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最終話 選ばれる一輪
しおりを挟む約束の日、櫻と凛は浴衣に着替えて其々の待つ場所に向かった。 二人は髪をアップにして、櫻は淡い桃色の浴衣を、凛は青と紫のグラデーションした浴衣を着ている。 どちらも年相応に可愛らしく、僅かな艶っぽさは、これから大人になるにつれて増していくのが楽しみな少女達だ。
どちらも身支度と共に気持ちを整えて来たのだろう。 その顔にはもう不安はなく、清々しい表情をしている。 だが、その表情が崩れる時、二人は全く対照的な感情からになる。 それは、二人が覚悟している二つの結末の内の一つなのだから。
日が沈み、屋台が並び人が賑わう中、待ち合わせていた孝輝と雄也が立っている。
「いよいよだな」
「ああ……ていうか雄也」
「なんだ?」
「なんでお前がそんなに気合入った浴衣着てんだ?」
凛々しく浴衣に着飾った雄也を見て孝輝が目を細める。
「逆に訊くが、お前はこの日を何だと思ってるんだ? 不謹慎な奴だな」
「いや、そんなボロ着てきたつもりはないけど……普通だろ?」
孝輝は白いボタンシャツにハーフパンツのチノパンにスニーカー。 所謂普段着だ。
「この大事な日に半ズボンとは、お前にはがっかりだ」
「半ズボンて言うなよ、子供か!」
失望する雄也に声を荒げる孝輝。 変わらぬ二人の会話だったが、雄也は真剣な表情で孝輝に視線を向ける。
「ふざけるのは格好だけにしろよ。 今日お前の向かわなかった場所で、悲しむ女がいるんだからな」
「………分かってるよ」
孝輝は雄也から視線を逸らさずに、決意を持った目で答えた。
「安心した。 当日まで迷っている様なら、お前をどちらにも向かわせられないと思っていたからな」
「優柔不断でノープランな俺でもな、俺にとって二人共大事な女の子だ。 適当な気持ちで今日ここには来れないよ」
自分の気持ちを決めて、覚悟を持ってここに来た。 そう孝輝は真剣な表情で言い放った。
「成長したな」
「先生……」
よく相談を受けていた雄也は、孝輝の成長を感じて感傷に浸っている。
「一つに決めたお前は勢いあるらしいからな。 確かに、迷いのない孝輝は手強そうだ」
「な、なんだよそれ」
その言葉は櫻が雄也に言ったものだが、孝輝には解らないだろう。 その人の強みは、意外と本人には解っていないのかも知れない。
「そろそろ行けよ、花火が始まる」
「ああ、そうだな。 じゃあな」
「ああ」
孝輝は雄也と別れ、想いを決めたその先へと向かった。 その行く先で待ち、その想いを受け取るのは、たった一人……。
その時、一発目の花火が打ち上げられ、夜空を輝かせる。
見上げる雄也は、
「始まったな……」
呟く目には、哀しげに誰かを想う影が映っていた。
花火が打ち上がり始めてもうどのぐらいか、孝輝は一歩一歩、その場所に近付いて行く。 今この時、二人の少女には華やかに咲く花火はどう見えているのか。 あるいは俯き、空を見上げていられないのかも知れない。
そして、その時はやって来た。
空を見上げて、その瞳に鮮やかな色を映す少女。 しかし、今度は下を向き、打ち上がる花火から目を背ける。
泣き出しそうな顔で両の手を前で結び、瞼を伏せて、崩れそうな気持ちを堰き止めている。
その時、
微かに震えるその肩に手を置かれ、少女の瞳は開かれる。 そして、恐る恐る見ると、夜空を見上げる待ち焦がれた横顔が傍にあった。
「待たせた……よな」
「……うん。 いっぱい、待った……」
消え入る様なその声に、ゆっくり視線を合わせる孝輝。 少女の瞳は潤み、花火はそれを水面にして映り輝く。
「なんだか、目が離せない」
「そう、してるの」
少女の潤んだ瞳には自分が映り、きっと自分の目には今、この美しい少女が居るんだろう。
「折角の花火に悪い、かな」
「やだ。 だって、怖いよ……」
見上げる少女は、まだ不安そうに睫毛を揺らしている。 同様に揺れる声に孝輝は、
