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1巻

1-3

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「今日はせっかく最近の転職事情を教えてくれるってお食事に誘ってくれたのに、椎名さんが邪魔したんだから、ぜーったいパパには内緒にしてよ」

 杏樹は思わず上目遣いで椎名を見つめてしまった。
 すると椎名は少し考えるような仕草をして、それから大きな溜息をついた。

「事情はわかった。まああの男と食事に行っても、たいしてメリットがあるとは思えないけどな」
「なによ、その言い方」

 せっかく意外にも理解があるのだと見直したところなのに、いちいち余計な一言を付け足す男だ。

「別に。それよりなんで送迎されるのが嫌なんだ? 送迎なら毎日満員電車で通勤しなくていいし楽だろ。それに彼氏もいないみたいだし?」

 最後の言葉には笑いが含まれている。自分が誤解したくせにと、杏樹は椎名の顔を睨みつけた。

「そっちが勝手に村瀬さんを彼氏だって誤解したんでしょ。それに、私に彼氏がいようといまいとあなたに関係ないじゃない」
「それが関係あるんだな、これが」
「は?」
「親父さんから聞いてないのか? これからしばらくは送迎以外でもおまえが出掛けるときは俺が着いていく契約になってるんだ。四六時中男と一緒にいるとか変な誤解をされても困るから、俺が婚約者のふりをするのはどうかって提案したんだ。親父さんもその方がいいと喜んで受け入れてくれた」
「はあ!?」

 さっきはスマホのGPSの件で頭がいっぱいですっかり忘れていたけれど、村瀬に向かって「俺の婚約者」と言い切ったのを思い出した。あのとき彼の中ではすでに婚約者の演技が始まっていたらしい。
 というか、こちらの許可もなく勝手に婚約者だと宣言するのはやめてほしい。それ以前に彼に守ってもらうことだって認めていないのだ。

「言っておきますけど、私はたとえお芝居だとしてもあなたみたいな人が婚約者だなんて認めないから! だから送迎は結構です!!」
「俺みたいないい男に彼氏役やってもらえるなんて嬉しいだろ?」

 わずかに身を乗り出した椎名に顔を覗き込まれ、ドキリとして動けなくなる。

「……どうした?」

 言葉に詰まった杏樹を見てさらに椎名がじっと見つめてくる。なんだか心の中まで見透かされそうで少し怖い。

「……」

 椎名に見つめられるだけで心臓が早鐘のように音を立て、勝手に頬が熱くなってしまうなんておかしい。男性と車の中に二人きりで、こんなに近付いて話すのが初めてだからだろうか。
 突然椎名を男性として意識してしまい、ただでさえ大きな音を立てている心臓の音が頭の中まで響いてきて、なにも考えられなくなってしまう。

