胸に咲く二輪の花

なかの豹吏

文字の大きさ
上 下
10 / 38

10, 四人の休日 後編

しおりを挟む
 

 孝輝が連日の寝落ちをしている時、ファミレスで雑談中の珍しい組み合わせの二人は、ドリンクバーを利用してまったりと雑談中だった。

「そういえばさ、久保君は彼女作らないの?」

「その気はないな」

 櫻の質問に即答する雄也。
 この歳の男子としては、余りに冷めたその内容に首を傾げる櫻。


「でも、久保君たまに声掛けられてるって聞いた事あるけど」

「そうだな。そんな時俺はいつも同じ事を言う」

「へえ。なんて言うの?」

 雄也の言葉に興味津々の櫻は、身を乗り出して聞き耳を立てている。


「俺はやる事はやるが、彼女なんてものを作るつもりは全く無い。それでもいいか?」

「…………」


 雄也の台詞に一瞬固まる櫻。
 その石化が徐々に解けると、

「……わ、ワンナイトジゴロ、ですか?」

「いや、おかわりする時も……」
「も、もういいです」

 赤裸々な色話に赤面する櫻。
 しかし、どうにも納得いかないのか雄也に問い掛ける。


「君の過去に、何があってこうなってしまったのか……」

「さて、これと言って大きな不幸もなかったが。一般家庭と違う所と言えば、親父がコロコロとお袋変えるから今の義母母親で四人目な事ぐらいか」


( お父さんソレ!! )


 櫻は心中で叫んだ。


「ち、因みに今のお母さんて……いくつ?」

「二十三だ」

「わ、若っ!? そ、それお母さんじゃなくて家庭教師のレベルですよね?!」

「そうかもな」

(お父さん……貴方の責任ですね)

 次々に押し寄せる衝撃の告白に、櫻の常識の壁は脆くも崩れていくのだった。



 ◆



 その頃凛は、静かに寝息を立てる孝輝を、優しい瞳で見つめていた。


「寝ちゃった。昨日からよく寝るね」

 どこか満足気にも見える表情で、眠る孝輝に小声で話し掛ける。

 行動を起こしたから、今自分は孝輝の部屋にいて、看病をする事が出来ている。
 それは、勇気が出せなかった以前の自分ではあり得ない状況で、その事には満足しているのだろう。


