵倒を嫌っているということもあるだろうけれど、他の人間の言葉よりも強く感じてしまうのはこの声が持つ性質だろう。これだけでウルベルトという人間への印象が非常に悪くなる。
 しかし他の令嬢たちは何を言われたか理解していないのか、特に反応していない。目を細めて笑顔を作っているウルベルトに、一人の令嬢がふらふらと近づいていく。


「ガストーレ侯爵家のディアナと申します。今宵はご招待をいただき、ありがとうございます。公爵様にお会いできて光栄ですわ」


 この場で最も家の格が高い令嬢だ。……私に嘘つきと言い放ち、嘘耳令嬢という二つ名のきっかけになった人物でもある。
 彼女の衣装はとても豪華だった。金糸がたっぷり使われ、首、耳、指、手首、髪飾りと宝飾品も多く使っていて、全身が輝かんばかりだ。真っ先に挨拶に向かった彼女に、ウルベルトは笑顔のまま頷く。


『鳥でも集めて踊るつもりか? しかしあいにく夜だ。それほど輝いても集まっては来ないだろうが』


 ――本当に驚くほど口が悪い。というか、かなり失礼だ。対面で、そして公衆の面前で、他人を罵るなんてあまりにも鬼畜の所業ではないだろうか。
 ディアナも困惑した様子で一礼し、挨拶を終えてその場を去る。そして次に挨拶へと出た令嬢も笑顔で美しい礼を見せたが、ウルベルトは同じように悪態を吐いた。


『花園すべての花を集めたとしてもそこまで芳香することはなかろう。虫も寄りつかんな』


 それはたしかに離れていても香水の匂いが分かるような令嬢ではあったが、そこまで言う必要はないと思う。彼の口の悪さはそれでは終わらず、次の令嬢もまた悪態を吐かれる。


『お前は何よりも料理に興味がありそうだったな。兄上の挨拶の間も料理ばかり食べていただろう。ほら、早く食いに行け』


 変わり者と印象付けたいのか、礼儀作法をしっかりと学んでいないのか、それはずっと料理を頬張っていた令嬢ではあったが、皆の前でそこまで言わなくてもいいではないか。

 皆一様に困ったような顔で、曖昧に笑いながら挨拶を終えて離れていく。今までの令嬢たちは全員酷い言葉を向けられているというのに、よくその程度の反応で済ませられるものだ。私なら我慢ならずに言い返してしまうところである。……などと考えていたら、いつの間にか男爵家の令嬢の挨拶が始まっていた。私は伯爵家なので、それより前のはずなのだが。


『まだ伯爵家の者がいるはずだが、お前は礼儀というものを教わらなかったらしいな。それとも気が早いのか? そんなに急ぐならば帰っても構わん』


 この口が悪い公爵に自分は何を言われることやら。心底気が重くなる。困惑しながら下がった男爵令嬢と同じように、帰れと言われれば即刻帰ろうと思いながら歩み出た。
 ウルベルトは紅色の瞳で前に立った私を見下ろしている。すらりと背の高い彼とはヒールを履いていてもかなり目線の高さが違う。どこか威圧的にも感じられた。


「メルアン=ディオットと申します。お初にお目にかかります」

『あの“偽耳”か』


 他のもののように回りくどい嫌味ではない。しかしその単語は私が最も嫌う汚名だ。
 これまでの彼の口の悪さから感じた悪印象も重なって、その二つ名を呼ばれただけで我慢できなくなった。それ以上何かを言われる前に私は口を開く。


「お言葉ではありますが、私にはしかと精霊の声が聞こえています。偽耳などと呼ばないでくださいませ」

『……なんだと?』

「ですから、その呼び方はやめていただきたいと申し上げております」


 どうせすぐに帰ることになる。ならばついでに、一言物申すくらい構わないだろうと開き直りながら驚愕に目を見開くウルベルトを見つめた。


「先ほどから公爵様はひどい言葉ばかり使われておりますが、それではどなたとも親交を結ぶことなどできません。差し出がましいとは存じますが、どうぞ国王陛下のご心配を無下になさらぬよう」


 あまりにも失礼な物言いの公爵にどうしても言いたかった。公爵として、パーティーのホストとして、王弟として、その言葉遣いは間違っていると。
 令嬢たちと私は親しくはないし、彼女たちを庇うつもりはないのだが、それでも公衆の面前で悪態を吐かれていいなどとは思わない。しかし彼女たちが何も言い返せないのはおそらく立場を考えてのことだろう。公爵に逆らって、この先の社交界で生きていける気がしないのだと思う。ウルベルトはそれが分かっていて好き放題に言っているはずだ。
 一方私はどうせ修道院に入るだけの身である。国王陛下とて弟を心配しているなら弟のために忠告した人間やその家を罰したりはしないだろうし、この場で彼に立ち向かえるのは私くらいのものだと考えての行動だった。


『……はは……ははは! まさか、こんなことがあるとは!』


 突然の笑い声に驚き、びくりと肩が跳ねる。笑うようなことは何も言っていない。むしろ気分を害するような忠告だったはずだ。
 何故嬉しそうに笑い出したのか、訳が分からずウルベルトを見ていると、彼は今まで以上ににっこりと笑った。隠されて見えない口元は弧でも描いているのではないだろうかというくらい機嫌がよさそうに見える。


『お前、私の声が聞こえているな?』


 その一言で私は気づいた。道理で誰も反応しない訳だ。……この魂に響くような声は、他の誰にも聞こえていなかったのだと。

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