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第6話 求めない夫

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「何か困った事はないか?」

 翌朝の朝食で、ヴァリエ様に聞かれた。
 彼は昨夜も遅くとこに就いたようだ。
 例によって、娼婦との時間を楽しまれたようね。
 
「大丈夫です。皆さんに良くして頂いております。それより、きちんと睡眠を取っていらっしゃいますか?」

 目の下にくまが出来ている。

 いくら若いと言っても、連日連夜ではお疲れでしょうに。
 私は嫌味のつもりで心配するそぶりを見せ、心の中では軽蔑していた。

「ああ、大した事はない。それより今日はこの後、予定はあるかい?」

「いいえ、特にございませんが…」

「ならば、少し街に出てみないか? 嫁いでから一度も出かけた事がなかっただろう?」

「は、はい!」

 そういえば、結婚してから屋敷の敷地内を出た事がなかった。
 久しぶりの外出に心が浮足立つ。  


 そして、そこで私は意外な光景を目にする事になる―――…


「あっ 当主様だぁ こんにちはぁ」
 男の子がヴァリエ様に声をかける。

「当主様っ すぐに橋の修理の手配をして頂いてありがとうございます」
 年配の男性がお礼を言っている。

「当主様っ 近くに診療所が出来て、とても助かっています」
 赤ん坊を抱いた女性が嬉しそうに話す。

 街に入った瞬間、あっという間に人に囲まれた。
 その都度、ヴァリエ様は一人ひとり丁寧に応えている。

 予想もしなかった状況をぼうっと見ていると、くいっと誰かが私のスカートを引っ張った。
 下を見ると、可愛らしい小さな女の子が大きな目を見開いて私を見上げていた。

「おねえちゃん、とーしゅさまのおよめさん?」

「え…あ…っ」「そうだよ。僕のお嫁さんだよ」

 私が一瞬躊躇ちゅうちょしていると、ヴァリエ様が答えた。

 そして小さな女の子の目線に合わせてしゃがみ、頭を撫でているヴァリエ様。

 そばにいた母親らしき女性とその周りの人たちが、口々にお祝いの言葉をかけてくれた。

 次から次へとお花を渡されたり、食べ物や飲み物を頂いたり…あっという間に、ヴァリエ様と私の両腕は物でいっぱいになっていた。

 帰りの馬車の中は、領民たちから頂いたもので溢れている。

「すまないっ 街を案内すると言ったのに…申し訳ない。今度、改めて案内するよ」

「いいえっ とっても楽しかったです!」

 私は自然と笑みが零れた。

「………」

 ヴァリエ様がなぜか私の顔を凝視されている。

「…あ、あの…?」

 戸惑いながら、私は声をかけた。

「実は…過去に一度だけ、ここにとある伯爵家の令嬢を連れてきた事があるんだ」

「え?」

 いきなり何の告白かしら?
 過去の恋人の事?
 
「いつまでも独り身の僕に気を遣う人間の画策でね。意図せず令嬢と二人、馬車に乗せられてしまって…」

「そうだったんですか」

「でもせっかくだからと思い、馬車を降りてこの街を案内しようと思ったらその令嬢、何て言ったと思う?」

「え…と、何と仰ったんですか?」

「平民と同じ場所を歩きたくありませんだって」

「な…っ!」

「呆れてしまったよ」

 そんなひどい事を言う令嬢がいるものなの?
 それが貴族の常識なのかしら? 理解できないわ!

「…ここに来たのは君の気分転換というのも本当だが、君の反応を見る為もあったんだ。試すような事をしてすまなかった」

 そういうとヴァリエ様は私に頭を下げた。

「や、止めて下さい! 別に…全く気にしておりませんわっ」

 それに、これくらいの事でヴァリエ様に頭を下げられたら…
 私は居たたまれない気持ちになった。
 
「…あの小さな女の子、君に懐いていたね」
 
 話題が逸れ、私は少しホッとしながら答えた。

「あ、ええっ とても愛らしい子でしたわ。ほらっ 手作りの髪留めのゴムをくれたのですよっ かわいいでしょ!」

 私は髪に付けた髪留めを、子供が自慢するかのようにヴァリエ様に見せた。

「あっ い、いえこれは…」

 私は年甲斐もなくはしゃいでいた事に気づき、急に恥ずかしくなった。

「うん、とてもかわいらしいよ」

 そう言いながらヴァリエ様は私の髪にそっと触れた。

 …髪留めの事…よね? 

