30 / 203
第二章〈王子と婚約者〉編
2.9 カボシュの乱、またはカボシャン蜂起(1)
しおりを挟む
淫乱王妃こと母妃イザボーの後ろ盾を得て、ブルゴーニュ公は王のごとく権力をほしいままにした。
腐敗した宮廷で、先代・賢明王の時代から王国を支えていた老臣と役人は宮廷を去るか、居残った者の一部は既得権益を守るために汚職に手を染めた。
ブルゴーニュ公は、自身の政敵と悪徳役人たちを王に成り代わって処断した。
ブルゴーニュ公を支持する「ブルゴーニュ派」が勢力を拡大する一方で、「反ブルゴーニュ派」の機運も高まっていた。
ブルゴーニュ公の行き過ぎた支配に危機感を抱く者も多かったのだ。
特に、亡き王弟オルレアン公を慕っていた臣下は、主君の仇討ちを願い、憎悪をたぎらせていた。
フランス王国は急速に衰退し、法も秩序も失われようとしていた。
事態の沈静化を図り、私の兄・王太子ルイは「王国改革委員会」を立ち上げた。
メンバーは、ブルゴーニュ公が推薦する委員候補リストと、オルレアン公の遺児でいとこのシャルル・ドルレアンが推薦する反ブルゴーニュ派の委員候補リストから半分ずつ選ばれた。
鳴り物入りで始まった王国改革委員会だったが、話し合いはなかなか進展しなかった。
ブルゴーニュ派委員は仲間を増やすため、さまざまな理由をつけて反ブルゴーニュ派委員を解任に追い込もうとした。
すると、王太子は解任された元委員を自分の側近として採用し、代わりにブルゴーニュ派側近を解雇した。
王太子の行動は、ブルゴーニュ公への抵抗を示す意思表示と見なされた。
これは、私がアンジューへ行く少し前に起きた「カボシュの乱」あるいは「カボシャン蜂起」と呼ばれる市民暴動の記録だ。
***
パン価格の高騰をきっかけに、王都パリで暴動が起きた。
武装蜂起した民衆は最大で2万5000人にのぼり、バスティーユ砦を占拠し、シテ島にある王太子の城館を襲撃した。
「王太子を出せ!」
暴徒は武器を突き上げて威嚇し、さらに過激な者は城館の中にまで侵入してきた。
あやうい所を、王太子を護衛する近衛騎士たちが取り押さえる一幕もあった。
兄は、「王太子を出せ」という要求に応じた。危険を承知で窓から顔を出し、集まった民衆と直接対話しようとした。
「王太子がパリ攻撃を計画しているという噂がある!」
「私はここにいるではないか。どうやって攻撃するというのか」
「裏切り者を出せ!」
「裏切り者などどこにもいない」
「反逆者を粛清しろ!」
「あなた方は一体、誰のことを指しているのか」
暴徒の叫びは感情的で要領を得ず、民衆の興奮は高まるばかり。
侵入者によって城館の一部は荒らされ、略奪された。それでも王太子は一晩じゅう窓越しの対話を続けた。
一触即発かと思われたが、明け方になるとようやく人波が引き始めた。
武装市民に囲まれて威嚇され、王太子は疲労困憊だったが自分から対話を打ち切ろうとはしなかった。
目の下に真っ黒なクマを作りながらも、語りかける言葉は穏やかで溌剌としていた。
「いい機会だ、訴えがあるならばすべて聞こう。他に何かあるか」
対話の中止、即、命の危険を感じたのかもしれない。止めたくても止められなかったのかもしれない。
だが私は身内びいきかもしれないが、兄は誠実な人格者だったと思っている。
ブルゴーニュ公の操り人形ではなく、自力で危機を打開しようと考えていたのだろう。
朝焼けに照らされて暴徒が引いていく。理由は分からない。
安堵と不安のはざまで、王太子は民衆のささやきを聞き逃さなかった。
「王太子では埒があかない……」
「国王のもとへ……」
「大聖堂へ……」
朝の礼拝の時間が近づいていた。
「父上があぶない!!」
城館を飛び出そうとする王太子を、側近たちは必死に引き止めた。
王太子の城館——特に下の階層は荒らされていて、暴徒の侵入を防ぐために簡易バリケードまで作られていた。
暴徒が戻ってくる可能性も捨て切れず、王太子を丸腰で外出させるわけに行かなかった。
「城から出てはなりません!」
「ええい、離せ!」
「どうかご辛抱を!」
側近の中には、狂人王が暴徒に襲われることを望んだ者もいたかもしれない。
もし王が不慮の事故で崩御したら、正気を保っている王太子が晴れてこの国の王位に就く。
国王代理ではなく正式な王として親政を宣言すれば、ブルゴーニュ公の横暴を牽制できる。
決して口には出せないが、反ブルゴーニュ派の中には、現国王に失望して次世代の王太子に望みを繋ぐ者も多かった。
「仮にそうだとしても!」
私と違って、兄は幼少期から王太子として育てられた。
王国のために非情にならなければいけないと分かっていたはずだ。
「このままおめおめと父上が襲われるサマを見過ごせというのか!」
王太子はブルゴーニュ公に抵抗していたが、かといって反ブルゴーニュ派の言いなりではなかった。
