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#093 『おばあちゃんと糠漬け』
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「身内の恥を晒すような話だけど・・・もう半世紀も前の出来事でもあるし、こういうことが実際にあったと若い人に伝えておくのも、オジサンからジイサンに変わっていく私の義務のようにも感じますのでね」
還暦を目前に控えた原田さんという男性が、そういう前置きの後に語ってくれたお話。
※ ※ ※ ※
今から45年ほど昔のことになるという。
当時、彼の住んでいた地区の学校には「日上がり」という習慣があった。
今ではちょっと考えられない話であるが。「日上がり」とは、学校に程近い区域に住んでいる子供らが、おうちでご飯を食べる為、昼休みに一時帰宅をすることであった。
「だいたい、私の通っていた小学校では〝学校から徒歩10分以内のところに家がある子供は日上がりをしても良い〟という決まりになってましたね。ハハ、嘘みたいなシステムでしょ。当時は給食なんてものがなかったから、子供らの学校でのお昼ご飯は、ほとんど冷たいお弁当。だから日上がりが出来ることは、ちょっとしたステータスだったんですよ」
原田さんのお宅は、学校からおよそ5分ほどの距離。日上がりの許容範囲地域であった為、お昼はしばしば家へ帰って温かいご飯を食べていたという。
小学校の3、4年生くらいの頃。
その日も、昨晩のカレーの残りを食べる為に 昼休み、家に戻ってきた。
秋日が強かった覚えがある――と仰られたので、時期的には夏休み少し後のことだったと思われる。
「ただいま~!! ・・・あれ??」
当たり前に鍵がかかっていない玄関の戸をガラガラと開け、つっかけにした靴を揃えずに脱ぎ散らかして家に上がったのはいつも通りだったものの。
「お母さん?お母さ~ん??」
いつも家にいる筈の母親の姿が、何処にも無い。
これは困った。ガスを使うことはお母さんから禁止されていたので、カレーを温めることが出来ないのだ。
当時はおうちに炊飯ジャーも無かったので、ご飯はお釜で炊いた後、さらしに包んで 吊り下げ式の笊に移した冷や飯である。
(生ぬるいご飯に冷えたカレーは流石にイヤだな・・・)
このままお母さんを待っているしか出来ないのか。お昼休みが終わるまでに帰って来なかったらどうしよう。ガスを使っちゃおうか。でもバレたら死ぬほど怒られるぞ・・・
冷たいカレーの入った鍋を目の前にして途方に暮れていると、いきなり背後から「ちょいと」と声をかけられた。
思わず振り向く。
おばあさんがいた。
「え、誰っ?!!」
知らない人であった。
刻みつけたような皺が顔全体に走り、目ばかりがギラギラした感じの痩せた老女。
やけに古ぼけた野良着を着ており、家の中であるにも関わらず白い布を頭に被っている。
「お、おばあさん誰??何で勝手に家の中に入ってるの?!」
「あァ?! あたしがウチの中に居ちゃ悪いかい」
「だって、他人の家の中に無断で入ると お巡りさんにタイホされるんだぞ!」
「バカ言っちゃいけないよ。ここはあたしの家じゃないか」
混乱した。
ということはこの人、僕のおばあちゃん?いや、そんな筈はない。
(おばあちゃんは、僕が生まれる前に亡くなってる筈だけど・・・)
無言で知らないおばあさんを見つめていると、「腹が減ったよ」「冷や飯でもいいから持って来な」と吐き捨てるように言って、お膳の前に座り込む。
「いいかい、漬け物を付けるんだよ。漬け物がないと、飯が不味いからね」
高圧的に畳みかけられ、なおのこと混乱したという。
