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しおりを挟む職員室に戻り、残りの仕事に手を掛ける。
文化祭中ということもあっていつもより人は少ない。
しばらく仕事をしていたが、手を止めるとくしゃくしゃと髪をかき混ぜた。
イライラして全くはかどらない。
どう考えても七海のことが尾を引いている。
自分でも変な意地を張ってしまった自覚はある。
自覚はあるが、それでもアイツの態度にどうしても苛立ってしまった。
こんな風に考えてしまうこと自体、やはり俺と七海は合っていないのだろう。
ふと時計を見上げる。
そろそろ後夜祭の時間だ。
アイツのことだから職員室まで来られても敵わないし、外に出ているべきか。
廊下に出て窓からグラウンドへ視線を向けると、ステージ上で最後の催し物をやっているようだった。
相変わらずアイツは中心にいて、本当に今日一日アイツばかり目にしていた気がする。
校門で設営の片付けを手伝い、後夜祭のBGMが鳴り始めたので生徒をグラウンドへと行かせる。
今頃七海は数学準備室に向かっているのだろうか。
案外アイツのことだから、そんな事忘れて友人と楽しくやっているかもしれない。
気にはなるが素直になれない自分の気持ちが邪魔をする。
数学準備室からも職員室からも離れた校門まで来たわけだし、まさかこんなところにいるなんて七海も気づかないだろう。
もうこのままここで片付けをしてやり過ごせればそれでいい。
なんて思っていたが、さほどしないうちに遠くでこっちに走ってくる七海の姿を見つけた。
まだ俺の姿を捉えていないのかキョロキョロとしているが、間違いなくこっちに向かってきている。
なぜ分かった。
アイツが来ると思ってわざわざ遠いところまで来たのに。
気づかれないうちに慌てて校舎内へと逃げる。
階段を昇ってそっと踊り場から下を覗いてみると、やはり七海はこっちに向かってきている。
なぜ分かる。
ひょっとして俺にGPSか何か仕掛けているんじゃないだろうな。
なんて悠長にしていたら、俺の姿を捉えたらしい七海と目が合ってしまった。
慌てて階段を昇る。
「――っあ、いた!…ってなんで逃げるんですかっ」
後ろから追ってくる声がしたが、なんとか階段を駆け上がる。
傍から見たら完全に鬼ごっこというか、一体後夜祭で俺たちは何をしているんだ。
全力で階段を駆け上っていたが、やはり俺が七海の足に勝てるはずがない。
追いつめられたのは屋上で、なんとか扉を空けた所で七海にガシッと手首を掴まれた。
「逃しませんよ。俺に足で勝てると思ってるんですか」
「は、離せっ」
なんでもないような顔で俺を見下ろす七海に反して、ゼイゼイと息を切らしながら抵抗する。
確かに七海に足で勝てるとは思っていない。
だがさっき啖呵を切ったのもあって、つい逃げてしまった。
手を離せと抵抗していたが、不意に興奮と一緒にくらりと頭が酸欠になる。
我ながらなんてスタミナのない身体なんだ。
「…う、久しぶりに全力で走ったら気分が悪い」
「ちょ、大丈夫ですか。歳考えてくださいよ」
「ろ、老人扱いするなっ」
さらりと失礼な奴め。
肩で必死に息をしていると、七海は俺の手を引いて屋上の壁横へと連れて行った。
そこに座るように促される。
ここまで来たらもう逃げることなんて出来ないし、息を整えながら大人しく座り込む。
俺が座ったのを見て取ると、同じように視線を合わせて七海も目の前にしゃがみこんだ。
「…な、なんで分かったんだ」
「みーちゃん絶対逃げると思ったんで、紺野先生見かけたら大至急俺に教えてって友達に言っておきました」
そう言って七海は俺の顔の前でスマホを揺らしてみせる。
クソ、文明の利器に頼り切った若者が。
最近のアプリはグループだとか作れるらしいし、校内で俺を探すことくらい人気者のコイツにはさぞかし容易かっただろう。
「お、お前余計なこと友人に言ったんじゃないだろうな」
「言ってませんよ。なぜかみんな俺が追いかけられてると思ってるんで」
なんだそれは。
つまり俺が七海を怒って探し回っているから、逃げるために協力してほしいという解釈になっているわけか。
