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第8話 オスカーの想い①
しおりを挟む馬車の扉を開けると、リュシュエンヌのオリーブグリーンの瞳から涙が溢れていた。
胸が締め付けられた。
そして、その涙を流させたのはこの僕だ!
「リュシュエンヌ…っ」
思わず彼女を抱きしめた。
抱きしめずにはいられなかった。
「…ォ…スカーさ…」
リュシュエンヌの戸惑いが伝わってくる。
「ごめん、リュシュエンヌ! 何もかも僕が悪いっ 君に誤解させるような事ばかりして、君を傷つけたっ 本当にすまなかった…!」
僕は、ただただ彼女に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
◇◇◇◇
リュシュエンヌを知ったのは…高等部2年生の夏だった。
その頃には既に【白銀の薔薇貴公子】などという異名が定着しており、あわせて【鉄仮面の伯爵令嬢】と呼ばれる女性の存在を耳にしていた。
だがその時は、特に興味も湧かなかった。
僕と同じように妙な渾名を付けられた女性。
その程度の印象でしかなかった。
そもそも誰がこんな珍妙な名を付け、広めたのやら。
中等部からの友人であるダニエルはその名前を聞いた時大爆笑し、それから時々弄るようになった。
「おまえが貴公子って、ほーんと笑える冗談だよ。確かに顔はいいけど、中身はごくごくふつーの猫かぶりわんぱくぼっちゃんなのにな。ぶはははっ」
「は!? なんだそれっ」
学院帰りにダニエルの家に立ち寄り、ダニエルの部屋でお互いに思い思いの格好で寛ぎながら会話をしていた。
コンコン
ドアがノックされた途端、僕は慌てて起き上がり、姿勢を正した。
その様子を見てダニエルが吹き出し、「どうぞ」と含み笑いをしながらドアに向かって返事をした。
「冷たいお茶とお菓子をお持ちしましたの。一緒に召し上がりませんか?」
リトルティがティーカップと菓子を乗せたティートロリーを押して入ってきた。
普通は使用人が持ってくるものだが、なぜかいつもリトルティが持ってくる。
「今、男同士の話をしているから女は出入り禁止。それ置いて、早く部屋に戻って宿題しろっ」
そう言いながらリトルティに向かって、手で追い払うようなしぐさをするダニエル。
「えーっ 少しくらいいいでしょ? ねぇ、オスカー様」
小首をかしげて、強請るように僕に言うリトルティ。
最近の彼女は、時々しなって話す事がある。
これって何なんだろう…?
「…ごめんね。ダニエルと大事な話をしているんだ。今度ゆっくりお茶をしよう」
僕は努めて優しくリトルティを諭した。
彼女は少し頬を膨らませて…
「分かりましたっ じゃあ、次にいらした時は必ず一緒にお茶をしましょうね」
そう言いながら、なぜか片目をつぶった。
目にゴミでも入ったのかな?
「わかったよ」
僕は笑顔を見せながらそう答えた。
リトルティが出て行くと僕はまたソファに寝転んだ。
「はー、びっくりした」
「おまえなぁ。俺の妹にまで見栄張ってどうすんだよ」
「【白銀の薔薇貴公子】のイメージを壊すのはかわいそうだろ?」
「それ、おまえの悪いところだよ。渾名で呼ばれるのは嫌なくせに、イメージを崩さないようにカッコつけるの。いい加減やめろって」
「しょうがないだろ…身についちゃってんだからさ」
「…」
僕の家庭の事情を知っているダニエルはそれ以上、何も言わなかった。
僕はノルマンディ家で唯一の男子。
だから後継者である僕に対して、父はいつも厳しかった。
子供の頃、裏庭でどこからか迷い込んだ犬と遊び泥だらけになって帰宅したら、父にめちゃくちゃ殴られ怒られた。
「遊んでいる暇があったら、勉強しろ! お前は後継者としての自覚がないのか! 人前でそんなみっともない姿を晒したら絶対に許さんぞ!」
そして、その怒りの矛先は母にも向けられた。
「お前が甘やかすから、こんなだらしない人間になるんだ! もっとしっかり教育しろ!」
「…申し訳ございません」
母は父に土下座をして謝った。
僕がだらしないと母が責められる。
その時から僕は、人前ではいつも上品かつ紳士的に振る舞うよう心がけるようになった。
けど、中等部でダニエルに会った時すぐにバレたんだよな。
「なんで、上品な仮面被ってんの?」と。
それからダニエルの前だけは本当の自分を出す事ができた。
ちょっと、女癖が悪いのがたまに傷だけど。
「なぁ。お前の両親って今時珍しい恋愛結婚なんだっけ?」
前にダニエルが言っていた。
政略結婚の世の中で、自分の両親は気持ち悪いくらい仲がいいと。
「うーん。もともと二人は幼馴染だったらしいんだよ。で、昔から仲が良くって、家格も釣り合いが取れるからって決まった結婚なんだと。だから、恋愛半分、政略半分ってとこかな」
「ふーん」
僕の両親は完全な政略結婚だった。
もちろん二人の間に愛情なんて存在しない。
横暴で傲慢な父の言う事に逆らえない気弱な母。
父には何人か愛妾がおり、母親違いの子供も複数いるが、皮肉にも男子は僕一人だけだった。
高等部にあがってから、僕もいつか政略結婚をするんだろうな…とふと考える事が増えた。
それは貴族として生まれたからには逃れられない運命。
けれど、僕は父のようには決してならない。
たとえ恋愛感情がなくても、家族としての愛情を育み、あたたかい家庭を築いていければ…それが僕の理想だった。
そんな時、リュシュエンヌに出会った。
出会った…は少しニュアンスが違うな。
僕が一方的に彼女を知ったのだから。
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