とにかく、ご飯を食べさせれば満足して帰ってくれるかも知れない。ちょっと怖くなってきた原田さんは、笊からお茶碗へご飯をよそって、おそるおそる、おばあさんに差し出した。「漬け物が無いとダメだって聞こえなかったかい!」と怒鳴られたが、「うちでは漬け物を食べません」と正直に答えた。
「は?バカをお言いでないよ。糠床は何処にやってるんだい。ここでは糠漬けを作ってる筈だろうが」
「えっ・・・し、知りません。糠漬けなんて、食べたこともないけど・・・」
おばあさんの眼が、更に険しくなった。
まばらになった歯を口から覗かせ、唾を飛ばしながら「そんな筈はないだろう!」「飯が欲しいと言ったのは方便だよ。あたしゃ糠床の場所が知りたかったんだよ!!」とわけのわからないことを喚き続ける。
「だ、だって。本当にうちでは、糠漬けなんて漬けてないんだもの・・・」
とうとう原田さんは泣き出してしまった。
おばあさんは暫く、責めるような視線で原田さんを射続けていたというが、やがて「チッ」と顔を歪めて舌打ちすると、
「また来るからね。糠床はあたしのモンだよ」
そう言って立ち上がり、居間の壁に向かってスタスタ歩き始めた。
そして、壁にズブッ、と吸い込まれるように消えてしまった。
「・・・・・・??!!」
あまりの出来事に言葉を無くして固まっていると、不意に後ろから「あら、帰ってたの」と覚えのある声が聞こえた。
振り返る。そこに居たのは、たくさんのニンジンが入ったざるを持った お母さん。
「村井のおばさんからお野菜貰ってたんだよ。ちょうどよかった、玄関にダイコンもあるから、あんた運んで手伝いな」
お母さん!うわぁぁん!!
――と、再び声を上げて泣き出したので、思い切り呆れられてしまったという。
※ ※ ※ ※
お化けを見た、おばあさんだった、と説明しようとしたが、「何バカなこと言ってるの。カレー食べてさっさと学校に戻りなさい!」と怒られたので、渋々、お昼は言われる通りに食べて走って学校へ引っ返した。
その夜。夕飯の席、お父さんが悪戯な口ぶりで「おい、お前、昼間っからお化けを見たんだって?」とからかってきた。
「お化けは夜に出るもんだ。大人をからかうなら、もっと上手い嘘をつくんだな。ハッハッハ!」
「ち、違うよ!嘘じゃ無いもん。死んだおばあちゃんのお化けなんだもん!」
「ほう、おふくろか。どんなだった。死んでも元気だったか」
「痩せたおばあさんだった・・・歯がいっぱい抜けてて、ぼろっちい野良着を着てて、目がキツかった。家の中なのに、ほっかむりしてた」
「・・・・・・・・・・・・なに?」
「うちには糠床がある筈だって・・・それは自分のものだから、また来るって言ってた・・・」
お父さんが、お茶碗と箸を持ったままの姿勢で固まってしまった。
愕然としたような表情。目を見開いて、ぽつりぽつりと告白する原田さんを凝視している。
あれ、おかしいな?と思ったので お母さんの方を見てみたら、こっちはもっとひどかった。顔色が真っ青になり、小さく震えてすらいる。
「あ、あんた、その話・・・糠床の話、誰から聞いたの・・・」
だから、お化けのおばあちゃんだよ!と口を尖らせて答えた。
それを聞いたお母さんは、お茶碗とお箸をソッとお膳の上に置いた。
お父さんも、そうした。
「浅ましい・・・実の孫の前で、何て浅ましい・・・!!」
お父さんは掌で顔を覆い、絞り出したような嘆きの声を漏らした。
※ ※ ※ ※
両親は考えを翻し、「あんたが見たのは確かに死んだおばあちゃんだ」と認めた。
詳しい説明をお母さんは拒絶するような素振りを見せたが、「こいつも長男だ。子供だが知っておかなければならないことはある」とお父さんが宥めたので、彼はコトの一切を、二人の口から知ることが出来た。
