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第伍念珠

#043『若者』

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 専業主婦の新田にったさんが、2018年頃に体験した話である。


 ある秋口の晴れた昼下がり。
 新田さんは、愛用のマイバッグを片手に提げてポケットに財布を突っ込んだ格好で、今更ながら夕飯の買い物に出ようかいなかと迷っていた。
 夏の暑さがまだまだ尾を引き、下手に外出すると汗だくになりそうな気候だったのである。
(今日はウチの人も早く帰って来るし。いま出るに越したことはないけど・・・)

 9月も終わりに近いが、まだまだ昼間は真夏のような暑さである。
 日差しの強さはどうだろう・・・と。新田さんは玄関横のガラス窓から、外を覗いてみた。

 直後、顔がこわばる。

 秋日が燦々さんさんと差す庭の隅、
 ちょうどへいのおかげでささやかな日陰ひかげが出来上がったところに、
 誰かが 座り込んでいるのである。

(え、 ちょ、 人んの敷地で・・・!)

 二人の、男性だった。
 日陰に上手く収まるような形で。塀に背中を預け、ほとんど寝そべるようなだらしのない姿勢で、ニヤニヤ笑いながら何事かを駄弁だべり込んでいるようだ。
 一人は茶髪ちゃぱつ。一人は赤髪あかがみ。二人とも二十歳そこそこの若者だ。
 『アメリカ映画でストリートバスケに興じているティーンエイジャー』のような服装で、赤髪の鼻には何か光るモノ――おそらくピアス――が見えたという。

 
 新田さんは、カーッと頭に血が上った。
 親はどんな教育をしているんだ!大方おおかた出先でさきであまりの暑さに日陰を求めたい気持ちになったのだろうが。他人の庭に無断で侵入してくつろぐなんて、非常識にも程がある!!

 どうしよう。外へ出て注意するか。ぷりぷり怒りながら、新田さんは思案する。
 いや、それはよろしくないだろう。イヤなことを言われたり、されたりするかも知れない。この暑さだ。そのうち、何処かへ行ってしまうに違いない。買い物は、ちょっと時間を遅らせればいいのだ。ちょっとだけ――


(・・・・・・でも、 もし )


 もし。
 どれだけ時間が経っても、あの若者らが動かなかったら?
 もう少ししたら、夫より先に中学生の娘が学校から帰宅するのだ。
 あんな奴らと、可愛い娘を鉢合はちあわせさせたくない――

 110番だ。娘の顔が脳裏に浮かんだ瞬間、踏ん切りがついた。

 おまわりさんを呼んで、注意して貰おう。スマホを手に取り、通報の準備をしながら、再び窓越しに若者らの様子を注視ちゅうしする新田さん。

 二人は、相変わらずニヤニヤ顔で何やらしゃべくりまくっている。
 赤髪が、ペットボトル入りの飲み物をゴクゴクやっている様も確認出来る。
 その悪びれも無い様子に、余計よけい怒りのボルテージが上がった。
 ダイヤルに『110』を入力する。
 いや、
 しようとした時――


 「・・・・・・アラ??」


 若者達の前に、何者かが立ちはだかるのが見えた。
 立ちはだかる・・・という勇ましい言葉を使っていいのかは判断し兼ねるが。


(えっ。おじいちゃん??)


 それは、紺色こんいろのスーツを来た小柄な老人だった。
 遠目に老人だとわかったのは、髪が総白髪そうしらがだったからだ。

 その白髪は肩口まで届くほどの長髪で、しかも胸のあたりまで同じ色の毛が見えたので、かなり長いおひげも垂らしているらしい。
 二人の無頼ぶらいな若者に注意でもうながすかの如く出現した彼に、対する若者らは「あァ?」「何だよこのジジィ」とでも言いたげに不遜ふそんな視線を送っていたのだが、


 ひゅん、と。

 不意に 赤髪の若者が、消えた。


(・・・・・・?! え、えっ??)


 まったく一瞬の出来事。
 ずっと眺めていた新田さん自身も、何が起こったのかまったく把握出来なかった。

 茶髪も、あまりに突然のことに頭が追いついていないようだった。
 赤髪が消えた場所と、老人とを、何回か交互に見直した挙げ句、


  ひゅん。


 茶髪も消えた。


 いや、消えたのではない。
 新田さんの目には、
 
 
 茶髪の若者が、吸い込まれたかのように見えたのだ。


 老人が、こちらへ向き直った。
 その時、はじめて彼が眼鏡めがねをかけていることがわかった。
 背筋がビシッと伸びた、感じの良い老紳士。
 ニッコリ笑顔で、会釈えしゃくをされる。
 ・・・この人、私が見ていることに気付いてる?!!

 と、その刹那せつな


 ――ピーンポーン――

 ・・・・・・・・・・・・!!!!


