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カーヤ・カルマン

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 俺はベータの声を聞いて忍術を中断させるとすぐさま駆け出す。するとそこには傷ついて倒れた猫と黒いフード付きのローブに身を包んだ男に捕まるベータの姿があった。

「誰だ! ベータを離せ!」

「おや、ベータ。新しいお友達ですか?」

 ローブのせいで口元しか見えないが、全く表情が変わっていないであろうと思われる抑揚のない低い声。その男に問われたベータは答えるつもりもなく、ただ身を振って逃れようとしていた。

「あまり暴れられると面倒なのですよ。せっかく使い物になると分かったのですから大人しくしてください」

 男はそう言うとベータの頭に手を沿える。するとベータは糸の切れた人形のようにぐったりと力を失った。

「お前! ベータに何をした!」

「眠ってもらっただけですよ。それでは私は用事も済んだことですし、後は鵺に任せて帰るとします。まあ、二百の鵺如きでは大した被害も与えられないでしょうけれど」

 男はそう言ってゆっくりと歩き去ろうとする。目の前では鵺に苦戦する芽依。しかし、ベータをこのまま得体の知れない男に渡す訳にはいかない。そう思ったところで芽依が俺に向かって叫んだ。

「ここは私に任せて蓮は奴を追って!」

「でも!」

 芽依一人に任せることに少なからず抵抗がある。今は傷一つなく鵺を押しているが、だからと言って必ずしも大丈夫というわけではない。

「こいつを倒したらすぐに追いつくわ! ……って、一度言ってみたかったのよ。だから任せなさいって。ヒーローは何者にも負けたりしないわ」

 芽依の目は力強く、心の底から負けることなんて考えていない。

「……分かった。でも危ないと思ったらすぐに逃げてくれ!」

「それは、誰に言ってるのかしら?」

 芽依はそう言うと鵺の前足を払って体勢を崩させると、横っ面に蹴りをおみまいした。

「ベータを早く!」

 その言葉と共に俺は走りだす。強身の術はまだ切れていない。歩き去った男にはまだ追いつく。そうしてすぐ、芽依と鵺の戦闘が見えない程度に離れた場所で男に追いついた。

「しつこいですね。追ってきたところで鵺一匹に苦戦するような学生に私――カーヤ・カルマンは止められませんよ」

 カーヤ・カルマンと名乗った男はフードを外して俺を見る。まるで死人のような顔。ベータを傍らに置くと、俺の方へと一歩歩み寄る。

「この妖は命の器として作ったのですが、いかんせん他の命を受け付けなくて失敗作だと思っていたのです。しかし最近猫又と感覚共有をしていることが分かったので迎えに来たのですよ。ついでに動くものを襲うことにしか能のない鵺に猫又を追わせる形で学校へけしかけたのですがね。誰かは分かりませんが、あなたにも感謝していますよ。ベータの成長を手伝ってくれて」

 命の器……聞いただけで何か良からぬものだと直感する。しかし、今はそれより目の前の男をどうにかすることが先決だ。話しぶりからして倒すことはできないにしても隙をついてベータを連れて逃げるくらいはできるかもしれない。黒澤先生を吹き飛ばしたあの技なら人間サイズには十分効果があるはず。

 そう思った俺は手をかざして一気にカーヤに命力をぶつける。

「おっと。大した力ですね。しかし私の質量に対しては少しばかり非力なようです」

 カーヤはそう言うと手の平を合わせて一言唱えた。

「解法・葛解き」

 するとカーヤの体を何重にも縛るような光の帯が現れては消滅する。その直後、カーヤの体がみるみる巨大化していく。肌は赤く、質感は岩のよう。身長は先程の鵺のように五メートルを超える。頭からは角が生え、まるでおとぎ話に出てくるような鬼のようだった。