「ち、近いし……!」

 なんとかそう呟いて顔をそむけたけれど、椎名に赤くなった顔を見られなかっただろうか。車内が暗いから案外気付かれないかもしれないと自分に言い聞かせたときだった。

「そういえば、勝手に姿をくらましたお仕置きをしてなかったな」

 椎名がさらに身を乗り出し、覆い被さるようにして杏樹を見下ろしてくる。

「は? お仕置きって……い、意味わかんないんですけど!」

 とっさに扉に手を伸ばし逃げ出そうとしたけれど、シートベルトにはばまれて動くことができない。

「だから近いってば! 離れて!!」

 これではまるでキスをするみたいだ。パニックになった杏樹が思わずギュッと目をつむったときだった。

「なに焦ってるんだ? もしかして、俺にキスされるとか誤解しちゃった?」

 笑いを含んだ声音にパッと目を見開くと、間近でニヤニヤしながら杏樹を見下ろす椎名と視線がぶつかった。次の瞬間カッと頭に血が上る。

「し、してません! ていうかあなたみたいなおじさん、タイプじゃないし!」
「おじさん!? 俺はまだ三十二だ!」

 おじさんと呼ばれたのが心外だったのか、椎名がムッとする。

「私と九つも離れてるじゃない! 私から見たら立派なおじさんだから!」

 杏樹はそう言い捨てると、今度こそシートベルトを外して車から飛び出した。

「おいっ!」

 すぐに扉が開く音がして椎名が追いかけてくる気配がしたけれど、杏樹は振り返らずに家の中に逃げ込んでしまった。



   3


 翌日。杏樹は椎名に車の中でからかわれたことを引きずっていて、迎えの車の前に横井の姿を見たとたん、ホッとしてしまった。

「オハヨウゴザイマス……」
「昨日は椎名とやり合ったみたいですね」

 警護をする上で、昨日の出来事も共有しているのだろう。杏樹は唇をへの字にしながら後部座席に乗り込んだ。

「私、やっぱりあの人のこと好きになれそうにありません」
「ふふふ。椎名はあなたを気に入ってますけどね?」

 運転席でシートベルトをしながら横井が小さく笑う。

「気に入ってるってどこがですか? あんなにイジワルなのに?」

 一般的に気に入っている人間に対してあんな口の利き方はしないと思う。横井は独特な思考回路を持っているんじゃないだろうか。

「キャンキャン吠える子犬みたいで、ちょっとうるさいけど可愛いって言ってましたよ」
「横井さん、それ褒めてないですよね?」
「いえいえ、椎名流の可愛らしいって表現だと思いますよ」

 やっぱり考え方が少しずれている。杏樹は曖昧に微笑み返すしかなかった。

「今日のご予定ですが、取引先の創立記念パーティーに出席すると伺っていますが、変更はありませんか?」
「そのつもりです」

 本来なら取引先の集まりに顔を出すのは父と兄の仕事なのだが、現在ミスミ製薬の専務取締役である兄は、将来の経営者としてMBAプログラム参加のため海外留学中だ。
 そのため表向きは兄の代理として参加することになっているが、実際には結婚相手を探すためにパーティーに引っ張り出されるのだろう。こういうことは大学時代から何度かあって、杏樹も仕方なく付き合っている。
 このパーティーに出席することは以前から決まっていたが、昨日の椎名の話が本当なら、父はもう結婚相手を探すために杏樹を紹介して回る必要がないはずだ。でも、朝食のときそんなことは口にしていなかった。
 だとすると、椎名が言っていた婚約者云々は杏樹をからかうための冗談だったのかもしれない。

「帰りは椎名が迎えに来て、パーティー会場のホテルまでお送りするそうですので」
「……」

 やっぱりあの男の言いなりになるのはイヤだ。パーティーには一人で行けるし、なにより昨日あんな別れ方をした椎名と顔を合わせたくないと思ってしまう。

「杏樹さん、ものすごく嫌そうな顔してますね」
「わかりますか? 横井さんが気を遣ってくれているのにすみません」
「いいえ。対象者に嫌われるような態度や言動をした椎名が悪いんですからお気になさらず。せいぜい振り回してやってください」

 まるで杏樹が昨日のように行方をくらますことを推奨するような言葉に困ってしまうが、やはり素直に椎名を受け入れると約束できなかった。
 というか、横井には悪いが今夜こそ椎名の送迎から上手く逃げるつもりだった。
 昨夜自宅でスマホからGPSアプリを削除しようとしたのだが見つけられなかったので、昨日のようにあとから追いかけてくる可能性があるが、その前に父と合流をして椎名の無能さを訴えようと考えていた。
 父だって、二日続けて杏樹にかれてしまうボディーガードなど役立たずだと思うだろう。そうすれば堂々と送迎を断ることができるというものだ。
 しかし杏樹のその作戦はあっけなく崩れ去ってしまった。
 定時になりロッカールームでフォーマルなワンピースに着替えてからオフィスを出たのだが、エレベーターを降りて昨日のように正面玄関を通らず裏口へ向かおうとしたとたん、後ろから誰かに手首を掴まれた。