「探しても居ないくらいの因業ババアだったよ・・・実の親ながらな」
けちで、薄情で、品がなくて―― 親らしいことは真逆の性格のおじいちゃん(この方も既に故人であった)が全てやってくれたが、おばあちゃん本人は料理すら満足にせず、持病のリウマチを理由にしてほとんど家の中でガミガミと小言を言うだけの人だったという。
お金に汚く、家族が自由にお金を使うことを許さなかった。「お金は貯めるもの、使うと幸せが逃げていく」が口癖で、そのため自身もあまり服を持っておらず、いつも野良着姿だった。髪が薄いのを気にして、晩年はずっとほっかむりをしていたそうだ。
「そんなおふくろが、ずっと糠床だけは自分で管理していたんだ・・・毎日かき混ぜて、マメに糠を足して・・・何でかわかるか?」
「う、ううん」
「本人は黙っていたが、家族はみんな知ってたんだ・・・ 糠床にしていた樽は、不自然なくらいにでかいモノだった。そこにはおふくろが長年貯めていたヘソクリが、ビニール袋や油紙なんかに包まれて隠してあったんだよ」
だから、原田さんのお母さんが嫁に来たとき、いびりにいびり抜いていじめにいじめ抜いたにも関わらず、食事の際の糠漬けだけは自分で食卓へ用意していたらしい。
――そんなおばあちゃんは、ある冬の日、おそらく心臓発作か何かで 静かに布団の中で冷たくなっているのを、朝起こしに来たお母さんから発見された。
殺しても死なないような人だったのに・・・ 家族全員が呟いたというから笑えない話である。
「ふむ。葬式を出さなきゃならんな」
「ああ、オヤジ。おふくろには悪いが、かなりの出費だな・・・」
「何言ってるんだ。こんな時の為の〝備え金〟があるだろう」
「・・・〝備え金〟? オヤジ、もしかして――」
「あの世に金は持っていけないんだ。アレも、自分の貯めた金で向こうへ行くんだから 文句は言えまいて・・・」
おじいちゃんが、すべての責任を持つように自分で糠床をあらためた。
けっこうな額のヘソクリが、幾つもの包みに入ってその姿を現した。
お葬式は難なく出すことが出来た。あまったお金は、生活費にあてた。
貧しい時代だったので、とても助かったという。
原田家ではその後、糠漬けに限らず 漬け物自体を食べることが、ある意味タブーであるような習慣が生まれた。おばあちゃんのお金を勝手に使ったという後ろめたさは、ずっとあったようである。
そして現在に至ったわけで――
※ ※ ※ ※
「――何故、今更向こうから帰って来たのかは知らん。だが、おふくろ・・・おばあちゃんは、自分のお金に未練が残って、それを取りに来たんだ。たぶんな。そんで、家の何処にも糠床が無くなっているから、歯痒い思いをしてるんだな。たぶん、な・・・」
どう思う?と訊かれた。
いやなおばあちゃんだ、と正直に言った。
「そうか・・・ お前は男だ。家族からそう思われる人間になってはならない。そしてお父さん達は貧しさからおばあちゃんのお金を葬式以外にも使ってしまったが、それを今では悪かったと後悔している。貧しさは罪を生む。お前は貧しい大人になってはならない。絶対にだ」
お父さんの言葉は、幼い心に強く刻みつけられたという。
その後、原田さんは日上がりをしなくなった。
再びおばあちゃんのお化けに会ってしまうような気がして、怖かったからである。
以後は何事もなく日は過ぎてゆき、中学を卒業するくらいになって何気なく「おばあちゃんはまだ糠床を探してるのかな」とお父さんに訊いてみたそうだが、
「あれはもう解決している。もう何も心配しなくていい」
穏やかな声で、そう言われた。
「あと、これは余談になるんですが・・・」原田さんは最後にこう語られる。
