夢の渚

高松忠史

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11 狂飆

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村長の波平は那覇の県庁で行われる定例の市町村長会に出席するため美波間島を後にした。
波平は無駄な経費がかかることを嫌い、いつも移動には随行員を付けず移動の際の飛行機も常にエコノミー席にこだわった。
県庁の会合に出席した後、宿泊するホテルに戻ったところまでは確認出来たが、その後の消息が掴めず忽然と姿を消してしまったのだ。
当然、沖縄県警も波平の足取りを追って捜査を始めたが、防犯カメラにもその姿は確認ができず、携帯電話も不通となっていた。
警察も事件事故の両面で調べたが、まるで神隠しにでもあったようで一向に手掛かりが掴めなかった。
ごく小さな村とはいえ、一首長が失踪したことは地元の新聞にも大きく報じられ様々な憶測がとんだが、誰一人波平が突然いなくなったことに対する明確な根拠を示すだけの理由を説明できるものはいなかった。
美波間村の村民も皆憂慮したが、島から600キロも離れた本島のことだけに何も出来ることはなく警察に推移を任せるほかはなかった。
本島の警察も美波間島まで乗り込んで捜査聴取を行なったが、事件性は低いとみられ、激務であった波平村長が自らの意思で姿を消したのではないかというのが捜査員の見立てであった。

しかし、村民はそんな考えには誰も納得出来なかった。



「ふざけんじゃねぇ! 何が村長の意思だ! こんな真似するのは台北東海公司の連中に決まってんだろうが!」

漁協の事務所の外にまで聞こえる声を源一は張り上げた。

「ちょっと源さん、声が大きいよ」
竜男が窘めた。

「うるせー! こんなこと誰が納得できるんだよ! 奴等がやったに間違えはねぇんだ!」

「だけど、奴等がやったって証拠がないんだよ、源さん…」

「お前ぇはどっちの立場なんだ馬鹿野郎!  お前ぇは元警察官だろうが!
何とかしやがれ!」

「俺も昔の同僚に説明してみるから少し待ってくれよ…源さん」

源一は鼻息荒く顔を真っ赤にして腕を組んだ。


諒太の家でもチーリンが失踪した波平村長の心配をしていた。

「村長さん…いったい何処へ行ってしまったんでしょう…」
最近、又吉と島袋の披露宴で波平村長に優しい言葉をかけられたばかりのチーリンは諒太に尋ねた。

「わからない… ただ…言えることは波平さんは絶対に途中で職務を放りだす人ではない。
今は村長が戻ることを信じて待つほかはない…」
諒太はため息混じりに答えた。




その翌日の朝方…ゴゴゴゴと凄まじい音を立てて美波間島の海沿いの広範囲に海鳴りが聞こえた。

島に嵐が近づこうとしていた…

フィリピン沖で発生した大型の台風は当初進路を北西にとり大陸方面に向かっていた。
大方の気象予報士もそのままの進路を予想していた。 しかし、台風は急激に進路を北東に変えて南西諸島に迫ってきたのである。
この台風は猛烈な風を伴う台風で、時速50キロという速い速度で島に接近した。発生した距離が近かったことと、その速度が異常に速かったこともあり島の台風対策も遅れた。
島は厚く暗い雲に覆われ、暴風が木々の枝を揺らした。
漁船など船舶は大急ぎでクレーンで陸揚げをしたり、しっかりと係留ロープで繋がれた。

諒太も急いで家の窓に板を打ち付けるなど風の対策を施した。
さすがに美波間島に来て6年近くになる諒太はこの地方に襲来する台風の凄まじさを身をもって知っている。しかし、その諒太でさえこの時期の今回のような足の速い台風の襲来は初めての経験だった。
作業が終わるころにはついに雨が降り始め、猛烈な風と合い間って横なぐりの雨が美波間島を襲った。
高い山のない美波間島は風の影響をもろに受ける。

「清子さんが心配だ。これから行ってくるから君は家で待っていてくれ」
諒太はリュックに救急箱や工具類を詰め込み雨合羽を着込んでいるときにチーリンに声をかけた。

「私も行きます!」

「ダメだ。危険すぎる」
諒太はチーリンの申し出をにべもなく断った。

「だけどおばあちゃんが…」
チーリンは泣きそうな顔で諒太を見つめた。

「清子さんのことは俺に任せろ」
諒太はそう言うと玄関から暴風吹き荒ぶ中へ飛び出していった。

チーリンが毎日のように通う一人暮らしの桑江清子の家は普段ならゆっくり歩いても10分もかからない。
しかし、この日は正面からの猛烈な雨風でなかなか進む事が出来ない。
合羽を着ていても顔にあたる雨は針が刺すような勢いで諒太の歩みを阻んだ。諒太は前傾姿勢でようやく前に進むことができた。
雨雲のせいもあり周囲は薄暗くなっている。 
諒太がやっとの思いで道のりの半分くらい来たとき風雨の音に混ざってかすかに人の声が聞こえた気がした。

