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KAZU:二日目~三日目

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 六時間目が終わったが、遂に俺は心春と面と向かって話すことは無かった。心春は部活へ行き、俺は委員会のために図書室へ向かう。

「心春のことは任せとけって。俺がちゃんと聞いといてやるから」

 智也はそう言って俺の背中を叩くと心春の下へと駆け寄っていく。今日一日を見ていると、智也に対してはあまり普段と変わらない態度を見せている。俺に対してだけ素っ気ない。その様子を見るに、やはり原因は俺にあるのだろう。しかし、サイトを通してやり取りをしている限りでは変わった様子もない。分からないことだらけだ。
 昨日から書き始めたプロットを詰めながら、俺は心春からのメッセージを読み返す。違和感が無いわけではないが、その正体が分からない。何かを隠しているような気がする……。その程度の違和感。
 携帯片手に図書室に着くと、松岡先輩が先に来ていた。受付カウンターに貸し出し帳を置いて準備はしているが、いかんせん人が来る気配もないので普段どおり自分の読みたい小説を読んでいる。好きなことをしていてくれるから、間を持たせるための気配りはする必要がない。

「こんにちは」

 ひとまず挨拶だけすると、松岡先輩も顔を上げてオウム返しのように口を開く。いつもならそのまま小説に視線を落として互いにあまり干渉せずに仕事を終えるだけなのだけれど、何故か松岡先輩は顔を上げたまま言葉を続けた。

「瀬尾くん。今日は何か変わったことでもあったのかしら?」

 まるで心臓に直接触られたかのような感覚。驚きと焦りで一瞬にして脈が上がる。顔に出ていたのだろうか。

「顔に出てるわよ。何かありましたって」

「心でも読めるんですか? 別に……言うほどのようなことはありませんでしたけど」

 俺の答えに満足しなかったのか、松岡先輩は読みかけの小説をまるで飽きた玩具を放り捨てるかのようにカウンターに放り投げた。

「心は読めないけれど、顔色は読めるの。悩みごとがあるみたいに視線を彷徨わせていたかと思って聞いてみたら、次は焦りと驚きの表情。更にはそれを隠すように一瞬で平静に戻る。気にするなと言う方が難しいわ」

 松岡先輩はこんなにずけずけと踏み込んでくる人だったのだろうか。一ヶ月ほどの付き合いだから何も知らないと言われればそれまでだが、思っていた印象と違う。

「だから、何でもないですって」

 しかし、松岡先輩は真剣な顔で俺に近付いてくる。この目は見覚えがある。松岡先輩が他の情報をシャットアウトして小説にのめり込んでいる時の目だ。この目をしている時は絶対に貸し出しの対応を俺がしなくてはならない。

「私は気になったことを気になったままにできないの。物語に至っては特に」

「物語? 俺の一日が物語って意味ですか?」

「それ以外に解釈のしようがあるのかしら?」

 松岡先輩は至って真面目な様子。茶化し、笑いものにし、蔑むために根掘り葉掘り聞こうとしているわけではなさそう。しかし、幼馴染の態度が冷たくて理由が分からない……なんて話を聞いて満足するのだろうか。くだらないと言ってあきれるだけなのではないだろうか。いや、逆にそう言って貰えた方が楽かもしれない。

「何と言うか……。理由も分からず突然幼馴染の女の子が冷たくなったってだけなんですけどね」

「何か心当たりは?」

「無いから悩んでるんですよ」

 松岡先輩はカウンター内の椅子に深く腰掛けると、目を瞑って静かに考え始めた。その姿はやはり真剣そのもの。俺より本気で考えてくれているようだ。

「よくあるのは、気付かない内に無神経なことを言ってしまってるパターンだけど。それなら瀬尾くんに心当たりがないことも納得できる」

「俺もそれは考えなかった訳じゃないんですけど……。携帯には普通に連絡してくるんですよね」

 俺に対して怒っていたりするのであれば、メッセージを送って来るようなことも無いだろう。だからこそ、何があったのかが思いつかない。俺に原因がない俺に関することなのだろうけれど。

「もしかして、それは面と向かっては言いにくい話をしていたのではないかしら?」

「まあ、普段よりは話しにくいことも話していたような気もしますけど。だからって実際に冷たくする必要までは無いと思うんです」

「確かに……」

 松岡先輩はそう言ってまたしても目を瞑って考え始める。普段聞きにくいことを聞きたいから、メッセージで聞くようにした……。でも別の理由があって面と向かっては話し辛い……。そういうことだろうか。なら、その別の理由とは何か……。

「その子は女友達が多かったりする?」

「そうですね。クラスの中心にいるようなやつですから」

「なるほど……」

 まるで推理小説の探偵のように松岡先輩はつぶやくと立ち上がった。俺にはさっぱり分からないが、松岡先輩には何かピンと来るものがあったのだろう。

「瀬尾くんはその子の友達にその子と恋愛関係にあると思われている。そして、その友達から何かを言われている。例えば、瀬尾くんのことが好きなんだけどどういう関係なの? とか」

「ありえないですよ」

 打てば響く勢いで俺は返した。心春の友達が俺のことを好き? 確信を持ってありえないと言える。なにせ、話したことすらないのだから。俺が言葉を交わすのはクラスでも心春と智也くらい。好かれる要素なんて無い。

「そうかしら? 瀬尾くんは十分魅力のある男子だと思うけれど」

 またしても真剣な表情で続ける松岡先輩。真っ直ぐな視線で放たれた言葉に照れてしまう。つい視線を逸らせてしまうほどに照れ臭かった。松岡先輩が思う客観的な意見というやつなのだろうけれど。