「うちのおばあちゃん。見た目は私が日上がりの時に見たとおり、まるで80過ぎの老人みたいな風貌だったそうですが・・・」
亡くなった当時は、何とまだ47歳であった。
それを知った時が、一番心の底からゾッとしたという。
還暦を目前に控えた原田さんという男性が、そういう前置きの後に語ってくれたお話。
※ ※ ※ ※
今から45年ほど昔のことになるという。
当時、彼の住んでいた地区の学校には「日上がり」という習慣があった。
今ではちょっと考えられない話であるが。「日上がり」とは、学校に程近い区域に住んでいる子供らが、おうちでご飯を食べる為、昼休みに一時帰宅をすることであった。
「だいたい、私の通っていた小学校では〝学校から徒歩10分以内のところに家がある子供は日上がりをしても良い〟という決まりになってましたね。ハハ、嘘みたいなシステムでしょ。当時は給食なんてものがなかったから、子供らの学校でのお昼ご飯は、ほとんど冷たいお弁当。だから日上がりが出来ることは、ちょっとしたステータスだったんですよ」
原田さんのお宅は、学校からおよそ5分ほどの距離。日上がりの許容範囲地域であった為、お昼はしばしば家へ帰って温かいご飯を食べていたという。
小学校の3、4年生くらいの頃。
その日も、昨晩のカレーの残りを食べる為に 昼休み、家に戻ってきた。
秋日が強かった覚えがある――と仰られたので、時期的には夏休み少し後のことだったと思われる。
「ただいま~!! ・・・あれ??」
当たり前に鍵がかかっていない玄関の戸をガラガラと開け、つっかけにした靴を揃えずに脱ぎ散らかして家に上がったのはいつも通りだったものの。
「お母さん?お母さ~ん??」
いつも家にいる筈の母親の姿が、何処にも無い。
これは困った。ガスを使うことはお母さんから禁止されていたので、カレーを温めることが出来ないのだ。
当時はおうちに炊飯ジャーも無かったので、ご飯はお釜で炊いた後、さらしに包んで 吊り下げ式の笊に移した冷や飯である。
(生ぬるいご飯に冷えたカレーは流石にイヤだな・・・)
このままお母さんを待っているしか出来ないのか。お昼休みが終わるまでに帰って来なかったらどうしよう。ガスを使っちゃおうか。でもバレたら死ぬほど怒られるぞ・・・
冷たいカレーの入った鍋を目の前にして途方に暮れていると、いきなり背後から「ちょいと」と声をかけられた。
思わず振り向く。
おばあさんがいた。
「え、誰っ?!!」
知らない人であった。
刻みつけたような皺が顔全体に走り、目ばかりがギラギラした感じの痩せた老女。
やけに古ぼけた野良着を着ており、家の中であるにも関わらず白い布を頭に被っている。
「お、おばあさん誰??何で勝手に家の中に入ってるの?!」
「あァ?! あたしがウチの中に居ちゃ悪いかい」
「だって、他人の家の中に無断で入ると お巡りさんにタイホされるんだぞ!」
「バカ言っちゃいけないよ。ここはあたしの家じゃないか」
混乱した。
ということはこの人、僕のおばあちゃん?いや、そんな筈はない。
(おばあちゃんは、僕が生まれる前に亡くなってる筈だけど・・・)
無言で知らないおばあさんを見つめていると、「腹が減ったよ」「冷や飯でもいいから持って来な」と吐き捨てるように言って、お膳の前に座り込む。
「いいかい、漬け物を付けるんだよ。漬け物がないと、飯が不味いからね」
高圧的に畳みかけられ、なおのこと混乱したという。
とにかく、ご飯を食べさせれば満足して帰ってくれるかも知れない。ちょっと怖くなってきた原田さんは、笊からお茶碗へご飯をよそって、おそるおそる、おばあさんに差し出した。「漬け物が無いとダメだって聞こえなかったかい!」と怒鳴られたが、「うちでは漬け物を食べません」と正直に答えた。