「え……っ」

 驚いて振り返ると、そこには唇に勝ち誇った笑みを浮かべた椎名が立っていたのだ。

「ど、どうして……」
「待ち合わせは向こうだろ、

 ニヤリと歪んだ唇を見て、行動を読まれて先回りされていたことに気付いた。まあ椎名もプロだから二度も同じ手にかかるつもりはないのだろう。

「ここは、待ち合わせ場所じゃないけど?」

 杏樹はあくまでも待ち合わせに行くつもりだったという顔をした。

「早く着いたからな。それにの顔を早く見たかったし」

 椎名の言葉に、その場で二人の様子を伺っていた社員たちがざわめいた。杏樹はその空気を感じて初めて、自分たちが注目されていたことに気付く。

「ちょ、ちょっと! こ、こんなところで」
「別に構わないだろ。社長も俺たちの仲を認めてるんだし」
「こ、声大きいっ!」

 周りの人たちに聞かせるような台詞に、杏樹は慌てて椎名の腕を引っ張ってビルの外に出た。
 去り際に社員たちの間から「超イケメン!」とか「さすが社長令嬢の婚約者」という囁きが聞こえたときは、言い返したくてたまらなかった。
 そうなのだ。椎名がもっと不細工だったり、杏樹が苦手ないかつい感じの男性だったらいちいちドキドキしたりしないのに、彼がイケメン過ぎるから困る。
 しかも運命の出会いだと思ってしまったほど好みの顔だし、中身がどんなに性格が悪く気が合わないとわかっていても、ついつい反応してしまう。

「もう! あんなところで婚約者だなんて言ったら、会社中に噂が広がっちゃうでしょ!!」
「構わないだろ、そういう設定なんだから。むしろ一度で周知できてよかったじゃん」

 たとえ婚約者という設定だったとしても、あくまでも設定なのだからわざわざ周知しなくてもいいはずだ。
 今日は金曜だから、この週末にSNSで広まって、月曜の朝までには会社中の人が知っていそうな気がして怖い。元々杏樹の寿退社を期待している秘書課の人たちは大喜びするだろう。
 これ以上会社に居づらくなるのかと気が重くなったが、転職さえしてしまえばその噂からも逃れるのだと前向きに考えるしかなかった。

「さて、そろそろ移動しないとパーティーに遅刻するぞ」

 そう言われて初めて椎名の服装がいつもと違うことに気付いた。

「……もしかして、パーティー会場の中にもついてくるつもり?」
「当たり前だろ。おまえの婚約者って設定なんだから、エスコート役がいたら信憑性が高まるし」

 あくまでも杏樹をガードするときに誤解を生まないための設定のはずなのに、周知だの信憑性にばかりこだわって、少しずつ目的が変わってきている気がする。
 杏樹は改めてスーツ姿の椎名をまじまじと見つめた。
 今日は昨日のような黒っぽいビジネススーツではなく、チャコールグレイの縦縞のおしゃれなスーツに明るい色のネクタイを締めてフォーマル仕様だ。杏樹のエスコートのためなのだとわかる。悔しいことにとても似合っていて、惚れ直してしまいそうにカッコいい。

「なんだよ、その顔」
「……えっ」

 いつの間にか椎名に見惚れていた杏樹は、ドキリとして視線を逸らした。

「なに、その態度。傷つくんだけど」
「し、椎名さんのせいで恋人ができなくなったらどうしようかと思ってただけ!」

 杏樹は早口で言うと先に立って歩き出し、椎名が大股で追いかけてくる。

「おい。婚約者の設定なんだから、椎名さんじゃなくて創って呼べよ。
「……っ!」

 名前なんて誰が呼んでも同じだと思っていたのに、椎名にそう呼ばれて心臓が大きく跳ね、その場で飛び上がってしまいそうなほど驚いてしまった。

「な、なんで……呼び捨て……」
「呼び捨てじゃなくて杏樹さんとか杏樹ちゃんの方がいいのか? 杏樹ちゃんは俺のキャラじゃねーな」

 頭の上で楽しげな笑いが聞こえたけれど、相変わらず心臓がドキドキと大きな音を立てていて、杏樹は無意識に片手で胸を押さえてしまった。
 横井にも何度も〝杏樹さん〟と呼ばれているのに、椎名相手だとどうしてこんなに動揺してしまうのか不思議だ。