 私は顔が熱くなるのを感じていた。

 気さくな領民たち。
 明るく優しい空気。
 そして思いやりに溢れるヴァリエ様…

 そんな彼を見ながら、思い浮かんだ噂。

『毎晩屋敷に娼館の女性を複数呼んでいる無類の女好き』
『領主としての仕事はおざなりで、すべて家令任せ』
『傍若無人な性格』

 けど……

 街中でのヴァリエ様は誰に対しても物腰が柔らかく、子供には目線を合わせて接する気遣いができる方…

 私は噂を鵜呑みにして、見誤っているのではないのかしら。  

 ふと、ある不安が頭をよぎった。


 ◇◇◇◇


 その日の夜、入浴を済ませるとすぐにベッドに入った。

「街に出かけ、楽しかったけれど少し疲れたわね。今夜はぐっすり眠れそう」

 サイドテーブルにあるランプの明かりを消し、誰もいない隣を見た。
 彼はいつも明け方近くになってから寝所に入る。

 …今夜もどこかで娼婦と過ごしているのかしら…

 私は今日一日一緒にいた彼の事を考えた。
 そして、結婚して数週間過ごしてきた彼の事を考えた。

 噂は本当なのかしら…

 私の頭の中で、一つの疑問が浮かんだ。
 けど、噂通り最低な人でなければ困る。

 そうでなければ私のしている事は……

 疲れているはずなのに、いろいろ考えたら目が冴えてしまった。

「喉が渇いたわ…」

 水差しの中の水が少ししかなかった。
 呼び鈴を鳴らそうと思ったけれど、もう夜も遅い。
 水くらいで呼ぶのは忍びない。

 私はガウンを羽織り、厨房に向かって薄暗い廊下を歩いた。

 途中、明かりが漏れている部屋に気がつく。
 あそこは執務室だわ。

 そっと中を除くと机に向かって座っている旦那様と、テーブルに飲み物を置いている家令のジェランの会話が聞こえてきた。

「今日ぐらいは早めにお休みになられたらいかがですか? 寝不足の状態で奥様と外出されて、お疲れでしょう」

「大丈夫だ。それより彼女、楽しんでくれていたみたいで良かったよ。仕事が忙しくて、いつも一人きりにさせていたから」

「いつも奥様の事を気にかけていらっしゃいましたからね」

「これからも、彼女の事を頼むよ。慣れない場所にいろいろ不安だろうから…」

「承知しております。けれど、旦那様もご自身のお身体に気を遣って下さい。毎晩遅くまでお仕事されていては身体が持ちませんよ」

「ああ、この書類に目を通したら休むよ」

「そう仰って休まれた事はありませんけど」

「ははは、きちんと休むから。ジェランも早く休んでくれ」

 ジェランはお辞儀をし、後ろ髪を引かれるように部屋から出てきた。

 今の会話は何…?
 私を気遣う事ばかり…

 違う、そんな人じゃない…!

 彼は女好きで怠惰で…そんな噂をされる人…
 そんな人でなければならないのよ…っ

 でなければ、私は……っ!

「ジェラン」

 部屋から離れたところで、彼に声をかけた。
 何が真実なのかを確かめなければ。

「奥様、まだ起きておいででしたか?」

「それよりヴァリエ様、毎晩遅かったのは執務室に…?」

「…はい、ヴァリエ様の頭の中はいつも領地と領民の事ばかりです…」

「じゃあ、あの噂は…」

 そう言い始めて、ハッと思い、手で口を押えた。

「………それは先代の事です」

 ジェランは眉をひそめながら話し始めた。

「えっ?」

「毎晩寝所に娼婦をはべらしていたのも、仕事を家令であった私の父に押し付けていたのも…」

「な…なぜ、噂を否定しなかったの…?」

「その噂で、ヴァリエ様の容貌と爵位目当てに近づく貴族たちから逃れるためでした。本当の旦那様はいつも周りの者たちの事を考えて、自分の事は二の次。そんな方です」

「……そ…だったの…」

 私は力なく答えた。

「お部屋までお送りいたします」

「…大丈…夫…一人で戻れるから。お休みなさい…」

「お休みなさいませ」

 水を取りに行く事も忘れて部屋に戻り、入るなり私はその場に崩れ落ちた。

 噂は全て先代のお義父様の事だった…!?
 じゃあ…ヴァリエ様は…ヴァリエ様は…っ

 彼の優しさ
 彼の気遣い
 彼の思いやり

 その全てが私の心を突き刺し、激しい後悔にさいなまれる。

 どうしよう!
 どうすればいいの!?

 私は愚かなカッコウになった自分を呪った。
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