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10, 四人の休日 後編
しおりを挟む孝輝が連日の寝落ちをしている時、ファミレスで雑談中の珍しい組み合わせの二人は、ドリンクバーを利用してまったりと雑談中だった。
「そういえばさ、久保君は彼女作らないの?」
「その気はないな」
櫻の質問に即答する雄也。
この歳の男子としては、余りに冷めたその内容に首を傾げる櫻。
「でも、久保君たまに声掛けられてるって聞いた事あるけど」
「そうだな。そんな時俺はいつも同じ事を言う」
「へえ。なんて言うの?」
雄也の言葉に興味津々の櫻は、身を乗り出して聞き耳を立てている。
「俺はやる事はやるが、彼女なんてものを作るつもりは全く無い。それでもいいか?」
「…………」
雄也の台詞に一瞬固まる櫻。
その石化が徐々に解けると、
「……わ、ワンナイトジゴロ、ですか?」
「いや、おかわりする時も……」
「も、もういいです」
赤裸々な色話に赤面する櫻。
しかし、どうにも納得いかないのか雄也に問い掛ける。
「君の過去に、何があってこうなってしまったのか……」
「さて、これと言って大きな不幸もなかったが。一般家庭と違う所と言えば、親父がコロコロとお袋変えるから今の義母で四人目な事ぐらいか」
( お父さん!! )
櫻は心中で叫んだ。
「ち、因みに今のお母さんて……いくつ?」
「二十三だ」
「わ、若っ!? そ、それお母さんじゃなくて家庭教師のレベルですよね?!」
「そうかもな」
(お父さん……貴方の責任ですね)
次々に押し寄せる衝撃の告白に、櫻の常識の壁は脆くも崩れていくのだった。
◆
その頃凛は、静かに寝息を立てる孝輝を、優しい瞳で見つめていた。
「寝ちゃった。昨日からよく寝るね」
どこか満足気にも見える表情で、眠る孝輝に小声で話し掛ける。
行動を起こしたから、今自分は孝輝の部屋にいて、看病をする事が出来ている。
それは、勇気が出せなかった以前の自分ではあり得ない状況で、その事には満足しているのだろう。
「お世話しに来たのに、泣きそうになったりしてゴメンね。余計な心配掛けたら、来た意味ないよね」
凛はそう言って孝輝の頬に手を伸ばすが、起こしてしまったら何とも自分勝手な行動になってしまう、と思い留まる。
「でも、泣かなかったよ。我慢したんだから、また遊んでね。……こーくん」
音を立てない様に、静かに、凛は後ろ髪引かれるその部屋を後にした。
◆
「それにしても、いいのか?」
「ん? 何が?」
変わってほのぼのとお茶をしている櫻と雄也。
「雑誌で研究もいいが、今日と言うチャンスを凛が無駄にするとは思えないんだがな」
余りに危機感の無い櫻に雄也が疑問を投げ掛ける。
「ーーっ!? そ、そうかな? や、やばいかも……電話してみる!」
慌てて電話を掛ける櫻に、やれやれと呆れ顔の雄也。
不安そうに携帯を耳に押し当てるが、孝輝は電話に出ない様だ。
「で、出ないよ……」
「最中かな?」
「やめて!!」
悲鳴にも聞こえる櫻の叫びに耳をやられる雄也。櫻は青褪めた顔で電話をかけ直す。
「出て、お願い、こーき~……っ!?」
『……はい?』
やっと電話に出た孝輝の声に、櫻の不安な表情が安堵に変わった。
「よ、良かった。孝輝、何してるの?」
『ああ、風邪引いちゃってさ。寝てたよ』
「えっ、本当? 大丈夫なの?ちゃんと食べてる?お薬飲んだの?」
「お前はかーちゃんかーーうッ……」
雄也のガヤに凄まじい睨みを利かせる櫻。流石の雄也も口を閉じ、黙り込んだ。
