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「君、もしかして俺の事嫌い?」
「え?」

 まるで食べ物の話をしているかの様にさらりと尋ねられて、一瞬時が止まった。当の本人はおかしな内容とは違い、にこにことこちらの返事を待っている。

「…突然どうなされたのですか」
「んー、そうなのかなと思って聞いてみただけ」

 相変わらず表情は変わらず、和やかな空気を醸し出す彼に私はぞくりと背中が粟立った。

 …なぜ分かったのだろう。

 私、ローズマリー・クララインがリーズベルト公爵家に嫁いだのは約3ヶ月前。父の貿易事業が成功し、見事に貴族の仲間入りをした我が家は更に確固たるものにするために、歴史ある貴族との繋がりを望んだ。そのためクラライン家の長女である私は、周りからこそこそと成金一族と揶揄されながらも、社交界に赴いたのだ。

 そして父が輸入した珍しいデザインの布で作った私のドレスに、リーズベルト家の奥様が興味を持たれた事がきっかけだった。そこから父の得意な営業トークでみるみる内に気に入られ、うちの息子と会ってみないかとなった訳だ。

 後日、お茶会と称して屋敷に招かれ現夫であるマイケルと初めて会ったのだが、その時の事を今でも鮮明に覚えている。お義父様ゆずりの銀髪に真紅の瞳を持ち、ただ立っているだけなのに気品に溢れている見目麗しい姿。

 これが本物の貴族の血を持った人間なのかと見せつけられ、父の財力だけで何も持たない私はその場から逃げ出したくなった。

 彼も自分が普通の人間とは違う事を十分理解しているのだろう。おずおずと目を合わせる私に対して何も臆する事なくまっすぐこちらを見ており、まるで品定めされている様な気になった。

 本当にこんな人と縁談を進めるのだろうかと気もそぞろな私の事なんて露知らず、こんなうまい話を逃してなるものかと商人魂で躍起になった父は、あれよあれよという間に縁談を進めた。そして結局私達は夫婦となってしまったのだ。

 それから3ヶ月。嫁いだからには公爵家の名に恥じない人間となるため、マナーや身のこなしを徹底した。それにこれでも商家の娘だ。人間関係を円滑にするための術も心得ていて、彼のご家族や使用人達からも信頼を得ていると思う。

 しかし、肝心のパートナーには全てお見通しだったらしい。彼は一見、この朗らかな雰囲気から親しみやすい人物の様に思えるが、たまに見せる全てを見透かした様な目線が怖かった。

 実際、この3ヶ月間私は彼に泳がされていたのだ。成金女が付け焼き刃の作法でこの家に溶け込もうと必死になっていた姿でも見て笑っていたのかしら。なんとも面白くない事実に不快感を覚える。

 ああ、だからこの人は苦手なのよ。

 と眉間に皺を寄せそうになるのをぐっと抑え、努めて私もにこりと微笑む。

「どうしてそう思われたのでしょう。確かに私達はまだ知り合ったばかり。けれど、こんな素敵な方と毎日ご一緒しているのですから、私が惹かれない訳がないですわ。それなのにあなたを嫌うだなんて、まさかそんな…」
「へえ、俺の顔を気に入ってはくれているんだ」

 再び時が止まる。なぜそこを切り取るのか。貼り付けた笑顔をどうにか維持する。

「…ええ。そうなります、ね」

 この言葉に嘘偽りはない。ただ、その美貌に私は釣り合わないのでなるべく一緒にいたくないだけ。

「大体の人間が俺に近付こうとしてくるけど、君は初めて会った時から明らかに警戒していたよね。そして現在も」

 何という自信だ。しかしこの美貌と財力を前にすると余りある説得力にそうだろうな、と納得せざるを得ない。なんて思案している内に、彼は私の茶色の髪を一房掴むとそこに唇を寄せた。

「ほら、すごい顔してる」

 彼の突然の行動にさすがに表情管理が追いつかなかったらしい。ここに鏡がないので分からないが、自分でも引き攣ってしまったのが分かった。

「…こういった事に不慣れなだけです」

 何とか絞り出すように言葉を出すと、彼はふうん、と返した。明らかに納得していない声色にまだ続くのかしらと内心焦る。

「もう何度か触れ合っているのに?まあ、かなり事務的な感じだけれど」

 私達が夫婦となって1日でも早く望まれるのは子どもだ。例に漏れず、私達は結婚したその日から何度か夫婦の契りを交わしている。けれどあくまで妊娠する可能性が高い期間だけだし、私自身全く楽しもうとも思っていないので、彼の言うように事務的だと言われても仕方がないだろう。

 普段取り繕っている私でも、そこだけは素直になってしまう。でも彼も終わったら一言二言労いの言葉を掛けてすぐに部屋に戻るので、淡白な人だと思っていた。それなのに、彼がまるで残念そうに言うので少し動揺してしまった。

「その様に思われていたとは知りませんでした。ですがこれまで家族以外の男性と会話した事なんて数えれる程で、そういった事の常識も分かりませんしこの短期間で慣れないのかと言われても、正直困ります」