どちらか一方に肩入れするつもりはなかったのかもしれない。
親子の情と政治的判断のはざまで、兄が苦悩していると、
「これはこれは、えらい騒ぎですな」
バリケードの向こうから場違いな声が響いた。
「おはようございます、王太子殿下。ご機嫌うるわしゅう……」
「ブルゴーニュ公……」
「ひどい騒ぎでしたなぁ。おや、王太子殿下のお顔も、城館の中もひどい」
荒れた城館で、王太子も側近たちも憔悴し切っていた。
そこへ、妙に身ぎれいな格好で現れたのは、王太子の義父ブルゴーニュ公だった。
「お気の毒な王太子殿下、私がお手伝いして差し上げましょう」
ブルゴーニュ公はもったいぶった口調でそう言うと、にたりと笑った。
腐敗した宮廷で、先代・賢明王の時代から王国を支えていた老臣と役人は宮廷を去るか、居残った者の一部は既得権益を守るために汚職に手を染めた。
ブルゴーニュ公は、自身の政敵と悪徳役人たちを王に成り代わって処断した。
ブルゴーニュ公を支持する「ブルゴーニュ派」が勢力を拡大する一方で、「反ブルゴーニュ派」の機運も高まっていた。
ブルゴーニュ公の行き過ぎた支配に危機感を抱く者も多かったのだ。
特に、亡き王弟オルレアン公を慕っていた臣下は、主君の仇討ちを願い、憎悪をたぎらせていた。
フランス王国は急速に衰退し、法も秩序も失われようとしていた。
事態の沈静化を図り、私の兄・王太子ルイは「王国改革委員会」を立ち上げた。
メンバーは、ブルゴーニュ公が推薦する委員候補リストと、オルレアン公の遺児でいとこのシャルル・ドルレアンが推薦する反ブルゴーニュ派の委員候補リストから半分ずつ選ばれた。
鳴り物入りで始まった王国改革委員会だったが、話し合いはなかなか進展しなかった。
ブルゴーニュ派委員は仲間を増やすため、さまざまな理由をつけて反ブルゴーニュ派委員を解任に追い込もうとした。
すると、王太子は解任された元委員を自分の側近として採用し、代わりにブルゴーニュ派側近を解雇した。
王太子の行動は、ブルゴーニュ公への抵抗を示す意思表示と見なされた。
これは、私がアンジューへ行く少し前に起きた「カボシュの乱」あるいは「カボシャン蜂起」と呼ばれる市民暴動の記録だ。
***
パン価格の高騰をきっかけに、王都パリで暴動が起きた。
武装蜂起した民衆は最大で2万5000人にのぼり、バスティーユ砦を占拠し、シテ島にある王太子の城館を襲撃した。
「王太子を出せ!」
暴徒は武器を突き上げて威嚇し、さらに過激な者は城館の中にまで侵入してきた。
あやうい所を、王太子を護衛する近衛騎士たちが取り押さえる一幕もあった。
兄は、「王太子を出せ」という要求に応じた。危険を承知で窓から顔を出し、集まった民衆と直接対話しようとした。
「王太子がパリ攻撃を計画しているという噂がある!」
「私はここにいるではないか。どうやって攻撃するというのか」
「裏切り者を出せ!」
「裏切り者などどこにもいない」
「反逆者を粛清しろ!」
「あなた方は一体、誰のことを指しているのか」
暴徒の叫びは感情的で要領を得ず、民衆の興奮は高まるばかり。
侵入者によって城館の一部は荒らされ、略奪された。それでも王太子は一晩じゅう窓越しの対話を続けた。
一触即発かと思われたが、明け方になるとようやく人波が引き始めた。
武装市民に囲まれて威嚇され、王太子は疲労困憊だったが自分から対話を打ち切ろうとはしなかった。
目の下に真っ黒なクマを作りながらも、語りかける言葉は穏やかで溌剌としていた。
「いい機会だ、訴えがあるならばすべて聞こう。他に何かあるか」
対話の中止、即、命の危険を感じたのかもしれない。止めたくても止められなかったのかもしれない。
だが私は身内びいきかもしれないが、兄は誠実な人格者だったと思っている。
ブルゴーニュ公の操り人形ではなく、自力で危機を打開しようと考えていたのだろう。
朝焼けに照らされて暴徒が引いていく。理由は分からない。
安堵と不安のはざまで、王太子は民衆のささやきを聞き逃さなかった。
「王太子では埒があかない……」
「国王のもとへ……」
「大聖堂へ……」
朝の礼拝の時間が近づいていた。
「父上があぶない!!」
城館を飛び出そうとする王太子を、側近たちは必死に引き止めた。
王太子の城館——特に下の階層は荒らされていて、暴徒の侵入を防ぐために簡易バリケードまで作られていた。
暴徒が戻ってくる可能性も捨て切れず、王太子を丸腰で外出させるわけに行かなかった。
「城から出てはなりません!」
「ええい、離せ!」
「どうかご辛抱を!」
側近の中には、狂人王が暴徒に襲われることを望んだ者もいたかもしれない。
もし王が不慮の事故で崩御したら、正気を保っている王太子が晴れてこの国の王位に就く。
国王代理ではなく正式な王として親政を宣言すれば、ブルゴーニュ公の横暴を牽制できる。