『ちゃんと食べたし、薬も飲んだよ』
「そ、そう。それなら良かった、えらいね。 今、一人でしょ?」
『ああ、今は一人。心配してくれてありがとうな』
櫻の様子を見ていた雄也は、何事もなかった様子に少しつまらなそうな顔をして、
「何だ、アイツ風邪でも引いたのか?……ど、どうした、喜多川?」
徐々に高まる櫻の禍々しいオーラを、雄也はその身に感じ始めた。
「……孝輝、今は一人なんだ」
『え……いや、ちがーー』
「じゃあ、その前は? な・ん・に・ん?」
俯き、その髪で顔を隠す櫻の表情は雄也には見えなかったが、出来ればこのままその顔を見る事なく別れたい。そう思わせるに足る危険な香りが雄也の背筋を凍らせた。
「……切れた。 切れたよ、久保君。 電波、かな? ねえ、そうなのかな? 孝輝が……切った? 私、切られたのかなぁ!?」
「喜多川、落ち着け」
話しながら顔を上げた櫻、その表情は既に正常な人間のそれではなかった。
見た事もない櫻の変貌ぶりに驚きながらも、何とか宥める雄也。 しかし、どうにも落ち着く気配はなく、
「一人暮らしの男子高校生がさ、一人でちゃんと食べて、一人でちゃんとお薬飲んで寝るのかなぁ!?」
「その可能性は充分にある。これは本当だ。取り敢えずここを出よう、営業妨害だ」
雄也の英断により、そのファミレスは救われた。
しかし、放たれた櫻が何処に向かい、何をするのか、それは雄也が見届ける事ではない。
「孝輝。 願わくば、息災で」
動き出した櫻の背中に零れた雄也の願い。それが叶うのかは、友の立ち回り次第か……。
◆
お、思わず切ってしまった……。
何て事だ。そして、その後折り返しがないのが逆に恐怖感を掻き立てる。
つまり、ここに向かっている可能性が極めて高い、と言う予想がついてしまうからだ。
兎に角、夏目さんの痕跡を消さねば……!
病んだ身体に鞭を打って俺は動き出した。窓を開け換気し、臭い消しも使用した。
髪の毛なんてベタなミスはしてなるものか。
考えられる事は全てやったつもりだが、何しろ俺は色々詰めが甘い。それは自覚している。
いかん、どこかに落とし穴が……そんな不安と、櫻が今インターホンを押すんじゃないか、という恐怖でまた体調が……。
もう……限界だ、横になろう。
その時、静寂を切り裂く呼び出し音が鳴り響く。
俺はゆっくりと体を起こし、玄関に向かった。
「孝輝、私だよ」
少し時間が掛かってしまったからか、櫻が声を掛けて来た。その声からは危険は感じない。寧ろ風邪を引いた俺を心配している様にすら思えた。
少し安心してドアを開けると、
「ーーぉ……わッ!?」
櫻は無言で俺を通り過ぎ部屋に侵入。そして、外部からの接触の証拠を探し始めた。
その姿は正直、出来れば見たくないものだったが……。
「あ、あの……」
「孝輝、ほら横になって? ちゃんと休まないと治らないよ?」
笑顔で俺をベッドに促す櫻。無機質な笑顔、と言うのは矛盾がある様に感じるが……この世にそれは存在した。
「さて、誰が来てたの?」
「……誰も」
櫻の真正面からの問いに、俺は弱々しく呟く。
「じゃあ、電話での話は言い間違い?」
「ああ」
「孝輝が自分でお粥作って、残りをタッパーに小分けして冷蔵庫にしまったの?」
「……ああ」
ーーー地獄っ! 熱にうなされ、その上尋問を受けるとは……。早く終わってくれ。
「そっか、それなら良かった。私だって一度しか来てない孝輝の部屋に、まさか他の女の子を入れる訳ないよね!」
「ああ、そうだよ」
何とか納得してくれたみたいだな。ありがとう。全てに感謝を……今私は、慈愛の心に満ちております。