「真田さーん!」

後ろから聞こえたその声はチーリンの声であった。
雨具も着けずTシャツ姿のチーリンは頭から足下までずぶ濡れとなり、突風に煽られていた。

「馬鹿! 何で来たんだ⁈」
諒太は怒鳴った。

「だって!
おばあちゃんが心配で…」

チーリンは目を開けていることも息をするのもやっとで、強い風を受け一つにまとめた長い髪が真横になびいている。

「無茶をしやがって…
仕方ない…俺について来い!」

諒太はチーリンをこの暴風雨の中、半分まで来た道をこのまま一人で帰すのはより危険と判断し、自ら風よけとなってチーリンの手を取って歩き出した。

「絶対に手を離すんじゃないぞ!」

「はい!」

二人は前屈みになって進んだ。

いよいよ雨風は強くなっていった。
いつもの倍の時間がかかり到着した清子の家の中に入ったとき、奥の方から人の呻き声が聞こえてきた。
依然風は強くガタガタと家の中の建具を震わせている。

「清子さん!」
「おばあちゃん!」

清子は暴風が吹きこむ部屋の片隅でうずくまっていた。
風に煽られた物干し竿を支えるポールが倒れこみ窓ガラスを破壊していた。 割れた窓からは猛烈な雨風が吹き込み部屋の中はひどい状態であった。 清子は転倒したことで足首を捻り動くことができくなっていた。

「おばあちゃん! 私よ!わかる?」
チーリンはうずくまる清子にすがりついた。

「あれ…チーリンちゃん…どうして」
清子はチーリンが目の前の視界に入ったことでようやく二人の存在に気づいたようだった。
清子の足首は赤く腫れあがっていた。 

「おばあちゃん、今助けてあげるからね」
チーリンは清子を励ました。
諒太はリュックの中から救急箱を取り出し清子の足首に湿布の上から足首を固定する包帯を巻いた。

部屋の中は吹き込む風で もぎ取れそうな勢いで開いたカーテンをバタバタとはためかせた。
諒太は玄関から外に飛び出すと納屋に入り中を物色した。
あった!
棚に置いてあるブルーシートを引っ張り出すと靴のまま縁側から部屋に戻った。 部屋の窓際は割れたガラスが散乱していたからである。
諒太はリュックの中から金槌と釘を取り出すと穴が開いた窓の仮補修をすべく作業に取り掛かった。
割れた窓からはビュービュー雨風が吹き込んでくる。
左手でブルーシートを抑えるが猛烈な風で煽られ釘を打つことが出来ない。

クソッ!…

その時諒太の背後から手が伸びた。

「私が押さえます!」
チーリンが必死に手を伸ばしていた。

「すまん! 
足下のガラス片に気を付けるんだぞ!」

「はい!」

諒太はチーリンの手を借りブルーシートを釘で打ち付けた。
しかし、雨の吹き込みはこれで防げるがあくまで簡易補修なので突風の進入は防げるものではなかった。

部屋の片隅でうずくまっていた清子が足の痛みのあまり声をあげた。

「大丈夫⁈おばあちゃん!」

チーリンと諒太が駆け寄り声をかけた。 年齢が年齢だけにわずかな転倒でも骨折の可能性があるため、むやみに動かすことは控えなければならない。
強い風がシートの間から大きな音を立てて絶え間なく吹き込んでくる。 瞬間的な突風が箪笥の上の物を吹き飛ばし落下させた。 咄嗟に諒太は清子とチーリンに覆い被さった。 落下したものの中に小さな写真が入った写真たてがあった。
清子は目の前に落ちたその写真たてを大事そうに抱え込んだ。
それは10年以上前に亡くなった清子の御主人の写真であった。 

「おとうさん…守ってください…」
清子は写真に両手を合わせて祈った。

「清子さん大丈夫。この台風は速度が速いからそのうち島を抜けるはずですよ」
諒太は清子を元気づけた。

諒太の言う通り、暫くすると風は弱くなり空は明るくなっていった。
ようやく三人の緊張も解け、諒太は大きく息を吐いた。

「真田さん、私来て良かったでしょ?」
チーリンが無邪気な表情で諒太に声をかけた。

「美波間島の台風を甘くみるんじゃない!何かあったらどうするつもりなんだ⁈」
諒太は厳しい顔でチーリンに言った。

「…すみません」
チーリンはふて腐れたように口を尖らせた。

「でも、チーリンちゃんが来てくれて私は嬉しかったよ。 真田さん、あまりチーリンちゃんを責めないでちょうだいね」
清子は手を合わせ諒太に懇願した。

「わかりました…
清子さんがそう言うなら…  


チーリンさん…さっきは助かったよ
…ありがとう」

諒太は照れ臭そうに横を向いて無愛想に呟いた。

清子はしわだらけの顔でニコっと笑いチーリンの手を握った。
チーリンも清子に微笑み返した。

村役場から島全域に防災スピーカーを通して放送が流れ始めた。
放送の内容は現在、各自治会と消防団が各戸をまわって住人の安否確認を行なっている。
怪我をしていて動けない人はすぐ役場に連絡をしてほしいこと。
怪我をしていても歩ける人は役場に集まってほしいこと。
村から自衛隊に対して災害派遣要請による救援活動で怪我人はヘリで石垣島の病院に運ばれることが告げられた。