相変わらず俺の印象は生徒に凄まじく悪いらしい。
人気者のコイツとはえらい違いだ。
「それよりどうして俺から逃げるんですか。気を使ってるってなんですか」
射抜くような真っ直ぐな視線が向けられる。
心を見透かされているような気がして、どこか居たたまれない気持ちになる。
「そ、そう思ったから言っただけだ。俺とお前ではやはり合わない」
「合わないってなんですか。そんなことないです。身体の相性バッチリですよ」
「そ、そういう意味じゃないっ」
思わず声を荒げる。
七海が少し驚いた顔をしたが、俺は続けた。
「もういいんだ。飽きたなら言ってくれ。だからといって勉強を教えることを拒んだりなどしない」
「は?ちょっと待ってください。意味が分かりませんよ」
「うるさいっ。もうほっといてくれ」
「嫌ですっ」
ガシリと七海に手首を掴まれる。
抵抗しようとしたらもう片方の手首も掴まれた。
痣ができそうなほど強く掴まれて、全く外れる気がしない。
「落ち着いて下さい。なんでいきなりそんな発想になっちゃったんですか。この間手を繋ぐところから始めようって言ってくれたじゃないですか」
「でもお前が…っ」
そこまで言いかけて、急速に込み上げてきた感情に息が詰まる。
――苦しい。
七海に握りしめられた手首が熱い。
どうしてこんな風に七海を信じられなくなってしまったのだろう。
射抜くような視線に耐えきれず、一つ息を吐き出すと顔を俯かせる。
「…お、お前はきっと大したことないと思っているんだろう。俺と話すことも、誘うことも、こうやって触ることだって…っ」
「そんなこと…」
「あるんだ。お前はそうなんだっ」
ハッキリと言い返す。
だってコイツはいつだって余裕だ。
俺が必死に誘おうかどうか悩んでいたことも、七海は気分次第であっさりと人を誘ってみせる。
ともすれば簡単に人に触れ、息をするように好きだ何だと言ってみせる。
きっと俺と話すことも目を合わせることも、コイツにとってはなんでもないことで、勇気の一つもいらないことなんだ。
「…俺はずっとお前のことで頭がいっぱいなんだ。でもお前はそうじゃない。俺の気持ちとお前の気持ちではどう考えても合わない…っ」
もう自分が何を言ってるのか分からなくなっていた。
ただ自分の気持ちの大きさと、七海の気持ちの大きさはきっと同じではない。
それに気付いてしまったから、こんなに苛立って不安な気持ちになるのだろう。
「――みーちゃん、それって…」
七海が言いかけた時、ガチャリと屋上の扉が開く音がした。
後夜祭の屋上なんて誰も来ないと思っていたのに、タタッと走る足音にギクリと身体が強張る。
七海もハッとしたように掴んでいた俺の手首を離した。
「こら、結城。お前俺を騙しただろう」
「えー?そ、そんなことないですよー。おっかしいなぁ」
「屋上から飛び降りようとしている奴がいるなんて、全く物騒なことを言うから何かと思えば…」
この聞き慣れた声は。
思わず七海と目を合わせる。
「…ご、ごめんなさい。あ、あの本当は違くて…」
「何か悩みがあるならちゃんと言いなさい。お前は入部した頃から本当に変わらないな」
「あ…あの時は…その…」
何の会話かは分からないが、結城と神谷だ。
なんだとホッとして二人の前に出ようとしたら、慌てたように七海に腕を引かれた。
そのまま壁に押し付けられてコソッと耳打ちされる。
「ちょっとみーちゃん、なにやってるんですか。今出てったら告白の邪魔しちゃいますよ」
「――は?」
「だから、あーちゃんがせっかくカミヤンを屋上まで連れてきたとこじゃないっすか」
七海の言葉にパチリと瞬きをしてから、数秒後、ようやく理解する。
なるほど、今までそんな事態に縁がないから察せなかったが、そういうことか。
二人でサッと壁に寄ってこっそりと扉の方を伺ってみる。
神谷がフェンスの前にいて、結城がその前に立っている。
ふと隣を見たら思いの外近くで七海が何かワクワクしたような顔をしていた。
その距離にドキリと心臓が跳ねる。
が、ふと気づく。
ちょっとまて、これって立ち聞きじゃないのか。
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