「夏だからって幽霊じゃない。 ちゃんと脚は付いてるし、気持ちの整理も着いてる。 怪談話は苦手だ」
「私も、だよ」
ずっと自分を見つめ続ける瞳にそう言うと、少女はやっと安心したのか目を閉じた。 その時、瞳に溜まっていた感情が溢れて、頬を伝い零れた。
「こういうのも、苦手なんだけど」
「……なに?」
「すごく、キレイだ」
孝輝は少女を見つめ、その姿から目が離せなかった。 暫く、打ち上がる花火の音だけが響く。
その音さえ二人に届いているのか分からない程、二人の気持ちは寄り添っていた。
そして、潤んだ瞳で、愛しそうに、堪え切れない高まりが少女の唇が開き、言葉を紡ぐ。
「ぼやけて見える……本当に、おばけじゃない?」
「…………」
「信じさせて」
孝輝はその囁く声と、求める瞳に吸い込まれ、艶やかな唇と、自分のを重ねた。
瞳を閉じる少女からはまた、一筋の涙が。
それは、空を彩る様々な色の花火と同じ様に、この時までにあった、二人の思い出を乗せて輝く涙だった。
ゆっくりと、惜しむ様に唇が離れ、また見つめ合う二人。 頬を染めて俯く少女の手を取り、空を見上げる孝輝。
「ほら、一緒に見よう。 これからは、二人で」
少女は孝輝に身を寄せて、空を見上げる。
「うん…………キレイ」
クライマックスを迎える花火達は、夜空を幻想的に染めていく。 その光に照らされて、手を繋ぎ、心を繋いだ二人は、まるでその光に祝福されている様だった。
◆
最後の花火が夜空を照らし、そして散った後。 一人佇むその少女の後ろから声が掛かる。
「花火、終わったな」
「………うん」
雄也のその声に、振り向く事無く答えるその少女は、未だに灯りの消えた空を見つめていた。
「キレイだった」
「ああ」
人々が其々に動き出す中、二人はまだ佇んだまま動かない。
「なのに、花火、嫌いになりそう……」
「そうか」
約束の日、この日が決まってから、そして今日ここに辿り着くまで、覚悟はしてきた筈の結果の一つ。 しかし、それが現実になって心に刻まれる感情は、そうなってみないと分からない。
そして、今一人の少女には、その感情が押し寄せているのだろう。
「今は無理、だけど……教室で会うまでには……ちゃんと……する……ね……」
「……ああ、そうだな」
途切れながら、声を震わせながらも言葉を紡ぐその悲痛な声に、雄也は寄り添ってやれない。 ただ、それを聞いている事しか出来ない。
少女は気丈に話し、立ったまま、崩れる事無く自分の待つ場所を離れ、そしてこの恋に終わりを迎えるのだった。
◆
あの約束の花火から約二週間が経ち、新学期登校初日。 孝輝は休み呆けの身体を起こして家を出る。
今日から毎日、二人の朝の待ち合わせ場所となるだろうその場所へ向かって。
「……まだあちーな」
久し振りの強制的な目覚ましの洗礼を受け、残暑の太陽に愚痴をこぼす。 その先には、その太陽の様な明るい笑顔で迎えてくれる彼女が待っていた。
「おはよう」
朝の日差しを受けて、嬉しそうに微笑む彼女。 その愛らしさに自然と顔が綻ぶ孝輝。 付き合い始めたばかりの自慢の彼女に、孝輝も笑顔で返事を返す。
「おはよう、りん」
その満開に咲く一輪の花に迎えられ、手を繋ぎ歩く二人。
「手……離さないでね、こーくん」
「ああ、すぐ転ぶし、泣くからな」
「そーだよ? こーくんの彼女は、泣き虫なんだから」
十年前のあの日、小さな手と手を繋いだ二人は、あの時より大きな手で、太い絆で繋がれた。
これから先、また太陽が曇る事もあるだろうが、二人はあの日を思い出し、乗り越え寄り添っていけるだろう。
空に打ち上げられたあの煌めく花火。 その光に照らされた浴衣姿のりん。 そして、輝く瞳に吸い込まれるように口づけたあの日を。
あの夏の花火を……。
孝輝があの日、その胸に刺した一輪の花は……竜胆の花だった。
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