いつも近所同士で助け合いながら生活している島民にとって災害が起こっても他所と違って行動が冷静で動じることがない。

清子は石垣島の病院に行くためチーリンに手伝ってもらい荷物をまとめ始めた。
清子は大丈夫と言ったが、足の具合が心配だという諒太の説得に応じた形となった。
何しろこの島には病院や診療所がない。 万が一骨に異常があってもここでは対処出来ないのである。
諒太は清子に石垣島の観光ホテルで料理長をしている清子の息子の信之に連絡を入れてもらった。
信之は清子直伝の沖縄郷土料理をホテルのレストランで提供し観光客に大変喜ばれているそうだ。
これまで信之が何度説得しても頑として美波間島を出ようとしなかった清子だが今回はそうもいかないようだ。
チーリンに清子の荷物を持ってもらい、諒太は清子を背中に背負って役場へ歩いて向かった。

南の空は雲の間から青空が見えている。 まだ少し風が残ってはいたが、既に台風の暴風域は抜けていた。
途中の道路はところどころ崩れたり陥没し、木々の枝が折れ道路に落ちているところもあった。 
住宅の瓦が風で落とされたり窓ガラスが割れている家もある。
今回の風台風は美波間島に少なからず爪痕を残していったようだ。

諒太は背中の清子に振動を与えないようにゆっくりと慎重に歩いて役場に向かった。
役場のヘリポートには既に宮古島から飛来した自衛隊のCHー47大型輸送ヘリ 通称チヌーク が着陸していた。村役場の防災係 砂川博之の迅速な判断で救助活動が進められている。 島では幸い死者、重傷者は一人もなく、帰宅途中に風に煽られて転倒した高齢者や台風対策中にで梯子から落ちて怪我をした者、飛来物に当たり手を切った者などの怪我人は軽症者に限られ役場には清子を含め5名の怪我人が集まり、自衛隊員により応急手当てがされていた。
チヌークはこの後、隣の与那国島にも立ち寄り与那国村の怪我人も搭乗させることになっている。
与那国島には小さな診療所があるが、入院できる設備がないのだ。

諒太は離れた場所で自衛隊員に清子の代わりにヘリ搭乗名簿に記入をしている。
チーリンはヘリが飛立つまでの間
清子と別れを惜しんだ。
清子はおもむろに懐から大事そうに先程の写真を取り出した。

「チーリンちゃん…私と主人はこの美波間島で出会って長い時間この島でずっと一緒に過ごしたの…」
清子は優しい眼差しで写真の中で笑う亡き夫を見つめた。

「私は幸せよ。気持ちの優しい息子にも恵まれてなにより人の温もりが残る美波間村に暮らすことができてね…
それに…主人はまだ私の心の中に生きているの…

私は死んでからまたこのニライカナイの海で主人と再会するのを楽しみにしているのよ…」
清子は幸せそうに笑うとチーリンを見つめた。

「チーリンちゃん…真田さんに美味しいお料理たくさん作ってあげなさい」

「はい…」
チーリンは涙ぐみながらうなづいた。

「あなたと真田さん…とってもお似合いよ」
清子はクシャっと笑った。

「え…?
私たちはそんな関係じゃ…」
チーリンは顔を赤くした。

諒太がこちらを呼ぶ声が聞こえた。
いよいよ清子とのお別れの時がやってきた。

「おばあちゃん…怪我を治して元気になったらまた帰ってきてね… 
私、おばあちゃんにもっとお料理を教えてもらいたいから…」
チーリンは涙を流した。

「はい。チーリンちゃんも元気でね
 真田さん、家のことよろしくお願いします」
清子は諒太に手を合わせた。

「清子さん、家のことは任せてください」

清子は二人にニコっと笑いかけると
御主人の写真を大事そうに抱え清子の荷物を持った隊員に身体を支えられてヘリに搭乗した。

そしてチヌークは轟音を立てて空へ舞い上がっていった。
諒太とチーリンはヘリが見えなくなるまで手を振って清子を見送った。

「あの…」
チーリンは下を向いて顔を赤くしている。

「どうした?」

「いえ…清子さん絶対戻ってきますよね?」

「ああ…戻るさ。清子さんは誰よりも美波間島を愛しているからな」

チーリンはさっきの清子の言葉が頭から離れず諒太の顔をまともに見ることができなかった。


その二人の様子を役場の中から面白くなさそうな表情で瞳が見ていた。


昼間の台風が嘘のように西の空には真っ赤な夕焼けが雲に反射していた。



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