「伝説の妖の一つ、鬼。それが私の体です。ではさようなら」

 俺が身構えるより先にカーヤは大岩のような拳を振り下ろした。逃げるか? いや、間に合わない。防げるか? いや、耐えられない。あの日、線路に落ちた時のように時間がゆっくりと流れる。目の前に迫る拳は近付いてくる電車と同じく死以外の何物でもない。

「金遁・金剛盾の術」

 しかしその拳は目の前に突如として現れた輝く大盾に衝突して寺の鐘を叩いたような音をあげる。術を唱えたのは若い男の声。こんな時に駆けつけて助けてくれるのは一人しか思い浮かばない。

「大和……」

 そう言って振り返ると、真剣に鬼を見つめる彼が返事をする。

「古賀ではなくてすまないな。だが、彼に学校で事情を聞いて飛んできた。後で彼にも感謝の言葉を伝えておくと良い」

 そこに立っていたのは大和ではなく、甲組に所属する男子生徒――北条颯真だった。

「なんで……」

 なぜ大和に話を聞いて助けに来てくれたのか? 甲組の生徒は丙組の人間のことが嫌いなのではないのか? そんな疑問が浮かぶが命を助けられたのは間違いない。

「理由は今ので全てだ。俺は忍びの世界を守る、その為だけに生きている。忍びの世界を脅かすものは命を懸けても排除しなければならない」

 北条はそう言いながらも何度も打ち付けられるカーヤの攻撃を金剛盾の術で防いでいた。

「奴は妖か? それとも……」

「おそらく抜け忍だ。さっき術で変身したのを見た」

「そうか。捕縛する余裕があれば捕縛。無理ならここで殺す。協力しろ」

「分かった」

 北条は話が終わると盾の陰から飛び出した。

「木遁・剛身の術」

 芽依にも劣らぬ速度で印を結んだ北条は芽依と同じ術を使ってカーヤの腕を蹴り飛ばす。しかしカーヤの体が強すぎるのか、少し軌道が逸れただけでダメージは見受けられない。

「火遁・激連火球の術!」

 打撃は効果がないと判断したのか、すぐさま違う術を放つ北条。丙の術で出現するような火球がいくつも出現してカーヤの顔面に直撃する。しかしカーヤは少し息苦しそうにしただけで打撃による攻撃を続ける。北条は走り回って避けつつも次々に難度の高い忍術を放っていた。

「水遁・激流縛の術!」

「金遁・金剛手裏剣の術!」

「火遁・爆炎の術!」

 激流による拘束をする術。空中に出現させた無数の手裏剣によって攻撃する術。小さな爆発を発生させる術。北条はカーヤの攻撃を避けながらも一方的に多彩な攻撃をするが、小さなダメージしか与えられていない。少しの拘束、小さな切り傷、少しの火傷。それも北条が攻撃の手を緩めれば時間と共に回復してしまう。もし相手が鵺ならばすでに倒してしまっていただろう。俺も得意だった火力重視の丙の術を放っているが、皮膚を少し焦がす程度にしかなっていない。初めての演習の時のような丙の術も使えないこともないが、北条を巻き込んでしまう可能性が高いうえにそれで倒せるとは限らない。

「やっぱり……やっぱり俺じゃ火力不足なのか……」

 そうつぶやいたのは俺ではなく、盾の後ろに避難してきた北条だった。北条が避難してきたということはカーマも傷を癒しているということだろう。

「悔しいけれど、扱える命力子の少ない俺には無理なんだ。だから神崎……時間ならいくらでも稼いでみせる。攻撃ならいくらでも防いでみせる。使える限り最大の忍術をあいつに使ってくれないか。その時に俺を巻き込んでしまっても構わない。あの脅威の打倒は忍びの世界にとって俺たちの命よりも重い」

 あの甲組の連中が一目を置き、大和も認める男。その北条颯真の攻撃が通用しない相手……。そんなやつに俺が今使える術で通用するのか……。いや、一つだけあるといえばある。まだまともに使えたことのない練習中の術が――

