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「リリー!」

 突然扉が開く。
 縫い物をしていた私は驚愕し、ドクドクと鳴る心臓を抑えた。

「驚いた…あなた、本当に公爵家の娘?
 おば様が見たら卒倒するわよ?」
「驚いたのはこっちよ!
 あなた、ケビン様と婚約解消したってどういうこと!?」

 興奮のあまり、ぐっと私に顔を近づけるデイジーを、手で静止させる。

「デイジー、落ち着いて…」
「王族との婚約を解消するなんて、前代未聞よ!?
 あなた、今後どこにも嫁げなくなったら、どうするの!」

 なぜか涙目になってまで訴えてくれる古くからの友人に、努めて優しく微笑む。

「ありがとう…心配してくれてるのね」
「どうしてそんなに落ち着いてるの…?
 だって、あなた…」

 デイジーの続く言葉が分かった。
 思わず、目を伏せる。

「彼を…ケビン様を、愛していたじゃない」



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 私とケビンが出会ったのは、14歳の頃。
 この国の第三王子である彼は、国内で妻を娶る事となり、有数の貴族の中から年頃の娘が選出され、私が選ばれた。

 選ばれた理由はよく分からないが、恐らく両親が血の滲むような何かをしたのだろう。
 正直結婚というものがよく分からなかった私はどうやら王族の一員になるらしい、くらいに思っていた。

 そういう訳で私は彼の婚約者として城に通い、マナーや歴史、立ち居振る舞いなどを学び始めた。
 それと同時に、彼との交流も深めていく。

 婚約者といえど、お互いまだ子ども。
 彼は立場的に歳の近い友人というものがおらず、話し相手が出来て嬉しそうだった。
 私も恐れながら、彼の事を良き友人の一人として接していた。

『結婚って、何なんだろうね』

 彼はたまに遠い目をする事があった。
 私はよく分からなくていつも見ない振りをしていたけど、彼が呟いた事が私も思っていた事と同じで、急に人間味を感じた。

『…私も、よく分かっていないの』

 思わず同意する。
 当時、彼の希望で丁寧語を外していた。ある程度成長してからは改めたけれど。

 ほぼ独り言に近かったろうに、私が返事をした上に同意したためか、彼は一瞬目を丸くした後、

『はは…一緒だね』

 と、声を出して笑った。
 その笑顔がとても眩しくて、思わず頬が熱くなったのを覚えている。

 結婚というものがどういうものか分からなかったけど、結婚するならこの人がいいなと思った瞬間だった。
 今思えばここから始まりだった。

 私達は月日を経て、成長する。
 私は特にこれといって特徴のない女だが、彼は王族。
 その一族にしか許されない金髪とグリーンの瞳に、端正な顔立ち。そして溢るる気品に惹かれない訳がなかった。

 体だけでなく心も成長した私は、彼が好きなのだと自覚する。

 私を遊び仲間として接していた彼は、いつしか私をちゃんと婚約者として接してくれる様になっていた。
 私に微笑み尊重し、優しく気遣ってくれる。

 私はどんどん、彼に惹かれた。
 だから気付かない振りをしていた。
 彼が未だに、遠い目をしていた事に。

 ある日、第一王子の第一子お披露目パーティーが催され、私も勿論彼の婚約者として参加した。
 当時、私達は17歳。2年後に籍を入れる事が決まっていた。

 その頃には私も王族としての立ち居振る舞いを身につけており、彼の横で堂々と歩ける様になっていた。
 そのパーティーで私達は、オーディンとサルエラの兄妹と知り合う。

 当時、交流を始め出した国の王子と姫で、初めてこの国に来て少し緊張していると言った。
 歳が近い事もあり私達はすぐに意気投合し、この国に滞在中、城内を案内したり一緒に食事したりした。
 すっかり仲良くなった私達は、その後も度々交流を続けた。

 二人が生まれた国は温暖な気候にあるからかとても明るい性格で、特に妹のサルエラは漆黒の艶やかな髪が似合う、少しミステリアスな雰囲気を持った綺麗な人だった。

『サルエラの髪は素敵ね。羨ましい』
『あら、私、髪だけじゃないのよ?』
『…顔も、中身も素敵って?』
『そう!ふふふ…』

 そんなミステリアスな雰囲気とは違い、彼女はとても気さくな人だった。
 そんな彼女に女の私が惹かれるくらいなのだから、あの人が惹かれない訳がなかった。

『ミルドレイシアへ行く?一人で?』

 私達の結婚がいよいよ半年後にまで迫ったある日。
 彼が突然、オーディンとサルエラの国へ行くと言い出した。
 どうやら父である王からの書簡を、彼らの国へ届ける役目を授かったらしい。

 なぜ彼が?という疑問が浮かんだが、それくらい重要な物なのだろうと深く考えなかった。
 いや、考えたくなかったのかもしれない。

『では、行ってくる』
『ええ。行ってらっしゃい』

 彼がいつもの様に微笑む。
 しかしその瞳の奥に何か強いものを感じ取り、嫌な予感がした。

 彼は予定より一日遅れて帰ってきた。
 私はあの嫌な予感が収まらなくて、彼がミルドレイシアに行っていた期間まともに寝られていなかった。

 逸る気持ちを抑えて彼の元へ向かう。
 私に気付いた彼が、こちらを向く。

『ただいま、リリー』

 私の名を呼ぶ彼の目は、私を捉えていなかった。

 その瞬間、彼は何かを確かめたくて、そして踏ん切りをつける為にミルドレイシアに行ったのだと分かった。
 と同時にそれは達成されたのだ、と。

 彼はきっと、いや、確実にサルエラを愛している。
 それを理解した上で私と結婚しようとしている。
 自分のためじゃなく、この国の王子として生まれた役目を全うするために。

 そしてサルエラも、恐らく彼に惹かれている。
 あの子の事だから私に遠慮しているのだろうけど、同じ男を好きになったのだ。
 理屈じゃない何かを感じ取ってしまう。

 私はどうすべきか迷った。
 彼がサルエラを愛してるという事実を知りながら夫婦となるのか、そんなみじめな想いをしたくないからというだけで、この努力してきた日々とこの想いを捨てるのか。

 苦しくて、苦しくて、何日も、何ヶ月も悩んだ。
 そして結婚式まで1ヶ月と差し迫った時。

 私は彼を解放してあげる事を選んだ。

『婚約を…解消?
 何を言っているんだ?リリー』

 彼がこんなに困惑している所を初めて見た。
 私は結局、彼の貼り付いた笑顔しか知らなかったのかもしれない。

『ケビン様、結婚とは何たるかを、見出せましたか?』

 彼の表情が驚愕のものに変わる。
 幼い頃分からなかったものが、サルエラに出会って彼は見出したのだ。
 大事なものは、愛だという事に。

『どうか、ご自愛なさいませ。
 私、初めてあなたの力強い瞳を拝見いたしました。
 でもその瞳には私は映っていない。
 そんな方と一生を共にする覚悟はございません』

 私は深々と頭を下げる。
 彼に見えない様、ドレスを強く握った。
 今にも泣きそうだったから。

 彼はしばらく呆然としていたが、どんどん苦悶の表情へと変わった。
 自分の顔を片手で覆い、俯く。

 そして小さく、“すまない、リリー”と呟いた。
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