決して口には出せないが、反ブルゴーニュ派の中には、現国王に失望して次世代の王太子に望みを繋ぐ者も多かった。
「仮にそうだとしても!」
私と違って、兄は幼少期から王太子として育てられた。
王国のために非情にならなければいけないと分かっていたはずだ。
「このままおめおめと父上が襲われるサマを見過ごせというのか!」
王太子はブルゴーニュ公に抵抗していたが、かといって反ブルゴーニュ派の言いなりではなかった。
どちらか一方に肩入れするつもりはなかったのかもしれない。
親子の情と政治的判断のはざまで、兄が苦悩していると、
「これはこれは、えらい騒ぎですな」
バリケードの向こうから場違いな声が響いた。
「おはようございます、王太子殿下。ご機嫌うるわしゅう……」
「ブルゴーニュ公……」
「ひどい騒ぎでしたなぁ。おや、王太子殿下のお顔も、城館の中もひどい」
荒れた城館で、王太子も側近たちも憔悴し切っていた。
そこへ、妙に身ぎれいな格好で現れたのは、王太子の義父ブルゴーニュ公だった。
「お気の毒な王太子殿下、私がお手伝いして差し上げましょう」
ブルゴーニュ公はもったいぶった口調でそう言うと、にたりと笑った。
10
お気に入りに追加
193
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
【完結】月よりきれい
悠井すみれ
歴史・時代
職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。
清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。
純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。
嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。
第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。
表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。
追放された王太子のひとりごと 〜7番目のシャルル étude〜
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
救国の英雄ジャンヌ・ダルクが現れる数年前。百年戦争は休戦中だったが、フランス王シャルル六世の発狂で王国は内乱状態となり、イングランド王ヘンリー五世は再び野心を抱く。
兄王子たちの連続死で、末っ子で第五王子のシャルルは14歳で王太子となり王都パリへ連れ戻された。父王に統治能力がないため、王太子は摂政(国王代理)である。重責を背負いながら宮廷で奮闘していたが、母妃イザボーと愛人ブルゴーニュ公に命を狙われ、パリを脱出した。王太子は、逃亡先のシノン城で星空に問いかける。
※「7番目のシャルル」シリーズの原型となった習作です。
※小説家になろうとカクヨムで重複投稿しています。
※表紙と挿絵画像はPicrew「キミの世界メーカー」で作成したイラストを加工し、イメージとして使わせていただいてます。
武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり
もろこし
歴史・時代
史実ではレイテ湾に向かう途上で沈んだ戦艦武蔵ですが、本作ではからくも生き残り、最終的に沖縄の海岸に座礁します。
海軍からは見捨てられた武蔵でしたが、戦力不足に悩む現地陸軍と手を握り沖縄防衛の中核となります。
無敵の要塞と化した武蔵は沖縄に来襲する連合軍を次々と撃破。その活躍は連合国の戦争計画を徐々に狂わせていきます。
大罪人の娘・前編
いずもカリーシ
歴史・時代
世は戦国末期。織田信長の愛娘と同じ『目』を持つ、一人の女性がいました。
戦国乱世に終止符を打ち、およそ250年続く平和を達成したのは『誰』なのでしょうか?
織田信長?
豊臣秀吉?
徳川家康?
それとも……?
この小説は、良くも悪くも歴史の『裏側』で暗躍していた人々にスポットを当てた歴史小説です。
【前編(第壱章~第伍章)】
凛を中心とした女たちの闘いが開幕するまでの序章を描いています。
【後編(第陸章〜最終章)】
視点人物に玉(ガラシャ)と福(春日局)が加わります。
一人の女帝が江戸幕府を意のままに操り、ついに戦いの黒幕たちとの長き闘いが終焉を迎えます。
あのパックス・ロマーナにも匹敵した偉業は、どのようにして達成できたのでしょうか?
(他、いずもカリーシで掲載しています)
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる