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#019『“ゲンが悪い”』
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2010年前後のことと記憶している。
ある日の正午過ぎのこと。私の勤めている割烹に、いつも新鮮な魚を卸してくれる船人(漁師)さんが、突然 ふらりと来店された。
あれ、今日は早いですね。何か捕れましたか――と尋ねると、「今日は早く引けた」「魚は無い」「酒、ちょうだい」と、ぶっきらぼうに言われる。
ぶっきらぼうなのは常々のことなので、黙っていつものコップ酒を差し上げたが、浮かない顔のまま一口、何と三分の二ばかりの量を一気に飲み干し、「ふぅ」と溜め息を吐かれる。
どうしたのですか、と思わず聞いてみる。
奇妙な魚を揚げかけた、と言われる。
「とにかく化け物よ。でかすぎて、半分まで引き揚げたんだけど こりゃ船の上に上げちゃヤバイ奴だと思ってよ・・・ほかして(逃がして)来た。俺らも、そのまま陸にとんぼ返りだ。ゲンが悪いもの」
すわ、「海のUMA怪談ゲットか!」とはしゃいでしまったのは事実だが、詳しく話を聞いてみれば、「エイとサメの合いの子のような2m近い大魚で、口の中にはもの凄く鋭い牙が並んでいた」というので、なぁんだ、と落胆してしまったのを覚えている。
それはおそらく、大型のサカタザメの一種なのだ。
エイとサメの中間に位置する生き物で、種類にもよるものの、大型種の姿は正に怪物。主にインド洋に生息し、日本では南海にしか見られないので、「あんな魚は初めて見た」と船人さんが言うのも頷ける。だが、同種のコモンサカタザメが有明海周辺では「キャーメ」の名で一般流通していることもあるし、ここらの海で大型種を見かける可能性も決してゼロではないのである。
私は、そのことを出来るだけ平易に、船人さんに説明した。そして、別にお化けの類いではないから心配はいりませんよ、と一言付け加えておいた。
船人さんは苦笑した。そして、
「・・・ハハ、兄ちゃん。そんな問題じゃねぇんだよ」
俺たちにとって、あの辺りの海は庭みたいなもんなんだよ。
そこに、初めて見る巨大な魚が現れてみろ。〝当たり前〟が崩れるんだぞ。
あんただって、自分の部屋に知らない他人の服が置いてあったら気味が悪いだろ?
俺たちだって一緒さ。そりゃ図鑑に載ってる有名な魚なのかは知らんが、初めて見るそれが 俺らの庭にいきなり現れたってだけで、みんな、何ていうかな。不安な、いやぁな気持ちになっちまうもんさ。仕事にならんのさ。
「――〝ゲンが悪い〟ってんだ。覚えときな」
と、窘められた。返す言葉も無かった。余計な蘊蓄をひけらかした自分自身に猛省を感じたことが、まるで昨日のことのように思い出される。
※ ※ ※ ※
さて、本題。
石動さんという 40代の釣り好きの男性が、行きつけの波止場で釣り竿を垂れていた時のこと。
その日の海はおそろしく静かで、そして釣果の方にもおそろしく乏しかったという。
(おかしいな・・・いつも外れのないポイントなのに・・・)
波一つ立たない海面を眺めていると、何だか不自然なものを感じ始めた。
何と言ったらいいかわからないが、いつもの海とは違うのだ。
強いていえば、そう。「穏やかすぎる」。
・・・何故だろう、と大きな欠伸を吐き出した直後、
「ン?!」
波が、来た。
それが、〝ひと筋だけ〟の波なのだ。
広い海面に、横一文字、細い線を描いたような波が立ち、それがずっと沖の方から、こちらへ ゆっくり 寄せてきているのである。
まるでミニチュアの津波だな、と石動さんは感じた。珍しいものを見たと思った。
だが、それから約5分後、
「あ、また・・・」
もうひと筋の、〝ミニチュアの津波〟が寄せてきた。
沖からずーっとやって来て、波打ち際で静かに消滅する。
続けて来られて、気味が悪くなった。
「あの・・・今の波、ヘンでしたよね」
横から、一人の釣り人に話しかけられる。
ええ、あれはおかしかった。たぶんもう一回来ますよ・・・と、石動さんは答えた。
双方、無言のまま海面に注目した。
すると、それから一分も経たぬうちだった。
にゅる。
「「え?!!」」
波止場から10mほど離れた海面に、銀色の棒のようなものがいきなり現れた。
長さは5mほど。太さは見当が付かなかったが、おそらくビール瓶の太いところくらいだったろう、という。真っ直ぐに突き出て、ぎらぎらと陽光を反射している。
釣り人二人が言葉をなくしていると、10秒も経たないうちに それは不意にくねくね 全身をツイストさせながら、音も無く海中に没していった。
直後、またひと筋 例の小さな波が来た。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「私、今日はもう 引けます」
「うん。 それがいいかも知れません」
