二つの薬

色部耀

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二つの薬

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 怪しげな露店商から買った二つの薬――俺はカプセルに入った二錠の薬を手に持って頭を抱えていた。


「酔った勢いとは言えドブに捨ててしまったな……十万円」


 記憶はしっかり残っている。パチンコで十万円も勝ったその夜に一人で飲み屋に入り、好き放題飲んだ。貧乏性の俺は結局飲み屋でも大して金を使わず、気分だけが良くなり店を出てすぐの露店で惚れ薬と透明薬なるものを売る老人から二つ返事で買い物をしてしまったわけだ。


「もし惚れ薬を使うなら……」


 高校卒業から一度も顔を会わせていないけど一人しか考えられない。

 クラスのマドンナ。高根京子――

 言葉を交わした記憶も無いけれど、一方的な片思いだった。高卒で働き始めてから二年と少しが経ったけど、彼女以上に魅力的な女性には出会っていない。

 彼女は高校から一人暮らしをしており、そのまま近くの大学に進学している。たまたま下宿先が俺の家の近くだったこともあり、どこに住んでいるのかも知っていた。と言うより、うちの隣にあるアパートだ。徒歩一分もかからない。ホップステップでジャンプまでもいらない距離。


「本物か分からないけど、透明薬が本当なら……」


 高根さんに使ってみても良いかもしれない。

 今は日曜日の昼二時。高根さんが一週間分の食材をスーパーに買いに行って帰ってくる時間だ。一軒家の二階。自分の部屋から外を見ると高根さんがその長く綺麗な黒い髪を風に揺らしながらレジ袋を重そうに持って歩いていた。

 別にストーカーという訳ではない。……まあ、ストーカーはみんなそう言うのだろうけど、俺はたまたまこの時間に外を見る機会が多くて目に留まっているだけだ。

 先月の四月から月曜日と水曜日は朝一の授業から大学に行っている事や、金曜日は帰りが遅いことを知っていたとしてもストーカーではない。

 断じてない。

 今から透明薬を飲んで効果があれば、その足で高根さんの部屋に侵入して惚れ薬を仕組もうなんて思っていても、全くもって犯罪者なんかではない。

 パソコンの前に常備してあるコーラで一気に透明薬を胃に流し込む。薬を買った時に、飲み方やタイミングは気にしなくて良いと言われていたからコーラで飲んでも問題ないだろう……本物であれば……だけど。

 飲んですぐ、俺は姿見の前でじっと待った。効果は飲み込んでから五分後から十分後に効き始めると言っていたから、そろそろだろうか……。


「お! お! まじか!! すげー!!」


 姿見には見事に服だけが浮いて見えていた。つまり、それを着ている俺は綺麗さっぱり消えてしまっているという事。


「やばい! 急がないと!」


 着ている服を脱ぎ去ると、俺は薬を持って裸足で駆け抜けた。

 あと四分くらいか……高根さんが家の鍵を開けていてくれることを祈ろう。

 アスファルトを裸足で走るとこんなに痛いとは思っていなかったけど、そんな場合じゃない。薬を仕込んで戻ってくるまでがミッションだ。裸で帰ってくるわけにはいかない。

 高根さんの家のドアノブに手をかける。

 ――鍵はかかっていないみたいだ。

 静かに――音を消して衣擦れにも注意して……って何も着てないんだったチクショー!! 落ち着け!! 落ち着け俺!!

 玄関をくぐるとダイニングキッチン。扉一つはさんでリビングが一室あるだけ。その扉も空いているもんだから、玄関を開けると無防備にフローリングの冷たさを堪能している高根さんが視界に入った。

 先程買ったはずの食材はレジ袋に入ったまま冷蔵庫の前に置かれ、散らかった部屋に恋い焦がれた可憐な女性が横たわる……。

 なんなんだこの光景は!!

 と言うより、深窓の令嬢とまで言われていた高根さんが家ではこんなにだらけていると知ると、この上ない優越感を覚える。俺だけがこんな高根さんを知っていると!!

 そうだそんな事を考えている場合じゃない。薬を仕込まないと――

 うつぶせに寝転がっている高根さんに気付かれないように冷蔵庫を開ける。そこには飲みかけの牛乳が一本。

 高根さんの豊満なバストはここから栄養を得ていたのか!! じゃない!! この牛乳に薬を入れてしまえば……。それにしても今日は全てにおいて都合が良い。今日の神は俺の味方だ!!

 ポトン――

 カプセルが牛乳の水面に当たる小さな音がたつ。


「あーーもうっ!!」


 高根さんが手足をバタバタと動かして大きな声をあげる。

 やばいっ! 気付かれたか?


「やっぱり詐欺だったよなー」


 壊れた玩具の電池を抜いたみたいに今度は静かになる。――なんだよ脅かすなよ。って、ちょっと待って! こっちに来ないで!