「は?バカをお言いでないよ。糠床は何処にやってるんだい。ここでは糠漬けを作ってる筈だろうが」
「えっ・・・し、知りません。糠漬けなんて、食べたこともないけど・・・」
おばあさんの眼が、更に険しくなった。
まばらになった歯を口から覗かせ、唾を飛ばしながら「そんな筈はないだろう!」「飯が欲しいと言ったのは方便だよ。あたしゃ糠床の場所が知りたかったんだよ!!」とわけのわからないことを喚き続ける。
「だ、だって。本当にうちでは、糠漬けなんて漬けてないんだもの・・・」
とうとう原田さんは泣き出してしまった。
おばあさんは暫く、責めるような視線で原田さんを射続けていたというが、やがて「チッ」と顔を歪めて舌打ちすると、
「また来るからね。糠床はあたしのモンだよ」
そう言って立ち上がり、居間の壁に向かってスタスタ歩き始めた。
そして、壁にズブッ、と吸い込まれるように消えてしまった。
「・・・・・・??!!」
あまりの出来事に言葉を無くして固まっていると、不意に後ろから「あら、帰ってたの」と覚えのある声が聞こえた。
振り返る。そこに居たのは、たくさんのニンジンが入ったざるを持った お母さん。
「村井のおばさんからお野菜貰ってたんだよ。ちょうどよかった、玄関にダイコンもあるから、あんた運んで手伝いな」
お母さん!うわぁぁん!!
――と、再び声を上げて泣き出したので、思い切り呆れられてしまったという。
※ ※ ※ ※
お化けを見た、おばあさんだった、と説明しようとしたが、「何バカなこと言ってるの。カレー食べてさっさと学校に戻りなさい!」と怒られたので、渋々、お昼は言われる通りに食べて走って学校へ引っ返した。
その夜。夕飯の席、お父さんが悪戯な口ぶりで「おい、お前、昼間っからお化けを見たんだって?」とからかってきた。
「お化けは夜に出るもんだ。大人をからかうなら、もっと上手い嘘をつくんだな。ハッハッハ!」
「ち、違うよ!嘘じゃ無いもん。死んだおばあちゃんのお化けなんだもん!」
「ほう、おふくろか。どんなだった。死んでも元気だったか」
「痩せたおばあさんだった・・・歯がいっぱい抜けてて、ぼろっちい野良着を着てて、目がキツかった。家の中なのに、ほっかむりしてた」
「・・・・・・・・・・・・なに?」
「うちには糠床がある筈だって・・・それは自分のものだから、また来るって言ってた・・・」
お父さんが、お茶碗と箸を持ったままの姿勢で固まってしまった。
愕然としたような表情。目を見開いて、ぽつりぽつりと告白する原田さんを凝視している。
あれ、おかしいな?と思ったので お母さんの方を見てみたら、こっちはもっとひどかった。顔色が真っ青になり、小さく震えてすらいる。
「あ、あんた、その話・・・糠床の話、誰から聞いたの・・・」
だから、お化けのおばあちゃんだよ!と口を尖らせて答えた。
それを聞いたお母さんは、お茶碗とお箸をソッとお膳の上に置いた。
お父さんも、そうした。
「浅ましい・・・実の孫の前で、何て浅ましい・・・!!」
お父さんは掌で顔を覆い、絞り出したような嘆きの声を漏らした。
※ ※ ※ ※
両親は考えを翻し、「あんたが見たのは確かに死んだおばあちゃんだ」と認めた。
詳しい説明をお母さんは拒絶するような素振りを見せたが、「こいつも長男だ。子供だが知っておかなければならないことはある」とお父さんが宥めたので、彼はコトの一切を、二人の口から知ることが出来た。
「探しても居ないくらいの因業ババアだったよ・・・実の親ながらな」
けちで、薄情で、品がなくて―― 親らしいことは真逆の性格のおじいちゃん(この方も既に故人であった)が全てやってくれたが、おばあちゃん本人は料理すら満足にせず、持病のリウマチを理由にしてほとんど家の中でガミガミと小言を言うだけの人だったという。