「ま、面倒くせーし杏樹でいいだろ」

 幸い椎名はこちらの動揺には気付いていないようで、まるで子どもにするように大きな手で杏樹の頭をポンポンと叩いた。


   ***


 会場であるホテルに着いたとき、杏樹はなんとか落ち着きを取り戻していた。バンケットホールはすでに人で溢れていて、すでに主催者の挨拶などは終わってしまったらしい。
 今日の集まりはミスミ製薬と取引のある老舗印刷会社の創業パーティーで、現在の社長取締役と父が大学の同期でプライベートでも付き合いがあったので、杏樹も兄の代理と言いながらもあまり気負わずに参加するつもりでいた。
 車を降りてから椎名がピッタリと杏樹のそばにくっついているのが気になったが、時間も遅れているので視線の先に父を見つけると、おじさんたちの集団に近付いて後ろからそっと声を掛けた。

「パパ」
「おお、来たのか。遅かったじゃないか」
「ごめんなさい。会社で着替えをしてから来たから」
「そうかそうか。よしよし、椎名くんも一緒だな」

 杏樹の背後に立つ背の高い椎名を満足げに見上げる父を見たら、やはりなにかがおかしいと思った。
 今まで散々自由に出歩いていたのに、急に人をつけると言い出すなんてなにか深刻な理由があるに違いない。椎名と無理矢理婚約させるための方便とも思えないし、杏樹が危険な目に遭うかもしれないなにかが起きているのだ。
 そのことに気付いてすぐに父を問い詰めたいと思ったが、さすがに人前でそれをしないだけの冷静さは持ち合わせていた。代わりに家に帰って落ち着いたら必ず話を聞き出そうと決めた。

「三隅社長、こちらは?」

 父と輪になって会話をしていた高齢男性たちの一人が口を開く。中には見知った顔もあったが、その男性に面識はなかった。
 視線は杏樹のすぐ後ろに立つ背の高い椎名に向けられていた。

「ああ、今娘とお付き合いしてくれている人でね。椎名創くんだ」
「もしかして警察庁の?」

 父の言葉に男性はわずかに眉を上げる。名前を聞いただけで反応する人がいるということは、椎名の父はかなり地位のある人物らしい。

「そうなんだ。彼のお父上とは昔から付き合いがあってね。彼は今、SINセキュリティーという警備会社を経営していて、最近うちの会社と取引を始めたのがきっかけで娘と親しくしてもらっている」
「それはそれは、おめでとうございます」

 まるで結婚が決まったかのような反応に杏樹は複雑な気持ちになったが、他の人もなるほどという顔でうなずいている。以前より娘の婚約者を物色していた父が交際を認めていることから、正式発表も間近だと思われても仕方がない。
 ありえそうな状況でみんなが信じてしまうのはうなずけるけれど、この流れだと椎名は父親の威光を借りて起業しているかのように聞こえてしまう。親の名前が出ただけでこんなふうに思われてしまう椎名も大変そうだ。
 会社内だけでも社長の娘として気を遣われてうんざりしているのに、ビジネスの上でいつもこんな目で見られるのは屈辱だろう。擁護するほど彼を知っているわけではないが、椎名が自分の親の力に頼って仕事を得ようとしているとは思えなかった。

「いや、出遅れましたな。お嬢様には是非うちの甥っ子をお引き合わせしたいと思っていたんですが」

 そう言ったのは確か大田おおた広告の社長だ。大田広告自体は一族経営ではないが、彼は元財閥系一族出身で、彼の甥なら間違いなく生まれながらのエリートコースだろうと思いながら、杏樹は儀礼的な笑みを浮かべた。

「ほう、そうでしたか。一度お会いしてみたかったですな」
「今日はこちらにお邪魔していますから後ほど紹介させてください。椎名さんも是非」
「ありがとうございます」

 椎名も当たり障りない言葉でうなずいた。
 その後も何人かの参加者に引き合わされて、そのたびに父が当然のように椎名を杏樹の恋人という体で紹介する。なんだか本当に椎名と婚約したような気分になって「そろそろご婚約ですか? おめでとうございます」などと声を掛けられても、つい笑顔でお礼を言ってしまった。

