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天使のオマケ 2

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 ―――この子は何なんだろう。

 頻繁に保健室に来ては休ませてくれと言うが、特に具合が悪そうでもない。 寧ろ元気そうだ。

「せ、先生」

 ベッドを貸してあげると、暫くしていつも私を呼ぶ。
 空くんと同じクラスの木村くんという男子生徒。 彼が初めてここに来たのは、私の好きな空くんの幼馴染、勇くんと喧嘩をして運ばれて来た時だった。

「……どうかしたの?」

「先生は、その、年下の男をどう思いますか?」


 ……どうって……どうも思わない。


 確かに私はとおも年下の空くんを好きだけど、それは年下だからという訳ではない。 きっと彼が年上でも、それこそ十歳上でも好きになったと思う。

「木村くん、元気そうね」

「き、木村くん………今日は名前呼んでくれたっ……!」

 本当、さぼりに来てるとしか思えない。

 でも……彼のお陰でなのよね。 
 彼と勇くんの喧嘩を内緒にしてあげたお礼、という名目で部屋で会いたいとごり押しした私は、この週末に空くんと約束を取り付けた。
 見せたかった物もあるし、何より休みに会えるのが嬉しくて仕方ない。 
 どんな話をしよう、彼はどんな服を着て来るのか、私は何を着て迎えようか、そんな事を考えるだけで楽しくなってしまう。


「先生……なんだか嬉しそうですね」

「っ………具合が悪くないなら教室に戻りなさい」

 以前より感情が表に出るようになったみたいだけど、それでも無愛想は変わらない。 それなのに、この子は何故か私の表情をよく見分ける。 ……変な子。

「具合は悪いです! それより先生、週末空いてますか?!」

「え……」

「今面白そうな映画やってて、よかったら……み、観に行きませんかっ!」

 ……何言ってるんだろう。 具合が悪いと元気に言ったと思ったら、私をデートに誘ってくるなんて。
  もしかして、ここによく来るのは私に会いに来てるのかしら。 好かれるような事をした覚えはないけど。 
 でも、どっちにしてもそれには応えられない。 私の気持ちは全部彼に向いているし、なにより―――

「悪いけど、週末は大事な予定があるの」

 生徒となんか行ける訳ないでしょ、とは言えなかった。 その生徒との約束なんだから。

「それって……か、彼氏ですかっ!?」

「っ……!」

 真っ直ぐで真剣な目が必死さを伝えてきて、思わず怯んでしまう。 その質問の内容も、私の心を掻き乱すものだったし。 


 ―――彼氏、ではない。 


 でも、そう訊かれるのも嬉しいくらい、そうなったらいいのに、と思う相手だから。

「……そうだったら、いいのにね……」

 私がそういうと、彼は止めていた息を吐き出すようにして、安堵した顔で呟いた。

「よかった……」

 私の表情によく気付く彼は、それを聞いた私の表情には気付かなかったようだ。


 ――― “よかった” ?


 全然よくない……。




 ◇◆◇



 ―――そして当日。 


 私は当然部屋着などではなく、丸ネックのミモレ丈で、黒からスカートがグレーのチェックになっているワンピースを着て、その袖を少し上に上げ彼を待つ。

 空くんは午後から来てくれる予定だから、十四時ぐらいだと思う。 
 午前中、知り合いに勧められたケーキ屋さんに行って甘いものを買っておいたが、男性はあまり甘いと嫌がるかも知れないと思ってブランデーケーキを買ってみた。

 だって、一緒にあのマグカップでコーヒーを飲みたいから、甘いものは必須………だけど、あの日は空くんが私を慰める為に一つのカップで飲んだけど、今日もそれを望むのはさすがに引かれてしまうかも……。



 そうこうしているうちに、待ち焦がれた愛しの彼がやって来た。

 知らずと早歩きになって、会う前から顔が火照っているのがわかる。

「こんにちは」

 目に入った途端胸をいっぱいにする笑顔。 

「いらっしゃい」

 喜びに震えそうな声を抑えて彼を迎え入れる。 
 白い長袖のボタンシャツに細めのジーンズを履いている空くん。 爽やかな彼に見とれていたが、きっと他の何を着て来ても、結果私は見とれていたと思う。

 リビングのソファに座ってもらい、早速準備したシナリオをなぞっていく。


「甘いものを買っておいたから、その……」

 押し売りのコーヒーが思いのほか口から出にくい。 紅茶……だとカップが変わってしまう気もするし……。

「ありがとうございます。 そんな事もあるだろうと思って……」

 私が言葉に詰まっていると、空くんは持っていた紙袋から何かを取り出した。

「新しいのを持ってきました、マグカップ」

 テーブルに置かれたのは、水色の真新しいマグカップ。 

 私はそれを見つめ、考えを巡らせていく。
 割ってしまったマグカップの代わりに持ってきてくれた……のだろうか。 それとも、私と同じカップで飲みたくなかった……そんな邪推も生まれる。