「三十秒……三十秒で一つ大技を使える」

「分かった。頼んだぞ」

 北条はそう言うと金剛盾から飛び出して再びカーヤへと挑みかかった。

「所詮学生。その程度ですか。そろそろ動きも掴んできましたよ」

 そう言ったカーヤの拳は遂に北条の体を捉えた。パチンコ玉のように飛んだ北条は巨木をなぎ倒して止まる。しかし、すぐさま立ち上がると果敢にもカーヤに突撃する。その間にも俺は集中して印を結んでいた。

 三十も連なる印の連続。その一つ一つを丁寧にイメージしながら結んでいく。一つの印を結ぶのに一秒近くかかっている。しかしそれでも今までまともに成功したためしはない。発動しても不発や暴発、嘘のように小さい術として発動など。なにせこの術は集中して練習すれば半年で使えるようになる――そう教えてもらった忍術なのだ。まだ練習を始めて二か月……。正直言って自信はない。しかしそんなのは関係ない。使えないといけない。今使えないと意味がない!

 あと少し。あと少しで術の発動ができる。その時だった。

「ようやく大人しくなりましたね」

 そう言ったカーヤの足下にぐったりと北条が倒れる。約束の三十秒は経った。しかしまだ少し足りない。カーヤが俺の方を見て、もう終わりかと思った瞬間、俺の左右から人影が飛び出した。

「ヒーローは遅れて登場するものよ」

「土遁・飛び石の術! 合わせろ芽依!」

「任せて」

 言を叫ぶ大和に答える芽依。大和が作った宙に浮かぶ石に芽依が足をつける。

「火遁・爆炎の術!」

 大和の言とともに石が爆発し、タイミングを合わせて飛んだ芽依が砲弾のようにカーヤに向かう。そして顔面に前蹴りを放って尻もちをつかせる。芽依もその反動で元の位置にまで戻って来た。そして二人が稼いでくれた最後の時間で俺の印も結び終わり、イメージも固まる。暴発したって良い。ありったけの命力を込めて最後の言を唱える。成瀬先生が鵺を一瞬で消し去った忍術だ。俺が初めて見た忍術だ。

 人を助けることができると教えてくれた忍術だ!

「火遁・獄炎柱の術!!」

 叫ぶように唱えた術名。カーヤが倒れている位置が一瞬陽炎で揺らめく。そしてカーヤを中心に集まる空気が落ち葉を巻き込む。続いて引き起こされるのは天にまで届く獄炎の柱。獄炎の明かりで夕方にも関わらず、昼間にでもなったかのような明るさを取り戻す。

 獄炎柱の術は強い引力を発生させているため、カーヤは中から出てこられない。そして俺が込めた命力量に応じて持続時間が伸びている。これでダメならもう……。

 そして少しずる獄炎の柱が細くなっていく。術が完全に焼失した時、そこには真っ黒に焦げたカーヤの姿があった。成瀬先生が使った術の時とは違って消し炭にはなっていない。足りなかったか……。そう思ったが、カーヤは薄く口を開いて声を出した。

「この身が朽ちようとも……私はまだ死んだりはしない……」

 そう言い残したところでカーヤは崩れ落ちて静かになった。

「た、倒したのか?」

 俺の言葉を聞いた後、大和が確認するためカーヤに近寄って生死を確かめる。

「ああ、お疲れ様。流石蓮だ」

 大和の言葉に安心した俺は、ふらつきながらもベータのもとに向かう。

「木遁・甲(きのえ)の術」

 命力を活性化させる術……。体力回復や植物なら成長促進などに使える術。それをベータに使ってゆすり起こす。

「れ……ん……?」

「おはようベータ」

 ベータは特に怪我をしていたということはなく目を覚ますと俺に抱き着いた。

「怖かった……怖かったよ……」

 俺はそこでベータを抱きしめ返すと命力子を放出しすぎてしまったせいか、そこで意識を失ったのだった――
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