「お世話しに来たのに、泣きそうになったりしてゴメンね。余計な心配掛けたら、来た意味ないよね」


 凛はそう言って孝輝の頬に手を伸ばすが、起こしてしまったら何とも自分勝手な行動になってしまう、と思い留まる。


「でも、泣かなかったよ。我慢したんだから、また遊んでね。……こーくん」


 音を立てない様に、静かに、凛は後ろ髪引かれるその部屋を後にした。



 ◆



「それにしても、いいのか?」

「ん? 何が?」

 変わってほのぼのとお茶をしている櫻と雄也。


「雑誌で研究もいいが、今日と言うチャンスを凛が無駄にするとは思えないんだがな」

 余りに危機感の無い櫻に雄也が疑問を投げ掛ける。

「ーーっ!? そ、そうかな? や、やばいかも……電話してみる!」


 慌てて電話を掛ける櫻に、やれやれと呆れ顔の雄也。
 不安そうに携帯を耳に押し当てるが、孝輝は電話に出ない様だ。

「で、出ないよ……」

「最中かな?」

「やめて!!」


 悲鳴にも聞こえる櫻の叫びに耳をやられる雄也。櫻は青褪めた顔で電話をかけ直す。


「出て、お願い、こーき~……っ!?」


『……はい?』


 やっと電話に出た孝輝の声に、櫻の不安な表情が安堵に変わった。


「よ、良かった。孝輝、何してるの?」

『ああ、風邪引いちゃってさ。寝てたよ』

「えっ、本当? 大丈夫なの?ちゃんと食べてる?お薬飲んだの?」

「お前はかーちゃんかーーうッ……」

 雄也のガヤに凄まじい睨みを利かせる櫻。流石の雄也も口を閉じ、黙り込んだ。


『ちゃんと食べたし、薬も飲んだよ』

「そ、そう。それなら良かった、えらいね。 今、一人でしょ?」

『ああ、今は一人。心配してくれてありがとうな』


 櫻の様子を見ていた雄也は、何事もなかった様子に少しつまらなそうな顔をして、

「何だ、アイツ風邪でも引いたのか?……ど、どうした、喜多川?」

 徐々に高まる櫻の禍々しいオーラを、雄也はその身に感じ始めた。

「……孝輝、一人なんだ」

『え……いや、ちがーー』
「じゃあ、その前は? な・ん・に・ん?」


 俯き、その髪で顔を隠す櫻の表情は雄也には見えなかったが、出来ればこのままその顔を見る事なく別れたい。そう思わせるに足る危険な香りが雄也の背筋を凍らせた。

「……切れた。 切れたよ、久保君。 電波、かな? ねえ、そうなのかな?  孝輝が……切った?  私、切られたのかなぁ!?」

「喜多川、落ち着け」

 話しながら顔を上げた櫻、その表情は既に正常な人間のそれではなかった。
 見た事もない櫻の変貌ぶりに驚きながらも、何とか宥める雄也。 しかし、どうにも落ち着く気配はなく、

「一人暮らしの男子高校生がさ、一人でちゃんと食べて、一人でちゃんとお薬飲んで寝るのかなぁ!?」

「その可能性は充分にある。これは本当だ。取り敢えずここを出よう、営業妨害だ」

 雄也の英断により、そのファミレスは救われた。
 しかし、放たれた櫻が何処に向かい、何をするのか、それは雄也が見届ける事ではない。


孝輝友よ。 願わくば、息災で」


 動き出した櫻の背中に零れた雄也の願い。それが叶うのかは、友の立ち回り次第か……。



 ◆



 お、思わず切ってしまった……。
 何て事だ。そして、その後折り返しがないのが逆に恐怖感を掻き立てる。
 つまり、ここに向かっている可能性が極めて高い、と言う予想がついてしまうからだ。

