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第七章〈王太子の都落ち〉編

7.7 キレやすい用心棒(3)

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 廃教会の外にライルはいなかった。馬車もなくなっていた。
 私とシャステルの間に緊張が走ったのもつかの間。

「よぅ、呼んだ?」

 納骨堂からひょっこりとライルが出てきた。
 シャステルは安堵と呆れがまざったため息を吐いた。

「……何をしていた」
「へへ、ちょっと野暮用で」
「まったく、貴様は単純な見張りさえ満足にできないのか」
「ふひひ……」

 ライルは口答えこそしなかったが、シャステルに叱責されている最中もにやついていた。

「何がおかしい」
「へへ、ぶふっ」

 護衛隊長シャステルは王太子を守る精鋭を率いているが、ライルを統率して手なずけることにかなり難儀しているようだった。
 シャステルの苛立ちは怒号となって炸裂した。

「今すぐ、その嫌らしい笑いを止めるんだ!」

 宮廷にいたとき、シャステルが感情をあらわにしたことはなかったと思う。
 ジャンが羽目を外したときに一言「控えなさい」と言い添えるくらいだ。

「役立たずめ、貴様の働きは羊飼い以下だ!!」

 本来のシャステルは直情的な性格だったのかもしれない。
 私は護衛隊長の顔しか知らなかった。
 ライルのにやついた口角が下がり、真顔になると「俺様を馬鹿にするんじゃねぇ。羊飼いもな!」と吐き捨てた。

「いいか、おっさん。耳をかっ穿じってよく聞け。俺は言われたとおりちゃんと見張ってた。目をかっぴらいて、耳を研ぎ澄ませて聞き耳を立ててた。ちょっぴりでも音を立てないように口も閉じて静かにしてたんだ。そしたら、聞こえたんだ……」

 馬が単騎で駆けてくる蹄の音が聞こえたらしい。
 パリ方面からこちらへ近づいてくる。
 ライルは「追手かもしれない」と機転を利かせ、人目につかないように馬車を教会の裏に移動させた。
 そして、ライル自身も隠れようとして納骨堂に飛び込んだ。

「おっさんと坊ちゃんはヒミツの話をしてたんだろ。俺には聞かれたくないようなことをよ」

 シャステルも私も答えなかったが、ライルは気にせずに話し続けた。

「俺様が教会に飛び込んでいちいち説明して、おっさんの指示を待ってたらモタついて間に合わなかったかもしれねぇだろうが!」

 確かに、ライルの話は筋が通っている。
 上官の命令は絶対だが、急を要するときは臨機応変に対応しなければならない。

「それからな、これだけは言っておく。羊飼いっつーのはただ見張ってるだけじゃねぇ。狼を察知したらのろまな羊どもを一匹残らず安全な場所まで連れて行かなきゃ商売にならねぇんだ。しかも、羊ってやつは言葉が通じねぇ。手前勝手にどっか行きやがったくせに1匹でも足りなけりゃ弁償しろって! おいちょっと待ってくれ、あほな羊どもを守ってやったのに俺様の報酬を払うどころかカネを払えとは一体どういう了見だーーー!!」

 ライルは羊飼いに因縁でもあるのか熱っぽく雄叫びを上げた。
 つい聞き入ってしまいそうになるが、本題から大きく外れている。

「ライル、わかった。もういい」
「あ……ああ、そうだな」

 シャステルが割り込み、羊飼いライルの独白は終わった。

「馬を見たのか。数は?」
「一騎駆けだった。ロバじゃねぇ、調教された軍馬だ」
「誰が乗っていた?」
「遠くてあんま見えなかったけどよ、見慣れねぇ得物を持ってた」

 王国内は治安が悪いから、近ごろは王侯貴族以外の一般人も遠出をするときに武装する。
 身内の男や傭兵を用心棒として雇い、旅慣れた行商人などは隊商キャラバンを組んでいる。
 つまり、普通は何人かで移動する。
 単騎で、パリの城塞の外側を駆ける者は限られる。

「どこへ行った?」
「こっちには目もくれねぇで先へ行っちまった。後のことは知らねぇ」

 ライルの目撃情報によれば、騎士か傭兵かわからないが、武装した何者かが通り過ぎていった。

「おぅおぅ、だんまり決めこんでんじゃねぇよ。何か言えコラ」

 シャステルは押し黙ったまま何事か考えている。
 ライルの態度はあいかわらずで、下からねめつけるようにシャステルを見上げたが、シャステルはライルを無視して私に向き合った。

「おそれながら申し上げます」

 シャステルの声はいつになく重く、緊張を孕んでいた。

「味方の重臣がた、あるいはどなたかが遣わした使者ならば、必ずこの廃教会に立ち寄るはずです」

 緊急時、重臣たちと互いに連絡が取れない場合は、各自でパリを脱出して廃教会で落ち合う手はずになっていると聞いた。

「拠点は廃教会以外にもいくつかあります。ですが」

 今しがた通り過ぎた何者かが、もし味方ならば。
 ここに私や重臣たちの誰かがいるかいないか確かめもしないで通過することは考えられない。
 私とシャステルは同じ推測に行き着いたようだ。

「ブルゴーニュ派の追っ手だろうか」
「間違いないでしょう」

 ライルが見たのは単騎だったから、おそらく先触れの急使だろう。
 無怖公の配下やブルゴーニュ派の貴族たちに、王太子が逃げたことを知らせる使者に違いない。
 先触れの後で本隊が駆り出されるはずだ。
 王太子の捜索と保護という名目の追撃が始まる。

「こうなったからには一刻の猶予もありません」

 重臣たちのゆくえは分からない。
 せめて、護衛の騎士たちと合流してから出発したかったが、待っている時間はなさそうだった。

「わかった。私たちだけでは心許ないけど、行こうか」
「御意」

 行き先はアンジュー。
 パリを南下し、ロワール川を下っていく。

「必ずアンジューへおつれします。命に代えても」

 このような場面では、シャステルの主君として「貴公を頼りにしている」と発破をかけ、臣下へ全幅の信頼を置いていると示すべきだったのだろう。
 けれど、私は居たたまれない気分で何も答えなかった。
 もちろんシャステルのことを頼りにしている。
 しかし、覚悟の証しとして命を持ち出されるのはあまりにも——

(ジャン……)

 ブルゴーニュ派の先触れが遣わされたということは、王太子の正体はばれてしまったのだろう。
 ならば、にせ王太子ジャンはどうなってしまうのだろう。
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