お金に汚く、家族が自由にお金を使うことを許さなかった。「お金は貯めるもの、使うと幸せが逃げていく」が口癖で、そのため自身もあまり服を持っておらず、いつも野良着姿だった。髪が薄いのを気にして、晩年はずっとほっかむりをしていたそうだ。
「そんなおふくろが、ずっと糠床だけは自分で管理していたんだ・・・毎日かき混ぜて、マメに糠を足して・・・何でかわかるか?」
「う、ううん」
「本人は黙っていたが、家族はみんな知ってたんだ・・・ 糠床にしていた樽は、不自然なくらいにでかいモノだった。そこにはおふくろが長年貯めていたヘソクリが、ビニール袋や油紙なんかに包まれて隠してあったんだよ」
だから、原田さんのお母さんが嫁に来たとき、いびりにいびり抜いていじめにいじめ抜いたにも関わらず、食事の際の糠漬けだけは自分で食卓へ用意していたらしい。
――そんなおばあちゃんは、ある冬の日、おそらく心臓発作か何かで 静かに布団の中で冷たくなっているのを、朝起こしに来たお母さんから発見された。
殺しても死なないような人だったのに・・・ 家族全員が呟いたというから笑えない話である。
「ふむ。葬式を出さなきゃならんな」
「ああ、オヤジ。おふくろには悪いが、かなりの出費だな・・・」
「何言ってるんだ。こんな時の為の〝備え金〟があるだろう」
「・・・〝備え金〟? オヤジ、もしかして――」
「あの世に金は持っていけないんだ。アレも、自分の貯めた金で向こうへ行くんだから 文句は言えまいて・・・」
おじいちゃんが、すべての責任を持つように自分で糠床をあらためた。
けっこうな額のヘソクリが、幾つもの包みに入ってその姿を現した。
お葬式は難なく出すことが出来た。あまったお金は、生活費にあてた。
貧しい時代だったので、とても助かったという。
原田家ではその後、糠漬けに限らず 漬け物自体を食べることが、ある意味タブーであるような習慣が生まれた。おばあちゃんのお金を勝手に使ったという後ろめたさは、ずっとあったようである。
そして現在に至ったわけで――
※ ※ ※ ※
「――何故、今更向こうから帰って来たのかは知らん。だが、おふくろ・・・おばあちゃんは、自分のお金に未練が残って、それを取りに来たんだ。たぶんな。そんで、家の何処にも糠床が無くなっているから、歯痒い思いをしてるんだな。たぶん、な・・・」
どう思う?と訊かれた。
いやなおばあちゃんだ、と正直に言った。
「そうか・・・ お前は男だ。家族からそう思われる人間になってはならない。そしてお父さん達は貧しさからおばあちゃんのお金を葬式以外にも使ってしまったが、それを今では悪かったと後悔している。貧しさは罪を生む。お前は貧しい大人になってはならない。絶対にだ」
お父さんの言葉は、幼い心に強く刻みつけられたという。
その後、原田さんは日上がりをしなくなった。
再びおばあちゃんのお化けに会ってしまうような気がして、怖かったからである。
以後は何事もなく日は過ぎてゆき、中学を卒業するくらいになって何気なく「おばあちゃんはまだ糠床を探してるのかな」とお父さんに訊いてみたそうだが、
「あれはもう解決している。もう何も心配しなくていい」
穏やかな声で、そう言われた。
「あと、これは余談になるんですが・・・」原田さんは最後にこう語られる。
「うちのおばあちゃん。見た目は私が日上がりの時に見たとおり、まるで80過ぎの老人みたいな風貌だったそうですが・・・」
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