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第一部 第五章 羽休めの街
ep5
しおりを挟むその夜、スーヴィエラは入浴などの介抱も断って自分でさっさと支度をし、湯船に浸かっていた。
醜い傷が残る肌に指を這わせ、目を閉じる。
「選ぶ、か…」
スーヴィエラは顔を歪めた。
「選んでもらうのはこちらの方なのに」
龍人の一般人よりも高い回復力をもってしても治りきらない傷。
リアラは精神的なものだと言っていたが、スーヴィエラはもう、痕になってしまったとわかっていた。
「…なんでこの家に生まれて来ることが出来なかったの? なんであんな貴族なんかとしたの? お母さん…」
顔を覆って自分のドス黒い感情に情けなくなり、スーヴィエラは湯船に顔をつけてブクブクと泣いた。
産みの母を恨んでしまったことが一番許せなく、スーヴィエラは息継ぎをしながら何度も湯船に顔を沈めていた。
その日の夜はスーヴィエラのためにと質素でしかし、カロリー低めながら栄養価の高いメニューが並んでいた。
「さすが父上です。美味しい」
ヴィクトルの言葉に、スーヴィエラは驚いてシリウスを見上げた。
「これ、シリウス様…あ、パパが作ったのですか?」
「スーヴィエラ、無理にパパって呼ばなくていいよ」
「でも、憧れだったんです。お父さんなんて呼べる人じゃなかったから」
スーヴィエラはニコリと笑った。
「だから、パパって呼べることが嬉しいんですよ」
シリウスは優しく笑った。
「あまり食べない君が少しでも食べるように、ね」
「料理人さんはいらっしゃらないのですか?」
「いや、いるけど、たまには腕をふるってみたいんだよ。…ま、私の趣味かな」
シリウスの料理はイシュカ家の料理長の優しい味わいと似ていて、スーヴィエラはペロリと平らげられた。
量こそ少なめにしてあるとはいえ、それでも、スーヴィエラの食欲は少しだけ増えつつあった。
お腹もいっぱいになり、スーヴィエラは小さく欠伸をすると、クロニカが微笑んだ。
「満腹?」
「はい。眠くなってきました」
「それじゃあ、メイドさんにベッドの用意、して貰わなくちゃね」
クロニカは近くにいたメイドに耳打ちすると、小さくウィンクした。
「ヴィー。スーちゃんのお世話、お願いね?」
「え? あ、はい! …って、何をですか?」
「ヴィクトル、聞いていなかったの?」
ヴィクトルはほおを朱に染める。
「そ、それは…」
モジモジと俯いてヴィクトルはスーヴィエラをチラリと見た。
クロニカは呆れたように肩を竦める。
「はいはい、…そんなんだから、お付き合いできないのよね、ヴィーも」
「姉上だって、旦那さんとお付き合いするまで恋人はいなかったじゃないか!」
「う、煩いです! 私はモテたことがないんですから、仕方ないです!」
「…姉上、白々しいよ? 姉上はモテモテで、オトせるか微妙なラインだったって聞いたよ?」
「それはないわ。ない。男友達ならいたけど、本当にお友達だから」
「それはすごく残酷だよ、姉上」
きょうだいゲンカをシリウスが咳払いで止めた。
「いい加減にしなさい」
「「はい」」
二人がシュンと落ち込むと、シリウスは優しくスーヴィエラに微笑んだ。
「騒がしくていけないね。ヴィクトル、二人で庭でも見てきたらどうだ? 星空が綺麗だから」
ヴィクトルはほおを朱に染めたが、息を飲んでスーヴィエラを振り返る。
「行きませんか?」
「いいのですか?」
「もちろん!」
スーヴィエラはヴィクトルと並んで歩き出した。
彼が歩幅を合わせてくれるので、スーヴィエラも自分のペースで歩くことができた。
中庭に出てテラススペースに移動し、二人で満点の星空を見上げながら、ヴィクトルはポツリと言った。
「とっておきの場所を知っているんです。今度、一緒に行きませんか?」
「機会があれば」
スーヴィエラはヴィクトルの無邪気な笑みに驚いて瞬く。
ヴィクトルの満面の笑みは本当にシリウスそっくりで、優しく力強い笑顔をしていた。
「じゃあ、また今度誘います」
スーヴィエラはヴィクトルの横顔を見上げると、彼は視線に気が付いたのか振り返った。
「スーヴィエラさんも一緒に見ましょうよ!」
スーヴィエラは誘われるままにヴィクトルの二歩分の距離を取って佇むと、彼はほんの少しだけ距離を詰めた。
スーヴィエラが反射的に遠のくと、それ以上、彼が距離を詰めるということはなかった。
「スーヴィエラさん、夜空が綺麗ですね。宝石箱をひっくり返したみたいですよ」
夜空を再び見上げる彼の横顔を見上げながら、スーヴィエラは口に出そうになった質問を飲み込んだ。
今は、ただヴィクトルと一緒に夜空を見上げることだけ考えた。
「ヴィクトル様、スーヴィエラ様。お二人とも風邪をひいてしまいますよ。そろそろ中にお戻りを」
スーヴィエラは夢見心地でその日、床についたが、その日の夢はヴィクトルと夜空を並んでみる夢だった。
でも、距離はずっと近くて、もう少しで触れられそうなライン。
まだ、触るのが怖いスーヴィエラにとっては、夢の夢みたいなものである。
だが、不思議とスーヴィエラの心は安らかに夢の世界を過ごしていた。
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