 新田さんは飛び上がるほど驚き、我に返った。

 間近で玄関のインターホンが鳴る音。ガチャリと開くドア。
 そして、


「ママー、ただいまー。 ・・・げっ、どうしたの。玄関で固まっちゃって」


 ――愛娘まなむすめが、怪訝けげんな表情でこちらを見ている光景。


「あ、あんた・・・ お庭、気付かなかったの?たった今、チンピラとおじいちゃんが・・・」

「チンピラ?おじいちゃん? うっそ。誰も居なかったよ?」


 再び、窓の外へ視線を飛ばしてみた。
 しかし、娘の言う通り。そこには既に、あの老人の姿も見えなくなっている。
 ・・・・・・庭の構造上、玄関から入って来た娘が先ほどの老人や若者らに気付かないなど どう考えてもあり得ないことなのだが??


「・・・・・・は、ははは。ごめんごめん。ママったら、ちょっと疲れてたみたい」

「はぁ? 何それ。ほんと大丈夫?ママ」

「うんうん、きっとああいうのを白昼夢はくちゅうむっていうのね・・・ それはそうと、あんた今日は帰り早かったわね。学校早く終わったの?」

「早い?? もう、しっかりしてよ!いつもとおんなじ時間だし!」


 えっ?と思わず漏らしながら、新田さんはスマホで時間を確認してみた。
 確かに、娘がいつも帰ってくる時間帯だ。


(と、いうことは・・・・・・)


 何気なく覗いた窓の外に若者二人を見留みとめてから、
 あっという間に30分ほどの時間が飛んでいたのだった。


  ※   ※   ※   ※


 この時の体験は、何とも言えない心のしこりのようになって 新田さんの記憶の片隅にわだかまり続けることになる。
 何かの見間違いだったのだ、いや、心の迷いだったのだ・・・と自分を納得させようとしてみても、あまりにハッキリと見てしまった謎の光景の数々が容易に思い出されるので よくよく考える都度つど 自分自身の何かが混乱してしまうような、イヤな感覚にとらわれる。


 しかし、これには結局 進展が無いのだろうな。
 きっと墓まで持って行くようなたぐいの、どうしようもないものなのだな。
 そう思っていた矢先だった。


 例の体験から数ヶ月後。
 娘さんからせがまれて入った市内のパワーストーンショップで、そこの店長だという品の良い女性から声をかけられたのだ。

「・・・あの、失礼を承知でお訊きしますが―― そちらの奥様、もしかして最近、何か奇妙な体験などをなさってはおられませんか?」


 身体に電流が流れたように反応してしまった。
 「わかるんですか?」と思わずたずねると、
 「ええ少し」との返事。


「宜しかったら、その時のことを詳しくお聞かせ願えませんか?心霊体験というのは、とりわけ謎だらけのもの。心を鬱屈うっくつさせるもの。 でも、そういうことが他人に話してしまえば、少しは気持ちも楽になると思いますよ?」

 この人は、私があの出来事でモヤモヤしてることまでわかるんだ・・・! 新田さんは嬉しくなった。だから近くに娘さんが居るのにも関わらず、あの時の出来事を詳細に 熱っぽく 店長へ語ったという。

「・・・・・・ふむふむ、なるほど。そのようなことが」

 ポカンと呆気あっけにとられる娘さんを尻目、ショップの女性店長は「心配することはありません。間一髪かんいっぱつのところで、貴女あなたたち家族は救われたのですよ」と新田さんに微笑んだ。

 店長いわく。あの残暑厳しい昼下がりに現れた二人の若者は、実は新田さん家族に害意を抱く『悪霊』だったとのこと。

 そして、かの老人は新田さん自身の『守護霊』で。家族のピンチにその姿を現し、霊威れいいもって悪霊を下し、再び在るべき所へ戻っていったのだ、とのことらしい。

「それにしても、かなり強い守護霊様をお持ちですね! 奥様ほどの〝力〟を持った方には、このお店の『石』など もはや必要ないかも知れませんわ」

 へぇーっ!ママ、何かスゴい!!
 娘さんは、目をキラキラさせながら新田さんの腕に抱きついてきたという。


  ※   ※   ※   ※


 ――話は、綺麗に落着らくちゃくしたかのように見える。
 いや、新田さん自身も 出来ることならスッパリ、そういうことでメデタシメデタシ、と考えたいという。
 だが、しかし。


「あの、ですね・・・ 私、実はあの秋口の出来事の直ぐ後 若者や老人が居た庭の周辺を おそるおそる探索してみたんですね。 そしたら、 」


 落ちていたのだという。
 ペットボトル入りのコーラ。
 まだ、半分以上中身が残っているもの。
 おそらく あの赤髪が、談笑だんしょうの合間にゴクゴク飲んでいたもの。


「いや、悪霊を始末してくれたのなら守護霊様に感謝致しますよ?悪霊ならね?でも――」


 あの若者達を悪霊と考えた場合
 ・・・・・・ここに飲み残しのコーラが転がってるって、
 何か おかしすぎませんか?
 もしかすると本当に――



 本当に、無礼な若者達だったのではないか。
 そう考えた場合、あの老紳士は
 つまり、生きている人間を・・・・・・



「・・・・・・・・・・・・こわい、ですよね」


 あの老人は 本当に『守護霊』であったのか。
 今となっては かなり疑わしく思えてならない、という。
 
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