 高根さんはおもむろに冷蔵庫を開けると、さっき俺が薬を入れた牛乳を一気に飲み干した。確か、惚れ薬は飲んだ瞬間に効き目が出るって言ってたはず……。少しだけ様子を見ておこうか……。

 高根さんは飲み干した後の牛乳パックをそのまま冷蔵庫に戻し……って洗って干してさばいてリサイクルに出せよ!

 しかも、高根さんはそのままリビングに戻ってフローリングの冷たさを感じている……。そして――


「惚れ薬とかなんの効果もないじゃん……」


 驚くべき一言に俺は耳を疑った。惚れ……薬?? 部屋の時計を見るとタイムリミットはあと三分。一分もあれば家に戻れるし、少し聞いていよう。気になる――


「でも、惚れられたからって行動を起こしてくれるとは限らないし……」


 まさか……まさか高根さんも誰かに惚れ薬を使ったって事なのか?


「効果が無いんだったら透明になってるうちに襲っとくんだったかなー。あー損した! あれから顔合わせても今まで通りだし……むむむ……」


 めくるめく大学生活。そこで出来た好きな人が今までと変わらない対応――ってところか。高卒の俺には分からないけどな。でも、襲っとくんだったなんて聞くとその男が羨ましくて仕方ない。俺ならいつでも襲ってくれて良いのに。

 いや待てよ? 効果が無いのなら俺も今のうちに少しくらい無茶しといた方が良いのか? あと二分もある。おっぱいくらい揉んどいた方が良いのか? 十万円だぞ十万円! その価値はあるだろう! 高根さんのおっぱい……十万円って考えると安いくらいだ!


「あーーあ」


 その時、またしても神は俺の味方をした。

 なんと高根さんは仰向けに寝がえりをうったのだ! これは! 神が揉めと言っている!!

 時計を見るともう少しで残り一分。

 ちょっとタッチしてすぐに帰れば大丈夫! ショットガンタッチだ!! 惚れ薬が詐欺だったなら透明薬の分くらい楽しんだっていいだろう!!!!

 俺の手が高根さんの胸元に近付いていく――

 緊張で震えているのが見える――

 脈打ちすぎて指先まで赤くなっている――

 もう俺の手の影は高根さんの胸に触れている――

 もう少し――あと少し――

 ん? 透明なのに影がある……?

 いや、それ以前に透明じゃない……だと?

 一気に血の気が引いて行くのが分かるとともに頭が急に冷静になる。今俺は裸で――一人暮らしの女の子の家に不法侵入していて――つまり――なんだ?


 人生詰んだ。


 高根さんの顔を見ると、アルプス山麓の水も恥ずかしくて蒸発してしまうような澄んだ眼差しで、俺の見るだけで目が腐るであろう一物を真っ直ぐに見ていた。


 人生詰んだ。


「あのその……高根さん……これは何というか……」


 相変わらず高根さんは視線をそらさない。


「ミスったんです」


 なんだよそのミスったって!! 自分で言ってて意味が分からないよ!!

 一方の高根さんは漸く視線を俺の顔にあげて、白魚もぎょっとするようなその白い手でペタペタと俺の胸板を確かめるように触る。


 俺は怖くて動けない。


「本物の木村くんだ」


 顎に手を当ててニコニコと微笑む高根さん。


「おーい! 生きてますかー?」


 はーい。生きた屍こと木村くんですよー。


「返事が無い。どうしたものか」


 座り直して腕を組み、考え込んでいる高根さん。

 俺の頭は真っ白。多分顔は真っ青。


「じゃあ、しつもーん。木村くんは私に惚れてますかー?」


 はーい。ホの字ですよー。アホのホの字でもありますよー。

 でも声には出ない。


「惚れ薬が効いたって事? じゃあ、この木村くんは私が貰っちゃっても良いって事?」


「え?」


「あ、喋った」


 今この子は何って言った?


「今俺に惚れ薬を使ったって言った?」


「うん。言ったよ?」


「それっていつ?」


「先週くらいかな?」


 先週くらいですか……なるほど……


「それなら惚れ薬の効果は出てないよ」


「え? どういう事? だって今私の事襲おうとしてたじゃん」


「違います! ちょっとおっぱいを触って逃げようとしただけです!」


「なんと情けない……」


 くっ……ぐうの音も出ない。


「木村くんは惚れてもいない女の子の部屋に上がっておっぱい触ろうとするんだ」


「それも違う! 俺は! 俺は五年前からずっと高根さんのことが好きだったの!! 薬の力なんかじゃないってこと!!」


「え?」


「え?」


 勢い余って告白をしてしまった。


「じゃあなに? 私は十万円をどぶに捨てたって事?」


「待って……てことは俺も……?」


 俺と高根さんは顔を見合わせて――


「はは」


「ははは」


「「ははははは」」


 大いに笑った。この状況にもだけど、お互いに無駄なことをしてしまっていたという事実に対しても。


 しかし、案外あの薬に十万円の価値はあったのかもしれない。薬でもなければ一生口すら利かなかったのかもしれないのだから――。
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