 なぜか彼の顔を見られなくて、俯きながら一歩下がる。彼が薄く笑った空気を感じた。完全に揶揄われている。もう本当に苦手だわ、この人。

「とにかく俺の事を嫌いなのは認めないって事ね。別にいいけど」

 突然興味を失ったのか、彼は私を置いて再び歩き始めた。ようやく終わった尋問にも似た会話が終わり、ほっと息を吐く。

 珍しく声をかけてきたと思ったらとんでもない内容だった。自分の事が嫌いかと聞かれて、はいそうですなんて言える訳ないし聞いた所でなんだというのだ。しかも絶対に私が答えられないのを分かっている上で聞いてきたに違いなく、余計にたちが悪い。

 私の弱味を突いて楽しむのは全く腹立たしいがあっさり引き下がってくれた。きっとただの気まぐれだろう。

 そう思っていたのに、彼は翌日以降も私に話しかけてきたのだ。

 会話の導入は今日の出来事だったり天気だったり、本当に何でもない事。けれど必ず最後には「それで?どうなの?」と、あの屈託のない笑顔で聞いてくるのだ。

 毎回不意を突いてくるので彼と一緒にいる時は本当に気が抜けない。私がボロを出さないか楽しんでいるに違いない。

 いい加減うんざりしてきたので、もうはっきりあなたが苦手だと言ってしまおうかしらと思っていた頃、丁度エントランスに入ってきた彼と鉢合わせた。

「あ、今嫌な顔したでしょ」
「何をおっしゃいますか。お帰りなさいませ、あなた」

 即座に取り繕ったのだがしっかりばれている様子。一瞬とはいえ顔に出てしまうとは毎日のやり取りで私も大分緩んでいる気がする。

「本日もお怪我がない様で安心致しました」
「今は目立った戦争もないしね。書類仕事ばかりだよ」

 彼は次子で、早々に屋敷を出て城の騎士団に所属し私達は王都で暮らしている。これでも一つの隊を任される程実力があるらしい。

「少し待っててくれ。準備が整ったら向かうよ」
「かしこまりました」

 ああ、また例の尋問が始まるのかしら、と憂鬱になりながら食堂へと向かった。

「今日は何していたの?」
「いつも通り、マナー教室や刺繍などをして過ごしておりました」

 正直ここの暮らしは退屈だ。実家に暮らしていた頃は事業を少しだけ手伝っていたのでそれなりに仕事があった。ここに来てからは毎日講習と、座ってやる作業の繰り返し。これが仕事だと思ってやるしかないが。

「そうか」

 聞いてきたくせに随分とお粗末な反応に(じゃあ聞かないでよ)と内心悪態つきながら、葡萄酒を口に運ぶ。話題を変えよう。

「あなたはどうでした?」
「別に、いつもと変わらないよ。…いや、そういえば少し面白い事があったな」
「なんです?」
「どうやら俺の部下が浮気をしていた様でね。綺麗な手のひらの跡を頬につけて出勤してきたんだよ」
「まあ」

 城直属の騎士であろうとも、そういう不埒な輩がいるのかと驚く。しかし、彼はもっと私を驚かせる事を言ってきた。

「君もそういう人がいるのなら遠慮なく言っていいんだよ」
「…え?」

 他人の泥沼劇から一転、耳を疑う言葉を聞いた気がしてナイフとフォークが止まった。思わず彼の方を見るが、当の本人は何でもない様に酒を嗜んでいる。

「嫌いな男と一緒にいても楽しくないだろう。頑なに認めない所がまた面白いけど」
「………」
「どうした?」

 返事が返ってこなかったからか、彼がようやくこちらを見た。私はその深紅の瞳を真っ直ぐに捉え、はっきりと言った。

「そうね。大嫌いだわ、あなたなんか」

 しん、と静まり返った空気に一瞬冷静になったが、彼の呆気に取られた顔を見ているとまた体が熱くなってきた。

 あんなに煽ってきていたくせに、いざ“大嫌い”と言われたら何なのだ、その反応は。いくら彼が苦手だからって、なぜ私が他の人の所に行かなければならないの?この人は私をそんな不埒な女だと思っていたの?

 きっと彼はいつもの揶揄いのつもりで言ったのだろうが、あまりにも失礼すぎる。まるで私が浮気しようがどうでもいいと言っているこの人に、どうしようもなく腹が立つのだ。もう顔も見たくなくて、私はナフキンで口元を拭うと椅子から立ち上がった。

「ごめん!」

 そのまま出て行こうとしたが、彼が私の手を取った。まさかこんな素直に謝られるとは思わなくて咄嗟に振り返ると、彼が焦った様な困惑している様な見た事もない表情を浮かべていて、今度は私が呆気に取られてしまった。そして気付いた時には彼に抱きしめられていた。

「ごめん…!ローズ…ごめん…」

 強く私を抱きしめて何度も謝る彼。私は慌てて自分を取り戻す。

「…言っていい事と、悪い事があると思いますわ」
「ああ、その通りだ。本当にすまなかった」

 私を揶揄って楽しんでいた彼とは大違いだった。おかげで咄嗟に声を荒げてしまった自分が少し恥ずかしくなってきてしまった。

「それでも…子どもみたいな事を言ってしまって…私もごめんなさい」
「君は悪くない。子どもなのは俺の方だ。君を揶揄うのが楽しくて、見境がなくなっていた。自分が情けないよ。もう食事はいいのかい?」
「え、ええ…」
「部屋まで送る」

 そう言うと彼は私の腰の辺りに手を置いてエスコートし始めた。結婚式以来の扱いに、また驚かされる。彼は丁寧に私を部屋へと誘導すると、最後にもう一度謝罪して扉を閉めた。

 それから、彼が私を揶揄う事はなくなった。




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