「郵便受けにメモ入ってたよ?」
「……………」
「読んであげてもいいんだけど、きっと私、私じゃなくなっちゃうかもよ?」
「……………」
「ふふ、しっかり名前まで書いちゃって」
ーーーーやってやる。
いや、やるしかない。
俺は言い訳もせず、先ず上半身だけを起こした。
言い訳も何も、向こうには物的証拠がある。その上で泳がされていたとは、最早屈辱以外何ものでもない。
後悔させてやる。いつまでもサンドバッグしてると思うなよ。熱のせいもあったと思うが、俺はこの絶望的状況に燃えていた。
「起きていいの? ちゃんと寝てなきゃダメだよ? せっかくお粥作って、お薬くれたコに悪いでしょ?」
……言ってろ。
「ゴホッゴ……ぅう、ゴホッ!ゴホッ!ゴボッ……!」
涙目になりながらも俺は咳き込んだ。嗚咽が起ころうともやめず、大袈裟に咳き込み続けた。
「こ、孝輝?……大丈夫?」
俺のオーバーリアクションの甲斐もあり、流石に心配して来た様だな。
俺は手を緩めない。更に咳き込み、顔を真っ赤にして身体をくの字に曲げる。
「い、今、お水を……」
「いい……から、櫻……」
掠れた声で俺は櫻を呼んだ。そして傍に来て欲しい、そう手で示した。
「で、でもっーー!?」
俺の射程距離に櫻が入った瞬間、強く抱き寄せた。
「こ、こう……き?」
「……ああ、少し、落ち着いた」
抱きしめた櫻の身体から鼓動が伝わる。そして、成る程。夏目さんを貧乳だと散々言っていただけあって、胸あるな。
「そ、そう……よかった」
「櫻が居ると、安心するよ」
「だ、だったらどうしーー」
「俺の身体、熱いか?」
言わせるかよ。
俺は櫻の反撃を遮り、ペースを譲らない。
「う、うん」
「きっと、櫻のせいだ。 熱より熱い気持ちが出てる」
言いながら、また少し力を込めて抱いた。
「んっ……」
軽く呻く櫻の声が聴こえる。
そして、腕を回したまま、ゆっくりと櫻の顔が見えるギリギリの距離で顔を見合わせる。
距離を取り過ぎるのは危険だ。夢が覚めてしまう。
見ると、蕩けた表情で顔を紅く染めた櫻が、俺をうっとりと見つめている。
―――完成だ。
「ずっと抱いていたいけど、櫻に風邪が移ってしまうな」
「そんなの……平気」
「今の苦しみを、櫻にも受けて貰いたくない」
瞳を潤ませて俺を見つめてくる。 従順モードの櫻だ。
「キスしたいけど、それも出来ない。今はそんな資格もないしな」
「……そんな風に、言わないで」
縋るようなその瞳。この可憐な女の子に、男は一発でやられてしまうだろう。
また少し咳き込む。
「孝輝、大丈夫?」
「ああ、少し横になるよ。でも、お願いがあるんだ」
「うん、なに?」
棘の取れた櫻は、とても可愛らしく話し易い。
ここまで持ってくるのも楽ではなかったが。
「櫻の夢が見れる様に、俺が眠るまで手を握っていてくれるか?」
まるで最期の眠りにつくが如く、哀愁を漂わせ櫻に懇願する。
「うん。……わかった」
絶望的状況からの開き直りで、俺は何とか生還に成功する。
仕方がなかったとは言え、櫻を騙す様な形になってしまったのは心が痛む。 だが、櫻のヤキモチモードから従順モードへの移行も、少しコツを掴んだと思う……しかし、
こんな事を度々やるのは御免被る……。
こんな事をしていて、俺は本当にまともな恋愛なんて出来るのか?
そんな一抹の不安も、取り敢えずは病の身体が要求する睡眠に掻き消されていった……。
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