今日は〝ゲンが悪い〟。
その、直ぐ翌日。
熊本に 大地震が襲うこととなった。
ある日の正午過ぎのこと。私の勤めている割烹に、いつも新鮮な魚を卸してくれる船人(漁師)さんが、突然 ふらりと来店された。
あれ、今日は早いですね。何か捕れましたか――と尋ねると、「今日は早く引けた」「魚は無い」「酒、ちょうだい」と、ぶっきらぼうに言われる。
ぶっきらぼうなのは常々のことなので、黙っていつものコップ酒を差し上げたが、浮かない顔のまま一口、何と三分の二ばかりの量を一気に飲み干し、「ふぅ」と溜め息を吐かれる。
どうしたのですか、と思わず聞いてみる。
奇妙な魚を揚げかけた、と言われる。
「とにかく化け物よ。でかすぎて、半分まで引き揚げたんだけど こりゃ船の上に上げちゃヤバイ奴だと思ってよ・・・ほかして(逃がして)来た。俺らも、そのまま陸にとんぼ返りだ。ゲンが悪いもの」
すわ、「海のUMA怪談ゲットか!」とはしゃいでしまったのは事実だが、詳しく話を聞いてみれば、「エイとサメの合いの子のような2m近い大魚で、口の中にはもの凄く鋭い牙が並んでいた」というので、なぁんだ、と落胆してしまったのを覚えている。
それはおそらく、大型のサカタザメの一種なのだ。
エイとサメの中間に位置する生き物で、種類にもよるものの、大型種の姿は正に怪物。主にインド洋に生息し、日本では南海にしか見られないので、「あんな魚は初めて見た」と船人さんが言うのも頷ける。だが、同種のコモンサカタザメが有明海周辺では「キャーメ」の名で一般流通していることもあるし、ここらの海で大型種を見かける可能性も決してゼロではないのである。
私は、そのことを出来るだけ平易に、船人さんに説明した。そして、別にお化けの類いではないから心配はいりませんよ、と一言付け加えておいた。
船人さんは苦笑した。そして、
「・・・ハハ、兄ちゃん。そんな問題じゃねぇんだよ」
俺たちにとって、あの辺りの海は庭みたいなもんなんだよ。
そこに、初めて見る巨大な魚が現れてみろ。〝当たり前〟が崩れるんだぞ。
あんただって、自分の部屋に知らない他人の服が置いてあったら気味が悪いだろ?
俺たちだって一緒さ。そりゃ図鑑に載ってる有名な魚なのかは知らんが、初めて見るそれが 俺らの庭にいきなり現れたってだけで、みんな、何ていうかな。不安な、いやぁな気持ちになっちまうもんさ。仕事にならんのさ。
「――〝ゲンが悪い〟ってんだ。覚えときな」
と、窘められた。返す言葉も無かった。余計な蘊蓄をひけらかした自分自身に猛省を感じたことが、まるで昨日のことのように思い出される。
※ ※ ※ ※
さて、本題。
石動さんという 40代の釣り好きの男性が、行きつけの波止場で釣り竿を垂れていた時のこと。
その日の海はおそろしく静かで、そして釣果の方にもおそろしく乏しかったという。
(おかしいな・・・いつも外れのないポイントなのに・・・)
波一つ立たない海面を眺めていると、何だか不自然なものを感じ始めた。
何と言ったらいいかわからないが、いつもの海とは違うのだ。
強いていえば、そう。「穏やかすぎる」。
・・・何故だろう、と大きな欠伸を吐き出した直後、
「ン?!」
波が、来た。
それが、〝ひと筋だけ〟の波なのだ。
広い海面に、横一文字、細い線を描いたような波が立ち、それがずっと沖の方から、こちらへ ゆっくり 寄せてきているのである。
まるでミニチュアの津波だな、と石動さんは感じた。珍しいものを見たと思った。
だが、それから約5分後、
「あ、また・・・」
もうひと筋の、〝ミニチュアの津波〟が寄せてきた。
沖からずーっとやって来て、波打ち際で静かに消滅する。
続けて来られて、気味が悪くなった。
「あの・・・今の波、ヘンでしたよね」
横から、一人の釣り人に話しかけられる。
ええ、あれはおかしかった。たぶんもう一回来ますよ・・・と、石動さんは答えた。
双方、無言のまま海面に注目した。
すると、それから一分も経たぬうちだった。
にゅる。
「「え?!!」」
波止場から10mほど離れた海面に、銀色の棒のようなものがいきなり現れた。
長さは5mほど。太さは見当が付かなかったが、おそらくビール瓶の太いところくらいだったろう、という。真っ直ぐに突き出て、ぎらぎらと陽光を反射している。
釣り人二人が言葉をなくしていると、10秒も経たないうちに それは不意にくねくね 全身をツイストさせながら、音も無く海中に没していった。
直後、またひと筋 例の小さな波が来た。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「私、今日はもう 引けます」
「うん。 それがいいかも知れません」
今日は〝ゲンが悪い〟。
その、直ぐ翌日。
熊本に 大地震が襲うこととなった。
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