「その……。単純に友達から勘違いされるのが嫌であまり話さないように決めたとかじゃないですか?」

 口をついて出た言葉に、後から自分でも深く納得した。これが一番可能性として高いのではないだろうか。いや、それ以外考えられないほどにしっくりくる。

「俺も友達に心春のことが好きなんだろ? って何度も言われ続けてうんざりしてたりしますし。心春も同じ気持ちになってるのかもしれません」

「その子、心春って名前なんだ。下の名前で呼び捨て……ねえ」

「昔からみんなそう呼んでるんです!」

 初めて指摘されたが、顔から火が出るほど恥ずかしかった。言われてみれば、他の女子は全員名字で呼んでいる。

「別に茶化しているわけでは無いわよ。親密な関係なのだと思っただけ。それにしても、面白みのないオチになったわね」

「面白くなくていいんですよ。小説じゃないんですから」

「それでも、新鮮な物語を聞かせてもらえてよかったわ」

 そこで初めて俺は松岡先輩が笑った姿を見たかもしれない。アイドルのように人に見せるための綺麗な笑いではないけれど、正直に楽しんでいるのだと分かる笑顔だった。


 その日も夕方六時の完全下校に合わせて学校を出る。今日は心春から散歩に付き合うようにも言われていないので、一人涼しい下校路を歩いて帰る。心春とは下校時刻が被らなかったようで、家に着くまで姿を見ることは無かった。
 家に着くと玄関の外まで夕飯の香りが漂っていた。夕飯時独特の玉ねぎと胡椒を炒めている香り。なぜかその香りを嗅ぐだけでとても気分が落ちつく。

「ただいまー」

 家に入ると、案の定母さんが夕飯を作っている最中だった。

「おかえりー。今日はカレーだからねー」

 父さんの仕事が遅い時はカレーかシチューの日が多い。食べる時間がバラバラで温め直しても美味しいものという気遣いからなのだろう。

「じゃあ、俺は宿題してるから。できたら呼んで」

 そう言って俺は自分の部屋へ向かう。しかし勉強というのは嘘で、やはり小説を書いているだけだ。家で小説を書いている時も小まめに心春からのメッセージが届いていた。こうしていると、寧ろ普段より話しているのではないかと思えてくる。
 カレーを食べ、風呂に入り、いざ寝るという時までメッセージでのやり取りは続いた。

『おやすみ。また明日』

 日が変わる直前に互いにおやすみと告げ合って、俺は眠りについた。


 夢を覚えていないほどの深い眠りから覚め、俺は普段よりも早い六時半前に起床した。目覚ましが鳴るより前、着信音に起こされる形で。眠気まなこを擦って携帯画面を見ると、心春からのLINEだった。昨日一日はずっと小説サイトを通じてのやり取りだったため、不思議な安心感を覚える。いつもどおりに戻った感覚。

『今日、話したいことがあるから一緒に学校行こう』

 それはいつも心春が小説を読んだ後に送って来るメッセージと同じような内容だった。小説の感想言いたいから朝一緒に学校に行こう……。一昨日小説を投稿した時には言われなかった台詞。一日遅れというやつだろうか。

『オッケー。じゃあ、いつもどおり七時半に家の前で』

 特に約束もしなければ、俺は学校に間に合うギリギリの七時五十分に家を出る。心春は俺とは違って俺と一緒かどうかに関わらず七時半に家を出て早めに学校に着いている。女子同士の朝の井戸端会議は大切らしい。
 朝の忙しない瀬尾家の日常をこなし、俺は早めに家を出る。

「今日も心春ちゃん?」

 洗濯物を干している母さんが遠くから聞いてくる。俺が家を早く出る時は決まって心春と一緒だからだろう。

「うん。いってきまーす」

 俺の淡白な返事に、母さんもそれ以上聞くことも無くいってらっしゃいと返す。家族だからとあまり深く突っ込んで来ない所は、良い親だと思う。家を出ると、住宅街らしいアスファルトの細い道路の反対側に心春が立っていた。少し不機嫌そうに視線を落としてブロック塀にもたれかかっていた。

「おはよう」

 俺は普段どおり心春に近付いて挨拶をする。顔を上げた心春は不機嫌というよりも不安げと言った方がしっくりくる表情。

「おはよ。あの……」

 話したいことがあると言っていたが、言い出しにくいことなのだろうか。学校の方へ歩き出すこともなく、その場で口ごもってしまう心春。俺も何を言われるのかが分からずに立ち尽くす限り。呼吸を整える程度に時間が経ち、心春はようやく言葉を続けた。

「何で一昨日返信してくれなかったの? 私何か和樹に嫌われるようなこと言っちゃった?」

「え? 小説のやつ? 返したじゃん。てか、昨日も一日中サイトのメッセージでやり取りしてたし」

 俺はそう言いながらポケットから携帯を取り出す。

「なんでそんな嘘吐くの? 私が悪いならはっきり言ってよ」

 今にも泣きだしそうな心春を見て意味が分からなくなりながらも、俺はメッセージの履歴を探して画面に表示させる。確かに一昨日からHARUとメッセージのやり取りを続けている。IDも心春のもので間違いない。

「いや、ほら。これ。ちゃんと返してるじゃん」

 心春に画面を見せると、声を震わせて泣きかけていたのも嘘のように俊敏に携帯を取り上げる。そして指で素早くスワイプすると続けて呟いた。

「これ……私じゃない」

「え?」

 俺と心春の視線が交錯する中、俺の携帯からメッセージの着信を知らせるメロディが鳴り響いた。
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