 そもそも一つのカップで飲むなんて変なのはわかっている。 でも、悪い方に考えてしまうのは性分だ。 頭ではわかっていても、つい不貞腐れた顔をしてしまった。

「これでコーヒーもらえますか?」

「……ええ」

 憎っくき水色の新参者を手に取った時、ふと逆転の発想が浮かんだ。

 は、空くんが使う為に持ってきた……ということは――― “空くんのマグカップ” だ。

 つまり、彼の私物が私の家にある、という事になる。 私の家に空くん “専用” のマグカップが……まるで恋人のように、飛躍すれば一緒に生活しているかのように。
 そう考えると、憎かったそのカップが愛しくて堪まらなくなってくる。  でも、問題は―――

「どうしました?」

 両手で大事にカップを持ったまま止まっていた私に、不思議そうな顔で彼が呼び掛けてくる。

「……このマグカップ、もらっていいの?」

 持って帰るならただのマグカップ、我が家の一員になるなら愛しのマグカップに変わる。 ここが重要なの。

「もちろん、使ってください。 今日早速僕が使っちゃうけど」

 ……もう、絶対割らない。 そう誓った。

「空くんにしか使わない。 だって、これは “空くん” のマグカップだから……」

 そう言って、私はそそくさとキッチンに向かった。 「いや、限定しなくても……」と後ろから声が聞こえたが、私には聞こえない。

 大好きな空くんの言葉は都合良く変換してしまおう。 今彼は―――『俺以外に使うなよ』、と言った。 空くん、『俺』なんて言わないけどね。


 それからコーヒーを淹れて、買っておいたケーキもテーブルに出してから隣に座った。

「本当に何もいらないんですか? お礼」

「来てもらったから、それで十分よ。 たいしたことした訳じゃないし」

「なんだか悪いなぁ……」

 困った顔をする空くんが可愛くて、横顔をじっと見つめていた。 彼が、私の “彼” になってくれたら……そう願いながら。

「ケーキ、食べてみて? 知り合いに勧められて買ったから、私も初めてなんだけど」

「はいっ、甘いもの好きなので、いただきますっ」

 ……好きなんだ。 

 確かに、甘いものが似合う顔だし……だったらもっと甘そうなのが良かったかな?

 ケーキは気に入ってくれたみたいで、美味しそうに食べる空くんににやけてしまう。
 新しい我が家のマグカップ新入りも活躍してくれているし、毎日こんな日だったら、と欲をかいてしまう楽しい時間。


 暫く他愛もない会話をして、私は気になっていた事を切り出す。


「空くん、モテるのね」
「な、なんですか急に」

 だって、あの『母の日』、あんなに可愛い女の子三人も連れて……。

「あの日いた子、みんな可愛いかったし」
「僕はその、恋愛初心者なので……」


 よかった、まだ彼女にはなってなさそう。


「三人とも、同じクラスなの?」
「あ、はい」


 モテる……とは予想していたけど、同じクラスに三人も……。  当然同い年、そして同じ学校生活を過ごす彼女達に比べて、圧倒的不利な私の武器は――――ないな、なにも。

 空くんと同じで、私は年齢だけ大人になった恋愛経験値の低い女。 大人の魅力なんて、そんなもの余裕のない私には到底出せない。

 顔……なんて、あの加藤さんていう子の方が全然可愛いし、私が彼女達に勝ってるところなんて……―――胸?  この勝手に育った無駄に大きい胸ぐらいかな……彼が小さい方が好きならそれこそ無意味だけどね。

  やっぱり無理にでも大人ぶって、色気のあるフリするしかないか……それで空くんが振り向くとは思えないけど……。

「朋世さん?」

「――はっ、はい……」

 ダメだ……咄嗟に出る気の弱いというか、基本的に頼るタイプの性格。 大体大泣きして慰めてもらった女が、今更大人のお姉さんなんて無理なのよ。

「考えごとですか?」

「え、ええ、まあ」

「ケーキおいしかったです、ごちそうさまでした」
「そう、よかった」

 とりあえず態勢を立て直そう。 空くんの食べ終わったお皿をキッチンに片付けようと席を立ち、気持ちを落ち着かせる。

 とにかく、楽しい会話をしよう。 映画なんか観ても恋人っぽいかな。 告白してから大胆になったと思うけど、高まってメーター振り切らないと抱きついたりはちょっと……ね。

 たいした策もなくソファに戻ろうとすると、空くんは立ち上がっていて、どこか頼りない足取りで歩き、話し掛けてきた。

「なんらか、ちょっろへんなのれ、かおをあらってきまふ」

 ……なに? 風邪でも引いてたのかしら。 それになんだか、呂律が回ってないような……。

「大丈夫? 洗面所はこっ―――……っ!!」












「……ごめんらはい、ともぉはん」



「い、いえ……」



 二度目だ……この床に、押し倒されたのは………今回、事故だけど……。


「ぅん~……」

 気怠そうな声で床についた手を踏ん張り、腕を伸ばした空くん。 至近距離で見たその瞳はトロンとしていて、顔は赤らんでいた。

「ともぉしゃん」

 だらしなく丸まった声、何故こうなったのかわからないけど、症状から感じたのは……

「……だめ、らぁぁ……」
「あっ……」

 力尽きて崩れるように、また倒れてきた彼の柔らかな頬が、私の頬と触れる。

 最悪だった一度目の時と、全然違う。
 驚いてるし、焦ってるけど、胸の鼓動が嫌がってない。 

 ―――当たり前か、好きな人なんだから。

 そうだ。 すっかり飛んでたけど、症状から診た彼の診断結果……それは―――


「空くん………酔ってる?」


 原因はわからないけど、そう感じたから。
 すると、急に勢い良く腕を立てた空くんは、

「ともょさん!」
「――は、はいっ……」

 強い語気で私を呼び、珍しく怒った顔をしている。

「ぼくぁよっぱぁあいきらいなんれすっ!」

「……ごめんなさい」

 怒った顔も可愛い……なんて思う余裕はなかった。
 だって、頭も支えられないのか、項垂れて声を荒げる空くんの、さらさらとした前髪が私の顔をくすぐってくるから。


 ―――心臓が……破裂しそう。


 今彼がまた力尽きたら、そのまま……唇が触れそう……。

 フラれない為の小賢しい私の作戦。



 ――― “キスしてくれたら勝手に恋人になる” ―――



 が今、何かほんの少し動けば叶う。 でも、してもらわなきゃいけないから、私は動けない。

 何故か叱られている私は、ムスッとした顔の空くんに、場面違いな顔をしているだろう。


 仕方ないでしょ? こんなに近くにあるんだもの、欲しがったって……。

 だって、くれたら……




 ―――― “恋人” になれる――――




「うぅ~………」


 呻き声を漏らし、空くんの大きな瞳が細まっていく。

 そして―――








「っ……!」

















 ―――ついに……恋人に………






 は、なれなかった………。


 空くんがキスしたのは、私の胸の谷間。
 これは、もう何度か体験済みなのよね……。


 それから、空くんが熱にうなされていた時聴いた、初めて会ったあの日のうわ言が再現される。


「……ともぉしゃんのむね………かぁさんみたいら………」

「ぇ……」


 無駄に大きくなった胸は、無駄でもなかった………かな……?


 そのまま、 “酔っ払い” は眠ってしまった。


 好きな人が自分の胸に顔を埋めているのに、こうなると走っていた鼓動もゆっくりと歩き出す。


 冷静になって思ったのは、少し変化したうわ言から、空くんのお母さんは胸が大きかったんだな、という事。

 それと、まさか……とは思うけど、彼が酔っ払った原因、それは……



 ―――― “ブランデーケーキ” ?



 そんな訳ない、普通に考えたら。
 でも、他に思いつかなかった。


 それにしても、初めて来た日はソファで寝かせてしまって、今日は床………これはあまりに申し訳ない。
 だから、今日はちゃんとお客様をもてなしてあげなくちゃね。


 空くん専用の、私のベッドで寝かせてあげる。



 すやすやと可愛らしい寝息を聴きながら、柔らかい彼の髪を撫でて、幸せな時間を噛み締める。


 空くん、起きたらちゃんと聞いてね、約束して欲しい事があるから。


 私と二人の時以外、絶対にアルコールの入ったお菓子は食べない事。


 こんなの、他の女の子に死んでもさせたくない。


 私は、空くんの『主治医』になるの。
 それとも、キス……したことにしちゃおっかな……?



 なんてね。



 予想外の展開に、見せようと思っていたは出番なし。

 次回に取っておこう。 
 またそれで、彼を誘うから。  寝ちゃった空くんが悪いんだよ?



 キッチンの棚に置かれた、ヒビだらけのマグカップが、水色空色の新入りを睨んでいるような気がした。


 大丈夫、君も空くんからもらった大事な物なんだから、捨てたりしない。 下手くそだけど、直してあげたでしょ?




 さぁ、今度は……どんなお菓子買って来ようかなぁ――――。


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