「ねえ。いつもあんななの?」

 ひとしきり挨拶を終え、やっとビュッフェコーナーにたどり着いた杏樹は、オードブルを皿に盛り付けながら椎名をチラリと見た。

「あんなって?」

 車だからとアルコールを断った椎名は、ウーロン茶のグラスに口をつけた。

「ほら、お父さんの名前を出されて、なんか親の七光りみたいに扱われてたでしょ」

 そう言いながら杏樹はホタテのマリネをヒョイッと皿に載せる。

「ああ」

 椎名はなんとも言えない自虐的な笑みを浮かべてもう一度グラスを口に運んでから、杏樹がカウンターに置きっぱなしにしていた白ワインのグラスを持ち上げた。

「警察組織にいたときの方がもっとすごかったぞ。俺の名前の枕詞は〝椎名長官のご子息〟だったからな」

 要するに、杏樹が三隅社長の娘とかミスミ製薬社長令嬢とか言われるのと同じ意味だろう。

「……長官って偉いの?」

 警察組織のことがよくわからない杏樹の口をついて出た質問に、椎名は一瞬目を丸くしてから周りの人たちが振り返るほどの勢いで笑い出した。

「な、なんで笑うのよ!」
「いや、長官なんてたいしたことないって思ったからさ」
「そうなの?」

 杏樹の皿が料理でいっぱいになると、二人は壁際にぽつんと空いていたテーブルに移動した。
 いつもならこういう立食パーティーに参加しても話し相手もいないし退屈で料理を食べるしかなかったが、今日はいつもより楽しいと思いながら椎名の話に耳を傾けた。

「こうやって自分で会社を興しても親父の名前はついて回るけど、いちいちそれに反応してたら警察を辞めたときの自分となにも変わらないと思ってな。今は社員を抱えているし、あいつらを養うためにもせいぜい利用させてもらおうと思ってる」
「大人だね……」
「俺のことなんだと思ってるんだ」

 心外だとばかりにしかめっ面になった椎名を見て杏樹はクスクスと笑いを漏らす。

「だって、私には小学校のいじめっ子みたいな態度じゃん」
「それはおまえがいちいちガキみたいな反応するからだろ」
「だからガキって言わないで!」
「ほら、そういうところ」

 椎名は笑いながら杏樹の手首を掴むと、フォークに刺さっていたホタテを自分の口に運んでパクリと食べてしまった。

「あ! ヒドイ! 私ホタテ好きなのに!」
「一つぐらいいいだろ。また取ってくればいいんだし」
「私は今のが食べたかったの!」
「そんなに騒ぐなって。俺たち注目されてるぞ」

 わずかに声を潜めた椎名に、杏樹もチラリと辺りに視線を向けた。

「……そりゃそうだよ。椎名さん目立つし」

 小声で呟くと、もう一つ残っていたホタテを急いで口に運ぶ。また椎名に狙われたら困ると思ったからだ。

「椎名さんって呼ぶなって言っただろ」
「……別に呼び方なんてどうでもいいでしょ」
「良くない。呼んでみろよ、創って」
「……は、創さん」

 そう口にした瞬間、なぜか胸がキュッと締めつけられて息苦しくなった。
 名前を呼ばれてもドキドキするし、名前を呼んでも胸が苦しくなるなんて自分はどうかしてしまったのだろうか。

「お。一応さん付けにしてくれるんだ」
「だって、創さん私よりも上のおじさんだもん」

 杏樹はわざと憎まれ口を叩いてプイッと横を向いた。
 自分は椎名に惹かれているのだろうか。そう考えただけで頬が火照ほてってくるのがわかる。椎名と目が合うとドキリとするし、気にしないようにと思うのに、気付くと椎名がどこにいるのか探してしまう。

「あ、あっちにローストビーフ出てる。取ってくるからここにいて」

 杏樹は早口で言いながら椎名に背を向けた。これ以上一緒にいたらドキドキし過ぎて余計なことを口にしてしまいそうな気がしたからだ。
 オープンキッチンのスペースでは、シェフが目の前で肉を切り分けて白い皿に盛り付けてくれる。杏樹はちょっと迷って二皿注文すると、両手にお皿を捧げてテーブルに戻った。

「はい。食べるでしょ」

 杏樹はなるべくさりげなく聞こえることに期待したけれど、まるで椎名に媚びているような気がした。


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