 兎に角、夏目さんの痕跡を消さねば……!
 病んだ身体に鞭を打って俺は動き出した。窓を開け換気し、臭い消しも使用した。
 髪の毛なんてベタなミスはしてなるものか。

 考えられる事は全てやったつもりだが、何しろ俺は色々詰めが甘い。それは自覚している。

 いかん、どこかに落とし穴が……そんな不安と、櫻が今インターホンを押すんじゃないか、という恐怖でまた体調が……。

 もう……限界だ、横になろう。

 その時、静寂を切り裂く呼び出し音が鳴り響く。

 俺はゆっくりと体を起こし、玄関に向かった。

「孝輝、私だよ」

 少し時間が掛かってしまったからか、櫻が声を掛けて来た。その声からは危険は感じない。寧ろ風邪を引いた俺を心配している様にすら思えた。

 少し安心してドアを開けると、


「ーーぉ……わッ!?」


 櫻は無言で俺を通り過ぎ部屋に侵入。そして、外部からの接触の証拠を探し始めた。
 その姿は正直、出来れば見たくないものだったが……。


「あ、あの……」

「孝輝、ほら横になって? ちゃんと休まないと治らないよ?」


 笑顔で俺をベッドに促す櫻。無機質な笑顔、と言うのは矛盾がある様に感じるが……この世にそれは存在した。


「さて、誰が来てたの?」

「……誰も」


 櫻の真正面からの問いに、俺は弱々しく呟く。

「じゃあ、電話での話は言い間違い?」

「ああ」

「孝輝が自分でお粥作って、残りをタッパーに小分けして冷蔵庫にしまったの?」

「……ああ」


 ーーー地獄っ! 熱にうなされ、その上尋問を受けるとは……。早く終わってくれ。


「そっか、それなら良かった。私だって一度しか来てない孝輝の部屋に、まさか他の女の子を入れる訳ないよね!」

「ああ、そうだよ」


 何とか納得してくれたみたいだな。ありがとう。全てに感謝を……今私は、慈愛の心に満ちております。


「郵便受けにメモ入ってたよ?」




「……………」



「読んであげてもいいんだけど、きっと私、私じゃなくなっちゃうかもよ?」




「……………」




「ふふ、しっかり名前まで書いちゃって」




 ーーーーやってやる。




 いや、やるしかない。



 俺は言い訳もせず、先ず上半身だけを起こした。
 言い訳も何も、向こうには物的証拠がある。その上で泳がされていたとは、最早屈辱以外何ものでもない。

 後悔させてやる。いつまでもサンドバッグしてると思うなよ。熱のせいもあったと思うが、俺はこの絶望的状況に燃えていた。



「起きていいの? ちゃんと寝てなきゃダメだよ? せっかくお粥作って、お薬くれたコに悪いでしょ?」


 ……言ってろ。


「ゴホッゴ……ぅう、ゴホッ!ゴホッ!ゴボッ……!」


 涙目になりながらも俺は咳き込んだ。嗚咽が起ころうともやめず、大袈裟に咳き込み続けた。


「こ、孝輝?……大丈夫?」

 俺のオーバーリアクションの甲斐もあり、流石に心配して来た様だな。
 俺は手を緩めない。更に咳き込み、顔を真っ赤にして身体をくの字に曲げる。


「い、今、お水を……」

「いい……から、櫻……」

 掠れた声で俺は櫻を呼んだ。そして傍に来て欲しい、そう手で示した。

「で、でもっーー!?」


 俺の射程距離に櫻が入った瞬間、強く抱き寄せた。


「こ、こう……き?」

「……ああ、少し、落ち着いた」


 抱きしめた櫻の身体から鼓動が伝わる。そして、成る程。夏目さんを貧乳だと散々言っていただけあって、胸あるな。


「そ、そう……よかった」

「櫻が居ると、安心するよ」

「だ、だったらどうしーー」
「俺の身体、熱いか?」


 言わせるかよ。
 俺は櫻の反撃を遮り、ペースを譲らない。


「う、うん」

「きっと、櫻のせいだ。 熱より熱い気持ちが出てる」

 言いながら、また少し力を込めて抱いた。

「んっ……」

 軽く呻く櫻の声が聴こえる。
 そして、腕を回したまま、ゆっくりと櫻の顔が見えるギリギリの距離で顔を見合わせる。

 距離を取り過ぎるのは危険だ。夢が覚めてしまう。

 見ると、蕩けた表情で顔を紅く染めた櫻が、俺をうっとりと見つめている。


 ―――完成出来上がりだ。


「ずっと抱いていたいけど、櫻に風邪が移ってしまうな」

「そんなの……平気」

「今の苦しみを、櫻にも受けて貰いたくない」


 瞳を潤ませて俺を見つめてくる。 従順モードの櫻だ。


「キスしたいけど、それも出来ない。今はそんな資格もないしな」

「……そんな風に、言わないで」


 縋るようなその瞳。この可憐な女の子に、男は一発でやられてしまうだろう。

 また少し咳き込む。


「孝輝、大丈夫?」

「ああ、少し横になるよ。でも、お願いがあるんだ」

「うん、なに?」


 棘の取れた櫻は、とても可愛らしく話し易い。
 ここまで持ってくるのも楽ではなかったが。


「櫻の夢が見れる様に、俺が眠るまで手を握っていてくれるか?」


 まるで最期の眠りにつくが如く、哀愁を漂わせ櫻に懇願する。


「うん。……わかった」



 絶望的状況からの開き直りで、俺は何とか生還に成功する。

 仕方がなかったとは言え、櫻を騙す様な形になってしまったのは心が痛む。 だが、櫻のヤキモチモードから従順モードへの移行も、少しコツを掴んだと思う……しかし、

 こんな事を度々やるのは御免被る……。


 こんな事をしていて、俺は本当にまともな恋愛なんて出来るのか?

 そんな一抹の不安も、取り敢えずは病の身体が要求する睡眠に掻き消されていった……。


しおりを挟む

処理中です...